ジンバブエ

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ジンバブエ共和国
Republic of Zimbabwe
ジンバブエの国旗 ジンバブエの国章
国旗 (国章)
国の標語 : Unity, Freedom, Work
(英語: 統一、自由、労働)
国歌 : ジンバブエの大地に祝福を
ジンバブエの位置
公用語 英語ショナ語ンデベレ語
首都 ハラレ
最大の都市 ハラレ
政府
大統領 ロバート・ムガベ
首相 モーガン・ツァンギライ
面積
総計 390,580km²59位
水面積率 1.0%
人口
総計(2008年 12,523,000人(66位
人口密度 32人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2007年 81兆3,311億[1]ジンバブエ・ドル (Z$) ※1
GDPMER
合計(2007年 119億[1]ドル(94位
GDPPPP
合計(2007年 22億[1]ドル(94位
1人当り 188[1]ドル
独立
 - 宣言
 - 承認
イギリスよりローデシア紛争を経て
(ローデシアとして) 1965年11月11日
(ジンバブエとして) 1980年4月18日
通貨 ジンバブエ・ドル (Z$) ※1(ZWD
時間帯 UTC +2(DST: なし)
ccTLD ZW
国際電話番号 263
※1 猛烈なインフレのためジンバブエドルは役に立たず、南ア・ランド米ドルなど外貨が広く使われている[2]

ジンバブエ共和国(ジンバブエきょうわこく)、通称ジンバブエは、アフリカ南部の共和制国家。首都はハラレアフリカ大陸の内陸部に位置し、モザンビークザンビアボツワナ南アフリカ共和国に隣接する[3]イギリス連邦の元加盟国。

現在はロバート・ムガベ大統領の独裁政権下にある。劣悪な経済事情に加えて、秘密警察による監視や反体制派への暴力など言論の統制を受けることから「世界最悪の独裁国家」などと評される。

目次

[編集] 国名

正式名称は英語で Republic of Zimbabwe。通称 Zimbabwe。日本語の表記はジンバブエ共和国もしくはジンバブウェ共和国。通称ジンバブエ

国名はショナ語で「石の館(家)」を意味し、ジンバブエ国内にあるグレート・ジンバブエ遺跡に由来する。かつては南ローデシアと呼ばれていた。

[編集] 歴史

[編集] 古代

12世紀頃、リンポポ川中流域にマプングヴエ王国が成立し、次いで13世紀14世紀中には、グレート・ジンバブエと呼ばれている王国が栄えた。グレートジンバブエの遺構からは、中国製陶器が見つかっており、かなり大規模な交易を行っていたようである。15世紀頃、グレートジンバブエは放棄され、代わってザンベジ川中流域にモノモタパ王国、現ブラワヨ周辺のカミ遺跡を首都としてトルワ王国が興り、覇権を握った。

[編集] 植民地時代

16世紀17世紀にかけて、ポルトガル人の侵入に苦しむが、撃退。地方首長国の分立状態となる。19世紀後半にイギリス南アフリカ会社に統治された後、第一次世界大戦後にイギリス植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなった[4]。国土のほとんどは白人農場主の私有地となり、住民達は先祖の墓参りの自由すらなかった。

[編集] 独立

1960年代から黒人による独立運動が行われていたが、民族自立までの道のりは険しく、1965年には、世界中から非難を浴びる中、植民地政府首相イアン・スミスによって白人中心のローデシア共和国が独立を宣言し、人種差別政策を推し進めた。これに対して黒人側も、スミス政権打倒と黒人国家の樹立を目指してゲリラ戦を展開するが、イギリスの調停により、100議席中、20議席を白人の固定枠とする事で合意、ローデシア紛争は終結した。1980年の総選挙の結果、ジンバブエ共和国が成立し、カナーン・バナナが初代大統領に、そしてロバート・ムガベが初代首相に就任した。1987年からは大統領が儀礼的存在である議院内閣制を廃し大統領制に移行し、首相職も廃止。ムガベが大統領に就任した。2009年3月現在も引き続きムガベが権力を握りつづけている。

[編集] コンゴ民主共和国への派兵

1999年コンゴ民主共和国(以後、コンゴと表記)のカビラ大統領と親交していたムガベ大統領は内戦が起きたコンゴに約1万人の軍を派兵した。カビラ大統領を支えるためだが、真の目的はコンゴにあるムガベ一族が所有するダイヤモンド鉱山を守る事や、それらのダイアモンドやなど、コンゴの地下資源を狙う理由もあった。コンゴに軍隊を送り、これに反対する運動がコンゴの都市部を中心に活発に起き、派兵直後にカビラ大統領は暗殺されるなどコンゴ派兵は混乱を招いた。ムガベ大統領はコンゴ内戦への派兵に専念していったため、ジンバブエの経済や医療、教育などが悪化していった。

