ウィレム=アレクサンダー (オランダ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ウィレム=アレクサンダー
Willem-Alexander
オランダ国王
Willem-Alexander Wiesbaden Kurhaus portrait.jpg
2013年6月3日、ドイツ・ヴィースバーデンにて
在位 2013年4月30日 - 在位中
全名 Willem-Alexander Claus George Ferdinand
ウィレム=アレクサンダー・クラウス・ヘオルフ・フェルディナント
出生 1967年4月27日(47歳)
オランダの旗 オランダユトレヒト
配偶者 マクシマ・ソレギエタ
子女 カタリナ=アマリア
アレクシア
アリアーネ
王家 オラニエ=ナッサウ家
父親 クラウス・フォン・アムスベルク
母親 ベアトリクス
宗教 キリスト教改革派教会
サイン Handtekeningkwa.jpg
テンプレートを表示
オランダ王室
Royal coat of arms of the Netherlands.svg


ウィレム=アレクサンダー・クラウス・ヘオルフ・フェルディナント・ファン・オラニエ=ナッサウオランダ語: Willem-Alexander Claus George Ferdinand van Oranje-Nassau, 1967年4月27日 - )は、オランダ国王である。ドイツの貴族のひとつアムスベルク家の家長でもある。

経歴[編集]

オランダ女王ベアトリクスの第一子としてユトレヒトで生まれた。オランダ王室で直系男子の誕生はアレクサンダー王子以来116年ぶりであったが、翌1968年ヨハン・フリーゾ王子2004年、結婚のため王位継承権放棄)、1969年コンスタンティン王子が続いて生まれた。

ハーグプロテスタント系の小学校に通い、様々な階層・人種の子供たちと共に学んだ。その後、ウェールズアトランティック・カレッジを卒業。ライデン大学で史学の学位を取得した。

王妃となるアルゼンチン出身のマクシマ・ソレギエタは、その父ホルヘの政治的立場のため、王太子との結婚にはオランダ国内で大きな議論が巻き起こったが、2002年に成婚した。

イギリス王女(ジョージ2世の娘)であったオラニエ公妃アンネの子孫であるため、イギリス王位継承権を持っていた。しかし、1701年の王位継承法ではカトリック教徒と結婚すると継承権を失うことが明記されていることから、マクシマとの結婚でイギリス王位継承権を失った(マクシマは子供たちをプロテスタントとして育てることに同意しているが、自身は改宗せずカトリックのままである)。

2003年に長女カタリナ=アマリア王女(現オラニエ女公)が生まれ、さらに2005年にはアレクシア王女、2007年にアリアーネ王女が生まれ、国民の祝福を受けた。

1998年から2013年まで国際オリンピック委員会委員を務めた[1]

母のベアトリクスが2013年4月30日をもって退位し、同日即位式が挙行された[2]。即位に伴い、オランダでの国王の誕生日を祝う祝日「女王の日」は「王の日」に名称が変わり、祖母ユリアナの誕生日である4月30日からウィレム=アレクサンダーの誕生日である4月27日に変更となった[3]

2014年10月28日から31日、日本を国賓訪問。即位後、非ヨーロッパ国を公式訪問するのは初めて。皇太子時代の1988年以降、通算で15回以上来日[4]

その他[編集]

使用言語は、オランダ語のほか、英語ドイツ語スペイン語

趣味は、スキースケート乗馬、航空機操縦。

写真[編集]

注釈[編集]

  1. ^ IOC委員、103人に(2013年9月3日)朝日新聞デジタル、2013年9月3日閲覧。
  2. ^ オランダで国王即位式 ベアトリックス女王の退位受け(2013年4月30日)、Cnn.co.jp、2013年4月30日閲覧。
  3. ^ 「女王の日」は「王の日」になります!、オランダ政府観光局(日本語)、2013年5月5日閲覧。
  4. ^ [http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H09_U4A001C1NNE000/ オランダ国王、御嶽山噴火の被害者に哀悼(2014年10月4日)日本経済新聞、2014年11月1日閲覧。

外部リンク[編集]