アディスアベバ

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アディスアベバ市
አዲስ አበባ
City of Addis Ababa
エチオピアの旗
Addis Abeba montage 1.jpg
位置
アディスアベバの位置(エチオピア)の位置図
アディスアベバの位置(エチオピア)
アディスアベバの位置(エチオピア)の位置図
アディスアベバの位置(エチオピア)
座標 : 北緯9度1分48秒 東経38度44分24秒 / 北緯9.03000度 東経38.74000度 / 9.03000; 38.74000
歴史
建設 1886年
創設者 メネリク2世
行政
エチオピアの旗 エチオピア
 州 アディスアベバ自治区
 市 アディスアベバ市
市長 ベルハヌ・デレサ
地理
面積  
  市域 530.14km2(204.7mi2
    陸上   530.14km2(204.7mi2
    水面   0.0km2(0.0mi2
      水面面積比率     0.0%
標高 2,355m(7,726ft
人口
人口 2008年現在)
  市域 3,146,999人
    人口密度   5,936.2人/km2(15,374.7人/mi2
その他
等時帯 東アフリカ時間UTC+3
夏時間 なし
公式ウェブサイト : *Addis Ababa City Administration

アディスアベバアムハラ語: አዲስ አበባ英語: Addis Ababa)は、エチオピア首都である。

アディスアベバ[1]とはアムハラ語で「新しい花」を意味する。現在の人口はおよそ300万人。

中心街、2008年

歴史[編集]

1886年にエチオピア皇帝メネリク2世(在位:1889年 - 1913年)により建設された。場所は皇妃のタイトゥ・ベトゥルが選んだ。

1936年には、イタリア軍により占領され、イタリア領東アフリカ帝国の首都となった。その後第二次世界大戦時にイギリス軍が侵攻し、ハイレ・セラシエ1世1941年5月5日にアディスアベバに戻り、首都再建を始めることとなった。

アフリカ統一機構(OAU)の発展解消に伴い、2002年アフリカ連合(AU)の本部が設置された。

地理[編集]

エントト山の麓、標高2,400mに位置する。

気候[編集]

気候は高山気候(常春型)。雨期と乾期がある。

アディスアベバの平均気温と月当たりの降水量

交通[編集]

市内には屋根が白、車体が青の乗合タクシーとミニバスが走っている。1998年に中国の協力で完成した環状道路が市内の渋滞解消に大いに役立った。中国とは市内鉄道を計画中。 外国からの交通には、2003年開港のボレ国際空港や隣国ジブチと結ぶジブチ・エチオピア鉄道(2009年現在、アディスアベバ - エチオピア国内で一部不通状態[2])がある。リデタ旧空港は小型機や軍用機が使っている。

メスケル広場
アディスアベバの市内タクシー

観光[編集]

国立博物館や民族博物館、ライオンパークやマスカルスクエア、エントト山やマルカート(東アフリカ有数の市場)などが有名。

教育[編集]

学問の中心地としてアディスアベバ大学(設立から1975年まではハイレ・セラシエ1世大学と呼ばれていた)がある。

スポーツ[編集]

友好都市[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ アディス・アベバアジスアベバアジス・アベバとも表記される。
  2. ^ [http://oversearail.syoyu.net/Entry/108/ ジブチ・エチオピア鉄道新線計画【エチオピア・ジブチ】 (海外鉄道ニュース)2011年1月6日閲覧]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]