プントランド

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プントランド・ソマリア国
Gobolka Puntlaand ee Somaaliya
プントランドの国旗 Coat of Arms of Puntland.png
国旗 (国章)
国の標語:なし
国歌プントランドの国歌
プントランドの位置
公用語 ソマリ語,アラビア語
首都 ガローウェ
最大の都市 ボサソ
政府
大統領 アブドゥルラフマン・モハムード・ファロレ
副大統領 不明
面積
総計 212,510km2???位
水面積率 不明
人口
総計(2009年 3,900,000人(???位
人口密度 18.3人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxx(通貨不明)
GDP(MER
合計(xxxx年 xxx,xxxドル(???位
GDP(PPP
合計(xxxx年 xxx,xxxドル(???位
1人あたり xxxドル
独立
 - 宣言
 - 承認
ソマリアより
1998年7月
通貨 不明(SOS
時間帯 UTC +3(DST:なし)
ISO 3166-1 不明
ccTLD SO
国際電話番号 252

プントランド: Puntlandソマリ語: Puntlaandアラビア語: أرض البنط‎)は、1998年7月ソマリア北東部の氏族が自治宣言をし、ガローウェ首都として樹立した自治政府、およびその自治政府が治める地域の呼称。ソマリ族の3分の1がこの地に住む。同国を分断状態に陥れた例としては2例目であるが、1例目のソマリランドと違い、ソマリアとの連邦制による再統合には賛意を表明している[1]。またそのソマリランドとは国境を接し、領土紛争を抱えている。

現職の大統領アブドゥルラフマン・モハムード・ファロレ(第3代)。初代大統領アブドゥラヒ・ユスフ2004年10月14日よりソマリア暫定連邦政府大統領となっており(2008年12月29日まで)、同月中にプントランド大統領を辞任している。この暫定政権には南西ソマリアの指導者も入閣し、プントランドも協力的であることから、有効な中央政府発足に向けての足がかりとなるか注目されている。しかし、南部のイスラム武装勢力に押され気味であり、内情も一枚岩とはいえないことから、2011年現在のところはソマリア統一の可能性は見えていない。

歴史[編集]

プントランド成立まで[編集]

古代エジプトの遺跡には、古代エジプトが紅海沿岸の国と交易をしていたらしい記録が残されている。その記録よると、交易の相手国はプント国と呼ばれており、今日のプントランドの名称はこのプント国にちなんでいる。ただし古代プント国が今日のプントランド内にあったかどうかは分かっていない[2][3][4]

ユスフ初代大統領(2008年)

ソマリアは1991年から内戦状態にあり、氏族を主な構成単位とする軍閥同士の争いが続いた。ソマリア北東部の氏族はハルティと呼ばれており、ソマリアの5大氏族の一つ、ダロッドの支族であった。1998年7月、ハルティの支配地域が独立宣言し、プントランド共和国(Republic of Puntland)と名乗った。初代大統領にはハルティの支族であるマジャーティーン (Majeerteen出身のアブドゥラヒ・ユスフが就いた。プントランド大統領の任期は3年とされた。

2001年7月にユスフの任期は切れるが、その再選に関してソマリア中央の争いが影響を与えた。当時、ソマリア中央では2000年4月に成立したソマリア暫定国民政府 (TNG2001年3月に成立したソマリア和解復興委員会  (SRRCが対立していた。対立の理由は複雑だが、簡単に言えばTNGはアラブ色が強すぎる、として反発してできたのがSRRCである。また、バーレ政権崩壊後にソマリア暫定大統領に選ばれたアリ・マハディー (Ali Mahdi Muhammadの流れを汲むのがTNG、マハディーと覇権を争ったアイディード将軍の流れを汲むのがSRRCと見ることもできる[5]

州都ガローウェにあるプントランド大統領府

ユスフはSRRCへの参加を表明し、さらにプントランド大統領の退任を拒否した[6]。それに対抗してTNGはプントランドイスラム司法長官のユスフ・ハジ・ヌル (enを後押しした。ヌルは2001年7月にプントランド首都ガローウェからユスフを追放し、暫定大統領となったことを宣言した。ユスフは一族が住むプントランド南端の町ガルカイヨに拠点を移し、そこがプントランドの新首都だとして抵抗を続けた[5]。一方、ユスフを追放したヌルは正式な大統領となることをあきらめ、プントランドの長老会議は11月14日、新大統領にユスフと同じマジャーティーン出身のジャマ・アリ・ジャマ (Jama Ali Jamaを選出した[6][5]

ユスフはSRRCと隣国エチオピアの支援を受けて反撃した。2001年11月の末にはプントランドの州都ガローウェをほぼ取り戻し、2002年5月には制圧した。ジャマは北部の主要都市ボサソに拠点を移すがそこもまもなく制圧され、プントランドの支配権はほぼユスフに戻った[5][6]

