ソマリランド
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ソマリランド共和国(ソマリランド きょうわこく)、通称ソマリランド(ソマリ語:Soomaaliland)は、アフリカ大陸東端のソマリア半島(アフリカの角)にある国家。旧イギリス領ソマリランドを領土とする。ただし、現在のところ国際的には国家として承認されていない。
- ソマリランド共和国
- Jamhuuriyadda Soomaaliland(ソマリ語)
جمهورية صومالي لاند(アラビア語)
Republic of Somaliland (英語) -


(国旗) (国章) - 国の標語 : لا إله إلا الله محمد رسول الله
(アラビア語:アッラーフの他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。)
または "Justice, Peace, Freedom, Democracy and Success for All"
(英語:万人のための正義、平和、自由、民主主義と成功) - 国歌 : Sama ku waar

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公用語 ソマリ語、アラビア語、英語[1] 首都 ハルゲイサ 最大の都市 不明 通貨 ソマリランド・シリング(SLSH) 時間帯 UTC +3(DST: 無し) ccTLD 無し 国際電話番号 +252
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[編集] 国名
正式国名はソマリ語で Jamhuuriyadda Soomaaliland 、通称は Soomaaliland。
公式の英語表記は Republic of Somaliland、通称は Somaliland。
日本語の表記は ソマリランド共和国、通称 ソマリランド。
[編集] 歴史
イギリス領ソマリランドは1960年6月26日に「ソマリランド国」(英語:State of Somaliland)として独立する。ただしこれは同年7月1日に予定されたイタリア領ソマリランドの独立を見越して同地域との統合を目的とした措置で、この独立は僅か5日間だけの限定的なものであった。そして予定通り7月1日に両地域は統合され、「ソマリア共和国」が発足した。ところがモガディシオの中央政府は南部出身者が主導権を掌握し、南部優遇の経済政策などを推し進めた結果、北部地域ではソマリア中央政府および南部地域への反感が強くなり、ソマリアからの脱退を求める声も高まっていった。
1991年1月にモハメド・シアド・バーレ独裁政権が崩壊した後、それまでの南部優遇政策と混迷を極めるソマリア情勢に失望したイサック主体のソマリ国民運動(SNM)は、1991年5月に北部の旧イギリス領ソマリランド地域の分離・再独立を宣言し、新生ソマリランド共和国を発足させた。見方を変えると、一度消滅したソマリランド国が31年ぶりに復活したことになり、ソマリランド政府も「独立を回復した」という立場をとっている。
初代大統領にはSNM議長のアブドゥラフマン・アリ・トゥールが就任し、その後1993年5月の選挙で第2代大統領にイブラヒム・エガルが選出された。この国の情勢はほとんど伝えられることがないが、エガルは2002年に死去し、第3代大統領にダヒル・リヤレ・カヒンが就任した模様。
ソマリアの暫定政権には激しく反発しており、ソマリアとの再統合はもはや不可能な状況になっている。現地住民の中でもソマリランドとソマリアは全く別の国であるという認識が強いようで、ソマリアと比べて治安も格段に安定しているソマリランドに誇りを持っている住民が多いという。
隣国のエチオピアとはわりと緊密な関係を保持し、政治的には安定している。その一方で、同じくソマリアからの分離を宣言したプントランドとは国境紛争を抱えており、関係は良くないといわれている。
[編集] 政治
議会は二院制。上院は82人の長老から成る。元々は「国民和解のための大会議(ボロマ会議、ボラマ会議)」と呼ばれ、民兵の武装解除に尽力したため "Peace maker" とといわれている。
2005年10月に下院の議会選挙が行われ、3党が82議席を争った。その結果、カヒン政権の与党統一人民民主党が33議席を獲得し第1党、次いで平和統一開発党 (Peace, Unity, and Development Party) が28議席、正義開発党 (For Justice and Development) が21議席を獲得した。ソマリランドの憲法では政党は3つまでしか存在を認められておらず、前述の3党以外に政党は存在しない。
治安はアフリカ諸国の中では安定している方にあるが、2003年には国境なき医師団の医師が殺害される事件が発生している他、2005年には民間人と警察との間で銃撃戦が行われたり、アル・カーイダ戦闘員が逮捕されるなど、決して良好とは言えない。[2]
政治的には安定していて、なおかつソマリアとは全く別の国家として機能しているにもかかわらず独立国家と承認されないのは、ほとんどのアフリカ諸国が抱えている自国内の民族独立運動への先例を与えかねない恐れがあるからである(現実的にはエチオピアから独立したエリトリアのケースがある)。しかし、2008年2月に新たな局面を迎えたコソボ地位問題の行方次第では、今後ソマリランドを取り巻く状況も大きく変わっていく可能性がある。
[編集] 地方行政区分
詳細は「ソマリランドの行政区画」を参照
[編集] 経済
ソマリアと違って政治の安定性が確保され経済も良好だが、国際的には最貧国の1つとされる。通貨ソマリランド・シリングはソマリアの通貨ソマリア・シリングより価値が高い。主要産業は畜産業など第1次産業がほとんどだが、良港ベルベラを抱えることもあり、海上交通の要衝としても注目される。また、このベルベラ港はエチオピアの輸出・輸入港としても機能している。
天然資源としては石油・天然ガス・鉛・石灰・金などの埋蔵が確認されているが、本格的な採掘はされていない。
現地を取材したNHK出版の本『アフリカ21世紀――内戦・越境・隔離の果てに』(ISBN 4140806931)によると(81ページ)、現地を走る車の99%は日本車であるという。
[編集] 国民
[編集] 言語
大多数の国民は2つの公用語である、ソマリ語かアラビア語を話す。 アラビア語教育は学校で義務的に行われ、国中のモスクでも使用される。また、英語も学校で話され、教育されている。
ソマリ語は、クシ語派の(エチオピア、ソマリア、ジブチ、ケニアなどで話されている)低地東部クシ語群に属している。最も広く使われているソマリアの方言は共通ソマリ語である。 言語の才覚は、ソマリ社会で非常に重要とされている。求婚者、戦士、聖職者、政治家などの能力は、その雄弁さによって大きく左右される。
イギリス領ソマリランドの時代には、英語は学校や政府で支配的であった。しかし、外国語の支配に基づいて社会・経済の発展を図ることは、大きな問題であった。政府や民間企業の重要なポストが、ほんの一部の英語使用層によって占められることになったからである。 1972年にソマリア政府がラテン文字表記によるソマリ語の公的な使用を必須とし、言語による障害は大きく改善することになった。
[編集] 宗教
ほぼ全ての国民がイスラム教スンナ派であり、イスラム教は国教となっている。イスラム教以前のアニミズムの痕跡はソマリランドに認められるが、イスラム教はソマリランド社会の中心的な規範となっている。 イギリス統治時代には、カトリックによる布教が行われた。
[編集] 関連項目
- ソマリア
- ソマリア内戦
- ソマリランド関係記事の一覧
- ソマリランドの大統領一覧
- ソマリランドの政党一覧
- エリトリア
- コソボ
- コソボ地位問題
- サハラ・アラブ民主共和国
- プントランド
- 南西ソマリア
- 大ソマリア主義
- 事実上独立した地域一覧
- 独立主張のある地域一覧
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 政府
- ソマリランド共和国政府 (英語)
- 観光
- ソマリランド - ウィキトラベル
- 概要解説
- ソマリランド共和国(非公認の国々)
- ソマリランド共和国が「建国」された経緯について紹介したレポート
- 崩壊国家と国際社会:ソマリアと「ソマリランド」(PDFファイル)-遠藤貢
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