そのためムガベ大統領への批判が相次ぎ、イギリスのマスコミなどは、ムガベ大統領は批判を避ける目的で白人農場を強制収用する政策にすり替えていったとしている。

[編集] 白人大農場の強制収用

ムガベははじめは黒人と白人の融和政策を進め[5] 、国際的にも歓迎されてきたが、2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラック」が開始された[5]。この結果、白人の持っていた農業技術が失われ、食糧危機や第二次世界大戦後世界最悪とも言われるインフレーションが発生した。こうした経済混乱に、長期政権・一党支配に対する不満とあいまって治安の悪化も問題となっている。また、言論の統制などの強権的な政策は外国や人権団体などから批判を受けている。

2005年5月には「ムラムバツビナ作戦」によって地方の貧しい都市地域および周辺都市地域を標的に大規模な強制退去と住居破壊を行い[6]、さらには2007年3月11日、警察によって活動家ギフト・タンダレが暗殺されている[7]。女性差別は依然存在するばかりか激しさを増しており、女性活動家の行動はおろか生活すらも統制され、トウモロコシを穀物流通公社に売ることさえもできなくなっている[8]

ローデシア共和国初代首相であったイアン・スミスは、政界復帰を狙っていると伝えられていたが、2007年11月20日に南アフリカ共和国ケープタウンの自宅で心不全により88歳で死去した。

グレートジンバブエ遺跡の「大囲壁」の外観。Randall-MacIver,D.1906より

2008年3月29日より大統領選挙が始まり、現職の与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線のムガベ大統領他、与党から造反したシンバ・マコニ元財務相と最大野党の民主変革運動モーガン・ツァンギライ議長が立候補していたが、ムガベ政権からの弾圧によりツァンギライ議長は出馬の取り止めを余儀なくされた。これにより、ムガベ大統領は欧米からの決選投票延期要請を無視し、投票を強行、勝利したと宣言した。7月11日国際連合安全保障理事会にジンバブエ政府非難と、ムガベ大統領ら政権幹部の資産凍結・渡航禁止などの制裁決議案が提出された。しかし、中国ロシアが内政問題であるとして拒否権を発動し、否決された。賛成9(アメリカフランスイギリスイタリアベルギーパナマクロアチアコスタリカブルキナファソ)、反対5(中、露、南アフリカリビアベトナム)、棄権1(インドネシア)だった。その後もライス米国務長官は、ムガベ政権の海外資産を凍結するなどの制裁措置を英国やアフリカの同盟国と協議する事を明らかにしている[9]

コレラ流行が2008年8月にはじまり、患者総数91,164人、死者総数4,037人に達している。2009年2月初めのピーク時には一週間で新患者数8,008人を超えた。WHO(国連世界保健機関)によると2009年3月14日までの一週間に報告された新患者数は2,076人で先週の3,812人から減少した。致死率も1月の6%弱から2.3%に低下した。発生数は全体として低下したが、首都ハラレとその周辺では増加の傾向にある。

[編集] 政治

野党勢力への迫害が強く、野党の政治家、野党支持者への暴行・虐殺・拉致などが常態化しており、激しい対立が続いている。事実上、ムガベ大統領の独裁政治体制が続いている。2008年6月の大統領選挙においても国連から「公正な選挙がなされておらず、不正選挙にて大統領が選出された」という非難声明が出されている。国連の介入の議論がされたが、ロシアと中国が拒否権を行使し否決された。

2009年2月11日、連立政権が樹立し野党MDC(民主変革運動)議長のモーガン・ツァンギライが首相に就任したため独裁体制に区切りがついた形だが、現地の英国大使館が地元紙に「ムガベ大統領が退陣しない限り意味がない」という広告を出すなど、懐疑論も強く残っている。[10]

ジンバブエの政党一覧」も参照

[編集] 国外メディアの報道規制

国内では厳しい報道規制が敷かれ、政府はCNNBBCといった欧米メディアによる取材を禁止している。宗主国であったイギリスに対するジンバブエ国民の悪感情は根強い。またイギリス側のジンバブエ報道も、過度に扇情的であるとの指摘もされている。

[編集] 海外との関係

前述の植民地時代の影響で反英感情または反白人感情が強く、CNN、BBCの取材禁止や白人が所有していた農地を強引に国有化、白人所有大農場の強制収用を政策をするなどムガベ大統領の反白人感情が影響しており、ムガベは自分を非難したコンドリーザ・ライスを『白人の奴隷』と侮辱し、過去のアメリカ合衆国の黒人奴隷制度の批判もしていたため反米感情もある。