ムセ大統領の時代[編集]

2004年10月、プントランド大統領のユスフはソマリア暫定連邦政府の初代大統領に選ばれたため、プントランド大統領は暫定的にモハメド・アブディ・ハシ(Muhammad Abdi Hashi)が継いだ[6]。プントランドは2004年12月にスマトラ島沖地震津波被害を受けた。2005年1月、選挙の結果、将軍のモハムード・ムセ・ヘルシ (Mohamud Muse Hersiが大統領に選ばれた[6]。また、プントランドは独立国ではなく、ソマリア暫定連邦政府を構成する自治州となった。2005年以降には、各地区の行政は、氏族を基本単位とした地区評議会が中心となって決めることになった[7]

2006年11月、ソマリア南部で作られたイスラム法廷会議が勢力範囲を徐々に北方に伸ばし、プントランド南境の都市ガルカイヨから数10キロ離れた位置にあるバンディラドリー (Bandiiradleyが占拠されたことが伝えられた。イスラム法廷会議のモハメド・モハマド・ジャマ(Mohamed Mohamud Jama)は次にガルカイヨに侵攻する旨を表明した。ガルカイヨは北半分をプントランドが、南半分をハウィエ氏族が支配している都市であった。このときまで、イスラム法廷会議はプントランド支配地域への侵攻表明を避けていた[8]。プントランド大統領のムセは問題が宗教化することを避けるため、プントランドはイスラム法に従って治めていくがその方法はイスラム法廷会議とは異なるものである、との声明を発表した[9]

マーヒルの首都バハン (Badhan

2007年7月、プントランド西部の一部で、ダロッド族ハルティの支族であるワルサンガリ (enマーヒルとして独立を宣言した。プントランドの行政をマジャーティーンが仕切っていることに反発したことによるものだった。2007年10月には、プントランド西隣のソマリランドが、プントランドが支配権を主張しているスール地方の都市ラスカノードを占領した[10]プントランド・ソマリランド紛争)。

2007年12月、ラスカノード進入に関してソマリランドとムセ大統領の間に密約があったとして、スール出身議員が質問を出し、プントランド議会は紛糾した[11]。同じ12月にムセ大統領は北ガルカイヨ地区評議会の解散を命じ、北ガルカイヨをプントランド政府が直接支配することを表明した。これを皮切りに、ムセ大統領はプントランド政府の権限を強めていった。ムセ大統領は翌年1月にはラスカノードを奪還することを宣言している[12]

2008年8月に、ワルサンガリ出身の将軍アブデゥリアヒ・フメド・ジャマ (enがマーヒルに戻り、プントランド大統領選への出馬を表明し[13]、プントランド内でのマーヒル地域の待遇を改善することを約束した。ジャマはマーヒル住民の歓迎を受けた[14]。マーヒルもソマリランドからも攻撃を受けていたので、2009年にプントランド復帰を決めた。

最近[編集]

プントランド大統領のファローレ

2009年1月、選挙の結果、マジャーティーン支族出身で63歳のアブディラマン・モハマド・ファローレ (Abdirahman Mohamud Faroleが大統領になった。ファローレはオーストラリアラ・トローブ大学で歴史学のPh.D.を取った人物で、外務担当長官としてムセ政府に入閣していたが、プントランドにおける石油採掘でムセ大統領と対立して2006年にプントランドを去っていた[15]。今回は、多くの政治団体からの要望で帰国し選挙に臨んだものだった。ファローレ大統領は就任直後に「100日の報告」政策を発表し、就任後100日間で地方を巡行し、地方自治と海賊対策に力を入れることを誓った[16]

経済[編集]

プントランドは1600キロメートルの海岸線を持ち、海産物が豊富である。しかし、1991年の内戦後、外国からの漁船がこれらの海産物を根こそぎ取っていくようになったため、地元漁師はプントランド政府に改善を求めている。

ラスコレー (enツナ工場

プントランドは海産物の輸出も行っており、ロブスター干物サメ皮ツナなどが取り扱われている。海塩も作られている。

そのほか家畜乳香アラビアガムの生産も行われている[17]

北部の海岸線沿いにあるラスコレー (Laasqorayでは、マグロをツナに加工する中規模の工場がある。これは輸出もされている。工場建設は地方振興と失業者対策の意味もあり、ハボ(Habo)にも作られている。

海賊[編集]

ソマリア沖の海賊の活動拠点はプントランド内にも多いといわれている[18]。ソマリア沖の海賊の収入は全部あわせると年3000万ドルであり、この金額はプントランドの税収より1000万ドルも多い[19]。これら海賊にはプントランド政府が関与しているとも言われている[19]

地理[編集]

概観[編集]

