両院制

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両院制(りょういんせい)とは、「立法府」が独立して活動する二つの「議会」ないし「議院」によって構成される政治制度。二院制(にいんせい)とも言う。

対照的な制度に一院制がある。

概要[編集]

両院制と二院制[編集]

「二院制」の「二」に対し、「両院制」の「両」は、「bicameral」という言葉の翻訳から「対になっている2つ」という意味合いをもつ。一般に「両院制」と「二院制」はほとんど同義の用語として使われているが、以下のように異なる制度を指すものとして使い分けることもある。

両院制
「1つの議会」が、独立した2つの議院によって構成されているもの。
例:日本英国米国など
二院制
完全に独立した2つの議会が存在しているもの。
例:ドイツフランスなど

意義[編集]

二度の審議を行うことで、下院の決定に過誤があった際に改めることが期待されている。すなわち、司法における三審制と同様、人間が過ちを犯しうることから慎重に手続きを進めることを意図しているものである[1]。したがって、選挙方法および選挙時期を下院と異なるものにすることが望まれる[2]。例えば参議院選挙制度は当初衆議院中選挙区制との差別化を図り、全国区と地方区に分けた選挙制度をとっていた[3]

「両院制」の意義は「多角的な民意の反映」というのが本来の趣旨である[3]。これは双方異なった方法で選出されて構成される議院が存在することによって、様々な角度からの意見が反映されていくことでより深い議論が出来るというものである[4]。加えて、下院のみでは代表され得ない国民の意思を国政に反映させ、国民の意思を問う回数を増やすという意義もあるとされる[4]

下院に相当する議院は基本的には、社会の多勢を占める中産階級の利害を代表している。政治が異なる利害の調節を行なう作業である以上、中産階級で代表されるものとは別の視点からの利害を何らかの形で反映するメカニズムが存在しなければならない。それは少数民族であったり、各地方の利害であったりする。社会が複数の民族から構成される場合や、異なる言語集団から構成される場合は特に重要となる。

現代においては、両院の力が対等であることは少ない[5]。立法に関しては下院に優越がある場合が多く、上院に法案を否決する権利が無い、あるいは制限されていることが多い[5]行政に関しては、予算や条約の承認などで、どちらかの院にのみ決定権を与えている国が多い。両院の異なる選出メカニズムをふまえ、その民意を適切に反映させるために役割分担がなされるのである。

また、慎重を要する審議を長期化することによって国民の意思形成を促すことができるという意義もあるとされる[6]

また「議会の多数派による専制の阻止」「どちらかの議院が存在する安定した議会政治」といった効果も生み出すとされる。しかしながら、議院内閣制の下での両院制は専制や不安定を招く場合がある。同じ勢力が両院の多数派を占めた場合には、内閣は実質的に法律制定権まで得たうえで、下院による専制の阻止は働きにくいことになる。逆に、上院の多数派が下院の少数派で占められるねじれ現象の場合には、与野党対決が激化すると、法案の不成立やそれを通した首相の進退問題を招き、政情不安定となる危険がある。このように、専制の阻止と安定性という両院制の意義は常に存するわけではなく、逆の傾向を示す場合がある。これは、日本のように上下院が選挙で選出されて対等に近い権限を持っておりなおかつ上院を解散することができないような議院内閣制の場合に顕著である。

その他、下院の解散時に上院が国会の機能を補完することなどが存在意義として挙げられる[7]

戦後日本で二院制が採用された経緯[編集]

第二次世界大戦の終戦後に日本国憲法が制定された際、当初GHQから提示されたいわゆるマッカーサー草案では、国会は一院制になっていた。この草案は、1946年(昭和21年)2月13日に外務大臣公邸でGHQ民政局局長のホイットニー准将が会談した外務大臣吉田茂と憲法改正を担当する国務大臣松本烝治に対して手交したものだが、これを見た松本はその場で、一院制では選挙で多数党が変わる度に前政権が作った法律をすべて変更して政情が安定しななくなることを指摘し、二院制の検討をホイットニーに迫って約束させている[8][9]。 その後、議会枢密院での議論のために法制局が作成した想定問答集では、「問 一院制を採らず兩院制を採る事由如何」「答 一院制を採るときは、いはゆる政黨政治の弊害、卽ち多數黨の橫暴、腐敗、黨利黨畧の貫徹等が絕無であるとは保し難いのであつて…」[10]と、「政党政治の弊害」を両院制を採る理由としてあげている。

