フェミニズム

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フェミニズム: feminism)とは、性差別を廃止し,抑圧されていた女性権利を拡張しようとする思想運動性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。男女同権運動との関わりが深い。フェミニズムは、近年、リベラル・フェミニズムラディカル・フェミニズムとが対立している。フェミニズムの思想は多様であり、一本の思想と考えることはできない。

フェミニズムを主張する人のことをフェミニストと呼ぶ。

起源[編集]

近代に入ると、1792年にイギリスメアリ・ウルストンクラフトが、フェミニズム運動の先駆ともいえる『女性の権利の擁護』を執筆した。

19世紀になると、女性の権利を求める運動が組織化された。多くの場合は、これ以降の動きを指してフェミニズムと呼ぶ。

フェミニズムは19世紀の運動や文化に大きく影響を与えた。19世紀後半から20世紀、特に第一次世界大戦の間に、多くの国で女性の参政権が認められた。ニュージーランドでは、婦人参政権論者ケイト・シェパードの助けによって、1893年に最も早く女性参政権が認められている(なお、アメリカで認められたのは1920年、また日本では1945年である)。

この時期のフェミニストとしてはヴァージニア・ウルフや、ジークムント・フロイトが取り上げた患者「アンナ・O」こと、ドイツ系ユダヤ人女性ベルタ・パッペンハイムなどが知られる。

歴史[編集]

世界[編集]

1912年、アメリカ合衆国で女性参政権を求める運動

フェミニズムの起源は18世紀のフランスに遡る。1789年にフランス革命により人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)が採決されたが、その権利を男性にのみ与えていることを問題視した女性が抗議運動を行い、欧州各地で女性の権利を求める運動が定着した。これがフェミニズムの誕生である。91年『人権宣言』に対抗しフランスの女性作家オランプ・ド・グージュが『女性及び女性市民の権利宣言』を発表している。代表的な、イギリスのフェミニズム作家メアリ・ウルストンクラフトが『女性の権利の擁護 』を執筆したのはこの翌年である[1]。こうした運動は反対を受けるが、徐々にヨーロッパ中に浸透していく事となる。

18世紀以前は一部の上流階級を除いて、女性は男性と等しく農作業手工業などの労働に就いていたが(戦後の高度経済成長期の日本の地方では、都会で専業主婦が広まってからも女性が農業や漁業などの労働に従事していたように)、産業革命の影響で労働に就いていた中流階級の女性は専業主婦となる事が多かった。20世紀には「結婚して子供を持つ郊外住宅の主婦」が女性の憧れの的とされた。この背景には戦中に若い男性がいない為に工場で労働に従事していた女性を家庭に入れようとするアメリカ政府のプロパガンダがあった[1]。日本も例外ではなく、戦中は男性不足のため若い女性は工場で軍需産業などの労働に就いていたが、戦後はアメリカ型の専業主婦となることが幸福と思う者が、特に日本女性には多かった。しかし、家庭に戻った女性の中には結婚し子供を育てるだけの人生に不満を持つ者もいた。フェミニストの1人である ベティ・フリーダンは『女らしさの神話』の中で当時の女性の心境を語っている。

郊外住宅の主婦、これは若いアメリカの女性が夢に見る姿であり、また、世界中の女性がうらやんでいる姿だといわれている。 しかし、郊外住宅の主婦たちは、密かに悩みと戦っていた。ベッドを片付け、買い物に出かけ、子供の世話をして、 1日が終わって夫の傍らに身を横たえたとき、『これだけの生活?』と自分に問うのを怖がっていた。

1960年代からウーマン・リブ活動が世界中に広まり、ニューヨークなど各地で数十万規模のデモが発生した。この運動により後に多くの国で女性の労働の自由が認められるようになった[1]。これを境にフェミニズムは殆どの国で政治、文化、宗教、医療といったあらゆる分野で取り入れられるようになる。

