共和暦3年憲法

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共和暦3年憲法: Constitution de l'an III)は、1795年フランスで制定された憲法。1795年憲法または共和国3年憲法などとも称される。同憲法に基づいて総裁政府が成立した。

Constitution de la République Française du 5 fructidor an 3 (22 août 1795). Déclaration des Droits et des Devoirs de l'Homme et du Citoyen.jpg

概要[編集]

1793年から1794年にかけての恐怖政治テルミドールのクーデターによって終了すると、これ以降は穏健共和政の枠組みで革命の収拾が図られたが、政権はネオ・ジャコバンと王党派に揺るがされつづけ、安定しなかった。

この憲法で議会は、「五百人院[1]」と「元老院[2]」による二院制がとられ、立法は(下院にあたる)五百人院のみが提案する権限があり、提出された法案の可否は(上院にあたる)元老院のみが審査して、可決された場合にようやく法案が成立するという二段階方式だった。これは議会の独裁を防ぐためである。この両院とも、3分の2法令により、毎年3分の1が改選されることが定められていたが、選挙権はごく一部の納税者か地主に限られ、選挙も選挙人が選んだ名簿から選ぶという民意がなるべく反映しないような方式だった。五百人院議員は年齢30歳以上で10年以上共和国に居住した者、元老院議員は40歳以上で15年以上共和国に居住した者に限られた。

行政を担ったのは総裁政府で、5人の総裁(任期5年、毎年抽選で1人が改選、非議員)によって運営された。5総裁は、3ヶ月毎に1人が総理に任命される交代制であった。ただし総裁は予算審議権を持たず、予算は議員からなる国庫委員会が管轄した。総裁の選出にも直接民意が反映するわけではなく、五百人院によって作成された候補者リストから、元老院が総裁を選出する形がとられた。総裁は、立法の提案ができず、独裁的権限を振るえないように防止策が講じられていた。

この憲法は極端な分権構造が特徴で、三権分立が徹底されていたが、極めて非効率であった。特に行政と立法の対立が深刻で、総裁政府は自らを守るためにクーデターで選挙無効にすることが必要になった。ナポレオン・ボナパルトによるブリュメール18日のクーデターによって総裁政府は崩壊し、この憲法に代わり新たに共和暦8年憲法(1799年憲法)が定められた。

脚注・出典[編集]

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参考文献[編集]

  • 柴田三千雄ら編 『世界歴史大系 フランス史2』 山川出版社、1996年

関連項目[編集]