イギリス君主一覧

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ここでは、現在のイギリスにつながるグレートブリテン島の各地を支配した以下の君主を対象とする。

目次

[編集] スコットランド王国

[編集] 王国以前

843年、ダルリアダ王国のスコット人王ケネス・マカルピンがオールバ王国の王を兼ねる。当初は現在のスコットランドの北部に建国したオールバ王国は次第に南下して領域を拡大し、スコットランド全域を支配するに至る。

[編集] アルピン朝

[編集] アサル朝

[編集] アルピン朝(マリ朝)

[編集] アサル朝

[編集] ベイリャル朝

1296年より1306年まで空位

[編集] ブルース朝

[編集] ベイリャル朝

[編集] ブルース朝

[編集] ステュアート朝

1603年よりイングランド王国とは同君連合

※通常ステュアート朝の王の1人と見なされるが、ウィリアム2世1代を「オレンジ朝」とする見方もある。

1707年にイングランド王国と合同。

[編集] ウェールズ

13世紀末にイングランドに征服される以前のウェールズには、デバイパースポウィスグウィネズなどの小王国があった。ウェールズの君主も参照のこと。

[編集] グウィネズ

ルウェリン・アプ・グリフィズはウェールズの諸侯を従えてウェールズ大公を名乗るが、敗死。デイヴィットが継承者を主張するがイングランド軍に捕らえられて処刑された。

[編集] ウェールズ公

以後は、イングランド王国、グレートブリテン王国、連合王国の第1王位継承者がプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)の称号を持つ。

[編集] イングランド王国

[編集] 七王国

[編集] ブレトワルダ

七王国時代に、諸王の間で台頭して他の王たちを臣従させた王をブレトワルダ(覇王)と呼ぶ。

9世紀半ばのデーン人の侵入後、諸王国間で覇権を確立したウェセックス王がデーン人と戦い、次第に統一イングランド王国を形成していった。

[編集] サクソン人

1013年、デンマーク王スヴェンが侵攻してきたため、エゼルレッド2世はノルマンディーに亡命。

スヴェンの病死後、エゼルレッドはイングランドに帰国して復位する。

[編集] デーン人王(北海帝国

[編集] サクソン人

1066年、ノルマンディー公ギョーム2世が、エドワード懺悔王の後継者を宣言してノルマン・コンクエストを起こし、ハロルド2世を倒してイングランド王に即位する。

[編集] ノルマン朝

[編集] ブロワ朝

[編集] プランタジネット朝アンジュー朝

[編集] ランカスター朝

1455年よりランカスター家とヨーク家の王位争い、薔薇戦争に突入。ヘンリー6世は1470年亡命先から帰国するも翌年殺害された。

[編集] ヨーク朝

リチャード3世は1485年のボズワースの戦いで敗死。

[編集] テューダー朝

[編集] ステュアート朝

[編集] 共和制と護国卿

チャールズ1世は清教徒革命で処刑されるが、1660年に王政復古する。しかし、その間に2人が護国卿となった。

[編集] 復興ステュアート朝

※通常ステュアート朝の王の1人と見なされるが、ウィリアム3世1代を「オレンジ朝」とする見方もある。

1707年、スコットランド王国と合同。

[編集] グレートブリテン王国

1707年、イングランド王国とスコットランド王国が合同して、グレートブリテン王国が誕生した。

[編集] ステュアート朝

[編集] ハノーヴァー朝

[編集] グレートブリテンおよびアイルランド連合王国

1801年、グレートブリテン王国とアイルランド王国が合同し、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が誕生した。

[編集] ハノーヴァー朝

1877年、ヴィクトリアはインド帝国皇帝となる。

[編集] サクス=コバーグ=ゴータ朝

[編集] ウィンザー朝

1917年第一次世界大戦の敵国ドイツ風の名前を嫌い、ウィンザー家と改称。

[編集] グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国

1922年、アイルランド南部26州がアイルランド自由国として独立したため、1927年に国名をグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国と改称。

[編集] ウィンザー朝

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

イギリス王家の家系図