貴族院 (イギリス)

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イギリスの旗 イギリスの議会
貴族院
House of Lords

House of Lords.svg
Palace of Westminster at night.jpg
貴族院のロゴ(上)
ウェストミンスター宮殿(下)
議会の種類 上院
議長 デ・スーザ女男爵フランセス・デ・スーザ英語版
成立年月日 14世紀前半
任期 終身
定数 無し(2014年8月25日現在、774議席[1]
選挙制度 非公選
議会運営 読会制
公式サイト UK Parliament - House of Lords
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貴族院(きぞくいん、英語: House of Lords)は、イギリスの議会を構成する議院で、上院に相当する。

中世にイングランド議会から庶民院が分離したことで成立。貴族によって構成される本院は、公選制の庶民院と異なり、非公選制である。議会法制定以降は立法機関としての権能は庶民院に劣後する。1999年以降は世襲貴族英語版の議席が制限されており、一代貴族が議員の大半を占めている。かつては最高裁判所としての権能も有していたが、2009年連合王国最高裁判所が新設されたことでその権能は喪失した。

貴族院の歴史[編集]

貴族院の成立[編集]

イングランドのパーラメント(Parliament of England)は、元来イングランド王封建的家臣である直属受封者(貴族)によって構成される諮問会議でしかなかった[2]

しかし12世紀から13世紀にかけて陪審員制度の確立(代議制への萌芽)、地方自治体の発展に伴う封建勢力の後退、騎士や市民などの中流階級の勃興、国王と貴族の対立などが起こり[3]、そのような背景から13世紀にイングランド王はパーラメントに州や都市の代表を加えるようになった。これによってパーラメントは代議制議会の性格を有するようになった[4]

パーラメント(以降議会)が庶民院と貴族院に分離したのは、14世紀前期から中期頃と見られている。州代表の騎士と都市代表の市民が議会から分離して庶民院の実質を形成し、また下級聖職者が議会を去ったことで、議会残存部分(高位聖職者[注釈 1]、伯爵、男爵[注釈 2])が貴族院の実質を持つようになったのである[7][8]

中世には貴族院の方が圧倒的に強く、庶民院はその副次的存在として「請願」する存在に過ぎなかった[9]

議会の中心母体の一つに高級裁判所パーラメントがあったので、議会は当初より司法機能を有したが、その機能も庶民院より貴族院の方が強かった。特に14世紀末に庶民院が弾劾権(国王の大臣を貴族院に告発する権利)を確立するに及んで、司法権は貴族院にあり、庶民院にないことが明確化した。以降貴族院は、庶民院に弾劾された貴族・庶民を裁判する権利、重罪で告発された貴族を裁判する権利、そして下級裁判所の判決を覆すことができる最高裁判所としての権能を有するようになった[10]

初期のイングランド議会における貴族とは、直属受封者のうち、国王から直接に議会招集令状を出され、それによって貴族領と認定された所領を所有する者のことであった。しかし14世紀末頃から国王が勅許状英語版で貴族称号を与えて新貴族創家を行うようになり、それ以降は貴族領の有無に関わりなく、貴族称号を持って議会に議席を有する者が貴族と看做されるようになった[11][12]

テューダー朝期の16世紀初頭までには議会が両院制であることは明確に意識されるようになっており、1502年の公式文書から、貴族院を構成する高位聖職者と爵位保有者を指して「聖職貴族英語版及び世俗貴族英語版(Lords Spiritual and Temporal)」と呼ぶようになった。また貴族院(House of Lords)という呼び方もこの頃から使用されるようになり、1510年から『貴族院日誌(House of Lords journals)』の印刷が開始されている[13][14]

庶民院に対する劣後[編集]

15世紀薔薇戦争で封建貴族は大打撃を受け、テューダー朝期には貴族は「王室の藩屏」と化し、その独立性を失っていった。また聖職貴族も宗教改革で発言力を低下させていった。そのため貴族院の力は低下し、代わって庶民院の力が増していった[15][16]

ステュアート朝期の17世紀前期には国王と庶民院の対立が深刻化し、17世紀半ばにピューリタン革命が発生し、王政は廃されて共和政が樹立された。この際に「王室の藩屏」たる貴族院も廃止され、一院制になった[17][注釈 3]。しかしこれは短期間のことであり、1660年には王政復古があり、貴族院も復古している[19]

17世紀後半の名誉革命後には庶民院における信任を背景に政府が成立するという議院内閣制(政党内閣制)が確立された[20]。そのため政治の実権は庶民院が掌握するところとなり、貴族院の影は薄くなっていった。庶民院から支持を得ているが、貴族院で多数を得ていないという政府は、しばしば国王大権の貴族創家で貴族院を抑え込むようになった[21][注釈 4]

