マイケル・オブ・ケント
| マイケル・オブ・ケント Prince Michael of Kent |
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| 続柄 | ケント公爵ジョージ王子第2男子(ジョージ5世孫) |
| 全名 | Michael George Charles Franklin |
| 身位 | Prince(王子) |
| 敬称 | His Royal Highness(殿下) |
| 出生 | 1942年7月4日(70歳) |
| 配偶者 | マイケル・オブ・ケント王子妃(マリー・クリスティーヌ) |
| 子女 | フレデリック・ウィンザー卿 ガブリエラ・ウィンザー令嬢 |
| 父親 | ケント公爵ジョージ王子 |
| 母親 | ケント公爵夫人マリナ |
マイケル・オブ・ケント王子(Prince Michael of Kent、洗礼名: マイケル・ジョージ・チャールズ・フランクリン; Michael George Charles Franklin、1942年7月4日 - )は、イギリス王室成員で、ケント公ジョージと妃マリナの次男。現ケント公爵エドワード王子の弟。エリザベス2世の従弟であり、また女王の夫エディンバラ公フィリップの従甥である。公邸はケンジントン宮殿である。
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略歴 [編集]
バッキンガムシャーのアイヴァーで産まれる。“マイケル”という名前は、いとこ大おじでロシア皇帝ニコライ2世の弟であるミハイル大公に由来するものである。1942年8月4日に洗礼を受け、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト、ギリシャ王ゲオルギオス2世、ノルウェー王ホーコン7世、オランダ女王ウィルヘルミナ、パトリシア・ラムジー、ヴィクトリア・マウントバッテン、ギリシャ王太子妃フリデリキ、グロスター公ヘンリーらが代父母となった。第二次世界大戦中だったこともあり、マスコミは洗礼式が行われた詳しい場所は報じず、「国内の私立教会で行われた」とのみ伝えた。従姉のエリザベス女王とエディンバラ公フィリップの結婚式の際は、ページボーイを務めた。
イートン校を卒業後、サンドハースト王立陸軍士官学校へ入学した。1963年に第11フッサール(en:11th Hussars)へ入隊した。ドイツ、香港、キプロスで軍務に就いた。1981年に大佐の肩書きで除隊する。その後も、1994年に海軍予備員、2002年には空軍のベンソン基地において、それぞれ名誉代将に序せられた。
公務 [編集]
| イギリス王室 |
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国王の末子の末子という立場から、当初マイケルが王族としての公務に携わることは予想されていなかった。兄エドワードや姉アレクサンドラが、公務を遂行して王族としての年金を受領しているのとは対照的に、マイケルは年金や王室内廷費からの手当を受領することはない。だが、イギリス王室の一員として、公務を行う際は他の王族と同様に要人待遇を受けていることに変わりはなく、外務英連邦省は、マイケルの外遊時には一王族として扱われるように準備を行い、必要に応じて各国駐在大使館員を動員するなどしている。
これまで、インドやキプロス、スワジランドで執り行われた国葬において、夫人とともに女王の代理として参列したほか、ベリーズの独立祝賀式典や、スワジランド国王ムスワティ3世の戴冠式などに出席している。
また、ワールド・モニュメント財団やザ・ケネルクラブなど多数の慈善団体の支援に携わっているほか、王立救命艇協会(en:Royal Life Saving Society UK)の連邦理事長を務めている。
ロシアとの関係 [編集]
マイケルはロシアに強い関心があり、流暢なロシア語を話すことや、前述のニコライ2世と容貌が良く似ていることで知られている。1998年に皇帝一家が正式に埋葬された際は、イギリス代表として式に参加している。
フレデリック・フォーサイスの小説『イコン』では、ロシアが再び君主制国家となり、王子夫妻がロシア皇帝ならびに皇后の座に君臨する、という展開が書かれている。
家族 [編集]
1978年、シレジア貴族の一人娘でカトリック教徒のマリー・クリスティーヌ・フォン・ライプニッツ男爵令嬢と結婚。1701年王位継承法では王族がカトリック教徒と結婚した場合には王位継承権を失うことが定められているため、マイケルはイギリス王室の一員ではあるが、イギリス王位継承権を失った。2人の間には1男1女が生まれた。2人の子供は、アングリカン・コミュニオンとして育ったためイギリス王位継承権を有する。
- フレデリック・ウィンザー(1979年 - )
- ガブリエラ・ウィンザー(1981年 - )