このウーマン・リブは女性を拘束しているとする家族や男女の性別役割分担、つくられた「女らしさ」、更にはこの上に位置する政治・経済・社会・文化の総体を批判の対象にしていた。 日本でも1970年代に各地でウーマン・リブの集会が開かれ運動の拠点も作られた。またこの頃、ピル解禁を要求する「中ピ連」が結成された。

ウーマン・リブ運動の高揚を受けた国際連合は、1972年の第27回国連総会で1975年を国際婦人年と決議し、メキシコで国際婦人年世界会議(1975年)を開催して「世界行動計画」を発表した。続いてコペンハーゲン会議(1980年)、ナイロビ会議(1985年)、北京会議(1995年)などが開催された。

日本では国際婦人年を契機として様々な組織が生まれ、婦人差別撤廃条約の批准や国内法の整備を求める運動へと加速した。

第一波[編集]

18世紀から20世紀初頭の、近代国家における投票権や参政権のほか就労の権利や財産権などの法的な権利の獲得にかかわる闘争を指す。

第二波[編集]

20世紀初頭から1970年代ぐらいにアメリカを主にしておこった運動で単なる働く権利ではなく職場における平等、男子有名大学などへの入学の権利、中絶合法化、ポジティブ・アクションなど市民権運動の一環として行われた女権運動を指す。一部の識者はこの運動を持ってフェミニズムの役割は終了、以後の第三波には批判的な見解を示すものがいる。逆に第三波はこれら批判をバックラッシュとして批判している。

第三波[編集]

1970年以降のフェミニズムで様様な思想が存在するため一括りに述べがたい側面がある。一般的な傾向としては、法あるいは制度上の明確な差別が徐々に撤廃されるようになった結果、そうした観点からは見えづらい様々な問題が議論の俎上にあげられるようになったと言える。かつてのフェミニズムが白人中流階級の女性の価値観を中心として展開していたことに対する批判から、人種や民族、性的指向、階級などの要素を考慮し、一枚岩ではない多様な立場にある女性たちの経験を反映させようとする動きが加速した。男女の真の平等が達成されるためには社会のジェンダー観、つまり社会的、文化的に構築される性が改革されなければならないとの主張などが見られたのもこのときである。この考え方は数十年遅れて多少修正された形で日本に輸入された。

リベラル・フェミニズム[編集]

一般に個人主義的・自由主義的傾向を持つ。男女平等は法的手段を通して実現可能で、集団としての男性と闘う必要はないと主張する。ジェンダー・ステレオタイプ、女性蔑視のほか、女性の仕事に対する低賃金、妊娠中絶に関する制限などを男女不平等の原因と考える。詳しくはリベラル・フェミニズムの項を参照。

  • 1791年、「女性と市民の権利宣言」(オランプ・ド・グージュ)
  • 1792年、『女性の権利の擁護』(メアリ・ウルストンクラフト)
  • 1869年、『女性の隷従』(ジョン・スチュアート・ミル)
  • 2007年、『ポルノグラフィ防衛論』(ナディーン・ストロッセン)
マルクス主義フェミニズム[編集]

資本主義が女性を抑圧する原因だと考える。資本制的生産様式では男女不平等は決定しているとみなし、女性を解放する方法として資本主義の解体に焦点を合わせる。詳しくはマルクス主義を参照。

  • 1972年、『家事労働に賃金を』(マリア・ダラ・コスタ)
  • 1984年、「シャドウ・ワークか家事労働か」(クラウディア・フォン・ヴェールフォーフ)
ラディカル・フェミニズム[編集]

1970年代に米国で誕生。公的領域のみならず家庭や男女の関係までも含む私的領域まで急進的な姿勢で問い直すことを主とする。ポルノグラフィーに対する法的規制運動における思想的支柱。詳しくはラディカル・フェミニズムの項を参照。

