日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約

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日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
通称・略称 日米安保条約
日米同盟
署名 1960年1月19日ワシントン
効力発生 1960年6月23日
条約番号 条約第6号
言語 日本語英語
主な内容 日本アメリカ合衆国安全保障について
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日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(にほんこくとアメリカがっしゅうこくとのあいだのそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやく、:Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan、昭和35年条約第6号)は、日本国アメリカ合衆国安全保障のため、日本アメリカ軍在日米軍)を駐留することなどを定めた二国間条約のことである。

1960年昭和35年)1月19日に、ワシントンD.C.で締結された。いわゆる日米安保の根幹をなす条約であり、条約には日米地位協定が付属している(※在日米軍裁判権放棄密約なども付属物とみなす意見もある[要出典])。

形式的には1951年(昭和26年)に署名され翌1952年(昭和27年)に発効した旧安保条約を失効させ、あらたな条約として締約批准されたが、実質的には安保条約の改定とみなされている。アメリカ軍の日本駐留を引き続き認めた。60年安保条約、新安保条約などともいわれる。新・旧条約を特段区別しない場合の通称は日米安全保障条約日米安保条約

概要[編集]

1951年(昭和26年)9月8日、アメリカを始めとする第二次世界大戦連合国側49ヶ国との間で日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結された。この際、同条約第6条(a)但書[1]に基づき、同時に締約された条約が旧日米安全保障条約であり、この条約に基づき、GHQ麾下部隊のうちアメリカ軍部隊は在日米軍となり、他の連合国軍(主にイギリス軍)部隊は撤収した。旧条約は日本の自主防衛力が除去された戦後占領期の社会情勢を前提に、日本政府が米軍の駐留を希望するという形式をとるものであり、また米国の「駐留権」にもとづく片務的な性格を持つ条約であった[要出典]

この旧安保条約に代わるものとして岸信介首相とアイゼンハワー大統領との間で新安保条約が署名され(1960年(昭和35年)1月19日)、同年6月23日に発効した。新条約では集団的自衛権を前提とした(形式としては)双務的体裁を採用しており、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定した。

新安保条約はその期限を10年とし、以後は締結国からの1年前の予告により一方的に破棄出来ると定めた。当条約は締結後10年が経過した1970年(昭和45年)以後も破棄されておらず、現在も効力を有している。

新安保条約は、同時に締結された日米地位協定によりその細目を定めている。日米地位協定では日本がアメリカ軍に施設や地域を提供する具体的な方法を定めるほか、その施設内での特権や税金の免除、兵士・軍属などへの裁判権などを定めている。

条文[編集]

前文
条約を締結することの意義について説明する。個別的及び集団的自衛権についても言及。
第1条
国連憲章の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。
第2条
自由主義を護持し、日米両国が諸分野において協力することを定める。
第3条
日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを定める。
第4条
(イ)日米安保条約の実施に関して必要ある場合及び(ロ)我が国の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する旨を定める。この協議の場として設定される安全保障協議委員会[2]の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される。
第5条
両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。
第6条
在日米軍について定める。細目は日米地位協定に定められる。
第7条、第8条、第9条
他の規定との効力関係、発効条件などを定める。
第10条
当初の10年の有効期間(固定期間)が経過した後は、1年前に予告することにより、一方的に廃棄できる旨を定める。いわゆる自動延長方式の定めであり、この破棄予告がない限り条約は存続する。

安保条約の本質、諸解釈など[編集]

日米安全保障条約の本質の変化[編集]

日米安全保障条約は時代と共に本質を変化させて来た。

旧安保条約が締結された当時、日本の独自防衛力は事実上の空白状態であり(警察予備隊の創設が1950年(昭和25年)秋)、一方ですでに前年の1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発しており在日米軍は朝鮮半島に出撃しており、アメリカは出撃拠点ともなる後方基地の安全と補給の確保を喫緊の課題としていた。日本側の思惑としては独自の防衛力を再建するための時間的猶予がいまだ必要であり、また戦争により破壊された日本の国力が正常な状態にもどるまで安全保障に必要な大半をアメリカに委ねることで経済負担を極力抑え、経済復興から経済成長へと注力するのが狙いであった[3]1953年(昭和28年)7月に朝鮮戦争が停戦した後もひきつづき冷戦構造のもとで、日本は韓国中華民国(台湾)と共に、陸軍長官ロイヤルの唱えた「封じ込め政策」に基づく反共主義の砦、防波堤として、ソ連中華人民共和国北朝鮮に対峙していた[要出典]

