民主主義

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デモクラシー・インデックスによる地域別の政治判断。色が薄い地域ほど民主傾向が強い

民主主義(みんしゅしゅぎ)、または民主政(democracy)とは諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制をいう。

目次

[編集] 概説

民主主義は個人人権である自由平等参政権などを重視し、多数決を原則として意思を決定することにより、人民による支配を実現する政治思想である。単純な多数決と混同されることが多いが、単純な多数決では、単に多数であることをもって、その結論が正当であるとの根拠とするものであるが、民主主義として把握する場合には、最終的には多数決によるとしても、その意思決定の前提として多様な意見を持つもの同士の互譲をも含む理性的対話が存在することをもって正当とする点で異なると主張される。

話し合いの場(日本で言えば国会など)で意見が複数出た時は内容の良し悪しや内容より互いの立場や以後の支持に対する損得で意見するため、折り合いがつきにくく、話し合いが長期に及ぶことにより迅速かつ有意義な政治決定が行われにくいという欠点がある。

民主主義を無条件に広めると、知的教育を受けていないもの、恐怖や怒りなどの個人の損得感情に影響されやすい非理性的なものも有権者となり、結果として衆愚政治となりかねない危険がある。逆の言い方をすれば、民主主義の成功のためには国民の有権者全体が知的教育を受けられること、恐怖やマスコミによる扇動に惑わされず理性的な意思の決定ができる社会が不可欠である。

法的概念における民主主義は君主制などと対応する概念であり、連邦主義などとは並存するものである。

フランシス・フクヤマは、リベラルな民主主義が唯一の合理的で普遍的なイデオロギーであり、政治体制だと主張し、ソ連の崩壊により、民主国家諸国は他のイデオロギー国家群に対して最終的な勝利を治め、もはやくつがえすことのできない政治的・経済的・軍事的優位を確立したとして、歴史の終わりを説いた。

マイケル・ドイルブルース・ラセットは民主国家同士が交戦可能性が低いことを経験的に見出し、民主的平和論を説いた。

[編集] 概念

全国民が平等な権利を持つ民主主義において投票は重要である

哲学的にはデモクラシーの日本語訳で、君主に対応する概念(対概念)として「民主」という概念を設け、人民ないしは国民が、支配の正統性および実際の政治権力の双方の意味を含む主権を有するものとして、為政者たる「民主」と、被治者たる人民が同じ(治者と被治者の自同性)であるとする政治的な原則や制度をいう。

「民主政治」という訳語がより原義に近いという意見もある。哲人政治などの治者に何らかの条件を求めるものと違い、治者と被治者の自同性のため、失政による被治者への損害は確実に治者によって補償される。

政治学では民主政・民主主義を区別する必要からdemocracy(民主政・民主制)、democratism(民主主義、民主政イデオロギー・民主制)と区別することがある。民主制はやや慣用表現。democracyはdimokratía(δημοκρατία)が語源で、人民支配、人民(主)権の意。そのほかOligarchy(寡頭支配)やMonarchy(専制支配)の三分類がヘロドトス『歴史』に登場し、プラトンアリストテレスが貴族支配や君主支配の概念とともに整理し、のちモンテスキューらに引用された。

日本においては、幕末、democracy(民主主義)とrepublicism(共和主義)の概念が混同され、どちらも「共和」と邦訳されることもあった。

民主主義は「過去の人々」がもし現在の意思決定に参加したならどう判断するのかという視点、あるいはまだ生まれていない人々がもし現在の課題に対して意思決定に参加したならどう判断するかといった視点から、単なる現在「たまたま」参加できる投票者による多数決を否定する論調(歴史主義)が存在する。

歴史主義は保守・革新の双方から尊重される一方で、現実に直面している課題を解決することを先延ばししているだけであるという批判に対して論理的な証明を持たない弱点がある。国民を歴史的な存在と抽象することは代表民主制においての論題の一つである(⇒ナシオン主権とプープル主権を参照)。歴史主義を強調すると検証不能な歴史観なるものを背景に独裁政を助長する可能性がある(唯物史観による共産党一党独裁や皇国史観など)。

[編集] 民主主義と民主政

民衆の力を背景として行われる政治が民主政であり、これを意思形成の原則として主唱する政策理念が民主主義である。民主政は神権政、君主政、貴族政、共和政、独裁政などに対置される。民主政はコミュニティにおける意思決定に民衆が関与するだけでなく、その政策の執行も担当することを前提としており、その意味において「民主主義」とは一線を画する。