  • 1970年、『性の政治学』(ケイト・ミレット)
  • 1970年、『性の弁証法』(シュラミス・ファイアストーン)
  • 1980年、「強制的異性愛とレズビアン存在」(アドリアンヌ・リッチ)
  • 1978年、『女/エコロジー』(メアリ・デイリ)
  • 2003年、『ポルノグラフィと売買春』(キャサリン・マッキノン

ポスト・フェミニズム(バックラッシュ)[編集]

ポスト・フェミニズムとは第三波のフェミニズムに対する批判として生まれた複数の見解を指す。明確にはアンチ・フェミニズムではないが一波と二波の確立した女性の権利を肯定するとともに三波の立場を総じて批判する集団で構成された。1980年に現れバックラッシュと表現された集団が使い出した言葉である。

日本[編集]

明治維新からの女性解放政策[編集]

明治維新からは女性解放政策が打ち出されたが、反発も起こり十年ほどで急速にしぼんでしまう。

推進政策

  • 1869年関所を女性が自由に通行できるようになる。また津田真一郎(津田真道)という刑法官が女子売買の禁止の健白書を政府に提出。
  • 1871年津田梅子ら五人の少女が岩倉使節団で米国へ留学する。
  • 1872年芸妓娼妓の無条件解放が布告される(公娼制度は残された)。女学校が設立される。
  • 1873年、妻からも離婚訴訟が出来るようになる。女子伝習所(女子のための職業訓練所)が開設される。
  • 1874年、東京女子師範学校が設立される。

反発政策

  • 1885年、第一次伊藤博文内閣の文部大臣森有礼が「良妻賢母教育」こそ国是とすべきであると声明。翌年それに基づく「生徒教導方要項」を全国の女学校と高等女学校に配る。
  • 1890年7月公布の「集会及政治結社法」にて女性の政治活動を禁止。女子は政談演説を聴きに行くことも禁じられ、戸外で三人以上集まる時は警察に届けなければならなくなった。

日本初の女性参政権

1878年(明治11年)、区会議員選挙で楠瀬喜多という一人の婦人が、戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないことに対し高知県に対して抗議した。しかし県には受け入れてもらえず、喜多は内務省に訴えた。そして1880年(明治13年)9月20日、日本で初めて(戸主に限定されていたが)女性参政権が認められた。その後、隣の小高坂村でも同様の条項が実現した。

この当時、世界で女性参政権を認められていた地域はアメリカ合衆国ワイオミング準州や英領サウスオーストラリアやピトケアン諸島といったごく一部であったので、この動きは女性参政権を実現したものとしては世界で数例目となった。しかし4年後の1884年(明治14年)、日本政府は「区町村会法」を改訂し、規則制定権を区町村会から取り上げたため、町村会議員選挙から女性は排除された。 [2]

女性解放運動家の登場[編集]

政府の反発政策に対して平塚雷鳥女性解放運動家が誕生し、政治的要求を正面に掲げた最初の婦人団体である「新婦人協会」もできる。女性に不利な法律の削除運動、女性の参政権獲得運動などがさかんになる。完全な女性参政権の獲得と言う大目標の達成には至らなかったが、女性の集会の自由を阻んでいた治安警察法第5条2項の改正(1922年・大正11)や、女性が弁護士になる事を可能とする、婦人弁護士制度制定(弁護士法改正、1933年・昭和8)等、女性の政治的・社会的権利獲得の面でいくつかの重要な成果をあげた。

第二次世界大戦前から一部では女性の選挙参加も認められており、日本における女性解放がすべて占領後の産物であったわけではない。

現在の状況について[編集]

現代においても、さまざまな職種における男女格差、選択的夫婦別姓制度の未導入など、日本の女性解放はいまだに実現に遠い、との指摘がある。

レズビアニスムとフェミニズム[編集]

