レユニオン
- レユニオン
- Réunion
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レユニオンの旗 レユニオンの紋章 
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公用語 フランス語 行政所在地 サン=ドゥニ 地域圏 レユニオン地域圏 県番号 974 大統領 ニコラ・サルコジ 長官 ロベール・ディディエ 面積 - 総面積 2,512 km² - 水面積率 (%) 0.4 人口 - 推計(2010年) 846,000人 - 人口密度 287/km² GDP (PPP) - 合計 147億ユーロ(2008年) 通貨 ユーロ ( EUR)時間帯 +4 ISO 3166-1 RE / REU ccTLD .re 国際電話番号 +262 (not required from metropolitan France or other overseas departments)
レユニオン(Réunion)は、フランス共和国の海外県ならびに海外地域圏(レジオン)である。マダガスカル島東方のインド洋上に位置する。面積2,512平方キロ、人口846,000人(2010年推定)。コーヒーの原種の一つブルボン種の原産地とされる。県都はサン=ドゥニ。
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[編集] 歴史
- 1507年 ポルトガル人がこの無人島を「発見」。
- 1640年 フランス人が上陸してフランス領と宣言。
- 1642年 ルイ13世によってブルボン島(île Bourbon)と命名されたが、ブルボン王家を打倒したフランス革命によってラ・レユニオン(La Réunion)と改名された。その後、1806年に皇帝に媚を売った提督によってボナパルト島、イギリス占領時(1814年)にブルボン島、1848年にレユニオン島と、呼称が何度も変わった。
- 1665年 フランス東インド会社はインドへの中継港として重視し、植民を開始。最初はコーヒ栽培(後に失敗)、そして砂糖栽培が重要産業となる。
- 1869年 スエズ運河が開通すると、インド方面への中継港としての役割は減少した。
- 1946年 フランスの海外県となる。
- 1952年 3月15日から3月16日にかけて、世界最多24時間降水量の1870mmを記録
- 2002年 ユーロ流通。時差の関係で、現地時間2002年1月1日午前0時少し過ぎに、県都サン=ドゥニのルネ=ポール・ヴィクトリア市長が、市庁舎前の式典会場に設えられた屋台でライチ1キログラムを0.76ユーロで買ったのが、現金による世界初のユーロ使用と(公式には)されている。しかし現地の噂では、それより数分前(2001年12月31日午後11時57分という説がある)に一人のクレオル人男性がATMから20ユーロ紙幣を1枚引き出すことに成功したと言われている。
- 2003年 海外レジオン設置に伴い、「レユニオン海外県ならびに海外レジオン」になる。
- レユニオン島の人の移動と経済関連年表
- 1498年 ヴァスコ・ダ・ガマ インド洋域に入る
- 1502年 ポルトラーノ海図にDina Margabim 或いはDiva Morgabimの名で登場。パーリ語dipa「島」とアラビア語「西の」の混成語。
- 1507年 ポルトガルのトリスタン・ダ・クーニャが接岸し、Santa-Appoloniaと命名。これは発見された2月9日が聖アポローニアの記念日であったため。
- 1513年 ポルトガルのインド植民地総督ペドロ・デ・マスカレニャスが「公式に」発見。彼の名はマスカレン(仏語ではマスカレーニュ)諸島(レユニオン、モーリシャス、ロドリゲス)に残っている。その後、オランダの提督、英国の海賊、ポルトガルのイエズス会宣教師などが相次いで接岸
- 1638年 インドに向かっていたSaint-Alexis号がルイ13世の名において占有を宣言
- 1640年 Saint-Alexis号艦長が「公式」に領有を宣言(Bourbonと命名)
- 1646年 マダガスカルの反乱分子12人がブルボン島に流刑
- 1654年 マダガスカルの反乱分子(フランス人8人、マダガスカル人6人)がブルボン島に流刑
- 1663年 フランス人2人が10人のマダガスカル人(男7人、女3人)と2年滞在
- 1665年 フランス人20人入植
- 1668年 サトウキビがマダガスカルよりもたらされる
