ガルムドゥグ

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ガルムドゥグ
Galmudug State
Galmudugの国旗 Coat of arms of Galmudug.svg
国旗 Coat of arms
国の標語:My Home State
国歌:Somalia Tosow
Galmudugの位置
公用語 ソマリ語及び英語
首都 南ガルカイヨ
最大の都市 南ガルカイヨ
政府
大統領 モハメド・アフメド・アリン英語版
首相等 不明
面積
総計 46,000km2???位
水面積率 不明
人口
総計(xxxx年 xxx,xxx人(???位
人口密度 xxx人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxxソマリア・シリング
GDP(MER
合計(xxxx年 xxx,xxxドル(???位
GDP(PPP
合計(xxxx年 xxx,xxxドル(???位
1人あたり xxxドル
自治
宣言 2006年8月14日[要出典]
承認 未承認
通貨 ソマリア・シリングSOS
時間帯 UTC +3 (東アフリカ時間)(DST採用なし
ISO 3166-1 不明
ccTLD .so
国際電話番号 252 (ソマリア)

ガルムドゥグ: Galmudug)はソマリア中部にあり、ソマリアからの独立を宣言した。州都は南ガルカイヨ。元々のソマリアが定めた地方区分とは境界が異なる。北はプントランド、西はエチオピアと接する。南と東はソマリア暫定連邦政府とイスラム武装勢力の戦闘地域であり、ガルムドゥグ自体も戦闘地域の中にある。国名は、ソマリアのガルグドゥード英語版地区とマダグ英語版地区を合わせたものである。完全独立を標榜する北部のソマリランドとは異なり、ガルムドゥグはプントランド同様、国として独立することは目指していない。あくまでも2004年に作られた暫定ソマリア連邦憲章英語版に基づき、ソマリア連邦の一自治州であるという位置づけである。

ガルムドゥグ州政府の権力は弱く、ガルムドゥグ州とされる地域のほとんどに影響力が無い。州都ガルカイヨの北半分はプントランドが支配している。人口1,800,000人(2009年)。

位置[編集]

ガルムドゥグ州はソマリアのほぼ中央に位置する。州都ガルカイヨは、ソマリアの首都モガディシュ、ソマリランドの首都ハルゲイサ、プントランド最大の都市ボサソ、エチオピアのハラルのそれぞれから約750キロメートルの位置にある。州の広さは10万平方キロメートルである。

歴代大統領[編集]

歴史[編集]

自治州として独立する前の歴史はen:Sultanate of Hobyo(ホビョ王国)参照。

ガルムドゥグ州の設立[編集]

ソマリア内戦が始まった1988年以降、この地区は首都モガディシュから来た軍閥が支配しており、この地の富をモガディシュへと送る構造になっていた。そのため、マダグとガルグドゥードの財政、治安、インフラ整備は後回しになりがちであった。さらには内戦が深刻になると、モガディシュの軍閥はこの地を兵士と物資の供給場所として大いに利用した。

2006年3月から6月にかけて、イスラム法廷会議(ICU)が首都モガディシュを含むシェベリ川中下流域を支配した。これによりこの地に対するモガディシュからの干渉が17年ぶりに弱まった。この地の有力氏族であるハウィエ大氏族に属するハバー・ギディル氏族 (Habar Gidirの一つサカド氏族 (Sacadが主導権を取って、この地区の自治方法を模索した。

2006年8月14日、サカド氏族(Reer Hilowle, Reer Jalaf, Reer Qurdhaale, Reer Nimcaale, Reer Ayaanle, Indha-yar)が中心となりガルムドゥグ自治州が設立された。初代大統領にはキイミコ(Kiimiko)の通称で知られるモハメド・ワルサメ・アリ (Mohamed Warsame Aliが選ばれた。ガルムドゥグ州の主な都市は南ガルカイヨ、ガリンサー (Galinsoor、バンディラドリー (Bandiiradleyである。

一方で首都モガディシュから海岸沿いに北上したICUは8月16日、ガルムドゥグ州領とされるホビョとハラデヤー (Harardhereから海賊を追い出し、11月初旬には支配下に置いた。

ガルムドゥグ州とその北のプントランドは当初関係がよくなかった。2006年秋、プントランドは、ICUとガルムドゥグの対立を懸念して、ガルムドゥグを含む南ソマリアへのフライトをほぼ全面的に禁止した。その動きをガルムドゥグは非難している[2]。また2006年11月10日、ガルムドゥグはプントランドに対し、国境線付近の軍を引き下げるように求めている[3]

イスラム法廷会議との戦い[編集]

ガルムドゥグとICUの戦闘関連図

ガルムドゥグとイスラム法廷会議(ICU)の戦いは2006年10月から11月にかけて激化した。ICUは11月から12月にかけて優勢となり、ガリンサー、ホビョ、ハラデヤー、バンディラドリー、およびアブドワク(Abudwaq)地区のマレハンタウン(Marehan)にあったサカド氏族系のアバディ・ケイブディード (Abdi Qeybdiid軍閥の根拠地に侵入した。

