タンザニア
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- タンザニア連合共和国
- Jamhuri ya Muungano wa Tanzania (スワヒリ語)
United Republic of Tanzania (英語) -


(国旗) (国章) - 国の標語 : Uhuru na Umoja
(スワヒリ語: "自由と統一") - 国歌 : 神よ、アフリカに祝福を

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公用語 スワヒリ語(国語)・英語 首都 ドドマ(ダルエスサラーム) 1 最大の都市 ダルエスサラーム 独立
- タンガニーカ
- ザンジバル
- 合併イギリスより
1961年12月9日
1963年12月19日
1964年4月26日通貨 タンザニア・シリング(TZS) 時間帯 UTC (+3)(DST: なし) ISO 3166-1 TZ / TZA ccTLD .tz 国際電話番号 255 3 - 註1: データは本土のみ
註2: 立法府の議事堂はドドマ、その他の政府官庁はダルエスサラーム
註3: ケニアとウガンダから掛ける場合は 007
タンザニア連合共和国(タンザニアれんごうきょうわこく)、通称タンザニアは、中央アフリカ東部の国家。ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ザンビア、マラウィ、モザンビークと国境を接し、タンガニーカ湖対岸にはコンゴ民主共和国があり、またインド洋に面する。
1996年に立法府の議事堂が法律上の新首都ドドマに移転されたが、その他の政府官庁は旧首都ダルエスサラームにある。
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[編集] 国名
正式名称は、スワヒリ語でJamhuri ya Muungano wa Tanzania(ジャムフリ・ヤ・ムーンガノ・ワ・タンザニア)。英語でUnited Republic of Tanzania(ユーナイテド・リパブリック・オヴ・タンザニーア)。通称、Tanzania。
日本語の表記は、タンザニア連合共和国。通称、タンザニア。
[編集] 歴史
詳細はタンザニアの歴史を参照
アラビア半島でイスラーム教が成立した後、10世紀頃までにアラブ人やペルシア人がキルワ島やザンジバル島に渡来し、スワヒリ文明が栄えた。
1498年にポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えて東アフリカに渡来し、インド洋におけるポルトガルの覇権が始まった。ポルトガルは1505年にキルワ王国を滅ぼした後、東アフリカの各地を制圧したが、ポルトガル勢力は1698年にタンザニアから駆逐された。その後19世紀に入るとオマーン帝国のサイイド・サイードが東アフリカに侵攻し、沿岸部を勢力圏に置いた後、1840年にザンジバルに遷都した。
ザンジバル・スルタン国は奴隷貿易で栄えたが、インド洋に進出していたイギリスとの対立が生じた。アフリカ分割が始まると、1885年にドイツ東アフリカ会社が大陸部に進出し、ドイツ領東アフリカが成立した。翌1886年に新興のドイツ帝国がタンガニーカを、イギリスがザンジバルを分割する協定が結ばれ、ザンジバルは1896年のアングロ=ザンジバル戦争に敗北した後、イギリスの保護国となった。タンガニーカでも抵抗運動は続き、アブシリの反乱やムクワワのゲリラ戦争の後に、1905年には最大の反乱となったマジ・マジ反乱が勃発したが、この反乱は敗れ、植民地化が確定した。第一次世界大戦が勃発すると、東アフリカ戦線ではパウル・フォン・レットウ=フォルベック将軍率いる現地人(アスカリ)を中心としたゲリラ部隊がイギリス軍などを相手に本国の降伏時まで交戦を行った。第一次世界大戦後、大陸側もイギリスの保護領となった。
1961年大陸側がタンガニーカとして独立。1963年、ザンジバルも独立。翌1964年、両国は連合し、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国が成立。同年、両国の名称とかつてこの地域で栄えたアザニア文化の名称を複合し、タンザニア連合共和国と改称した。
独立後、初代大統領となったジュリウス・ニエレレはスワヒリ語を公用語とし、内政面ではウジャマー社会主義を採用して社会主義の建設を目指した。対外的には中華人民共和国との関係を深め、アフリカ諸国との関係においても1964年にモザンビーク独立戦争が始まると、エドゥアルド・モンドラーネ議長の指導するモザンビーク解放戦線を支援し、解放区を提供した。1978年に隣国ウガンダのイディ・アミンがタンザニアに侵攻するとこれを撃退し、タンザニア軍はカンパラを攻略してアミン失脚の一因となった。
[編集] 政治
タンザニアは共和制、大統領制を国家体制とする立憲国家である。現行憲法は1977年4月25日に制定(1984年10月に大幅改正)されたもの。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相および閣僚は大統領により任命されるが、閣僚は国民議会議員でなければならない。
立法府は一院制で、正式名称は国民議会。定数は274議席で、うち232議席は国民の直接選挙枠、37議席は大統領が任命する女性議員枠、5議席はザンジバル議会の議員枠である。議員の任期は5年である。
1992年以来、タンザニアでは複数政党制が認められているが、タンザニア革命党(CCM)による政権が独立以来続いている。その他の政党の勢力は脆弱だが、市民統一戦線(CUF)と民主進歩党(CHADEMA)が比較的有力である。
連合共和国政府とは別に、ザンジバルには独自の自治政府であるザンジバル革命政府および議会が存在し、ザンジバルの内政を担っている。統治権が及ぶのはザンジバル島の3州、およびペンバ島の2州である。ザンジバル大統領はザンジバル住民の直接選挙で選出され、任期は5年である。ザンジバル議会は一院制で定数81議席。議員の任期は5年で、81議席中50議席はザンジバル住民の直接選挙により選出される。現在のザンジバル大統領はアマニ・アベイド・カルメ(CCM所属)。強力な自治政府であり、大陸からザンジバル島に渡る場合でも、入国管理手続きが存在する。タンガニーカの独自政府は存在しない。
[編集] 地方行政区分
詳細はタンザニアの地方行政区分を参照
タンザニア連合共和国は、タンガニーカの21州、ザンジバルの5州(Unguja, Pemba)から成る。
- タンガニーカ:
