エドワード (ケント公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
エドワード
Prince Edward, Duke of Kent
ケント公
HRH Duke of Kent.jpg
ケント公エドワード(2007年5月9日
続柄 ケント公爵ジョージ王子第一男子(ジョージ5世孫)
称号 ケント公爵
全名 Edward George Nicholas Patrick Paul
身位 Prince(王子)
敬称 His Royal Highness(殿下)
出生 1935年10月9日(79歳)
ロンドン
配偶者 キャサリン
子女 ジョージ
ヘレン・テイラー
ニコラス
父親 ケント公ジョージ
母親 マリナ
テンプレートを表示
イギリス王室
Badge of the House of Windsor.svg

エリザベス2世女王
エディンバラ公爵フィリップ王配


ケント公爵エドワード王子(Prince Edward, Duke of Kent洗礼名: エドワード・ジョージ・ニコラス・パトリック・ポール; Edward George Nicholas Patrick Paul1935年10月9日 - )は、イギリスの王族。第2代ケント公爵1942年襲爵)、陸軍元帥1993年任官)。初代ケント公爵ジョージジョージ5世の四男)の長男で、イギリス女王エリザベス2世の従弟。母マリナギリシャ王家出身で、女王の夫エディンバラ公フィリップの従姉である。現時点では英国王位継承順位31番目にある。

経歴[編集]

出生[編集]

ケント公ジョージマリナの長男として、ロンドンで生まれ、1935年11月20日バッキンガム宮殿内のプライベートチャペルで、カンタベリー大主教であるコズモ・ラングによって洗礼を施される。代父母には、ジョージ5世メアリー・オブ・テックプリンス・オブ・ウェールズヘアウッド伯爵夫人メアリーコノート公アーサーアーガイル公爵夫人ルイーズギリシャ王子ニコラオスがいる。

教育[編集]

少年時代は、バークシャーのラドグローブ・プレパラトリー・スクールを経て、イートン校スイスボーディングスクールであるル・ロゼで学んだ。卒業後は、サンドハースト王立陸軍士官学校に進み、在学中にフランス語通訳としての資格を取得した。

襲爵[編集]

1942年8月25日に、父ジョージが飛行機事故で急逝したことに伴い、6歳でケント公爵、セント・アンドルーズ伯爵、ダウンパトリック男爵の爵位を継ぐことになった。

王室の公爵として、早くに王族としての公務をこなさなくてはならない様になったケント公は、1952年の伯父ジョージ6世の国葬では棺とともに歩く役割を担い、翌1953年の従姉のエリザベス2世の戴冠式においては、エジンバラ公フィリップグロスター公ヘンリーに次ぐ順位で祝辞を述べた。

1959年には、貴族院議員となった。

軍歴[編集]

1955年に士官学校を卒業した後は、ロイヤルスコッチグレイ(第2竜騎兵)連隊の少尉に任官した。以降は香港キプロスで軍務に就き、1976年中佐の階級で除隊した。1983年6月11日少将1983年6月11日には陸軍元帥となった。

公務[編集]

少年時代から50年以上もの間、女王の代理としての役割を果たし続け、かつてのイギリスの植民地であるシエラレオネウガンダガイアナガンビアの独立祝賀式典や、最近ではガーナの独立50周年記念式典に出席した。日本へもたびたび訪問している。

貿易産業省貿易及び投資に関するイギリスの特別代表として、国外における見本市や国際会議などに参加する職務にあたっていたが、現在はヨーク公アンドルーにその地位を譲っている。

全英ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブの会長であり、そこで開催されるウィンブルドン選手権の優勝者に優勝盾を授与する人物として知られている。また2001年まではSpecial Representative for International Trade and Investmentの代表も務めていた。また、1967年より、フリーメイソンリーのイングランド・グランド・ロッジのグランドマスター(大親方)を務めている。

1999年南アフリカ共和国ボーア戦争100周年の式典に出席した。ケント公は、ボーア戦争でイギリスが非戦闘員を強制収容所に収容し、多数の死者を出した行為について、「アフリカ(原住民の)黒人に対し、大変酷い仕打ちをしたことは英国の恥辱」であり、「権利の無視が二度とあってはならない」と謝罪した。

家族[編集]

ケント公エドワードの紋章

1961年準男爵ウィリアム・ワースリーの娘キャサリンと結婚し、

  • ジョージ(1962年 - ) - セント・アンドリューズ伯爵
  • ヘレン(1964年 - ) - 美術商ティモシー・テイラーと結婚
  • ニコラス(1970年 - )

の2男1女をもうけた。

長男ジョージはカトリック教徒のイタリア系カナダ人女性シルヴァーナ・トマセッリと結婚し、1701年王位継承法の規定によりイギリス王位継承権を失った。また、ジョージの子供たちもカトリックへの改宗により継承権を失っている。さらに、次男ニコラス卿も自身のカトリックへの改宗により継承権を失った。なお、キャサリン夫人も1994年にカトリックに改宗している。

トリビア[編集]

  • 父ジョージは、1936年に伯父エドワード8世が退位を表明した際、廷臣達から後継者として名前を挙げられた経験がある事から、エドワード自身も事と次第によっては現在のイギリス国王となっていた可能性があった。

称号[編集]

  • 1935年10月9日 - 1942年8月25日
    エドワード・オブ・ケント王子殿下(His Royal Highness Prince Edward of Kent)
  • 1942年8月25日 -
    ケント公爵殿下(His Royal Highness The Duke of Kent)
先代:
ジョージ
ケント公爵
1942年 -
次代:
上位:
ライラ・ギルマン
イギリス王位継承順位
継承順位第 33
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位:
アメリア・ウィンザー