フェミニストには女性同性愛者であることを公表する者が多く、男性憎悪を基調にしたレズビアン・フェミニズムや、男性排除の女性だけの共同体を構築しようとするレズビアン・セパレーティズムなどがあり[3]アメリカで盛んである。ラディカル・フェミニズムの創始者の一人で『新しい女性の創造』(大和書房 1970年)を著したベティ・フリーダンは「レズビアンこそ最高の性である」と述べている[4]。日本では心理学者の小倉千加子が居り、自身に限らず同性愛者全体に公表して生きることを勧めている[5]

レズビアン・フェミニズムの特徴として、男性を激しく憎悪し、男女の婚姻事実婚にすら反対したり、男女の性交自体が「男による女性支配」であると批判する[5]モーニングサプリMXテレビ系 2008年9月放送)の中の徳光正行の発言によれば、アメリカの男性たちの中には(実際にそんな人がいるのかは別として)、離婚時の民事訴訟で不利になるリスクやDV批判を恐れて、セックスの際には敢えて身体を女性の下位に置く者が存在するという。

エコロジカル・フェミニズム[編集]

エコ・フェミニズムとも。男性による自然支配と女性支配を同根と定め、自然保護の立場から戦争、女性への暴力、女性支配、先住民への差別、環境破壊に反対する。

  • 1978年、『女性と自然』(スーザン・グリフィン)
  • 1980年、『自然の死』(キャロリン・マーチャント;団 まりなほか訳 1985 工作舎 ISBN 4-87502-109-7
  • 1994年、『フェミニズムとエコロジー』(青木やよひ)

その他のフェミニズムの潮流[編集]

  • 精神分析派フェミニズム
  • ソーシャリスト・フェミニズム
  • アナキスト・フェミニズム
  • ポストモダン・フェミニズム
  • ブラック・フェミニズム
  • 社会主義フェミニズム
  • マルクス主義フェミニズム
  • カルチュラル・フェミニズム
  • 現象学的フェミニズム
  • レズビアン・フェミニズム
  • サイボーグ・フェミニズム
  • ポストコロニアル・フェミニズム

近代フェミニズム[編集]

当初は主に欧米で運動が進められ、男女の法的権利の同等(女性が男性と同様に参政権を持つことなど)を求めていたが、それが実現された後、20世紀後半の運動において、文化における性差別の克服が取り込まれ、伝統的な女性概念による束縛からの「女性による人間解放主義」と定義された。

1970年代以降の第二波フェミニズムでは、ミシェル・フーコーなどの、男性同性愛者や性的指向についての研究の成果を取り込んで、ジェンダーへの関心や、同性愛などセクシュアル・マイノリティの扱いにまで視点を広げたともいわれる。

だが、フェミニストとセクシュアル・マイノリティにはそれぞれに立場に違いがあり、ヴィクトリアニズムという共通の敵を持ち共闘する場合もあったものの、対立や論争も発生した。また、性的虐待の問題に関して、例えば福音派プロテスタントの最大級の宗教団体で、妊娠中絶反対のキャンペーンを張るフォーカス・オン・ザ・ファミリー幼児虐待の問題にも積極的に取り組んでいるように、それぞれの利害が複雑に絡まりあう場面が多い。

フェミニズムは過去、現在の社会関係においての社会理論と政治的慣習の組み合わせであり、主に女性の被抑圧的な体験によって動機付けされた束縛からの解放を目指すものである。一般的には、フェミニズムは性別的不平等論を含み、より具体的には、女性権利の新たな獲得と利益の向上を含む。

フェミニストが論じるのは、ジェンダー、そしてでさえもが、社会的、政治的、経済的な理由によって不平等に構築されているのではないか、という問題である。 政治的に活動するフェミニストが主張するのは、女性参政権、賃金格差の是正、選択的婚姻男女別姓、出産の自己決定権などの問題である。

フェミニズムは、特定の集団・慣習・歴史的事件に伴う案件に対して個々に対処するものであるが、その基本は集団間に存在する不平等さに対する意識覚醒を含み、社会構造そのものを改変することを目指すという思想である。