- 1671年 人口76人:白人36人、マダガスカル人37人、混血の子供3人
- 1674年 人口130人:奴隷75人
- 1686年 最初の人口調査。総人口約300人:フランス人、ポルトガル系インド人、アフリカ、マダガスカル、オランダ10家族がフランス人夫婦より、12家族がフランス男性とインドーポルトガル女性、14家族がフランス男性とマダガスカル女性から
- 1689年 奴隷人口102人、自由民212人
- 1700年 人口700人、うち320人が黒人
- 1709年 奴隷人口384人、自由民492人
- 1711年 自生のコーヒーが発見される
- 1714年 奴隷人口534人、自由民623人
- 1718年 イエメンのモカからコーヒーがもたらされる。これがブルボン種の元となる。
- 1735年 奴隷人口6573人、自由民1716人
- 1749年 コーヒー苗が虫害によって荒らされ始める
- 1750年 奴隷人口11893人、自由民2834人
- 1763年 奴隷人口15419人、自由民4267人
- 1771年 ブルボン種から変異したコーヒー、ブルボン・ポワンテュの名が始めて記録に登場。以降、ヨーロッパで人気を博する。
- 1779年 奴隷人口30209人(うち白人6464人)、自由民6929人
- 1788年 人口45000人:奴隷33377人(うち白人8812人)、解放奴隷1029人
- 1789年 奴隷人口42588人、自由民9211人
- 1791年 ハイチ革命(サトウキビ経済の崩壊)
- 1793年 国民公会により島名レユニオン
- 1794年 国民公会奴隷制廃止宣言
- 1802年 ナポレオンにより奴隷制復活
- 1804年 奴隷人口50350人
- 1806年 翌年にかけて大型サイクロン来襲、コーヒー畑壊滅。島名ボナパルト
- 1810年 英国の統治下に入る。白人12725人、解放奴隷2840人、奴隷52141人
- 1814年 島名ブルボン
- 1815年 フランスに返還。最初の製糖工場(小屋)
- 1817年 最初の蒸気粉砕機導入。奴隷売買禁止令。非合法売買で1831年までに奴隷約45000人輸入
- 1820年 粉砕機数91。1820年-1825年の砂糖生産量は4500t以下。人口71703人:奴隷51213人、解放奴隷4710人、白人15780人
- 1821年 粉砕機数135。
- 1823年 粉砕器数168。サトウキビ耕作面積48000ha
- 1826年 人口87100人:奴隷60698人
- 1829年 インド人契約労働者が続く3年間で3000人移入
- 1830年 蒸気粉砕機数84。白人と白人系混血30000人、奴隷70000人
- 1832年 続く3年間で奴隷45000人輸入
- 1835年 奴隷人口70406人
- 1840年 奴隷人口66100人。製糖工場数140
- 1848年 奴隷人口62151人、12月奴隷制廃止。島名レユニオン
- 1849年 契約労働者数12032人(インド11309人、中国644人、アフリカ379人)
- 1850年 続く10年間でインド人労働者約60000人
- 1852年 外国人契約労働者16585人、解放奴隷15483人
- 1858年 製糖工場数127
- 1859年 契約労働者数64403人(アフリカとマダガスカル合わせて26784人)。アフリカ人移住禁止令
- 1860年 砂糖生産量73000t。サトウキビ耕作面積62000ha。製糖工場数121。サン・ルー市、コーヒー栽培を放棄
- 1865年 砂糖生産量48000tに激減。インド・アフリカ移民74500人。44000人の解放奴隷が契約労働に移行せず
- 1869年 スエズ運河開通
- 1870年 人口21万人。うち中国系1180人。
- 1881年 人口17万2000人。砂糖生産量2000t。
- 1882年 粉砕機数168。インド人移住禁止令。契約労働者数46426人
- 1885年 最後のインド人契約労働者移住(男22人、女12人)。人口16万3000人
- 1887年 モザンビークから2000人以上の契約労働者移住。
- 1889年 島で生まれた移民の子へのフランス国籍付与
- 1901年 中国人契約労働者受812人移住。人口173315人
- 1904年 製糖工場数36
- 1911年 人口173293人:インド人ムスリム584人、中国人844人(うち女33人)
- 1914年-1918年 砂糖生産量37000t
- 1927年 移民受け入れ再開。マダガスカルより3000人。
