中央アフリカ共和国
- 中央アフリカ共和国
- République centrafricaine(フランス語)
Ködörösêse tî Bêafrîka(サンゴ語) -


(国旗) (国章) - 国の標語:Unité, Dignité, Travail
(フランス語:統一、尊厳、労働) - 国歌:再生

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公用語 フランス語
国語はサンゴ語首都 バンギ 最大の都市 バンギ 独立
- 日付フランスより
1960年8月13日通貨 CFAフラン(XAF) 時間帯 UTC +1(DST:なし) ISO 3166-1 CF / CAF ccTLD .cf 国際電話番号 236
中央アフリカ共和国(ちゅうおうアフリカきょうわこく、フランス語: République centrafricaine、サンゴ語: Ködörösêse tî Bêafrîka)、通称中央アフリカは、アフリカ中央部にある国家。北東にスーダン、東に南スーダン、南にコンゴ民主共和国、南西にコンゴ共和国、西にカメルーン、北にチャドと国境を接する内陸国である。首都はバンギ。
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国名 [編集]
正式名称はフランス語でRépublique centrafricaine(レピュブリック・サントラフリケーヌ)。通称Centrafrique(サントラフリック)。
日本語の表記は中央アフリカ共和国。通称中央アフリカ。植民地時代の名称はウバンギ・シャリ (Oubangui-Cha-ri)。
歴史 [編集]
詳細は「中央アフリカの歴史」を参照
フランスの植民地化が始まるまでは、各部族が首長を中心に居住していた。それらの部族がまとまって国家を形成するというようなことはなかった。
1885年、ベルリン会議でベルギー王の私領地がコンゴ自由国となった。1887年フランスはウバンギ川右岸に、ベルギーとの協定でコンゴ植民地を建設。1889年にフランスが前哨基地(現バンギ)を建設。1894年、ウバンギ・シャリ(1894年 - 1910年)がフランス領となった。1910年よりフランス領赤道アフリカ(1910年 - 1958年)と改称しウバンギ・シャリは軍政下のチャドをその一部としたが、1916年にチャドを分離した。
独立・ダッコ政権 [編集]
1958年のフランス第五共和国憲法国民投票に賛成、フランス共同体内の自治共和国となり、国名を中央アフリカ共和国と改称、1960年8月、フランスより独立 、ダヴィド・ダッコ (David Dacko) が初代大統領に就任する。
クーデター・ボカサ政権 [編集]
1965年12月にダッコの従兄弟で当時国軍の参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサ中佐による軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆。1966年1月、ボカサ中佐が大統領に就任、独裁政治をはじめる。1970年10月、ジャン=ベデル・ボカサ大学開校。1972年、ボカサ大統領が終身大統領を宣言する。1976年12月、ボカサ大統領により中央アフリカ共和国に帝政を敷くことが決定される(中央アフリカ帝国)。1977年12月4日、ボカサ大統領は約65億円(2000万ドル)[2]という国家予算の1/4に相当する国費をつぎ込むなど、贅を尽くしたフランス風の戴冠式を行い、中央アフリカ帝国初代皇帝ボカサ一世を称する。(「黒いナポレオン」)。
クーデター・ダッコ政権 [編集]
1979年9月 ボカサ皇帝の外遊中にフランスがクーデターを仕掛けボカサ政権を転覆。フランスが介入し共和制復活。新憲法の制定、複数政党制の導入など行われた。ダッコ元大統領が再就任。
クーデター・コリンバ政権 [編集]
1981年9月1日、国軍参謀総長コリンバによるクーデター発生。ダッコはカメルーンに亡命。
パタセ政権 [編集]
1993年の選挙でコリンバは落選し、パタセが大統領に就任。
クーデター・ボジゼ政権 [編集]
詳細は「:en:Central African Republic Bush War」を参照
2003年、チャドのイドリス・デビ大統領の支援を受けたフランソワ・ボジゼが、パタセ大統領が国外にいる間に権力の掌握に成功して大統領に就任。
en:Central African Republic Bush War(2004年 - 2007年)。
クーデター・セレカ政権 [編集]
詳細は「:en:2012–present Central African Republic conflict」を参照
2012年12月、反政府武装勢力CPSK-CPJP-UFDRが連合したセレカは、北部および東部の広域を掌握している[3]。
2013年3月、反政府勢力セレカは1月の和平履行をしなかった。 ボジゼ大統領に対し21日から攻撃を再開。24日遂に首都バンギを制圧。ボジゼ大統領は隣国コンゴ民主共和国へと脱出した。旧宗主国であるフランスは、バンギ空港を確保している。
反政府勢力セレカの主導者ミシェル・ジョトディアは、自らが暫定大統領に就任(軍事独裁、軍事政権)。3年後の選挙までチャンガイ首相が政権を担う。 だが、アフリカ連合はセレカによる首都制圧を非難、加盟国に対し「結束した断固たる行動」を求めた。 今後、軍事介入が行われる可能性もある。
政治 [編集]
詳細は「中央アフリカ共和国の政治」、「:en:Central African Republic Council of Ministers」、および「中央アフリカ共和国の政党」を参照
中央アフリカは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は2004年12月5日に制定され、同月27日より施行されたもの。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相は総選挙の結果に基づき、国民議会が選出する。内閣に相当するものとして閣僚評議会が設置されている。