最近は非白人国家の中華人民共和国と友好関係を深めている。ムガベは白人社会の欧米や豪州に入国禁止にされているが、華人社会の香港シンガポールなどに訪問して別荘を購入するなど超豪華生活を堪能している。アメリカ合衆国、イギリス、フランスは本国に経済制裁を求めているが、他の常任理事国の中華人民共和国、ロシアは政治的に反米的であるため、ジンバブエへの経済制裁は内政問題という理由で拒否権を発動した。

[編集] 地方行政区分

詳細は「ジンバブエの行政区画」を参照

  • ハラレ
  • ブラワヨ
  • マニカランド州(東部)
  • マショナランド中央州(北部)
  • マショナランド東部州(北部)
  • マショナランド西部州(北部)
  • マスィンゴ州(南東部)
  • 北マタベレランド州(西部)
  • 南マタベレランド州(西部)
  • ミッドランズ州

[編集] 地理

ジンバブエの地図

アフリカ南部に位置し、モザンビーク南アフリカボツワナザンビアと国境を接する。ザンビア国境にはヴィクトリア滝が位置する。内陸国であり海岸線をもたない。座標は東経30度・南緯20度のあたり。

面積は390,580 km²、うち陸地面積が 386,670 km²、内水面面積が 3,910 km²を占める。 気候は熱帯性であるが、高度のためやや温暖である。雨季11月から3月にかけて続く。 地形は中央高地をもつ高原が大部分を占める。国の東部は山岳地帯である。 国内最低地点はルンデ川サヴェ川の合流地点で標高162 m、最高地点はインヤンガリで標高2,592 m。

石炭クロム鉱石、アスベストニッケル鉱石、バナジウムリチウムプラチナ族金属を産する。

[編集] 経済

通貨はジンバブエ・ドルZWD)。アメリカの評論誌Foreign Policyによれば、2007年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つ[11]。世界で最もインフレが激しく、2008年5月に1億と2億5000万の額面のジンバブエ・ドル札が発行された後も、50億、250億、500億ドル札の発行と続き、7月には1000億ドル札の発行が行われた(これは発行時の時点で世界最高額面の紙幣)。そのため、コンピュータの処理にトラブルが発生していることから、中央銀行はデノミネーションを実施し、大幅な通貨単位の引き下げを実施することを決定した。1000億ドルが10ドルとなり、それに対応した新紙幣が発行された。しかし、さらにインフレが続いたため、12月末には100億ドル新紙幣を、2009年1月には再び200億ドル紙幣と500億ドル紙幣の発行を行った。この時点でジンバブエ・ドルの価値は、250億(25000000000)ジンバブエ・ドル=1米ドルとなった。年間インフレ率は約2億3000万%に達している。(2009年1月現在)

詳細は「ジンバブエ・ドル」を参照

かつては農業鉱業工業のバランスの取れた経済であった。特に、白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われていた。外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国で、かつてはヨーロッパから「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたほどであった[5]

しかし、これを支えていたのは、低賃金で過酷な労働使役についていた黒人達である。その恩恵を本来の国民である彼等が受けることはなく、いくら対外的に経済のバランスが取れていようと、彼らは全く無縁にただ貧困に喘ぎ続ける状況だった。国土の90%以上を所有していた白人農場主には、欧米の本国に住みながらの不在地主も多かった。

しかし白人農家に対する強制土地収用政策の開始後、ノウハウを持つ白人農家の消滅、大規模商業農業システムの崩壊[5]により、農作物の収量は激減。基幹産業の農業の崩壊によって生じた外貨不足は、さらに部品を輸入で調達していた工業にも打撃を与え、経済は極度に悪化した[5]。経済成長率は-12.1%(2002年)を記録し、経済システムは崩壊した。

ちなみに、農場主と地元民との交渉による自主的な返還も多く、すべての土地が強制的に収容されたわけではない。

さらに旱魃により食糧不足が深刻化し、飢饉となっている。10人に7人が飢餓に苦しんでいると言われており、国民は飢餓の余りにトウモロコシの粒や昆虫を食べて飢えをしのいでいるそうだ。加えて欧米各国による経済制裁が影響し、2003年末には600%のインフレが発生。2006年4月には1,000%以上に達した[12]。2008年7月16日ジンバブエの中央銀行総裁は年間インフレ率が220万%に達したという発表をしている。

しかし、実態のインフレ率はさらに高いと推測され、例えば1日に3回食料価格が値上がりしている。すでに国民は通貨の額面ではなく、重量で取引をするありさまだという。同年に発行された500億ジンバブエ・ドルは闇レートですら200円程度の価値しかなかったという。これは事実上ジンバブエ共和国の経済が崩壊していることを意味している。いずれにせよ第二次世界大戦後(厳密にはハンガリーで第二次世界大戦を契機として発生したインフレが、1946年にこれをはるかに上回るインフレ率を記録して以降)、ワーストのインフレ率を更新して行った。