- 1931年 人口197933人、うちフランス国籍192566人
- 1940年 砂糖生産量110000t
- 1942年 コーヒーの輸出がこの年を最後に途絶える
- 1946年 海外県化
- 1956年 製糖工場数13
- 1988年 製糖工場数4
- 2001年 製糖工場数2
- 2007年 コーヒーの輸出再開。
[編集] 政治
フランス内地の県と同様に県会の議長が行政府の長となる。
[編集] 地方行政区分
- サン・ブノワ
- サン=ポール
- サン・ピエール
[編集] 地理
詳細は「:en:Geography of Réunion」を参照
レユニオン島はマダガスカル島から800Kmの東に位置している(東経55度30分、南緯21度)。面積2,512km²の大きな火山島で、島のほぼ中央にある、最高峰のピトン・デ・ネージュ山(活火山ではない火山)は標高3069mもあり、島の南東部にも標高2631mのピトン・ドゥ・ラ・フルネーズ山(活火山)がある。そのためにレユニオンは火山学者のメッカとなっている。地震学者安芸敬一も現地の観測所で研究を行っていた。山岳地勢のため、住民の大半は海岸部で暮らしている。
火山が形成する独特の自然美は2010年に「レユニオン島の尖峰群、圏谷群および絶壁群」の名で世界遺産に登録された。
[編集] 気象
絶海に浮かぶ高峰という地形条件は、時として過酷な集中豪雨をもたらす。1952年3月15日~3月16日には、1,870mmという24時間雨量の世界記録が観測されている(詳細は雨量の項を参照のこと)。
[編集] 経済
詳細は「:en:Economy of Réunion」を参照
主要作物はサトウキビで、他にはラム酒、キャッサバ、バニラなどである。観光産業も有望である。近年、1940年代に失われたといわれていたコーヒー、ブルボン・ポワンテュ種の野生化した苗木がUCC上島珈琲の川島良彰(現Mi Cafeto)らにより発見され、フランス政府とレユニオン県庁の協力の下で2006年に再生に成功し、翌年以降少数栽培が行われている。アラビカ種由来で、他のコーヒー豆に比べて細くて小さく、硬いのが特徴。
[編集] 人口動勢
詳細は「:en:Demographics of Réunion」を参照
住民は,様々な民族の混血であるクレオル(黒人と白人の混血のみに限定するのはレユニオンでは誤り)がほとんどで、64%を占め、印僑は28%を占める。残りは少数派のヨーロッパ人や華人などである。貧しいクレオルと、豊かなインド人及びヨーロッパ人との間で経済的格差などで対立しており、1991年には深刻な暴動が起きた。
言葉は公用語がフランス語だが、一般的にはフランス語を母体にしたレユニオン・クレオル語を話す。
宗教はカトリックが89%を占める。残りはイスラム教(ほとんどがインド・グジャラートからの移民)やヒンドゥー教などである。なお、サン=ドゥニ市のモスクは1905年に建てられた、フランスで最も古いモスクである。
[編集] 交通
サン=ドゥニ・ジロ空港:別名ローラン・ギャロス空港。ローラン・ギャロスはレユニオン出身の飛行家で、テニスの国際大会である全仏オープンにも彼の名が冠されている。マダガスカルとタイ・バンコク間を飛ぶマダガスカル航空便はここを経由する。2011年4月より,エール・オーストラルが,レユニオン・バンコク間の直行便を週2便就航させる予定である。
LRTの建設計画があったが、2010年3月の選挙において、推進派であったポール・ヴェルジェス(レユニオン共産党)が敗北したため、一旦中止されている。住民の多くはトラム計画を支持していたが、ヴェルジェス一家の政治的支配(息子や娘を要職に就かせていた)に反発して、UMPに投票したと言われている。
- 参考:レユニオンのトラムトレイン公式サイト(フランス語)
[編集] 出身者
- ディディエ・アガテ - サッカー選手
- ミシェル・ウエルベック - 小説家
- アンブロワーズ・ヴォラール - 美術商
- ギョーム・オアロ - サッカー選手
- ダニエル・サングーマ - 陸上選手
- フロラン・シナマ=ポンゴル - サッカー選手
- ルコント・ド・リール - 詩人
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- レユニオン地域圏政府公式サイト(フランス語)
- ブルボン・ポワンテュ公式サイト(UCC上島珈琲)
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