権力分立

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権力分立(けんりょくぶんりつ)とは、国家の権力を行政権、立法権、司法権と分け、それぞれを独立性を有する機関としての、行政府(内閣、大統領)、立法府(議会)、司法府(裁判所)に担当させ、各機関に他の機関の越権を抑える権限を与え、相互に監視しあうことにより抑制均衡を図り、もって権力の集中・濫用(乱用[1])を防止し、国民の権利と政治的自由を保障させようとするシステム。

三権分立(さんけんぶんりつ)とも呼ばれる。近代国家に共通の普遍的な憲法上の原理。三権のいずれに重点を置くかで、行政国家型、立法国家型、司法国家型のタイプに分類される。対義語は、権力集中、権力集中制、民主集中制。

また、このような自由主義的統治組織原理を権力分立主義という。

目次

[編集] 沿革

権力分立の考え方は、17世紀半ばに、イギリスジョン・ロックが著書『市民政府二論』や、フランスモンテスキューが著書『法の精神』などにおいて提唱したのを初めとされることが多い。 今日では、日本アメリカ合衆国をはじめとする多くの国の制度で採用されている。

[編集] 三権分立と権力分立

[編集] 三権分立

権力分立は、国政上、三権分立ともいわれる。これは、国家権力を行政権立法権司法権の三権に分類し、それぞれ、立法権を立法府、行政権を行政府、司法権を裁判所に担わせるからである。もっとも、その眼目は権力分立にあるため、三権以外にさらに権力を分立させることもある(日本行政委員会コスタリカ選挙最高裁判所など)。

これらの三権は、法との関係に着目して、簡単に次のように説明される。

  • 行政権:法を執行する権力
  • 立法権:法を定立する権力
  • 司法権:憲法、並びに各種の法規を執行する権力

立法権は一般的抽象的な法規範を定立し、司法権と行政権は個別的具体的な事件に法を適用・執行する。ここで、「執行」と「適用」は元々一体のものである点に注意を要する。行政権が法を「執行」する際には、当然、法を「適用」しなければならず、司法権は法を「適用」して裁定するほか、自ら「執行」もする。そのため、行政と司法は、司法権が法を適用し「終局的に裁定する」ことをその顕著な違いと解すべきである。

また、行政は、立法・司法に比べて、定義づけしにくい。そのため、行政の定義については、国家作用から立法と司法を控除したものとして消極的に定義する見解(控除説)が通説とされる。これは、当初すべての権力が君主に集中し、そこから立法権が議会に移譲され、司法権が裁判所に移譲された歴史の流れにも沿うものである。現代では、大統領制と議院内閣制のいずれの体制を採る国も、行政権の増幅が大きく、いわゆる行政国家現象が顕著である。 行政権は、行政立法によって立法権と重なり、行政審判によって司法権と重なる。そのため、三権分立は、特に行政権の侵食から立法権・司法権を守る防衛原理(行政権にとっては抑制原理)としての意味が大きくなっている。

[編集] その他の権力分立

権力分立は、権力をなるべく分散させることを目指す原理である。国政上の三権分立のほか、地方自治と国政を分ける地方自治制、立法機関における両院制(二院制)、裁判所の三審制行政機関の分担管理による省庁制(部局分掌)なども、権力分立の一種といえる。

なお、台湾中華民国政権)は「五院分立」(行政院・立法院・司法院・考試院監察院)としている。また、報道を「法律を伝達する権力、第四権力」として含めて四者として、四権分立(しけんぶんりつ)と呼ぶこともある。

[編集] 権力分立の類型

憲法学上、権力分立の在り方は、様々に分類される。その主な類型としては、

  • 三権対等型(アメリカ型)と立法権優位型(フランス型)
  • 議院内閣制大統領制
  • 英米法系と大陸法系

などがある。もっとも、権力分立制は各国の歴史上発達した制度であるため、その現れは国により多種多様である。単純一様に分類することはできない。

[編集] 三権対等型と立法権優位型

三権対等型と立法権優位型は、国家権力を行政・立法・司法の三権に分けた上で、三権同格を持つものと立法権優位の構造の構造を持つものに分ける類型である。

三権対等とされるアメリカでは、イギリス議会への抵抗から独立に至った歴史を持ち、また、建国当初の指導者達の中に民衆への不信があったことから、立法権を担う議会への不信があり、対等な三権が牽制し合う体制を形成したとされる。日本の学界ではアメリカの三権は極めて厳格に分立されているということが通説だが実際権力の分立は厳格ではなく、各機関が隷属的に三権を所有している状態である。日本も三権は対等とされるため、三権対等型に分類することができる。