1950年代後期に入ると、日本経済は朝鮮戦争特需から1955年(昭和30年)の神武景気に入り、1955年(昭和30年)の主要経済指標は戦前の水準を回復して復興期を脱した。経済白書は「もはや戦後ではない」と述べ、高度経済成長への移行が始まった。政治体制においても自由党と民主党が合併し自由民主党に、右派と左派が合併した日本社会党が設立され、いわゆる「55年体制」が成立し安定期に入った。一方で、1954年(昭和29年)から1958年(昭和33年)にかけて中華人民共和国と中華民国(台湾)の間で台湾海峡危機が起こり、軍事的緊張が高まった。また、アメリカが支援して成立したゴ・ディン・ジエム大統領独裁体制下の南ベトナムでは後のベトナム戦争の兆しが現れていた。

こうした日米が置かれた状況の変化を受けて締結されたのが新安保条約である。当条約の締結前夜には反対運動が展開された(安保闘争)。

新安保条約は1970年(昭和45年)をもって当初10年の固定期間が終わり、単年毎の自動更新期に入ったが、東西冷戦構造の下で条約は自動的に更新され続け、対ソ・対中軍事条約へと性質を変えていった。

1991年(平成3年)のソ連崩壊により冷戦は終結したが、ソ連崩壊後の極東アジアの不安定化や北朝鮮の脅威、中台関係の不安定さや中国の軍事力増強など、日本および周辺地域の平和への脅威に共同対処するため引き続き条約は継続している。日本政府は、基本的価値や戦略的利益を共有する国がアメリカであるとし、日米安保は日本外交の基軸であり極東アジアの安定と発展に寄与するものとしている[4]。一方で日米双方において、当条約の有効性や歴史的存在意義についての多くの議論がおこなわれるようになっている。

2004年(平成16年)度の日本防衛白書では初めて中華人民共和国の軍事力に対する警戒感を明記し、また米国の安全保障に関する議論でも、日本の対中警戒感に同調する動きが見られ、2005年(平成17年)、ブッシュ大統領の外交に大きな影響を持つライス補佐官が中国に対する警戒感をにじませる発言をし、日米安全保障条約の本質は対中軍事同盟・トルコ以東地域への軍事的存在感維持の為の物へと変化して来ている[要出典]

2010年(平成22年)1月19日、オバマ米大統領は、日米安保条約改定の署名50年にあたって声明を発表した[5]。声明では、「共通の課題に対して両国が協力することは、われわれが世界に関与する上での重要な一部となる」として、日米安保を基盤として両国の世界規模での協力の必要性を強調した。また「日本の安全保障に対する米国の関与は揺るぎない」として、「同盟を21世紀向けに更新し、両国を結束させる友好関係と共通の目的を高めよう」と呼びかけていた。また、安保改定50年にあたり日米の外務・国防担当閣僚が共同声明を出している。[6]

日本抑止論[編集]

1990年(平成2年)3月、在沖縄米海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール(Henry C. Stackpole, III)少将は 「米軍が日本から撤退すれば、 すでに強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。 我々は 『瓶のふた』 のようなものだ」 と発言し、日本を抑止する必要があるとの見解を示した[7]

1999年(平成11年)のアメリカの世論調査では、条約の目的について「日本の軍事大国化防止」49%、「日本防衛」12%となった[8]

第5条共同対処宣言(義務)に関する解釈[編集]

この条約の第5条は日米両国の「共同対処」宣言を記述しており、第三国の武力攻撃に対して条約にもとづく集団的自衛権や積極的防衛義務を明記しているわけではない。このため第三国が日本国に武力攻撃を行う際、自動的に米国が武力等による対日防衛義務を負うわけではない。また在日米軍基地や在日米国施設等がなんらかの手段で武力攻撃を受けている際、日本は憲法の規定(の解釈)により、個別的自衛権の範囲でしか対処できない。ここから安保条約の実質において、日本国が武力攻撃にさらされた場合、有効に機能しないのではないかとの議論がある[要出典]