1707年にイングランドとスコットランドが合同してグレートブリテン王国が成立すると、スコットランド貴族のうち互選された16人が貴族代表議員としてイギリス貴族院に議席を置くことになった。また1801年にアイルランドと合同した際にもアイルランド貴族のうち28人が貴族代表議員としてイギリス貴族院に議席を有することになった[23]

1911年議会法案の貴族院通過を描いた絵画

18世紀末頃から大量の叙爵が行われるようになり、貴族院議員数が急増した。その結果、貴族院はこれまでの「比較的少数の国王の世襲的助言者」という立場から「特権階級の既得権擁護機関」と化し始めた。19世紀から20世紀初頭にかけての貴族院は、保守党が政権にある時は協調し、自由党が政権に就くとその改革の妨害にあたることが多かった。その結果、自由党支持層に貴族院改革の機運が高まり、自由党政権期の1911年議会法が制定された。これにより貴族院は財政法案に関する否決・修正権限を失い、またそれ以外の法案についても庶民院において3回可決された場合は否決しても無意味となった(庶民院の優越)[24]。ただしこの段階では貴族院は庶民院で通過された法案を2年も引き延ばすことが可能だった[25]

なお20世紀以降は貴族院議員が首相になることもなくなった。最後の貴族院議員の首相は1902年に辞職した第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルである[26]。1963年に第14代ヒューム伯爵英語版アレグザンダー・ダグラス=ヒュームが大命を受けたときは、ヒュームは直ちに爵位を返上して補欠選挙に出馬し、庶民院議員へ鞍替えしている。

現代の貴族院改革[編集]

1945年に成立した労働党政権は、保守党が多数を占める貴族院が議会法に基づく停止的拒否権を行使することを懸念した。これに対して保守党貴族院院内総務英語版クランボーン子爵(後の第5代ソールズベリー侯爵)ロバート・ガスコイン=セシルは、「庶民院総選挙で明確に公約として掲げられ、有権者の信任を得た法案について、貴族院は否決したり大幅修正してはならない」とするソールズベリー・ドクトリンを表明した[27]

1949年には議会法の改正があり、貴族院が庶民院で可決された法案の成立を引きのばせる期間はこれまでの2年から1年に短縮された[25]

1958年には保守党首相ハロルド・マクミランにより一代貴族法英語版が制定され、男女問わず一代に限り貴族院議員に登用できるようになった。これにより貴族院の党派議席配分の変更や幅広い人材登用がやりやすくなった[28]。この後、労働党は世襲貴族の新設を行わない旨を宣言し、保守党もそれに倣うと見られていたが、1983年には保守党首相マーガレット・サッチャーが、その慣例を破ってウィリアム・ホワイトロー英語版を世襲貴族ホワイトロー子爵に推薦して話題となった[29]

貴族院の一代貴族の占める割合は増加の一途をたどり、貴族院改革前夜の1998年2月の時点では世襲貴族は貴族院の59%(759名)にまで減少していた(対する一代貴族は484名)[30]

1963年貴族法英語版で世襲貴族は世襲事由が生じた時から一年以内であれば自分一代についてのみ爵位を放棄し、平民になるという選択(=貴族院議員にならない)ができるようになった。またそれまで貴族院議員になれなかった女性世襲貴族とスコットランド貴族も貴族院議員に列することになった[28]

1999年にはブレア政権によって貴族院法英語版が制定され、世襲貴族の議席は92議席を残して削除された。以降の貴族院は一代貴族が中心となっている[31]

ブレア政権が2005年に制定した憲法改革法英語版により2009年から連合王国最高裁判所(Supreme Court of the United Kingdom)が新設され、貴族院は中世以来保持してきた最高裁判所としての権能を失った[32]

2007年3月7日に議会で貴族院の構成に関する自由投票が行われ、庶民院では全員選挙制、および80%選挙・20%任命制の意見が可決されている(貴族院では全員任命制が可決される)[33]。現在のところ、まだ公選制導入の改革は実施されていない。

貴族院の構成[編集]

世襲貴族[編集]

1999年の貴族院改革以前には世襲貴族英語版全員が貴族院に議席を有していた[注釈 5]。そのため20世紀に爵位が乱発された際には議員数が1000人を超えたこともあった[34]。貴族院は長年にわたって世襲貴族を中心にして構成されてきた(ただし欠席者が多かった[35])。1958年の一代貴族法制定後も1999年まで世襲貴族が多数を占めていた[36]