立法権優位型とされるフランスでは、絶対王政の下で、司法権が行政権とともに権利侵害の象徴的存在として国民から不信を抱かれており、また、国民代表への信頼から立法権に大きな信頼が寄せられていたことから、立法権優位の構造が形成されたとされる。立法権優位の構造を持つ国としては、フランスのほかイギリスが挙げられる。イギリスでは、この構造を指して議会主権ともいわれる。

[編集] 議院内閣制と大統領制

議院内閣制大統領制は、行政権の担い手により区別される。

議院内閣制の国では、議会が選出した首相が組閣して、内閣が行政権を担い、内閣は議会に対して政治責任を負い、間接的に国民に対しても政治責任を負う。議院内閣制を採る国は、日本イギリススペインドイツなどがある。国家元首は原則として政治の実権に関与せず、実質的に儀礼的・象徴的な役割しかもたない。国家元首の地位は国王等の君主立憲君主制)、または民選の大統領等(共和制)によって担われる。「大統領」職を置く議院内閣制の共和国も(広義の)大統領制と呼ぶことがあるが、下記の統治システムとしての(狭義の)大統領制とは異なることに注意されたい。

大統領制の国では、国民が直接選出した大統領が行政権を担い、大統領は国民に対して直接政治責任を負う。大統領制を採る国としては、アメリカ合衆国韓国などがある(アメリカ合衆国の大統領選挙は、名目上間接選挙とされているが、実質的には直接選挙となっている)。

[編集] 英米法系と大陸法系

英米法系と大陸法系は、行政権に対する司法権の関わり方に大きな違いがある。

英米法系の諸国では、行政裁判所制度を採らず、行政事件も通常の裁判所が審理する。イギリス・アメリカのほか、アメリカ法の影響を強く受けた日本国憲法下の日本も、行政裁判所の設置を認めない。

大陸法系の諸国では、行政権の司法権からの独立が強調され、行政裁判所制度を持つ。行政裁判所は、行政事件を専門に審理する行政部内の特別裁判所で、通常の裁判所の系統から独立した機関である。大陸法系の国であるフランスやドイツで採用されている。大日本帝国憲法の下では、日本でも行政裁判所が置かれた。

[編集] 日本における権力分立

[編集] 権力分立前史

古くから、日本を含めた中国とその周辺諸国では、すべての権力を君主あるいはその時々の政権に集中させていた。このため、明治以前の日本では、立法権と行政権、司法権はほぼ同じ機関が担った。江戸幕府の役職である町奉行(江戸町奉行)が、江戸市中に施かれる法を定立し、行政活動を行い、民事・刑事の裁判も行っていたことは、その典型である。

1868年明治元年)、明治時代に入り、五箇条の御誓文を実行するために出された政体書には「天下の権力、総てこれを太政官に帰す、則政令二途出るの患無らしむ。太政官の権力を分つて行法、立法、司法の三権とす、則偏重の患無らしむるなり。」として、三権分立主義を採ることが明記された。

しかし当時は、裁判こそが行政の最大の役割であると考えられており、1872年(明治5年)に司法卿・江藤新平が欧米に倣って、行政権と司法権を分離させる制度の構築を図ったところ、特に地方行政の担い手である地方官から猛反発が起きた。例えば、京都府からは「仰地方の官として人民の訴を聴くこと能はず、人民の獄を断ずるを能はず、何を以て人民を教育し、治方を施し可申哉」(地方官が民事訴訟をしてはいけない、刑事裁判をやってはいけないと言うが、ではどうやって人々を教育して地方を治めろというのか)と抗議(明治5年10月21日付京都府届)が行われ、諸府県からも同様の抗議が殺到したという[2]

また、1875年(明治8年)に終審裁判所である大審院が設置された後も、大審院の判決に司法卿が異議申し立てをする権利を保留する(江藤は既に佐賀の乱で処刑されている)など問題が多く、後の自由民権運動でも国会開設問題(立法権の政府からの分離要求)と並んで政府批判の材料とされた。

[編集] 大日本帝国憲法下の権力分立

こういった紆余曲折を経て、1890年(明治23年)、大日本帝国憲法が施行され、帝国議会の成立と裁判所構成法の制定により、日本にも一応権力分立の体制が整う。しかし、すべての権力(統治権)は天皇が総攬し、立法権は帝国議会の協賛を以て天皇が行使し、司法権は天皇の名に於て裁判所が行使し、行政権は国務大臣の輔弼により天皇が行使する、不完全な権力分立制だった。