いわゆるアフリカの角の先端部分を構成する。ソマリアの約1/3の面積を有する。北はアデン湾、東はインド洋に面し、西はソマリランド、南西はエチオピアと接する。 西部のスール (Sool、サナーグ (Sanaag、カイン (Caynの領有権をソマリランドと抗争中である(プントランド・ソマリランド紛争)。プントランドは2003年にスール地区に軍事侵攻している。この地区にはノースランド国マーヒルといった国が作られており、はっきりとした行政府がない状態である。

気候[編集]

半乾燥地域で、年間降雨量は400mm以下である。1日の平均気温は年間を通じ27度Cから37度Cで西部の山地は温暖で、その他は砂漠と潅木地からなる。1月から3月が最も乾燥する時期、4月から6月は雨季、7月から9月が再び乾季で、10月から12月は小雨季となる。

アデン湾に臨み急速に発展するボサソ

主な都市[編集]

石油開発[編集]

水色の部分がプントランド、紫色の部分がソマリランドとの抗争地域。茶色の部分が石油があると言われている地域

プントランドには石油があると言われており、オーストラリアのレンジリソース社とプントランド政府が共同で探鉱してきた[20]。その後、カナダのアフリカ石油社も参入している[21][22]。 2012年1月レンジ社が北部のダーロー渓谷で試掘開始(現在、作業主体はカナダのホーン社)。3月にはレンジ社がヌガール渓谷延長部のインド洋鉱区を取得し、探鉱準備中である。

メディア[編集]

プントランドにはSBC TVとETN TVの2つのテレビ局がある。2004年にラジオ・ガローウェ (Radio Garoweが設立され、波長89.8 FMでソマリアの政治、社会などのニュースを報道している。同局はインターネット配信としてガローウェ・オンラインも運営している[23]

ラスコレーネット (LaasqorayNETはバハン (Badhanボサソドバイロンドンなどに拠点を置くウェブサイト報道である。ソマリ語がメインであるが、英語やアラビア語での配信もいくらか行っている。プントランド内でアラビア語でニュースを読めるのはラスコレーネットだけである[24]

そのほか、南部にはラジオ・ガルカイヨ (Radio Gaalkacyo(正式名ラジオ・フリー・ソマリア)がある。西部にはザルガガオンライン(XargagaOnline)があり、スール、サナーグ、カインの出来事を報道している[25]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Range Resources - Puntland
  2. ^ Dan Richardson, Egypt, (Rough Guides: 2003), p.404
  3. ^ Ian McMahan, Secrets of the Pharaohs, (HarperCollins: 1998), p.92
  4. ^ David B. O'Connor, Stephen Quirke, Quir O'Connor, Mysterious lands, (UCL Press: 2003), p.64
  5. ^ a b c d 桜井均他「NHKスペシャルセレクション アフリカ21世紀」、2002年5月、日本放送出版協会、ISBN 4-14-080693-1
  6. ^ a b c d e アフリカ日本協議会 FACT SHEET vol.1(PDF)
  7. ^ Somalia: Puntland President Rules By Decree, Not Democracy 、allafrica.com
  8. ^ “Islamists 'take key Somali town'”. BBC News (BBC). (2006年11月12日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6141594.stm 2006年11月13日閲覧。 
  9. ^ Puntland 'to fight Islamic courts', Al Jazeera, 21 November 2006
  10. ^ Al-Jazeera: Rival Somali regions in armed clash.
  11. ^ Somalia: Puntland leader admits to secret deal with Somaliland、ガローウェオンライン、2009年7月12日閲覧
  12. ^ [1]、SomaliNet、2008年1月15日付、2009年7月12日閲覧
  13. ^ [2]
  14. ^ [3]
  15. ^ http://www.theage.com.au/national/la-trobe-student-takes-on-pirates-20090109-7doq.html
  16. ^ http://www.garoweonline.com/artman2/publish/Features_34/Somalia_Puntland_govt_publishes_First_100_Days_in_Office_report.shtml
  17. ^ Puntland Chamber of Commerce Business Guide - Industries and Agriculture
  18. ^ Wallis, Daniel (2008年8月29日). “Somali pirates a growing threat to shipping” (HTML). Africa.Reuters.com (Reuters). http://africa.reuters.com/wire/news/usnWAL915205.html 2008年9月6日閲覧。 This article is archived on page 15 of nflash-sep08 on mima.gob.my
  19. ^ a b New pirate raids expose international efforts to secure trade routes”. 2008年12月11日閲覧。
  20. ^ Abdillahi Yusuf’s Transitional ‎Government And Puntland Oil Deals (sic)
  21. ^ Oil and Mineral Exploration in Puntland, Somalia
  22. ^ CompanyMine information on African Oil Corp
  23. ^ Garowe Online
  24. ^ [4]
  25. ^ XargagaOnline

外部リンク[編集]

ニュース[編集]

政策[編集]

座標: 北緯8度24分 東経48度30分 / 北緯8.400度 東経48.500度 / 8.400; 48.500