しかし1999年のトニー・ブレア政権の貴族院改革によって世襲貴族の議席は世襲貴族議員の互選で選ばれた90名(当時の貴族院の党派に応じて案分された75名と院内役職にあった15名)にノーフォーク公爵家が世襲する紋章院総裁英語版チャムリー侯爵家英語版が世襲する大侍従卿英語版を加えた92議席に限定され、大多数の世襲貴族が議席を失った[37][38]。以降、貴族院に議席を持つ世襲貴族は「例外貴族(excepted peers)」と呼ばれている[38]

世襲貴族議員の任期は終身である[38]。世襲貴族議員が死去すると、世襲貴族議員の互選で世襲貴族の中から新しい世襲貴族議員が選出される[38]。かつては女性世襲貴族[注釈 6]は貴族院議員になれなかったが、1963年貴族法英語版で女性世襲貴族にも貴族院議員となる道が開かれた。また同法により世襲貴族は、爵位継承から一年以内であれば自分一代について爵位を放棄し、平民になる(庶民院議員になれる)ことも可能となった。これは庶民院議員として政界の中枢で活躍してきたのに爵位継承で突然貴族院に移され、政界の中枢から外されるという理不尽を防ぐための処置であった[28]。もっとも貴族院議員ではない貴族は、そもそも爵位を放棄しなくても庶民院議員になることが可能であり、1999年の貴族院改革後は大半の世襲貴族がこれに該当している(これ以前は「貴族院議員ではない貴族」に該当するのはアイルランド貴族だけだった)[39]

世襲貴族は創設時に応じてイングランド貴族スコットランド貴族グレートブリテン貴族連合王国貴族に分かれており[35]、また公爵(Duke)、侯爵(Marquess)、伯爵(Earl)、子爵(Viscount)、男爵(Baron)の5等級から成るが、貴族院での活動においてこれらの区別に重要性はない[30]

世襲貴族創家の権限は現在でも女王大権に属するものの、立憲主義の慣例に基づいて、首相の助言によるべきと考えられている[35]。もっとも新世襲貴族創家は、1984年ハロルド・マクミランストックトン伯爵英語版に叙されたのを最後に途絶えており、現在では新規の世襲貴族創設が行われるとは考えにくい[29]

一代貴族[編集]

一代貴族(Life Peer)の先例は古くは14世紀から見られるが[40]、現在のイギリスの一代貴族制度は1958年一代貴族法英語版に基づくものである。一代貴族は爵位を世襲できないが、終身で貴族院議員となる[41]

1999年の貴族院改革で世襲貴族の議席が大幅に減ったので、現在の貴族院は一代貴族が大多数を占めている[31]

一代貴族は、政府から独立した貴族院任命委員会英語版の推薦に基づいて首相が女王に助言を行い、女王の勅許状によって叙爵される[38]。政界・官界・軍・司法界などで活躍した者が対象であり、男女問わない[38]

なお一代貴族には爵位の等級はなく、全員が男爵である[38]

法服貴族[編集]

イギリスでは中世から2009年まで貴族院が最高裁判所機能を有した。近代になると法曹の貴族院議員が必要との認識が高まり、1876年上訴管轄権法英語版が制定され、常任上訴法服貴族(Lords of Appeal in Ordinary)という一代貴族が置かれるようになった[42]

この貴族は12名まで置くことができる[30]。男女不問であり、12人のうち2人はスコットランド高等法院出身者にするのが慣例だった[38]。爵位は全員男爵である[38]

かつて裁判官は終身だったが、後に定年制が設けられた。しかし裁判官としての定年を迎えても貴族院議員としては終身である(任期付きの貴族という概念はコモン・ロー上ありえない)[38]

2009年に連合王国最高裁判所(Supreme Court of the United Kingdom)が新設されたことで、彼らは最高裁判所裁判官に転じて貴族院議員の地位を喪失した[43]。ただし常任上訴法服貴族が終身の一代貴族であることは変わらないので最高裁判所裁判官を辞職すると貴族院議員の地位が復活する[44]

聖職貴族[編集]

国教会の高位聖職者であるカンタベリー大主教ヨーク大主教英語版ダラム主教英語版ロンドン主教英語版ウィンチェスター主教英語版など26名の上級主教は聖職貴族英語版として貴族院に議席を保有する[30]

彼らは主教に留まっている間のみ貴族院議員であり、主教を辞すと貴族院議員たる地位も失う。なお主教には70歳の定年が設けられている。その意味では聖職貴族は法的には貴族ではないといえる[35]

カンタベリー大主教とヨーク大主教は大主教を退いた後に一代貴族に列する例がある[30]