ルソーは、政策の執行権を人民全体ないし多数者に任せるのを民主政、少数者に任せるのを貴族政、一人に任せるのを君主政とした[1]。人民集会では立法権(意思決定)が民衆に属さなければならず、一方で執行権は、立法者、あるいは主権者としての人民一般には属しえないものであり、公僕たる政府に委任するものとした[2]

なお、一般に、民主政と民主制を混用し、民主体制の対立概念に独裁体制や一党体制が用いられることが多いが、現実には独裁と言われた国家社会主義ドイツ労働者党(いわゆるナチス党)が、演説により支持者を増やし、選挙によって第一党の座に座ると言う実に民主的な方法で政権を握ったように(民主主義体制下における独裁政)[3]、独裁者が民主的に選ばれることもあるため、必ずしも対置するものではない。

寡頭制の鉄則[4](⇒寡頭制)という言葉があるように、どのような体制であっても権力は究極的には集中するものであり、独裁主義に対置するものは、正確に言えば民主主義というよりも自由主義である[5]。為政者が少数派の政治活動や、言論の自由や思想の自由を弾圧するようになれば、たとえ大衆の支持があったとしても独裁的(非自由主義)と呼ばれる。

戦う民主主義は、民主主義を価値中立的で純粋に手続的な保証から踏み出し、民主主義的な価値に拘束し防衛するため、政党・結社の自由や表現の自由の一部を制限・禁止する[6]ことがある。

[編集] 現代における議会制民主主義国家の基準

明らかに独裁体制である国が民主国家を自称している場合もあるので、外部からチェックできる基準として以下のようなものが用いられる。この議論はポリアーキー(Polyarchy)と呼ばれ、たとえばPolyarchyの草案者ロバート・ダールは7つの基本的条件を挙げている[7]。すなわち、1)行政決定を管理する選挙された官吏、2)自由で公正な選挙、3)普通選挙、4)行政職に対する公開性、5)表現の自由、6)代替的情報(反対意見)へのアクセス権、7)市民社会組織の自治。

また、フランシス・フクヤマによれば次のような基準が提案される。すなわち、

  • 相対立する複数立候補者が存在する、自由で、無記名で、定期的な男女普通選挙の実施
  • 普通選挙によって構成された議会が立法権の最高権限を持っていることの憲法などの公式文書での明文化
  • 議会内における相互批判的な複数政党の存在
  • 自由で多様な行政府批判を行う国内大手メディアが存在し、それを不特定多数が閲覧できること。

などである。世界には多様な民主国家が存在しているが、これらはおおむね共通して存在する基準である。逆に、これらを満たしていない民主国家はまだ改革の余地がある民主体制だと認識される[8]

[編集] 分類・種類

[編集] 歴史

[編集] 古代インド

民主主義文明の最古の一例は古代インドに見られる。リグ・ヴェーダの中で国々はほとんど君主制の面が描かれているが、SabhaとSamitiと呼ばれる民主的機関があったことも述べられている。Sabha(サンスクリットで集会を意味する)は選挙集会あるいは重要な族長達の集会という意味で散見される。Samitiは特別な事態にのみ招集される族内全ての男性の集まりと解釈されている。

SahbaとSamitiは王権を抑止する働きがり、リグ・ヴェーダの中で”パラジャパティ神の娘達”と表されているように、半神的な存在だった。

ブッダ誕生以前にあった多くの共和国(それらは紀元前6世紀以前に起源がさかのぼり、このうち現ビハール州にあったヴァイシャリを首都とするリッチャヴィ(Licchavis)に最初の共和制が成立したとされる)のうちいくつかでは民主主義的なシステムー Sangha、Gana、Panchayat ーが用いられていた。

後の4世紀アレクサンダー大王の時代、ギリシャ人学者が Sabarcae と Sambastai (今のパキスタンアフガニスタン)のことを" 行政は民主的であり、王政ではない " と書いている。

古代インドにおける民主主義の別の一例としては、パーラ朝の創始者ゴーパーラが地方名士の選挙によって王として選出された出来事があげられる。また、古代インドでもっとも注目すべき共和国としてアショーカ王に侵略されたカリンガ王国がある。

[編集] 古代ギリシアの民主政

現代の民主主義は古代ギリシア都市国家(ポリス)にその起源を見ることができる。古典ギリシア語のデモス(demos、人民)とクラティア(kratia、権力・支配)をあわせたデモクラティア(democratia)がデモクラシーの語源である。しかし古代ギリシアの民主政は各ポリスに限定された「自由市民」にのみ参政権を認め、ポリスのため戦う従軍の義務と表裏一体のものであった。