エチオピアプントランドは隣国でのイスラム勢力の台頭を好ましく思っておらず、共同で軍を出した。プントランド軍はガルカイヨの北半分を占領し、12月になるとICUは劣勢になり、バンディラドリー、ガリンサーもガルムドゥグの元に戻った。2007年1月1日、アバディ・ケイブディード、プントランド、エチオピアの連合軍は2手に分かれ、一方はガルムドゥグに残留し、他方は首都モガディシュを目指してアダド(Adado)ドゥサマレブといった途上の都市を次々と占領した[4]

再建[編集]

ICUを追い出した後もガルムドゥグ州政府の支配が及ぶ地域は少なく、はっきりしているのはガリンサーぐらいである。2009年の時点においてもホビョやハラデヤーにガルムドゥグの政権が及んでいるとは言いがたい。

ガルムドゥグ軍は1990年代にブラックホーク・ダウン事件で名を馳せたアイディード将軍が支配する統一ソマリア会議(USC)、ソマリ国民同盟(SNA)の流れを組む。そのため、西側の研究者の中にはガルムドゥグ軍がソマリア内戦時に入手した大量の武器を持っている可能性があると懸念する人もいる。

ガルムドゥグ政府は微力ながらも8つの学校を運営している。ただしサンフランセ医学校(Medicine San-franse)はスタッフが身代金目的で誘拐されたりして実現しなかった。内陸国であるエチオピアに港を提供するため、ホビョに近代的な港を作る計画も持ち上がっている。また、商用として、ホビョ、ガルカイヨ、エチオピアのオガデンを結ぶ172マイルの2車線舗装道路を作る計画も作られた。

ガルムドゥグ政府はインド、南アフリカ、ケニヤ北東に住むソマリ人の教師を招いて高度の教育システムを再生する計画を立てている。その費用を安く抑えるため、空いている宿泊施設を無償で提供することなども検討されている。財源も、国際連合児童基金、インド政府、アラブ首長国連邦ドバイの会社の協力の下、信託基金が計画されており、ユニセフからは14万ドル相当の支援が送られている[5]。ガルムドゥグ州教育庁からも人が派遣され、カイロ(エジプト)、ロンドンマンチェスター(イギリス)、オハイオ、南カリフォルニアミネアポリス(アメリカ)などの都市を回って、ソマリア出身で科学と数学を教えられる教師を探している。エジプトのアレクサンドリア大学 (Alexandria Universityも奨学金の提供を申し出ている。2007年9月からは南北に分断されていたガルカイヨが学校については再び統一されることになった[5]

2007年3月から4月にかけて、ソマリアの首都モガディシオでの戦闘が激化したため、ガルカイヨに避難してくる住民が増えた。一方でガルムドゥグ州の治安も依然として回復せず、2007年にもガルカイヨを走るバスの乗客女性がレイプされたり、街道を通る車から勝手に金を徴収する者が多数いたりといった混乱が続いている[6]海賊の活動も依然として盛んである。これは地方の軍閥が勝手に外国に漁業権を売ったことにも原因がある。ホビョを拠点とする海賊は2008年の外国メディアからの衛星電話インタビューに対し「われわれは元々漁師であったが外国漁船が魚を獲り尽くしたりゴミを捨てたりしたため生活が立ち行かなくなり、治安維持として自警を始め、違反船からは罰金を取り立てている」と答えている[7]

ガルムドゥグ州はガルカイヨ空港に関してプントランドと対立している。ガルカイヨ空港はガルムドゥグが支配する南ガルカイヨにあるが、この空港だけはプントランドが支配しているためである。2008年6月1日、ガルカイヨ支配地域からこの空港に向けてミサイル攻撃が行われている[8]。ガルムドゥグ州はまだまだ復興には程遠く、グリ・エルやドゥサマレブといった町は2009年1月の時点でも廃墟のままである[9]

記事関連地図[編集]

(1) モガディシュソマリア首都)
(2) ガローウェプントランドの首都)
(3) ガルカイヨ(南はガルムドゥグの首都、北はプントランドの都市)
(4) ガリンサー(ガルムドゥグの有力都市)
(5) バンディラドリー(ICUとの激戦の地)
(6) ホビョ(海賊の町)
(7) ハラデヤー(海賊の町)
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)

地理[編集]

ガルムドゥグの地図

ガルムドゥグ州の領域はソマリアの行政区分でいう次の地域である[10]

参考文献[編集]

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Further reading[編集]

  • A. Jimale (ed), The Invention of Somalia. Lawrenceville, NJ, 1995
  • Cassanelli, Lee V., The Shaping of The Somali Society- Reconstructing the History of a Pastoral People, 1600-1900. Philadelphia, Pennsylvania Univ. Press, 1982.
  • Middleton, John. The World of the Swahili- An African mercantile civilisation. Yale University 1992.