なお貴族院議員たる国教会聖職者は、庶民院議員資格を持たないが、貴族院議員ではない国教会聖職者は庶民院議員たる資格を有する[45]

貴族院及び貴族院議員の特権・待遇・条件など[編集]

貴族院議場にある女王の玉座。
2013年1月18日、訪英中のアメリカ合衆国国防長官レオン・パネッタの貴族院見学を案内するイギリス軍事担当閣外大臣英語版アンドリュー・ロバサン英語版

歴史的に貴族院は王権と対立することが少なかったので、貴族院議員には議員特権意識は薄いが、院の自律権と貴族固有の権利として以下のような特権を保持している[46]

  • 貴族とその従者は不可侵権(不逮捕特権)が認められている。1700年1703年の慣習及び制定法を根拠とする。ただし裁判所の発給した逮捕令状に基づく刑事逮捕に対しては、不可侵権で対抗することはできず、会期中であっても逮捕される(庶民院議員も同様)[47]
  • かつては慣習上の貴族の特権として、一般刑事犯罪のうち、国事犯罪、重罪、不法投獄罪に問われている場合は、裁判所ではなく貴族院で裁かれた。しかし1948年の刑法で貴族も一般裁判所で裁かれることになった[47]
  • 貴族院も庶民院も院内における言論の自由を有する。これは14世紀末以来の慣例であり、1689年権利章典9項において明文化されたことで確固たる物となった[48]
  • 貴族院および貴族全員が、王への拝謁権を有する。庶民院も院全体としては王への拝謁権を有するが(庶民院議長が行使できる)、個々の庶民院議員には拝謁権は認められていない。対して貴族は個々が王への拝謁権が認められている。ただ現代では女王の政治的権力が制限されているため、拝謁権も形骸化している[49]
  • 庶民院と同様に議院として院内の議事を定める権利を有する[47]

貴族院議員は現在に至るまで無報酬である。対して庶民院議員は1911年以降報酬が出されている[50][38]

議員となった者(貴族院・庶民院問わず)は最初の議会出席の際に以下の忠誠宣誓英語版を行わなければ、議院に出席し表決に参加することはできない。宣誓は以下のとおりである[51]

私(氏名)は、エリザベス女王陛下、法の定めるその相続人及び承継者に対し、誠実であり、かつ真の忠順を保持することを全能の神にかけて誓います。されば神よ、授けたまえ[注釈 7]
I... swear by Almighty God that I will be faithful and bear true allegiance to Her Majesty Queen Elizabeth, her heirs and successors, according to law. So help me God.

忠誠宣誓英語版(1868年宣誓法による)

また貴族院議員たる地位を認められない事由として「1. 外国人、2. 二十一歳以下、3. 大逆罪に問われた者のうち刑の執行か恩赦を受けていない者、4. 不行跡で破産した者(不運で破産した者は問題にされない)、5. 貴族院の決定で追放された者」が定められている[53]

貴族院の意義[編集]

貴族院議場。
2013年1月18日、議長席を指差すアメリカ国防長官レオン・パネッタと案内役のイギリス軍事担当閣外大臣アンドリュー・ロバサン。

庶民院(House of Commons) と共にイギリス議会を構成している(両院制)。しかし議会制民主主義の発展とともに公選制の庶民院に政治の実権が移り、貴族院はその陰に隠れる存在と化した。とりわけ1911年1949年議会法により貴族院は明文で庶民院に劣後するようになった[54]1958年には一代貴族制度が導入され、さらに1999年には世襲貴族の議席が制限され、一代貴族が大多数となったため、現在では身分制議会というより任命制議会に近くなっている[55]

一代貴族制導入後の貴族院は、各分野に高度な専門知識を有する議員を擁している(各分野で活躍した者が一代貴族に任命されるので)[56]。また中立派(クロスベンチャー)英語版と呼ばれる議員たちが相当数いることにより、庶民院よりも政党政治に中立的である[57]。この「専門性」と「中立性」により、現在でも庶民院の補完者としての貴族院の存在価値は高いと言われている[58]

貴族院の役割として、庶民院が通過させた法案を、専門知識を持つ貴族院議員が精査し、修正することが重視されている。また、下院の優越規定により法案を完全に阻止することはできないが、予算案などをのぞく法案の成立を1年間延期できるので、政府や庶民院、一般市民に再考を促すことができる。貴族院議員は選挙で選ばれないため、国民の支持は多いが憲法上や人権上の問題がある議題について反対しやすい。諸外国では最高裁判所が行う「憲法の番人」の役割を、イギリスでは貴族院が担ってきたともいえる。修正の院としての貴族院の役割は社会に広く認知されており、一院制移行論は主流をなしていない[59]