たとえ1回の選挙で勝利して一方の議院で過半数を取ったとしても、第二院があるため法改正はそう自由には行えない、法改正を自由に行うためには両院で続けて選挙に勝利しなければならない、というこの仕組みは、法律の改革の迅速性を犠牲にしながらも、議会制民主主義の問題点となりがちな多数党が民意を離れて暴走することを防ぐためには有効なものとなる。1回の選挙で勝ったからといってその党が暴走すれば、次に行われる第二院の選挙でその党が重ねて勝利することは極めて困難なものとなるからである。

両院制の構成[編集]

上院と下院[編集]

「上院 (upper house)」「下院 (lower house)」という言葉は、アメリカの首都がフィラデルフィアにあった頃、議会が使用していた二階建ての公会堂(現在の独立記念館、当時の大きい邸宅と変わらないほどの小振りな建物)で、議員数の多い代議院 (House of Representatives) がその一階部分 (lower house) を、少ない元老院 (Senate) が二階部分 (upper house) を使用したことからこう呼ばれ始めたといわれる。

「第一院」と「第二院」[編集]

議会制度の発祥地であるイギリスをはじめ、欧米の多くの国では上院に相当する議院(貴族院、元老院など)を「第二院」、下院に相当する議院(庶民院代議院など)を「第一院」としている。日本においては公式にこのような名称が使用されたことはないが、政党名として第二院クラブ(かつては国政に参議院議員のみを擁立していた)が存在する。

類型[編集]

連邦型(連邦代表型)
アメリカスイスドイツなど。
貴族院型(特権階級代表型)
イギリス大日本帝国議会など。
民選議院型(民主的第2次院型)
イタリア日本フランスなど。
変則民選議院型(一括国政選挙型)
ノルウェー

この類型は国会のみに着目した形式的なものであり、政府との関係も視野に入れると、議院内閣制であるか大統領制であるかの区別も重要である。また、それぞれの国の運用は多様である。

連邦型であっても、アメリカ合衆国上院は国民による公選であり、ドイツ連邦参議院は州政府による任命制である。

貴族院型の代表例であるイギリスは、今日ではもとからの世襲の貴族である議員は92人に削減され、現在の貴族院議員のほとんどは“一代貴族”(有識者や功労者を貴族院議員にするために一代限りの貴族として認定した者)である。このため特権階級の代表としての意義はほとんどない。日本の帝国議会にも学識経験者などからなる勅選議員がいた。なお、イギリスの貴族院は2009年まで最高裁判所を兼ねており、違憲立法審査権に相当する機能を果たしてきた。類似の制度としては、議会とはみなされていないものの、イラン監督者評議会が挙げられる。

民選議院型のうち、日本、イタリアでは、上院議員も直接選挙で選んでいる。両国とも議院内閣制をとるが、イタリアでは内閣不信任決議解散を含め上院と下院が完全に対等である点が異なる。上下院の分裂を避けるため、イタリアでは両院同日選挙が慣例となっている。

他方、フランスは単一国家であるが、フランス元老院の位置付けは連邦型のそれに近い。下院と地方議会の議員約15万人が上院議員を選挙し、国民による直接選挙は行われない。

ノルウェーは国政選挙を一括して行い、選挙後に議員を二院に分ける変則型である。一見すると日本の両院制と異なるが、両院とも民選であること、議院内閣制下での両院制であることなど、日本と共通した要素が見いだせる。

両院制を採用する国家[編集]