多くのフェミニストは、女性に関する様々な社会問題が、男性優位の社会構造から生じ、または家父長制無意識に前提視されていることから生じていると主張している。また、女性間の差異を考慮に入れれば、たとえば「黒人」「女性」というように、二重、三重に抑圧されていると捉えることができるため、フェミニズムを複合的な抑圧の集成理論として、また相互に影響する多くの解放運動の流れの一つとして捉えることもできる、と主張している。

フェミニズムの議論は妊娠中絶避妊、出産前のケア、育児休暇セクハラドメスティックバイオレンス強姦近親姦女子割礼問題などもカバーする。

フェミニズムの影響[編集]

フェミニズム運動は、女性が家庭外で働くこと、そして女性が積極的に政治に参加する上で重要な役割を果たしている。また、職場やその他日常における性的嫌がらせを問題化する、セクシャルハラスメントの概念(詳しくはセクシャルハラスメントの項を参照)の成立にも影響を及ぼした。

フェミニズム運動によって社会状況に変化がもたらされたり、具体的な制度が成立した例としては、以下のようなものが挙げられる。

女性の政治参加[編集]

19世紀末期から女性参政権を求める運動が高まり、1893年ニュージーランド(被選挙権は1919年から)を皮切りに、世界各国で女性参政権が認められるようになった。日本では1925年に男性のみの普通選挙が実現しているが、これより以前から女性参政権を求める婦人運動も活発化していた。戦後、新選挙法が制定され、女性の参政権が認められている。

なお、マスキュリストは「選挙権は男性が兵役に就いた代償として獲得したもの」という観点から、女性が無条件に参政権を得ることに反対している(これに関しては「マスキュリズム」「男性差別」も参照のこと)。

1970年代以降、フェミニズムによって女性議員の数は大幅に増加した。世界各国では女性議員は通常2割程度存在し、2000年から2005年度までのIPUの調査によれば、地域別でみるとEUの31.0%がトップ、南北アメリカ18.4%、アジア15.5%、サハラ以南アフリカ14.9%、アラブ諸国6.0%となっている[6]

ノルウェースウェーデンドイツイギリスの社会民主主義政党では1981年にクォータ制が導入され、政治家のほぼ半数が女性である。なお、『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系)各党女性議員代表の討論にて、日本共産党の女性議員はクォータ制は憲法違反の疑いがあると述べている。

女性の労働[編集]

日本では1922年に婦人弁護士制度が制定され、初の女性弁護士が誕生。女性の職業選択の面で重要な成果を挙げた。1999年には男女雇用機会均等法の大幅な改正によって、雇用上の女性の権利、育児休暇の権利が獲得された。また、改正男女雇用機会均等法では、企業に対してセクシャルハラスメント防止を配慮する義務も課せられた。海外では、ノルウェーにて2006年度に女性の私企業へのクォータ制が義務付けられ、企業役員の40%を女性とする事が定められた。

男性または女性に限定する職業名を、男女両者に使用できる言葉へと変える動きもある(具体例として、「スチュワーデス」→「客室乗務員」、「看護婦」、「看護士」→「看護師」など)。英語圏でも例えば「fireman」→「fire fighter」、「policeman」→「police officer」、「stewardess」→「flight attendent」などの言い換えが行われている。この背景には、男女が同じ職業に就くようになってきた事と、男女を同じ呼称とすることで性別による賃金格差などの差別をなくそうという意図がある。

GEM指数という基準を用いた場合、他の先進諸国と比較すると男女平等政策に遅れを取っているという見方がされるが、日本の女性の場合「寿退職」なる言葉が存在したように「年に500ポンドの収入と、鍵のかかる部屋」を与えられ賃金労働に従事していても、女性の自由意思で職場を去り、専業主婦の道を選ぶ者も多かった。なお、フェミニストは「女性の社会進出(賃金労働)」を政策によって実現させることを求めているが、GEM指数という基準は一面的なものにすぎず、女性を一括りにしてその幸福感をはかる基準とするには不適切であることが指摘されている。例えば、企業や団体の管理職で激務に従事するよりも家庭で子育てに専念できるほうが幸福と考え、専業主婦となることを志向する女性が多ければ、GEM指数は低くなる。このため、女性の労働者化のみを基準に政策を進めることは、すべての女性(特に、家庭での育児を中心に考えている女性、激務を望まない女性など)の意見を反映していないという批判が存在する[7]