立法権は、帝国議会の協賛を経ずとも、緊急勅令と独立命令によっても行使された。また、司法権は独立していたものの、裁判所の人事や規則を扱う司法行政権は、行政官庁である司法省が管轄していた。このため、裁判官の人事権を用いて、司法省が裁判所を事実上指揮する事も可能であり、司法権の独立は形骸化されてしまうような事態も生じえた。さらに、後年には陸海軍(軍部)が、天皇の統帥権軍部大臣現役武官制をてこに、他の三権から遊離して増長し、暴走する事態ともなった。

なお、大日本帝国憲法においては、行政庁の処分の違法性を争う裁判行政裁判)の管轄は、司法裁判所にはなく、行政庁の系列にある行政裁判所の管轄に属していた。この根拠については、伊藤博文著の『憲法義解』によると、「行政権もまた司法権からの独立を要する」ことに基づくとされている。これに対して、江藤新平は明治初頭に「司法権もまた行政権からの独立を要する」もので、行政裁判といえども行政が裁判に関るのは司法権の独立に対する侵害であるという論理を主張している。

[編集] 日本国憲法下の権力分立

日本国憲法下の権力分立

1947年昭和22年)に施行された日本国憲法は、アメリカに倣った厳格な三権分立と、イギリスや大正デモクラシー期の議院内閣制を折衷した三権分立制を採っている。

[編集] 権力分立の態様

まず、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(1条)とされ、「国政に関する権能を有しない」(4条1項)ものとされた。天皇の「国事」に関するすべての行為(国事行為)には、内閣の「助言と承認」を必要とし、内閣がその責任を負うこととされた(3条)。

「行政権は、内閣に属する」(65条)。他の二権が、「唯一の」(41条)あるいは「すべて」(76条)とされているのに対し、単に「属する」と定められたことは、三権分立が行政権にとっては抑制原理(他の二権にとっては防衛原理)とされていることを意味すると解される。内閣は、「首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣」で組織される(66条1項)。内閣総理大臣は、「国会議員の中から国会の議決で、これを指名」(67条1項)され、天皇に任命される。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が認証する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から任命される。このように、内閣総理大臣を国会議員の中から国会が指名し、内閣が行政権行使について「国会に対し連帯して責任」を負う(66条3項)ことから、議院内閣制が採られているものと解される。

立法権を行使する国会は、衆議院と参議院からなり、「全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(43条1項)ものとされた。国会は、「国権の最高機関」であって、「唯一の立法機関」とされている(41条)。「最高機関」の意味するところは、統治権を総攬するかつての天皇のような機関という意味ではない。

また、「唯一の立法機関」と定められたことから、国会中心立法の原則国会単独立法の原則が導かれる。国会中心立法の原則とは、国会による立法以外の実質的意味の立法は、憲法に特別の定めがある場合を除き許されないという原則である。その例外には、議院規則最高裁判所規則などがある。内閣が定める政令は、個別具体的な委任による立法のみが許される。

国会単独立法の原則とは、国会による立法は、国会以外の機関の参与を必要とせずに成立する原則をいう。その例外としては、95条の地方自治特別法がある。天皇による「公布」(7条1号)は、大日本帝国憲法における天皇の「裁可」のような機能を持たない。内閣の法案提出権は、国会の審議採決を妨げず、また、72条に議案提出権が定められているため、許されると解される。

全て司法権は、最高裁判所下級裁判所からなる裁判所に属することとされ、最高裁判所は終審裁判所とされる(76条1項)。特別裁判所の設置は禁止され、行政機関が終審として裁判を行うことはできない(同条2項)。司法権の行政権からの独立を確立するため、司法行政権は司法権の一部として裁判所に帰属することになった。また、行政裁判所は廃止され、通常の裁判所が行政事件を管轄する。さらに、最高裁判所は「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」とされた(81条)。これは、最高裁判所および下級裁判所が、違憲立法審査権を有することを意味すると解されている。

[編集] 三権相互の関係

まず、内閣と国会の関係は、議院内閣制の下、国会による内閣総理大臣指名権が要点となる。また、衆議院は内閣不信任決議を行うことができ、可決されると内閣は総辞職か衆議院の解散・総選挙を選ばなければならない(69条)。さらに、内閣は衆議院を解散する権限を有していると解されている(7条3号)。これにより、国会と内閣は均衡し、内閣と国会における与党が一致して国政を運営している。なお、議院には国政調査権が付与され(62条)、この権限を適切に行使することにより、国会には内閣の行動を監視監督する機能も期待されている。