- 首相府、地方自治国務相(Minister of State, Regional Administration and Local Government)の下、政令行政区上位から州(Region)、県(District)、郡(Division)、区(Ward)、村(Village/Street)と定められている。その他、県と郡の間に選挙区(Constituency)、村の下に隣組(Sub-Vilage)が存在する。また、行政系統がRegional AdministrationとLocal Governmentに分かれており、連合共和国政府レベルの行政系統としてRegional Administration(州、県、郡)、地方政府の行政系統としてLocal Government(県、区、村)となっている。
- ザンジバル:
[編集] 地理
タンザニアの面積945,087km²は世界31位の広さでエジプトに続き、ナイジェリアとほぼ等しい。北東部にアフリカ最高峰のキリマンジャロ山があり、北部にアフリカ第一のビクトリア湖、西部にアフリカで最も深いタンガニーカ湖がある。中部には高原が広がる。東部海岸は蒸し暑い気候で、ザンジバル島(ウングジャ島)がすぐ沖合にある。生態学上貴重な野生公園が数多くある。北の有名なンゴロンゴロ保全地域とセレンゲティ国立公園、そして南にセルース猟獣保護区とミクミ国立公園、西のゴンベ国立公園はジェーン・グッドオール博士がチンパンジーを研究した所である。タンザニア政府観光省が南西部ルクワ地域にあるカランボ滝を観光拠点にしようと努めている。この滝はタンガニーカ湖南端にあり、アフリカ第二の規模である。
[編集] 主要都市
[編集] 経済
[編集] 農業
コーヒー豆を多く輸出している(タンザニア産のキリマンジャロコーヒーは上質のコーヒーとして世界中で愛好されている)。ビクトリア湖周辺では、漁業と綿花栽培を中心とした農業が盛んに行われている。ビクトリア湖で捕獲されるナイルパーチ(スズキに食感が似た淡水魚)は加工され、世界各地に輸出されている。
[編集] 鉱業
[編集] 国民
[編集] 民族
住民は、バントゥー系が大部分であり、主な民族はスクマ人、ハヤ人、ニャキュサ人、ニャムウェジ人、チャガ人などである。
[編集] 言語
スワヒリ語は国語の扱いを受けており、1967年のウジャマー社会主義政策の採用以来、スワヒリ語の近代言語化や教育による普及が進められた。タンザニア憲法はスワヒリ語で書かれており、テレビやラジオ、ポピュラー音楽でも用いられ、タンザニアにおいてスワヒリ語は国民統合のための言語としての地位を与えられている[2]。
[編集] 宗教
宗教は、大陸側ではキリスト教が30%、イスラム教が35%、伝統的宗教が35%である。ザンジバルではほぼ100%がイスラム教である。
[編集] 教育
2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は69.4%(男性:77.5%、女性:62.2%)である[3]。
初等教育7年、前期中等教育4年、後期中等教育2年の7・4・2制。義務教育は初等教育のみである。初等教育は2001年より無償化し、これにより就学率が大幅に向上した。現在、初等教育の就学率は97.3%である。前期中等教育は20.7%、後期中等教育は0.9%。教育言語は、初等教育は公用語であるスワヒリ語であるが、中等教育以降は英語が教育言語である。
主な高等教育機関としては、ダルエスサラーム大学の名が挙げられる。
[編集] 文化
[編集] 音楽
ポピュラー音楽においては、1980年代からレゲエやヒップ・ホップの影響を受けたボンゴフレーバーが発達した。
[編集] 美術
タンザニアで発展を遂げたポップ・アートとしてエドワード・サイディ・ティンガティンガが1960年代に大成したティンガティンガ絵画の存在が挙げられる。
[編集] 世界遺産
タンザニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が4件存在する。詳細は、タンザニアの世界遺産を参照。
[編集] 文化遺産
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キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群(文化遺産) |
ザンジバル島のストーン・タウン(文化遺産) |
コンドアの岩絵遺跡群(文化遺産) |
[編集] 国立公園・国立保護区
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ンゴロンゴロ保全地域(自然遺産) |
セレンゲティ国立公園(自然遺産) |
セルース猟獣保護区(自然遺産) |
キリマンジャロ国立公園(自然遺産) |
[編集] 祝祭日
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1/1 | 元日 | Mwaka Mpya | |
| 1/12 | ザンジバル革命記念日 | Mapinduzi ya Zanzibar | 1964年、ザンジバルで革命 |
| 4/26 | 統合記念日 | Muungano wa Tanganyika na Zanzibar | 1964年、タンガニーカとザンジバルが統合 |
| 5/1 | 労働者の日 | Sikukuu ya Wafanyakazi | |
| 7/7 | 産業の日 | Saba Saba | |
| 8/8 | 農業の日 | Nane Nane (Siku ya Wakulima) | |
| 10/14 | ニエレレの日 | Kumbukumbu ya Mwalimu Nyerere | タンザニア初代大統領/1999.10.14没 |
| 12/9 | 独立記念日 | Uhuru na Jamhuri | 1961年、タンガニーカ独立 |
| 12/25 | クリスマス | Kuzaliwa Kristo | |
| 12/26 | ボクシングデー | Siku ya Kupeana Zawadi |
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 岡倉登志:編『ハンドブック現代アフリカ』明石書店、2002/12
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 政府
- タンザニア連合共和国政府 (英語)
- タンザニア大使館 (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - タンザニア (日本語)
- 観光
- タンザニア - ウィキトラベル
- タンザニア政府観光局 (英語)
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