根拠条文[編集]

ARTICLE NO.5
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes.
第5条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動することを宣言する。

解説[編集]

この条項は、第三国による日本への武力攻撃が実施された際に「共同して対処する」と宣言する以上のものではなく、自衛隊のように日本領域の全体を対象とした「自衛権にもとづく積極対処」をすべき義務を米国に課す性質のものではない。条約の文言は単にアメリカ合衆国が日本国内で軍事行動をとれることを事前に選択肢(オプション)として宣言しているにすぎないため、あるいは「日本国内におけるアメリカ合衆国施設等(米軍施設や大使館等)」の防衛を宣言しているにすぎないとの解釈も可能となる。

文理面では、either Party in the territories under the administration of Japanについて、一般には日本政府と米国政府がそれぞれParty(各締約国)と解されるが、これは具体的な武力事態においては国際条約上の治外法権を持つアメリカ合衆国の大使館領事館及び地位協定により同等の地位が付与されている在日米軍基地など「日本の施政権のテリトリーの内側にある」米国政府の施設区域、あるいは日本のテリトリー内に存在する米国政府の公船等(軍用機・軍艦など)が一方のPartyであり、これらアメリカ合衆国の治外法権の施設や公用物を除いた部分すなわち日本国の一般施政権領域、および日本政府の軍用機・軍艦などがもう一つのPartyであると解釈することができる。この定義に基づけば、それらのいずれか一方への攻撃を自らにとっての平和と安全への危険であると認識(recognizes)し、共通の危機(common danger)に対処するとする。

しかしこの条項にはいくつかの論点が含まれており、まず日本の施政権下に置かれていないと米国議会・大統領府が認識している領域については共同対処義務の対象外とする。竹島北方領土はこの条約の言う共同対処義務の範囲外であるとされており、この解釈を敷衍すればすなわち第三国の侵攻により日本政府が領土の一部の施政権を喪失した時点で、その領域に対する第5条による米国の共同対処義務が失効する可能性を示唆する。

つぎに、日本政府は集団的自衛権を(保持しているが憲法の規定により)行使できないと憲法解釈しており、なんらかの技術的手段により、第三国が公海などから日本施政権下の米国固有施設や米国の軍用機・軍艦等にピンポイントで攻撃を加えたばあい、第5条は憲法遵守規定を置くため、(条約優位説を採るとしても)この攻撃に対して自衛隊が反撃することはできない可能性を示唆する(個別的自衛権の範囲でしか対処できない)。米国本土に向けて発射された大陸間弾道弾を日本領域から迎撃することが法的に許可されているかも重要な論点である。

また、条約第5条は共同対処義務の内容については明示しておらず、積極的観点から見れば報復的武力交戦権を否認している日本政府の代わりに、米国による侵攻国本国への報復戦争を予定しているとも解される一方で、消極的範囲に留まれば日本の施政権下にある米国固有のテリトリー(the territories)を防衛すれば最低限度の対処義務を履行したことになるとも解することができる。 つまり、日本国内のアメリカ合衆国の施設(軍事基地等)とその周辺(日本の一部地区)に対する危機に限定されると考えることもできる。アメリカ合衆国軍が行動する場合は、アメリカ合衆国憲法に従わねばならないと条文で規定されており、現実の軍事行動は合衆国大統領ないしは上下両院の日本に対する友情や好意、あるいは戦略的判断の範囲に依存している。また、アメリカ合衆国憲法では在外のアメリカ軍基地が攻撃を受けた時は、自国が攻撃を受けたと看做され自衛行動を許すが、駐留国の防衛まで行う規定はない。

ここからアメリカ軍の日本国内駐留に反対する立場からは、日本に米軍基地があるがために(日本を敵としない)米国の敵から日本の一部地区が攻撃を受けるという危険を呼び込むのであって、この条約の性質は対日「危機」保障条約である、などとの批判がなされることがある。