国名の表記および順序は国の一覧に準拠した。なお、変則型のノルウェーも含む。
青字:両院制の国家
橙色:一院制の国家
灰色:その他

国政以外での両院制[編集]

州議会・未編入領域の議会[編集]

米国の州議会は、ネブラスカ州を除く49の州議会がすべて両院制である。また、米領サモア北マリアナ諸島プエルトリコの3つの未編入領域も両院制を採用している。その他3つの未編入領域は一院制である。

国際機関[編集]

欧州連合では、加盟国の市民が直接投票で選んだ議員からなる欧州議会と、加盟国の政府の閣僚で構成される欧州連合理事会が、法令の制定を行う立法機関となっており、法令の制定のためには両機関の採択を受けることなどが求められている。この点から、欧州連合においても両院制を採っているとみなすことができる(詳細は欧州連合の立法手続きも参照のこと)。

両院制に関連する言葉[編集]

  • 「上院は下院と一致するなら無用であり、下院に反対するなら有害である」(フランスの政治家シエイエスの言葉)。ただし、シエイエスらがフランス革命期に作った一院制の議会である国民公会は暴走を起こし、政敵である少数派を次々に死刑にする恐怖政治を引き起こしている。恐怖政治はテルミドールのクーデターにより終結させられ、一院制の国民公会はわずか3年でなくなり、その後できた共和暦3年憲法では、恐怖政治への反省から、二院制の議会が作られている。
  • 「選挙の洗礼を受けた上で下院(庶民院)を通過させた法案を、上院(貴族院)は修正はできるが阻止することはできない」とする英国議会の不文律(ソールズベリー・ドクトリン
  • 「参議院の独自性・自主性を高める改革をして、両院制の存在意義を強めよう」という主張(参議院改革論

脚注[編集]

  1. ^ 前田 1997, p. 13.
  2. ^ 前田 1997, p. 17.
  3. ^ a b 前田 1997, p. 14.
  4. ^ a b 前田 1997, p. 14-15.
  5. ^ a b 前田 1997, p. 22.
  6. ^ 前田 1997, p. 18.
  7. ^ 前田 1997, p. 19.
  8. ^

    ...Dr. Matsumoto then said that most other countries have a two House system to give stability to the operation of the legislature. If, however, only one House existed, said Dr. Matsumoto, one party will get a majority and go to an extreme and then another party will come in and go the opposite extreme so that, having a second House would provide stability and continuity to the policies of the government. General Whitney then said that the Supreme Commander would give thoughtful consideration to any point such as that made by Dr. Matsumoto which would lend support to a bicameral legislature and that, so long as the basic principles set forth in the draft Constitution were not impaired, his views would be fully discussed...

    Record of Events on 13 February 1946 when proposed new constitution for Japan was
    submitted to the Prime Minister, Mr. Yoshida, in behalf of the Supreme Commander

    (和訳)…松本氏はそして「他の多くの国は、立法府の活動の安定化のために二院制を取る」と言った。「もし一院しかなければ、ある政党が多数を取れば一方の極に振れ、その後に別の政党が多数を取れば逆の極に振れるので、第二院が存在することにより政府の政策に安定性と連続性が与えられる」と彼は言った。ホイットニー将軍は「最高司令官は、松本氏が出した二院制を支持する主張を熟慮するであろうし、憲法案にある基本原則が阻害されない限り、松本氏の考えは十分に議論されるであろう」と言った。…

    1946年2月13日に新憲法案が最高司令官に代理し吉田首相
    (実際は当時は外相)に手交された際の記録

  9. ^

    …二院制ノ存在理由ニ付一應說明ヲ爲シタル所先方側ニ於テハ初メテ二院制ノ由來ト作用ヲ聽キタルカノ如キ觀アリタリ…

    二月十三日會見記略(松本憲法改正担当国務大臣の手記)

  10. ^ 憲法改正草案に関する想定問答(法制局)の「第4章第38条関係」(草案段階では第38条だったが現行憲法では第42条に当たる)の3番目の問

参考文献[編集]

関連項目[編集]