グレナダ

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グレナダ
Grenada
グレナダの国旗 グレナダの国章
国旗 国章
国の標語:Ever Conscious of God We Aspire, Build and Advance as One People
(英語:神の御心のままに、我ら一つの民として熱望し、築き上げ、そして進歩する)
国歌Hail Grenada(英語)
グレナダ万歳
グレナダの位置
公用語 英語
首都 セントジョージズ
最大の都市 セントジョージズ
政府
国王 チャールズ3世
総督 セシル・ラ・グレネード
首相ディコン・ミッチェル
面積
総計 344km2201位[1]
水面積率 極僅か
人口
総計(2021年 113,570人(180位[1]
人口密度 330人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2020年 28億9,900万東カリブ・ドル(EC$)[2]
GDP(MER
合計(2020年10億7,400万ドル(???位[2]
1人あたり 9,824ドル
GDP(PPP
合計(2020年17億9,800万ドル(???位[2]
1人あたり 16,454ドル
独立
イギリスより1974年2月7日
通貨 東カリブ・ドル(EC$)(XEC
時間帯 UTC-4 (DST:なし)
ISO 3166-1 GD / GRD
ccTLD .gd
国際電話番号 1-473

グレナダ英語: Grenada、グレナダ・クレオール語: Gwenad)は、カリブ海小アンティル諸島南部にある立憲君主制国家。首都はセントジョージズである。

英連邦王国のひとつであり、イギリス連邦加盟国。島国であり、海を隔てて北にセントビンセントおよびグレナディーン諸島、北東にバルバドス、南にトリニダード・トバゴベネズエラがある。

グレナディーン諸島の一部に、グレナダ領グレナディーン諸島としてカリアク島プティト・マルティニーク島などの島々を領有している。1983年に起きたクーデター後の混乱時にアメリカ合衆国東カリブ諸国機構(OECS)によるグレナダ侵攻があり、国際的な注目を集めた。

国名[編集]

正式名称は英語で、Grenada/ɡɹəˈneɪdə/グラネイダ En-us-Grenada.ogg 聞く[ヘルプ/ファイル] )。日本語の表記は、グレナダ

国名はスペイングラナダにちなむとされる(セントビンセント・グレナディーングレナディーン諸島も同語源である)が、誰がいつこの名をつけたのかは正確には分かってない。コロンブスは「コンセプシオン(Concepción)」と名づけた。

2016年11月24日、国名を「グレナダ、カリアクおよびプティト・マルティニーク(Grenada, Carriacou and Petite Martinique)」に変更するための憲法改正の是非を問う国民投票が実施されたが、反対多数で否決された[3]

歴史[編集]

先コロンブス期[編集]

植民地時代[編集]

独立以降[編集]

グレナダに展開するアメリカ軍(グレナダ侵攻

政治[編集]

内政[編集]

グレナダは立憲君主制英連邦王国)、議院内閣制をとる立憲国家である。現行憲法は独立前年の1973年12月19日に制定され、1974年2月7日の独立に伴い施行されたもの。

国家元首は国王だが、英連邦王国のためイギリス国王がグレナダ国王を兼ねる。国王の職務を代行する総督は、国王により任命される。政治の実権は行政府たる内閣にあり、その長である首相は総督が任命する。この任命は通常、下院総選挙後に多数派を構成した政党の指導者に対して成される。閣僚は首相の指名に基づき、総督が任命する。総督による任命は形式的なものである。

立法府たる議会両院制で、上院下院により構成される。上院は13議席で、全議員が任命によって着任する。その任命は、10議席が政府、3議席が野党指導者によって成される。下院は15議席で、全議員が直接選挙小選挙区制)によって選出される。両院とも任期は5年。

二大政党制が成立しており、リベラル系の国民民主会議(NDC)と保守系の新国民党(NNP)の力が強い。グレナダ統一労働党(GULP)など他の小政党も存在するが、二大政党の勢力を覆すほどの勢力は持っていない。

日本との関係[編集]

国家安全保障[編集]

人民革命政権時代はグレナダ人民革命軍が存在し、グレナダ侵攻の際には約1200名の兵士がいた。しかし、侵攻後に解体され、現在はグレナダ警察軍が国防を行っており、755人が在勤している。これとは別にグレナダ沿岸警備隊があり、哨戒艇4隻を保有している。

地方行政区分[編集]