議会は一院制で、正式名称は国民議会。定数109議席。国民議会議員は直接選挙で選出され、任期は5年である。
主要政党としては、現大統領フランソワ・ボジゼ政権の事実上の与党である国民集合クワ・ナ・クワ(KNK, ボジゼ自身は党員ではなく無所属)、アンジュ・フェリクス・パタセ前大統領の所属する中央アフリカ人民解放運動 (MLPC)、アンドレ・コリンバ元大統領が率いる中央アフリカ民主連合 (RDC) の3党が挙げられる。他には社会民主党 (PSD)、進歩愛国戦線 (FPP)、民主進歩同盟 (ADP)、新進歩同盟 (NDP) といった小政党がある。
反政府武装勢力として「民主復興人民軍」(APRD) があり、主に北部を拠点に活動している。
最高司法機関は最高裁判所 (Cour suprême) である。憲法裁判所も存在。
地方行政区分 [編集]
詳細は「中央アフリカの行政区画」を参照
中央アフリカは、14の行政州と2つの経済州(日本語ではどちらも単に州と呼んでいる)、そして州に属さない首都バンギがある。また州はさらに71の地区(支庁)に分けられる。
中央アフリカの14の行政州は以下の通り。
- バミンギ・バンゴラン州 (Bamingui-Bangoran)
- バス・コト州 (Basse-Kotto)
- オート・コト州 (Haute-Kotto)
- オー・ムボム州 (Haut-Mbomou)
- ケモ州 (Kémo)
- ロバイエ州 (Lobaye)
- マンベレ・カデイ州 (Mambéré-Kadéï)
- ムボム州 (Mbomou)
- ナナ・メンベレ州 (Nana-Mambéré)
- オンベラ・ムポコ州 (Ombella-M'Poko)
- ワカ州 (Ouaka)
- ウハム州 (Ouham)
- ウハム・ペンデ州 (Ouham-Pendé)
- バカガ州 (Vakaga)
また、2つの経済州は、ナナ・グリビジ州 (Nana-Grébizi) とサンガ・ムバエレ州 (Sangha-Mbaéré) である。
地理 [編集]
国土面積約623千平方kmは米国テキサス州よりやや小さい。大部分が海抜500mの平坦地で北部にはボンゴ山地が聳え立つ。中部から北部にはサバンナが広がり、南部に全土の8%程度の熱帯雨林がある。北部と南部には川(ウバンギ川、シャリ川)が流れており、植民地時代の名称の由来となっている赤道に近いため熱帯気候を示す。北部は熱く乾いたハルマッタン風が吹き砂漠化を進める。
氾濫原やサバンナを含むマノヴォ=グンダ・サン・フローリス国立公園はユネスコの世界遺産に登録されている。
経済 [編集]
農業など第一次産業が主。資源はダイヤモンドやウラン、金などを産出し、綿花やコーヒーと共に主要輸出品となっている。最大輸出先は日本、輸入先は韓国である。しかし、資源が多いにもかかわらず人口の9割は一日2ドル以下で生活している状況である。内陸国であるため、輸送のコスト高という経済的不利に加え、度重なる政情不安の影響で、同国経済は大きな打撃を蒙り、経済の低迷が続いている。
国民 [編集]
詳細は「中央アフリカの国民」、「:en:Demographics of the Central African Republic」、および「:en:Languages of the Central African Republic」を参照
住民は、アダマワ・ウバンギ系言語を話す民族が中心である。主な民族は、バヤ族 (33%)、バンダ族 (27%)、en:Mandja people (13%)、サラ族 (10%)、Mboum (7%)、バカ族 (M'Baka, 4%)[4]、en:Yakoma people (4%)、フラニ族 (3%) などである。
言語は、公用語がフランス語である。日常生活では、サンゴ語というアダマワ・ウバンギ系の言語が事実上の共通語となっている。
宗教 [編集]
詳細は「中央アフリカの宗教」および「:en:Religion in the Central African Republic」を参照
宗教は、伝統的宗教が24%、プロテスタントが25%、ローマ・カトリックが25%、イスラム教が15%、その他が11%である。
文化 [編集]
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 3月29日 | 独立の父バルテレミー・ボガンダの命日 | Décès du Fondateur Barthélemy Boganda | |
| 8月13日 | 独立記念日 | Fête de l'Indépendance | |
| 12月1日 | 国の祝日 | Fête nationale, jour de défilé sur l'Avenue des Martyrs |
世界遺産 [編集]
中央アフリカ国内にはユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が1件存在する。
マノヴォ=グンダ・サン・フローリス国立公園 -(1988年、自然遺産)
脚注 [編集]
- ^ a b c CIA World Factbook 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 p.376
- ^ “反政府勢力に不安募らせる市民、仏大使館前で暴徒化 中央アフリカ共和国”. (2012年12月27日) 2012年12月31日閲覧。
- ^ バカ・ピグミー
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 日本政府
- 日本外務省 - 中央アフリカ共和国(日本語)
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