ヴァイマル憲法
ヴァイマル憲法(ヴァイマルけんぽう、独:Weimarer Verfassung)は、第一次世界大戦敗北を契機として勃発したドイツ革命によって、帝政ドイツが崩壊した後に制定されたドイツ国の共和制憲法である。憲法典に記されている公式名はドイツ国憲法(独:Die Verfassung des Deutschen Reichs)。
ドイツの憲法は、フランクフルト憲法やボン基本法のように、その憲法が制定された都市の名をつけて通称とする慣例があり、ヴァイマル憲法も憲法制定議会が開催された都市ヴァイマルの名に由来する通称である。ワイマール憲法と表記される場合も多いが、これは英語の発音にしたがったものである。
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経緯 [編集]
第一次世界大戦の終焉に、1919年1月にヴァイマルにて憲法制定の国民会議が開催され制定。
起草文はドイツ民主党の政治家で弁護士であったフーゴー・プロイスによって作成。
初代大統領に選出されたフリードリヒ・エーベルトが1919年8月11日に調印し制定。
構成 [編集]
前文 [編集]
原文:Das Deutsche Volk einig in seinen Stämmen und von dem Willen beseelt, sein Reich in Freiheit und Gerechtigkeit zu erneuen und zu festigen, dem inneren und dem äußeren Frieden zu dienen und den gesellschaftlichen Fortschritt zu fördern, hat sich diese Verfassung gegeben.
訳:ドイツ国民は、民族が団結し、自由と正義の元で、新しい強大な国家を目指し、内外の平和に貢献し、社会進歩を促進させるため、この憲法を採択した。
第一主部 国家の構築と目的 [編集]
第二主部 ドイツ人の権利と義務 [編集]
内容 [編集]
ヴァイマル憲法の最大の特徴は人権保障規定の斬新さにある。自由権に絶対的な価値を見出していた近代憲法から、社会権保障を考慮する現代憲法への転換がこのヴァイマル憲法によってなされ、その後に制定された諸外国の憲法の模範となった。当時は世界で最も民主的な憲法とされ、第1条では国民主権を規定している。
統治制度はおおよそ次のとおりである。
- 直接選挙で選ばれる大統領(任期7年)を国家元首に置き、憲法停止の非常大権などの強大な権限を与えた。また、大統領は首相の任免を行うとする半大統領制を初めて採用した。
- 選挙権は20歳以上の男女に与えられた[1]。
- 大統領は議会の解散権を有し、議会は不信任決議をすることで首相を罷免させることができる。
- 議会は、国民代表の国会(Reichstag)と、州(ラント)代表の参議院(Reichsrat)からなる両院制である。
- 司法機関は通常裁判所の他に国事裁判所がある。
- 志願兵からなる国防軍(Reichswehr)を置き、大統領が直接指揮・監督する。
- 一定数の有権者による国民請願や国民投票など、直接民主制の要素を部分的に採用した。
問題点 [編集]
ヴァイマル共和国憲法は、国家主権者を国民とする、財産に制限をつけない20歳以上の男女平等の普通選挙をおこなう、国民の社会権を承認するなど斬新性があった。だが有権者の直接選挙で選出されたドイツ国大統領に、首相の任免権、国会解散権、憲法停止の非常大権、国防軍の統帥権など、旧ドイツ皇帝なみの強権が授与された。これらの強権は混乱期にあった共和制成立期においては各種の反乱鎮圧に際して発動された。
制定当時は旧ドイツ帝国憲法にくらべ、はるかに民主的な憲法とされた。ヴァイマル憲法では首相の指名は大統領の指名のみが条件であったが、議会は首相を不信任することもできた[3]。当時の憲法解釈では首相指名には議会優位説がとなえられており、エーベルト大統領は議会の支持が得られる人物を首相に任命していた。しかし、完全比例代表制の弊害である少数政党乱立を防止するための阻止条項たる最低得票率制限[4]がなかったため、ヴァイマル共和国内閣は少数の複数政党による連立内閣となることが多かった。政党間の協議も混乱に拍車をかけ、選挙制度改革はたびたび議論されたものの、成立しなかった[1]。
この情勢を解決するため、首相指名には大統領の権限が優先されるという大統領優位説が次第に浸透するようになった[5]。元来保守的なヒンデンブルク大統領は第一党であるドイツ社会民主党を信頼せず、ヘルマン・ミュラー首相の退陣後は自らの指名のみを基礎とする「大統領内閣」を組織させた。大統領内閣の首相は議会で多数派を確保できず、法案制定を大統領命令に頼るようになった。ナチ党の権力掌握期にナチ党のアドルフ・ヒトラーが首相に指名されたのもこの大統領内閣制度によるものであり、国会議事堂放火事件後に対立する共産党員や社会民主党員を拘束しえたのは大統領令による立法であった。
全権委任法が制定された後も、ヴァイマル憲法は正式には廃止されなかった。しかし法学者カール・シュミットが、全権委任法制定によって政府が立法権を手中にしただけでなく、憲法違反や新憲法制定を含む無制限の権限が与えられたと説明している[6]ように、事実上憲法は死文化した。
ヴァイマル憲法の失敗をもとに、戦後のドイツ連邦共和国の憲法であるボン基本法は以下のように定めた。
- 大統領を国民議会による間接選挙とし、権限を儀礼的な役割に限定する。
- 国民に自由主義と民主主義を擁護する義務を負わせ(戦う民主主義)、ナチス党擁護など、明らかにこれを否定する政党や政治団体には裁判所が解散命令を下すことを可能とする。
- 議会は次期首相候補を定めることなしに内閣不信任案を発議できない(建設的不信任制度)。
- ドイツ連邦軍を、大統領ではなく内閣の統帥権下に置く。
- 選挙制度は比例代表と小選挙区の並立制であり、比例区においては阻止条項を導入している[7]。
脚注 [編集]
- ^ a b c 村田孝雄 1972-10, pp. 38.
- ^ a b 村田孝雄 1972-10, pp. 39.
- ^ 村田孝雄 1972, pp. 2.
- ^ 現代のポーランド共和国やチェコ共和国では単純なドント方式の完全比例代表制が行なわれているが、最低得票率制限が存在するため少数政党の乱立は防止されている。最低得票率制限は、ポーランド共和国では政党5%政党連合7%、チェコ共和国では5%となっている。
- ^ 村田孝雄 1972, pp. 3.
- ^ 南利明 1988, pp. 217ー218.
- ^ 村田孝雄 1972-10, pp. 45.
参考文献 [編集]
- 南利明 「指導者-国家-憲法体制における立法(一)」、『静岡大学法政研究』第8巻第1号、静岡大学、2003年10月、 69-129頁、 NAID 110007522689。
- 村田孝雄 「ワイマール憲法下の組閣について」、『中京大学教養論叢』13(1)、中京大学、1972年、 1-22頁、 NAID 110004642059。
- 村田孝雄 「ワイマール憲法下における選挙制定の歴史的考察」、『中京大学教養論叢』13(2)、中京大学、1972年10月、 35-45頁、 NAID 110004642071。
関連項目 [編集]
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