内閣と裁判所の関係は、建前上は司法の独立があるものの、実際には密接である。最高裁判所の長官は、内閣が指名し、天皇が任命する。最高裁判所のその他の裁判官は、内閣が任命する。下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣が任命する。また、判事が法務省などの行政機関に出向して行政事務を行い、あるいは検事が裁判所に出向して判事になるなど、判検交流と称される人事交流も広く行われている。さらに、最高裁判所裁判官15名のうち原則として2名は行政官から任命される慣習になっている。このように、内閣が裁判所の人事に深く介入しているためか、行政事件は裁判所が審理裁判するものの、行政に不利な判断は滅多に示されない。また、裁判所では、いわゆる司法消極主義の態度が広く見られ、政治部門に対する法的判断は控えられる傾向にある。そもそも、最高裁判所を頂点とする裁判所の予算を決める権限は財務省が握っているため、裁判所はこの点でも行政への服従を余儀なくされていると言えるのである[3]。このような裁判所と内閣の関係は、戦前の司法行政権の名残であるとも言えなくはない。現実にも、地方裁判所で地域住民の訴えを認めた行政訴訟の判決が高等裁判所・最高裁判所でくつがえされる事例は極めて多く、それゆえに地方裁判所も高等裁判所・最高裁判所の方針に従って最初から行政に有利な判決を出す事例が増加しているなど、日本国の三権分立は、司法権が行政権の支配を受けやすい状態であると言え、現状での最高裁判所の実態は、人権保障の最後の砦としての「憲法の番人」とは呼べない状況にある。このような最高裁判所の実態は、「憲法の番人」ならぬ「権力の番犬」と揶揄されることもある。

ただし、行政が司法の任命権を持つことは世界の権力分立制度に共通のものである。これらの国との違いは、日本において政権交代が著しく少ないことが原因とする考えもある。たとえば、アメリカの場合は、大統領が自分の好みに合う人物を合衆国最高裁判所判事の候補者として自由に推薦することができる。しかし、合衆国最高裁判所判事の候補者は上院による厳格な審査を受け、少なくとも上院全体の過半数の承認を得られなければ、実際に判事として任命されることはない。その上、合衆国最高裁判所の判事は終身制であり、大統領は何らかの事情で判事の欠員が生じた場合にその後任を任命することしかできないため、合衆国最高裁判所では数年に1人程度の任命しかない。さらに、アメリカでは共和党と民主党の間で政権がしばしば交代するため、結果的に共和党派と民主党派の判事がバランスよく配分されることになる。これに対し、日本では自民党政権が長期にわたっていた上、最高裁判所裁判官の任命については外部機関の承認を得る必要もないため、必然的に最高裁判所裁判官の大部分は自民党派で占められており、行政と司法の距離を特に近付けているとする考え方である。

国会と裁判所の関係は、司法の独立を基調にして、国会から裁判所への過度の干渉は排除されている。国会は法律を制定して裁判官を拘束し(76条3項)、また、非行などのあった裁判官は、国会議員からなる裁判官弾劾裁判所が弾劾する(64条)。ただし、裁判官弾劾裁判所は国会から独立した機関とされ、また刑罰を科すことはできない。一方、裁判所は、国会の制定した法律の憲法適合性を審査するため、違憲立法審査権を有するなど、立法権抑制のため、強い権限が付与されている。

[編集] 脚注

  1. ^ 『改訂 新潮国語辞典 ー現代語・古語ー』(株式会社 新潮社。監修者:久松潜一。編集者:山田俊雄・築島裕小林芳規昭和53年10月30日 改訂第6刷発行)p 2083に、「ラン ヨウ【*濫用・乱用】みだりにもちいること。」と記載されている。したがって、「濫用=乱用」であることがわかる。なお、「*」は、この国語辞典の「記号・略語表」によれば、「当用漢字表補正試案にある字で、当用漢字表に加えられる字、または、削られる字」という意味である。
  2. ^ 横山晃一郎「刑罰・治安機構の整備」(所収:福島正夫 編『日本近代法体制の形成』上巻(日本評論社、1981年) ISBN 978-4-535-57112-9)P310
  3. ^ 日本弁護士連合会の報告によると、平成20年度の日本の国家予算中、裁判所の予算が占める割合はわずか0.39%しかない。この予算の割合は、他の年度についてもほぼ同様である。このため、日本の裁判官の定員は極端に少なく制限されており、日本の司法が欧米諸国と比べてほとんど機能していない主な要因になっているとされている。

[編集] 関連項目

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