グレナダの行政区画

6教区と1属領に分かれている。

  1. セント・マーク教区(Saint Mark)
  2. セント・パトリック教区(Saint Patrick)
  3. セント・ジョン教区(Saint John)
  4. セント・アンドリュー教区(Saint Andrew)
  5. セント・ジョージ教区(Saint George)
  6. セント・デイヴィッド教区(Saint David)
  7. カリアクおよびプティト・マルティニーク属領(Carriacou and Petite Martinique)

地理[編集]

グレナダの地図

ウィンドワード諸島最南端に位置している。グレナダ本島は面積約310km2ほどの火山島で最高峰セント・キャサリン山英語版(840m)があり、付近の島々、特にグレナディーン諸島の一部の島々なども属している。

グレナダ島の北部にはレヴェラ湿地があり、その一帯にはマングローブ湿地砂浜サンゴ礁海草藻場島嶼が多い。オサガメの重要な営巣地で、タイマイエルクホーンサンゴ英語版カギハシトビ英語版なども生息しており、2012年にラムサール条約登録地となった[5]

主な島々[編集]

  • グレナダ島
  • グローバー島
  • ホッグ島
  • カリビジニ島
    • バード島
  • サンディ島
  • グリーン島
  • パールス・ロック
  • ロンドン・ブリッジ島
  • ロンド島
  • カーユ島
  • ザ・シスターズ島
  • ダイアモンド島
  • レ・タンテ島
  • カリアク島
  • マヤブ島
  • ホワイト島
  • サリン島
  • フリーゲート島
  • ラージ島
  • プティト・マルティニーク島
  • プティ・サン・バンサン島
  • プテット・ドミニク島

主要都市[編集]

経済[編集]

首都セントジョージズ

国旗の左側にナツメグの実が描かれていることからもわかるように、ナツメグの生産が比較的盛んである。2005年時点において2747トン(世界第6位、シェア3%)に達する(FAO)。他の農産品はバナナクローブシナモンココアなど。

観光業も有望で、1979年に樹立した人民革命政府は観光事業の近代化に着手した。グレナダ侵攻後の親米政権樹立後はアメリカ合衆国資本が進出し、1984年の国際空港の完成以来発展を続けている。

日本外務省によると、2005年3月時点のグレナダの消費税率27.5%は、世界で最も高い税率だった(2007年以降は6位以下)[6]

交通[編集]

山岳道路はしばしば雨で流される。ポイント・サリンス国際空港の建設にはアメリカの資金援助が行われた。

国民[編集]

住民の8割以上はアフリカ系であり、ヨーロッパ人により連れて来られた奴隷の子孫である。その他、南アジア系やヨーロッパ人などもいる。

言語は英語公用語であり、広く使われている。フランス語が混じったパトワと呼ばれるクレオール語を話すものもわずかながら存在する。

宗教はローマ・カトリックが6割程度を占めている。残りは、ほとんどがプロテスタントである。

文化[編集]

グレナダのカーニバル(1965年

音楽[編集]

著名なグレナダ出身のカリプソ歌手としては、マイティ・スパロウ英語版が挙げられる。

スポーツ[編集]

グレナダ国内ではサッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっており、1983年にサッカーリーグのグレナダ・リーグが創設された。グレナダサッカー協会英語版によって構成されるサッカーグレナダ代表は、これまでFIFAワールドカップには未出場である。CONCACAFゴールドカップには3度出場しているが、いずれの大会もグループリーグで敗退している。また陸上競技も盛んで、特にキラニ・ジェームスがよく知られている。

クリケットも国民的人気を得ているスポーツである。グレナダは多国籍ナショナルチームの西インド諸島代表に含まれる。2007年にはクリケット・ワールドカップが西インド諸島で開催され、国立クリケットスタジアム (グレナダ)英語版が会場の一つになった。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
2月9日 独立記念日 Independence Day

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Grenada”. 中央情報局 (2021年8月24日). 2021年9月4日閲覧。
  2. ^ a b c World Economic Outlook Database”. 国際通貨基金 (2020年10月). 2021年9月4日閲覧。
  3. ^ Home | Grenada 2016 Referendum 2016年12月6日閲覧。
  4. ^ Grenada”. Worldstatemen.org. 2021年9月4日閲覧。
  5. ^ Levera Wetland | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2012年5月22日). 2023年4月20日閲覧。
  6. ^ http://www.mofa.go.jp/mofaj/world/ranking/shohizei.html

参考文献[編集]

  • 二村久則野田隆牛田千鶴志柿光浩『ラテンアメリカ現代史III』山川出版社東京〈世界現代史35〉、2006年4月。ISBN 4-634-42350-2 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光