ただし、下記に述べるように日米双方から「自分のほうが相手に巻き込まれるから不利」という意見は存在し、自国の主観で見るならば、どちらが正しいのかは答えの出しにくい問題である。現実として、長年に渡る日米双方の膨大な維持負担と実績を積んできたこと及び、日米安全保障条約に危機的に信頼を失墜させるほどの行為を日米両国共にとっていないことなどから、こう言った批判は長年少数派に留まっている。[要出典]

真の「相互安全協力及び安全保障」条約であれば、在日米軍の存在同様、自衛隊がアメリカ合衆国内に駐屯する事も可能であると主張する声があるが(事実、2010年(平成21年)12月にドイツ軍は北大西洋条約に基づき、第二次世界大戦終結後初めてフランスに駐留部隊を出した)、集団的自衛権を行使できないとする日本政府の防衛方針に適合しないため非現実的である。

条約が片務的で選択的な実質にとどまり、集団安全保障が確保できない解釈が可能になっている点については旧安全保障条約と同等であり、この問題は旧条約批准時から議論の対象とされており、日本政府の憲法解釈が集団的自衛権の行使を禁じている点を変更し、あるいは憲法9条の条項を改憲し、日米安保の実質に整合性を与えるべきであるとの主張がある[要出典]

なお、2012年(平成24年)11月29日、米上院は本会議で、尖閣諸島問題を念頭に日本の施政権についての米国の立場について「第三国の一方的な行動により影響を受けない」「日米安保条約第5条に基づく責任を再確認する」と宣言する条項を国防権限法案に追加する修正案を全会一致で可決した[9][10]

2013年(平成25年)1月2日、前月20日米下院、翌21日米上院で可決された尖閣諸島日米安全保障条約第5条の適用対象でることを明記した条文を盛り込んだ2013年会計年度国防権限法案にオバマ大統領が署名し法案が成立した。尖閣諸島の条文には「武力による威嚇や武力行使」問題解決を図ることに反対するとしている[11][12]

米国下院で「日本側に有利過ぎる」と批判された日米安保条約[編集]

上記とは逆に、米国側からの「日本に有利すぎる」といった批判がある。

日米地位協定第二十四条において、米軍の維持経費は「日本国に負担をかけないで合衆国が負担する」と規定されている。旧ソ連を主な脅威としていた日米安全保障の本質は冷戦終結と共に変化しているが、条約部分に決定的な変化は無い。また日米安全保障条約は、日本側が正常な軍事力を持つまで……として締結された経緯もあり、アメリカ側には日本を防衛する事を必要とされるが、日本側は必ずしもアメリカを防衛することは必要では無い状態になっている。これは日本側の憲法解釈(政府見解)上の制約で、個別的自衛権の行使は日米両国共に可能だが、集団的自衛権の場合は日本は憲法に抵触する恐れがあるという政策を採っている。抵触するかどうかについては議論が続いており、結論は出ていない。この事実を日本の二重保険外交と解釈し、日本はアメリカに対する防衛責務を負っていないのに、アメリカから防衛されている状態ではアメリカの潜在的敵国と軍事的協調をとれる余地を残している、との批判が米議会にあったことも事実である。また、アメリカ側は日本に対して集団的自衛権を行使出来ると明言しており、費用面からも、軍事的負担がアメリカ側に多いと、日米安全保障条約はアメリカで時として非難される。

だが実際のところ、日米安全保障条約の信頼を失墜させるほどの行為は日米両国共にとっていないので、こう言った批判は、やはり米国でも少数派に留まっている[要出典]

米軍が日本に駐留し続ける事の意義[編集]

ホワイトハウス報道官は2008年(平成20年)2月13日、「米国はどこに居ようとどこに基地を持とうと、それはそれらの国々から招かれてのことだ。世界のどの米軍基地でも撤去を求められているとは承知していない。もし求められれば恐らく我々は撤退するだろう」と述べた(ダナ・ペリノ発言、「恒久的基地は世界のどこにもない」AFP通信電)。

