アルジェ
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| アルジェ الجزائر |
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| 標語 : "Algiers the White, Al-Bahjah" | |||
| 位置 | |||
| 座標 : | |||
| 歴史 | |||
| Re-founded | AD 944 | ||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 県 | アルジェ県 | ||
| 市 | アルジェ | ||
| Wali | Khalida Toumi | ||
| 地理 | |||
| 面積 | |||
| 市域 | 273km2(170mi2) | ||
| 人口 | |||
| 人口 | (2006年現在) | ||
| 市域 | 2,029,936人 | ||
| 人口密度 | 5,560人/km2(8,982人/mi2) | ||
| 市街地 | 3,518,083(?)人 | ||
| 都市圏 | 5,515,889人 | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | CET (UTC+1) | ||
アルジェ(Algiers)(アラビア語表記الجزائر)は、北アフリカ、アルジェリア民主人民共和国の首都であり、アルジェリア最大の都市である。西部地中海に面している。人口256万人(1998)地中海の要塞として古くから発達した都市である。
目次 |
[編集] 概要
都市は、海岸付近の低地に発達した近代的な部分と標高100m以上の高地にある古都部分に分けられる。海岸付近は「北アフリカのパリ」という言葉に相応しく、植民地時代の影響でノートルダム大聖堂に代表されるフランス風の建築物が立ち並んでいる。また、地中海沿岸の他都市と同様に白壁の建物が多い。内陸の旧市街部はイスラム風の建築物が多く、モスクが数多く点在している。また、映画「望郷」の舞台として知られるカスバ(城壁)は1992年世界文化遺産に登録された。カミュ作の小説「異邦人」の舞台としても有名。
[編集] 歴史
紀元前1200年頃にはフェニキアがこの地に植民して交易所を置いていた。ポエニ戦争後は、ローマ帝国の領土となってイコシウムとよばれたが、5世紀中頃にバンダル族によって一時侵略された。次に、東ローマ帝国がここを支配したが、650年アラブ人に駆逐された。950年頃、アルジェリア先住民ベルベルのズィール朝によって現在の市街が創建された。彼らによって名付けられた現在のこの町の名前「アルジェ」は、「島」を意味する「アル・ジャザーイル」というアラビア語に由来する。それから500年間、この町の支配権はヨーロッパ、アラブ、ベルベルの軍人たちが交互に握った。
1510年、スペインが湾の小島の1つペニョン島を占領し、要塞とした。このため1518年にアルジェはオスマン帝国に支援を求め、帝国に帰属することを宣言することでスペイン人を追い出した。オスマン帝国支配時代のアルジェは、オスマン艦隊の拠点となり、ヨーロッパ諸国から海賊海岸として恐れられた。その後300年間にわたって、行政・交易・地中海での海賊活動の中心として栄える。
1815年、アメリカの艦隊が遠征し、アメリカ船舶への攻撃中止を約束する平和条約を結ぶようにもとめた。しかし1816年、海賊活動・海賊貿易は継続されたため、オランダとイギリスの連合艦隊はアルジェリア艦隊をほぼ壊滅させ、地中海の制海権を手中にした。オスマンの艦隊としてのアルジェは1830年に幕を閉じた。この年、フランスはアルジェに上陸・占領し、やがて国全体を占領した。
フランス支配は1962年の独立まで続くが、フランスはアルジェを植民行政の根拠地として都市づくりをおこない、海岸部にはフランス風の近代都市が建設されて、現在のアルジェの姿はここで完成した。第二次世界大戦中は、連合国軍の北アフリカ本部と、ド・ゴールの自由フランス政府がここに設置された。独立後はヨーロッパ人の引き上げ後に人口が集中し、さまざまな都市問題が生じている。
[編集] 姉妹都市
北京(中国)
ベルリン(ドイツ)
カイロ(エジプト)
パリ(フランス)
モントリオール(カナダ)
カサブランカ(モロッコ)
ロンドン(イギリス)
チュニス(チュニジア)
モスクワ(ロシア)
バルセロナ(スペイン)
ジュネーヴ(スイス)
トリポリ(リビア)
ローマ(イタリア)
ダカール(セネガル)
アムステルダム(オランダ)
[編集] ギャラリー
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アルジェの代表的な観光地の一つ、ノートルダム大聖堂 |


