アンドルー (ヨーク公)

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アンドルー
Prince Andrew, Duke of York
ウィンザー家・ヨーク公爵
Príncipe André do Reino Unido.jpg
続柄 エリザベス2世第二王子
称号 ヨーク公爵
インヴァネス伯爵
キラニー男爵
全名 Andrew Albert Christian Edward
身位 Prince(王子)
敬称 His Royal Highness(殿下)
出生 1960年2月19日(54歳)
イングランドの旗 イングランドロンドンバッキンガム宮殿
配偶者 セーラ・ファーガソン(1986-1996)
子女 ベアトリス王女
ユージェニー王女
父親 エディンバラ公フィリップ
母親 エリザベス2世
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ヨーク公爵アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York洗礼名: アンドルー・アルバート・クリスチャン・エドワード; Andrew Albert Christian Edward1960年2月19日 - )は、イギリス王室の成員・貴族軍人で、現ヨーク公爵。名前については、日本ではアンドリューの表記も散見される。

公式の称号および敬称は“His Royal Highness The Duke of York”(ヨーク公爵殿下)。公邸はロイヤル・ロッジ。

略歴[編集]

出生[編集]

1960年2月19日エリザベス2世女王とエディンバラ公フィリップ王配の次男として、バッキンガム宮殿にて誕生した。兄にウェールズ公チャールズ、姉にプリンセス・ロイヤルアン、弟にウェセックス伯エドワードがいる。

同年4月8日に、宮殿内でカンタベリー大主教ジェフリー・フィッシャーから洗礼を受けた。代父母には、グロスター公ヘンリーアレクサンドラ・オブ・ケント等がいる。

アンドルーという名前は、父方の祖父であるギリシャ王子アンドレオスにちなんだものである。

教育[編集]

幼い頃は、兄チャールズと同様に家庭教師によって就学前教育を施された。1977年1月には、兄と同じスコットランドのゴードンストン校に進学した。同年6月まで同校で学んだ後は、交換留学生としてカナダオンタリオ州のレイクフィールド・カレッジ・スクールに渡り、2年後の1979年7月に英語・歴史・経済学の3科目でAレベルの成績を修めて卒業した。その後は、海軍兵学校へ進学する事を志望した。

軍歴[編集]

1978年11月に、アンドルーが海軍に入隊する事を志願している事が発表され、12月より体力測定や面接など様々な試験を受ける事となった。1979年の3月から4月にかけて、海軍兵学校においてパイロットとしての試験を受け、ヘリコプターパイロット見習として認められ、同年5月11日より12年間の契約を結ぶ事となった。

1979年9月1日に、アンドルーは海軍少尉候補生に任命され、9月12日に海軍兵学校に入学した。他の少尉候補生の例に漏れず、アンドルーも1980年の1年間は、海兵隊コマンド部隊に参加する義務を負った。

兵学校を卒業した後は、空軍で基礎的な飛行トレーニングを終えた後、海軍で汎用小型ヘリコプター“ガゼル”を操縦する技術を学んだ。

その後、アンドルーは対潜水艦攻撃用ヘリコプター“ウエストランド シーキング”の操縦士に転向し、同機の操縦技術を習得した。1982年には、第820海軍航空隊に加わり、航空母艦インヴィンシブル”に乗艦した。

フォークランド紛争[編集]

軍服姿のヨーク公

1982年のフォークランド紛争勃発に伴い、アンドルーもヘリコプターのパイロットとして従軍する事となった。アンドルーが乗艦していたインヴィンシブルは、海軍が使用できる航空母艦2隻のうちの1隻で、島を奪還する為に南方に航行する特別編成艦隊の中心的役割を果たす事となっていた。

当初、イギリス政府はアンドルーが戦死する事を避ける為、インヴィンシブルに乗組み続ける事を懸念し、彼を後方事務の仕事へ異動させる事を望んでいた。しかし、母のエリザベス女王が許可した為、アンドルーはシーキングの副操縦士として、インヴィンシブルに乗艦し続ける事となり、アンドルーは対潜戦対水上戦作戦などの任務を、他の将兵と同様に遂行するようになった。

紛争中のエピソードとしては、イギリス艦隊はアルゼンチン軍のミサイル攻撃に苦しんでいたのだが、アルゼンチン軍の対艦ミサイルエグゾセが艦よりも小さな対象―ヘリコプターも追尾してしまう事が判明した。ヘリを艦を守るためのデコイにすることが出来ることに気付いたパイロット達は、自発的に囮の任についた。空襲警戒警報発令と共に空中に飛び立ち、ミサイルが飛来したならばわが身を持って艦を守るのである。この任に当たる者はジャンケン(のようなもの)で順番を決め、ローテーションで交代していたが、アンドルーもまた当然のようにこの任に当たっていたという(なお、この行動を始めた後、実際に対艦ミサイル攻撃が行なわれる事はなかった)[1]

紛争終了後、エリザベス女王・フィリップ王配夫妻は、ポーツマス軍港まで、他の搭乗員の家族に混じって帰港を出迎えた。

家族[編集]

イギリス王室
Badge of the House of Windsor.svg

エリザベス2世女王
エディンバラ公爵フィリップ王配


ヨーク公アンドルーの紋章

1986年7月23日に、セーラ・ファーガソンウエストミンスター寺院で結婚式を執り行い、それに伴い、嘗て曽祖父のジョージ5世や祖父のジョージ6世が保有していたヨーク公爵・インヴァネス伯爵・キラニー男爵の爵位を授かった。

夫妻は

の2女をもうけたが、1996年に離婚した。

公務[編集]

ダボス会議出席時のヨーク公(2008年1月)

その他[編集]

  • ゴルフ好きとして知られており、ハンディキャップはローシングルの実力を持つ。現在は、ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフ・クラブ・オブ・セント・アンドリュースのキャプテンを務めている。一方で、ゴルフ道具などの輸送の為に、空軍の飛行機を使用して、国民から批判を浴びた事もあった。
  • 2012年9月3日に、ヨーロッパで最も高いビルディングであるザ・シャードで、英国の著名な登山家クリス・ボニントンら40人と共に屋上から同時に懸垂下降を行った。これは教育関連慈善団体「Outward Bound Trust」と退役海兵隊員基金「Royal Marines Charitable Trust Fund」により支援されたもので、現役および退役軍人のための資金集めが目的である。なお、アンドルー王子はこれに先立つ7月5日の当建物の落成式にも出席している。[2]
  • 2013年09月04日、バッキンガム宮殿の庭で警官から職務質問を受けた[3]。エリザベス女王一家が避暑のためバルモラル宮殿に出かけて留守だった上に、2日に厳重な警備を突破して侵入した男の身柄が拘束されたため、警備を強化したための事件だった。本人はこの件を謝罪した警察を不問に処している。

称号[編集]

  • 1960年2月19日 – 1986年7月23日
アンドルー王子殿下(His Royal Highness The Prince Andrew)
  • 1986年7月23日 -
ヨーク公爵殿下(His Royal Highness The Duke of York)

脚注・出典[編集]

  1. ^ 日本海事新聞 2008年7月
  2. ^ アンドルー英王子、欧州最高層の「シャード」を235メートル降下 [1]
  3. ^ バッキンガム宮殿の庭で王子に職務質問 英警察[2]
上位:
ヘンリー王子
イギリス王位継承順位
継承順位第 5
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位:
ベアトリス王女