ただし、世界的には、米軍自身が戦略的に必要と考える地域で現地の国民が駐屯に反対した場合には、駐留と引き換えの経済協力を提案し、あるいはパナマ侵攻グレナダ侵攻死の部隊の活動などに見られるように、反対勢力には経済制裁や対外工作機関(中央情報局など)による非公然活動(スキャンダル暴露や暗殺など)、場合によっては軍事介入などのさまざまな妨害をちらつかせ、「アメとムチ」を使って駐留を維持するとされるという説もある。またディック・チェイニーは国防長官当時の1992年(平成4年)、議会で「米軍が日本にいるのは、日本を防衛するためではない。米軍が必要とあらば、常に出動できる前方基地として使用できるようにするため。加えて日本は駐留経費の75%を負担してくれる」とまで発言している(思いやり予算[要出典]

日本が米軍の駐留費用を負担する意味があるかとの疑問が共産党などから出されている[13]他国では米軍が全て駐留費用を負担し、かつ米軍に制限がかけられている例も数多く存在する(アイスランドなどは逆に駐留費の全額負担を持ちかけた末に拒否され米軍は撤退している)。カタールにおいては米軍はカタール政府の同意がないとカタール国内の米軍基地から物資を持ち出せない。[要出典]

米国の核の傘を否定する発言[編集]

米国の核の傘に対する否定的見解が、個人的見解として米国の政治家、学者等から出ている[14]

  • ヘンリー・キッシンジャーは「同盟国に対する核の傘を保証するため自殺行為をするわけはない」と語っている。中央情報局長官を務めた元海軍大将スタンスフィールド・ターナー英語版は「もしロシアが日本に核ミサイルを撃ち込んでも、アメリカがロシアに対して核攻撃をかけるはずがない」と断言している。元国務次官補のカール・フォードは「自主的な核抑止力を持たない日本は、もし有事の際、米軍と共に行動していてもニュークリア・ブラックメール(核による脅迫)をかけられた途端、降伏または大幅な譲歩の末停戦に応じなければならない」と述べた。
  • その他、以下の米国の要人が、米国の核の傘を否定する発言をしている。

上記のように、米国中枢の人間が個人的立場で他国のために核報復は無いと明言しているが、その場合日本にとって核の傘の意味が低下する[要出典]

日本側の「核の傘」に対する疑問[編集]

西村眞悟衆議院議員は第155回国会内閣委員会第2号(平成14年10月30日(水曜日))において、アメリカは主要都市に核ミサイルが落ちる危険性を覚悟して日本に核の傘を開くのか、と疑問を述べた。また欧州へ向けられたロシアの核についてのアメリカのシアター・ミサイル・ディフェンスという発言を捉え、アメリカ自身が核ミサイルの射程外の場合関係ないというアメリカの意識がにじみ出ていると指摘した[15]

日本国内の認識[編集]

沖縄[編集]

沖縄県の在日米軍基地が日本の国土面積に占める割合は1割以下だが、在日米軍基地面積の7割以上(ただし自衛隊との共用地を除いた米軍専用地の割合)が沖縄県に集中している事で、本土と比べて不公平だとする意見や、在日米軍基地の必要性についても疑問視する意見が、沖縄県には多数ある。また、在日米軍基地近隣の騒音問題がある。

2010年(平成22年)5月に、毎日新聞琉球新報が沖縄県民を対象に行ったアンケートによると、同条約を「平和友好条約に改めるべき」が55%、「破棄すべき」が14%、「維持すべき」は7%だった[16]

識者[編集]

評論家の大井篤1960年(昭和35年)の条約改定にあたり、日米安全保障条約のもつ抑止効果を積極的に追求するべきであると結論付けた[17]

元外務省局長の孫崎享は、日米安保は日本の利益を守るためにあるのではなく、存在意義はまったくないと述べている[18]。また孫崎は、集団的自衛権について米国が日本を戦闘に巻き込むのが狙いと述べている。

世論調査[編集]

内閣府が2010年(平成22年)1月におこなった世論調査では、同条約が日本の平和と安全に「役立っている」との回答が76.4%、「役立っていない」との回答が16.2%となった。また「日本の安全を守るためにはどのような方法をとるべきだと思うか」との問いには「現状どおり日米の安全保障体制と自衛隊で日本の安全を守る」との回答が77.3%、「日米安全保障条約をやめて、自衛隊だけで日本の安全を守る」が9.9%、「日米安全保障条約をやめて、自衛隊も縮小または廃止する」が4.2%となった[17]