最近は、中華人民共和国との経済関係を強化しているが、2007年8月23日ジンバブエ政府が国内の外資系企業に対して株式の過半数を「ジンバブエの黒人」に譲渡するよう義務付ける法案を国会に提出、9月26日に通過した。これにより経済の崩壊が決定的になると見られる[13]

2009年1月29日、ジンバブエ政府は完全に信用を失ったジンバブエ・ドルに代えてアメリカ合衆国ドルと南アフリカランドの国内流通を公式に認め、公務員の給与も米ドルで支払うようになり、米ドルの影響下に入った。これにより同国のインフレは劇的な終息を見せ、ジンバブエ政府によれば同年3月の物価は同1月比0.8%減となった [14]。しかしこれは、インフレが終息したというよりも、ジンバブエ・ドルを使用する人がなく、完全に価値を失ったと見るべきである。経済は既に破綻しており、失業率が国連の推測で94%に達するなど [15]、再建のめどは立っていない。

[編集] 国民

[編集] 民族構成

ショナ人が71%、ンデベレ人が16%、その他のアフリカ系が11%、残りはヨーロッパ人やアジア人などである。

[編集] 言語

英語が公用語で、ショナ語北ンデベレ語などが主に使われる。

[編集] 宗教

キリスト教と部族宗教の混合が50%、キリスト教が25%、部族宗教が24%、イスラム教などが1%となっている。

[編集] 平均寿命

国民の約3割がHIVに感染しているといわれており、世界保健機関(WHO)の2006年版の「世界保健報告」によると、平均寿命は36歳と世界で最も短い(1990年の時点では62歳であった)。

[編集] 著名人

[編集] 文化

[編集] 食文化

ソルガムというトウモロコシの粉を煮詰めた「サザ」、ホウレンソウピーナッツバターを混ぜた「ラリッシュ」という料理が存在する。この二つは基本的にセットで食されることが多い。

[編集] 文学

アフリカ文学」も参照

1960年代の独立戦争の頃からチムレンガ文学と呼ばれる文学潮流が生まれた。『骨たち』(1988)で知られるチェンジェライ・ホーヴェがジンバブエの特に著名な作家の名として挙げられる。

[編集] 世界遺産

ジンバブエ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が1件存在し、ザンビアにまたがって1件の自然遺産が登録されている。詳細は、ジンバブエの世界遺産を参照。

[編集] 祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日-2日 元日
4月18日 独立記念日
3月 - 4月 聖金曜日 移動祝日
3月 - 4月 復活祭月曜日 移動祝日
5月1日 メーデー
5月25日 アフリカの日
8月11日 英雄の日
8月12日 国軍記念日
12月22日 国民統合の日
12月25日 クリスマス
12月26日 ボクシングデー
  • 祝日が日曜日の場合は翌日が振替休日となる。

[編集] 脚注

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^インフレ率2億%、頼りは外貨 ジンバブエ、使用解禁」。2009年1月31日、朝日新聞。2009年2月8日閲覧。
  3. ^ 地図を一見するとナミビアとも接しているように見えるが、両国間はザンビアボツワナを挟んで、僅かに離れている
  4. ^ ローデシアは「ローズの家」の意。イギリス南アフリカ会社設立者にしてケープ植民地首相のセシル・ローズの名からとられている
  5. ^ a b c d e 外務省:ジンバブエ共和国
  6. ^コミュニティ破壊の衛星画像」。アムネスティ・インターナショナル
  7. ^アフリカの指導者はジンバブエの暴力に抗議を」。アムネスティ・インターナショナル
  8. ^政府の政策と最前戦で闘う女性たちへの弾圧が激化」。アムネスティ・インターナショナル
  9. ^ 「<米国務長官>ジンバブエ制裁 多国間で協議へ」。2008年12月22日毎日新聞
  10. ^ ジンバブエ、野党議長が首相に就任
  11. ^ Foreign Policy:"The List: The World’s Worst Currencies" GIGAZINE 2007年06月19日 「世界で最も価値の低い通貨トップ5
  12. ^Inflation Rates (2001=100) 」。the Reserve Bank of Zimbabwe。
  13. ^ジンバブエ:外資系の株式過半数を黒人へ 法案提出」。2007年8月24日毎日新聞
  14. ^ “Has Zimbabwe's Runaway Inflation Been Tamed?”. TIME. (March 26, 2009). http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1887809,00.html?xid=rss-world-cnn March 29, 2009 閲覧。 
  15. ^ “IMF、ジンバブエへの融資拒否 健全な政策など条件と”. Yahoo!. (March 26, 2009). http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090326-00000014-cnn-int March 29, 2009 閲覧。 

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ
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[編集] 参考文献

  • 小林信次郎「アフリカ文学 黒人作家を中心として」『ハンドブック現代アフリカ』岡倉登志:編 明石書店 2002/12

[編集] 外部リンク

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