また、政治家や企業役員など社会の主要ポストに男性が多いのは事実だが、兵士、建設労働者、炭鉱労働者など生命に危険が及ぶような重労働者や、過労死者などの多くも男性が占めているとマスキュリストは反論している(これらの問題に取り組んでいるフェミニスト[誰?]もいる)。

教育[編集]

第二次世界大戦前の教育制度上、女性の大学進学を難しくしていたのは旧制中学、旧制高等学校が女子の入学を認めなかったことで、旧制中学に対応する高等女学校はあったが、大学に進むコースとしては、女子師範学校などを卒業するという必要があった。3つの帝国大学、2つの官立大学などが女性の入学を認めていたが女性の学生は少なかった。学生の改革によって、戦後、女子の大学進学数は男性に追いつくペースで年々増加し、平成16年度に短大を含めると48.7%の女性が大学へと進学している。男子は47.8%(男女共同参画局調べ)であり、女子の方が進学率が高くなっている。女子の短大進学率は平成7年の24.6%をピークに15年度には13.9%と激減している。他国の例としては米国の女性の大学進学率は男子を上回り、女子学生への学位授与数が全体の54%を占め、英国、北欧でも同様の女子優位が起きている。

フェミニズムは学問を女性の視点から見た女性学の概念を生み出した。

宗教[編集]

カトリック教会では女性は司祭には叙階されない。しかし近年ではフェミニズムによって聖公会等の他の教派には女性司祭が誕生するなど、徐々に男性と同等の権利を獲得しつつある局面もある。しかしながらこうした状況に反発する保守派が形成されてもいる。イスラム教では、女性が男性を導くことができるかどうかという討論が起きている。

また、キリスト教圏やイスラム教圏などにおいて一般的であった男女の役割分担に基づく結婚制度を否定したことから、それが男女の異なりに基づく異性愛絶対主義の否定につながり、同性愛者の権利の獲得を有利にしたという主張がされることもある。

しかし、男女の性役割の否定、女性の自立という政治的立場から結婚制度を否定する立場をとる者も多いフェミニストと、純粋に自らの性的指向を社会的に認知してほしいとして求め、男性間の結婚をも法的に認めるよう運動を行ってきた同性愛者では、その立場も、目指したことも基本的に異なる。多くの同性愛者は、フェミニズム運動とは異なる立場で独自に運動を展開してきた。したがって、同性愛者の権利獲得におけるフェミニズムの影響は、限定的なものである。なお、2006年1月、欧州議会が「同性愛嫌悪」に対する共同決議案を採決し、同性愛に対するあらゆる差別は人種差別と同様であると定められた。現在では社会的に隠蔽されていた同性愛者が露出し、1995年のハーバード大学による調査では、男性の6.2パーセント、女性の3.6パーセントが同性愛者という結果が出た。

自由主義神学には、人工妊娠中絶を女性の権利とする主張がある[8][9]

フェミニズムに対する日本政府の対応[編集]

フェミニズムに関連する政府の取り組みとしては、男女共同参画社会実現のため、2001年男女共同参画社会基本法が制定され、内閣府男女共同参画局が設立された。同法は、女性だけでなく男女双方のこれからの社会でのあり方に関わる指針となる法律である。これについては、「男女共同参画社会」のページを参照。同法施行以降、各省庁に男女共同参画関係予算が割り当てられ、毎年度、兆円単位の予算が費やされている(なお、男女共同参画関連とされる事業の総予算は約10.5兆円だが、そのうち9兆円弱は高齢者への福祉関連の予算として分類されており、それを除いた事業(女性の労働環境整備等)の予算は、年度あたり約1.7兆円となる)。