「民主的正当性」を重視して第二院も公選制へ移行すべきとする議論はあるが、「専門性」「中立性」を公選制のもとでも保てるのかが問題となる。どのぐらいの割合を公選制とするのか、どのような選挙制度にするのか、庶民院との差別化をどのように行うか、どのように政党化を抑止するのかなどに論点がある[60]

貴族院議長[編集]

貴族院で演説する保守党貴族院院内総務ソールズベリー侯爵と自由党席からそれを聞く海軍大臣ノースブルック伯爵と外務大臣グランヴィル伯爵。議長席に座っているのが大法官(貴族院議長)セルボーン伯爵1882年7月5日の『バニティ・フェア』誌の挿絵)。

中世から2009年まで貴族院議長は大法官 (Lord Chancellor) が務めた。大法官は605年まで遡る事ができると言われる最も歴史ある官職であるため、現在でも臣下の宮中序列ではカンタベリー大主教に次ぐ第2位とされており、首相よりも上位者である[61][62]。大法官は貴族院において議長と裁判長(貴族院は2009年まで最高裁判所であった)を務めつつ、内閣においては法務大臣的閣僚職を務める。つまり立法権と司法権の頂点に立ち、行政でも要職にあり、また裁判官の任免権も持っていたので司法行政権能もあった。そのため三権分立論者からは最大の批判の対象となってきた[62]

2005年の憲法改革法英語版により大法官は、2009年の連合王国最高裁判所の新設に伴って司法機能を喪失し、また貴族院議長たる地位も失った。この後、貴族院議長英語版(Lord Speaker)は貴族院議員からの互選で選出されることになった[63][64]

貴族院議長は庶民院議長と異なり、院の秩序を保つ権利を有さない(その権利は院全体が有する)[65]

貴族院の現況[編集]

現在の役職[編集]

現在の貴族院議長デ・スーザ女男爵フランセス・デ・スーザ英語版

現在の党派別議席配分[編集]

2014年8月25日現在のイギリス貴族院の党派別議席配分状況は以下の通り[1]

党派名 一代貴族 世襲貴族英語版 聖職貴族英語版 合計
保守党 170 49 219
労働党 212 4 216
中立派英語版 150 30 180
自由民主党 96 3 99
聖職貴族英語版 26 26
無所属英語版 20 20
諸派 13 1 14
合計 661 87 26 774


脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 下級聖職者は俗事目的の議会を嫌って去ったが、高位聖職者は男爵領所有者(直属受封者)でもあったため、そちらの立場を優先して議会に残り、異階級の男爵と融合していったのである[5]
  2. ^ 当初、貴族身分はごく少数の伯爵(Earl)と大多数の男爵(Baron)だけだった。Baronはもともと称号ではなく直属受封者を意味していた。一方Earlは特定の州に特権的支配権を持つ者の称号であった。しかし大陸から輸入された三爵位が加わり、新貴族創設が国王の勅許状英語版のみによるようになってから、男爵も称号化し、公爵(Duke)、侯爵(Marquess)、伯爵(Earl)、子爵(Viscount)、男爵(Baron)の5等級の貴族称号の階級が確立された[6]
  3. ^ ただし1656年には護国卿トマス・クロムウェルによって護国卿が任命した者から構成される「第二院」が創設されており、共和政期ずっと一院制だったわけではない[18]
  4. ^ たとえば、1712年ユトレヒト条約批准をめぐって当時のトーリー党政権は、ホイッグ党が多数を占める貴族院で否決される事を憂慮して、アン女王の大権で12家の貴族創家を行い、トーリー党の貴族院多数状態を強引に作り出した[22]
  5. ^ ただしアイルランド貴族スコットランド貴族貴族代表議員のみだった。スコットランド貴族は1963年貴族法英語版で全員貴族院議員に列している[28]
  6. ^ 世襲貴族の爵位の継承方法はその爵位の勅許状英語版で決められており、特例で女系継承が認められている場合もある[35]
  7. ^ この宣誓は聖書(キリスト教徒新約聖書ユダヤ教徒旧約聖書)を右手に掲げて持ちながら行う[52]。1978年宣誓法により現在では、神に宣誓したくない無神論者などのために「私(氏名)は、エリザベス女王陛下、法の定めるその相続人及び承継者に対し、誠実であり、かつ真の忠順を保持することを、厳粛に心から真実に宣言し、断言いたします(I... do solemnly, sincerely and truly declare and affirm that I will be faithful and bear true allegiance to Her Majesty Queen Elizabeth, her heirs and successors, according to law.)。」とする宣誓も認められている。

出典[編集]

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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]