脚注[編集]

  1. ^ 第六条(a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一または二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。
  2. ^ 日本側の外務大臣と防衛庁長官、米国側の国務長官と国防長官により構成される会合。いわゆる「2プラス2」
  3. ^ ソ連を含まない単独講和と旧安保条約の締結に反対していた松野鶴平に対して、吉田茂は「このご時世、番犬くらい飼ってるだろう?」と持ちかけ、「それがどうした」と返されると、「犬とえさ代は向こう持ちなんだよ」と言ったとされる。
  4. ^ 外務省: 日米関係 2.日米安全保障関係”. 外務省 (2009年(平成21年)10月). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ “日米安保条約改定50年 オバマ大統領談話全文”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年1月20日). オリジナル2010年1月23日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100123210001/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100120-OYT1T00631.htm 2013年6月1日閲覧。 
  6. ^ 野口武則・仙石恭 (2010年1月19日). “安保改定50周年:日米の外務・防衛担当閣僚が共同声明”. 毎日jp (毎日新聞社). オリジナル2010年1月20日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100120072039/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100120k0000m010072000c.html 2013年6月1日閲覧。 
  7. ^ 等雄一郎「専守防衛論議の現段階――憲法第9条、日米同盟、そして国際安全保障の間に揺れる原則 (PDF) 」 、『レファレンス』第56巻(5)(通号 664)、国立国会図書館調査及び立法考査局、2006年5月、 19-38頁、 ISSN 0034-29122013年6月1日閲覧。
  8. ^ 小熊英二 (2004年5月12日). “第9条の歴史的経緯について (PDF)”. 衆議院憲法調査会. 2013年6月1日閲覧。
  9. ^ ワシントン時事 (2013年1月3日). “尖閣防衛義務を再確認=国防権限法が成立-米”. 時事ドットコム (時事通信社). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013010300169 2013年6月1日閲覧。 
  10. ^ 山口香子 (2012年11月30日). “米上院「尖閣に安保適用」全会一致…中国けん制”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社): p. 2012年12月1日夕刊13S版1面. http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121130-OYT1T01080.htm 2012年12月1日閲覧。 
  11. ^ 読売新聞2012年12月23日13S版2面及び2013年1月4日13S版2面
  12. ^ 共同 (2013年1月3日). “グアム移転費復活に署名 尖閣への安保適用も明記”. MSN産経ニュース (産経新聞). オリジナル2013年1月3日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20130103201713/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130103/amr13010316200004-n1.htm 2013年6月1日閲覧。 
  13. ^ 日本共産党中央委員会 (2004年10月22日). “参院予算委 市田書記局長の総括質問(大要)”. しんぶん赤旗 (日本共産党). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-10-22/25_01.html 2013年6月1日閲覧。 
  14. ^ 伊藤 (2006)参考。
  15. ^ 第155回国会 内閣委員会 第2号(平成14年10月30日(水曜日))”. 衆議院 (2002年10月30日). 2013年6月1日閲覧。
  16. ^ “「辺野古」反対84% 琉球新報・毎日新聞 県民世論調査”. 琉球新報. (2010年5月31日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162838-storytopic-1.html 2011年6月20日閲覧。 
  17. ^ a b 三浦信行「日米安全保障条約改定50周年に寄せて : 第34回国会「日米安全保障条約等特別委員会」公聴会公述人の意見陳述を中心に (PDF) 」 、『国士舘大学政治研究』第2号、国士舘大学政経学部附属政治研究所、2011年3月、 137-192頁、 ISSN 1884-6963
  18. ^ 環球時報 (2012年7月27日). “日本外務省元局長:日米同盟の存在意義はまったくない_中国網_日本語” (日本語). 中国網日本語版(チャイナネット) (中国網). http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-07/27/content_26036576_2.htm 2013年6月1日閲覧。 

関連文献[編集]

関連項目[編集]

事件
条約・機構

外部リンク[編集]