政府をはじめ全国の市町村に至るまで 役所には男女共同参画部署が設けられ専任担当者が複数存在する。それぞれの参画関連部署では 「市民の意識改革」と題し21世紀職業財団(厚生労働省管轄)が政府傘下の男女共同参画団体が「女性の経済的自立(賃金労働者化)」や「子育ての外注化」といった「男女共同参画」を奨励している。

批判[編集]

フェミニズムに対しては古くから批判があり、それらは反フェミニズムバックラッシュと呼ばれている。例えば、男女間に差があるのは当然であり、その差をなくすことは社会の破壊を意味する、といった批判や、女性の権利を主張するあまり、胎児の権利が疎かになっている、という批判である。「男女共同参画社会」、「人工中絶」、「少子化」などはしばしばフェミニズムと関連づけて批判される。特に、日本会議などに属する宗教団体等をはじめとする、因習的にそのような新しい概念に反発する宗教的な団体からの反対が多くみられる。これについては各項目のページを参照。

また、男女間で問題が起こった際に男性側を一方的に吊し上げる、「男女」という表現を差別的とする一方で「女男」が望ましいとする、男性を女性より劣ったものとする、といったことがフェミニストを称する者の少なからずによって行われており、フェミニズムは男女同権を称しつつ実際には男性差別性差別主義であるという批判もある。一方で、女性専用車両レディースプランのようなフェミニズムとは関係の薄い(場合によってはフェミニストから批判されることもある)女性優遇措置を「フェミニストの陰謀」とし、フェミニズム=男性差別と批判する意見も散見される。

この他、あるフェミニストの掲げるフェミニズムが他のフェミニストから批判されることもある。

  • 「彼女たち(フェミニストの上野千鶴子および大沢真理を名指し)は少子化対策に寄与するどころか、結婚し、子供を産み育てる女性を憎悪し、家事や育児や地域の活動を担う専業主婦を徹底的に蔑視するという壮絶な怨念をもって、家族を解体し、少子化を結果的に促進させようというイデオロギーの持ち主である。」(山下悦子『女を幸せにしない「男女共同参画社会」』p27)

キリスト教[編集]

マザー・テレサは北京会議(第四回世界女性会議)へ「私は、なぜ男性と女性が全く同じであり、男女の間の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのか理解できません」と声明を発表している[要出典]

出典[編集]

  1. ^ a b c エステル・フリードマン 『フェミニズムの歴史と女性の未来-後戻りさせない』 西山惠美・安川悦子訳、明石書店2005年ISBN 4750320595
  2. ^ 参考文献 2003年04 『与謝野晶子とその時代 女性解放と歌人の人生』入江春行著、新日本出版社 より やや簡易化 また、女性参政権から一部転載
  3. ^ 中島梓 『タナトスの子供たち-過剰適応の生態学』 筑摩書房1998年ISBN 4480863184
  4. ^ ベティ・フリーダン 『新しい女性の創造』 三浦富美子訳、大和書房1970年ISBN 447988033X
  5. ^ a b 小倉千加子 『セックス神話解体新書』 筑摩書房1995年ISBN 9784480030856
  6. ^ 日本共産党「女性国会議員―世界で15%超える」『しんぶん赤旗』2005年3月5日
  7. ^ 山下悦子著『女を幸せにしない「男女共同参画社会」』洋泉社
  8. ^ ジャネット・K・ボールズ、ダイアン・ロング・ホーヴェラー 『フェミニズム歴史事典』 水田珠枝・鵜殿えりか・安川悦子訳、明石書店2000年ISBN 9784750313252
  9. ^ 大貫隆宮本久雄・名取四郎・百瀬文晃 『岩波キリスト教辞典』 岩波書店2002年ISBN 400080202X

関連項目[編集]

外部リンク[編集]