例えば、女性や奴隷は自由市民とは認められず、また、ギリシア人であっても他のポリスからの移住者には市民権が与えられることは少なかった。だが、やがて一部の扇動的な政治家の議論に大衆が流され衆愚政治化していき、やがてアテナイを初めとする民主政の国家は君主制寡頭制の国家に敗れて衰退する事になった。

このため、ソクラテスクセノポンプラトンアリストテレスアリストパネスと言った知識人はこれを批判的に捉え、以後民主政は無統制で無責任、無能力な人間が政治を動かしていくという、いわゆる「衆愚政治」の悪名を持って呼ばれる事になり、以後大衆には国家を統治する能力はないとする政治学的な常識が人類史に定着する事になった。

[編集] 近現代の民主主義

今日的な意味での民主主義は西欧の近代市民革命を通して広まり、近代市民社会の根本的原理となった議会制民主主義である。三権分立の軌跡も含めその発現形態は地域によって一様ではないが、自由・進歩・同胞愛の標語を掲げたフランス革命アメリカ独立戦争の影響を通して、また、多数決により選ばれたヒトラーなどの独裁制の経験を経て、現代では自然権が民主主義における普遍的価値観として定着してきた。

民衆による意思決定、権力の分立、自然権を前提とした立憲主義による民主主義は、あくまで君主政や寡頭政、独裁政よりもましな制度という批判は強く、そこにおいても大局観や広い視野、教養を併せもつエリートの存在が不可欠であるとされる。

[編集] レイプハルトによる民主主義類型

アーレンド・レイプハルトは、世界の民主主義諸国を多数決型民主主義合意形成型民主主義に類型化した。

多数決型民主主義
ウェストミンスターモデル」とも言われる。アングロサクソン諸国が該当する。二党制、単独政権、首相もしくは大統領の優越、小選挙区制多元主義中央集権的単一国家、一院制軟性憲法憲法裁判所の不在、従属した中央銀行などのうち、多数の点に当てはまることを想定している。
合意形成型民主主義
「コンセンサスモデル」とも言われる。ヨーロッパ大陸の小国が該当する。多党制、連立政権、議会もしくは政党の優越、比例代表制コーポラティズム地方分権連邦制二院制硬性憲法、憲法裁判所の存在、独立した中央銀行などのうち、多数の点に当てはまることを想定している。

[編集] トリビア

  • イギリスの作家・バーナード・ショーは「デモクラシーというものは、腐敗した少数の権力者を任命する代わりに、無能な多数者が選挙によって無能な人を選出することである」と述べた。
  • イギリス首相を務めたウィンストン・チャーチルは「実際のところ、民主制は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた、他のあらゆる政治形態を除けば、だが」と述べた。

[編集] 脚注

  1. ^社会契約論』第3編第3章。
  2. ^ ジャン=ジャック・ルソー 『社会契約論』 桑原武夫訳、岩波書店岩波文庫〉(原著1954年1月)、pp. 83,140。ISBN 9784003362334
  3. ^ ただし、ナチスは政権をとった後、ドイツ国会議事堂放火事件を口実に共産党員を逮捕したり、全権委任法を採決するときに反対派の議員を議会から締め出したりするなど、政治的なテロ行為を行っており、民主的な選挙で独裁体制を確立したというのはやや過大評価である。ナチスは選挙では最後まで単独で議会の過半数を制することはできなかった。
  4. ^ 河崎健 (1999). “ドイツにおける政党研究の特徴と意義〜ミヘルスとウェーバーを手掛かりに〜” (PDF). 上智大学. 2009-02-11 閲覧。
  5. ^ 栗生武夫. "法学史講要PDF". 私立玉川用賀村中央図書館(新館) p. 14. 2009-02-11 閲覧。
  6. ^ 山岸喜久治ドイツ連邦共和国における政党禁止の法理」 (PDF) 、『早稲田法学』第67巻第3号、早稲田大学、1992年。
  7. ^ 藤原郁郎民主化指標の考察と検証」 (PDF) 、『立命館国際研究』第4号、立命館大学、2003年、2009-02-11 閲覧。
  8. ^ フランシス・フクヤマ 『歴史の終わり

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク

ウィキクォート
ウィキクォート民主主義に関する引用句集があります。
ウィクショナリー
ウィクショナリー民主主義の項目があります。