ハーラル5世 (ノルウェー王)
| ハーラル5世 Harald V |
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| ノルウェー国王 | |
ハーラル5世(2010年)
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| 在位 | 1991年1月17日 - 在位中 |
| 戴冠 | 1991年6月23日、於ニーダロス大聖堂 |
| 全名 | Harald ハーラル |
| 出生 | 1937年2月21日(76歳) |
| 配偶者 | ソニア・ハーラルセン |
| 子女 | マッタ・ルイーセ ホーコン |
| 王家 | グリュックスブルク家 |
| 父親 | オーラヴ5世 |
| 母親 | マッタ・アヴ・スヴェーリエ |
| 宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
| サイン | |
| ノルウェー王室 |
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ハーラル5世 |
ハーラル5世(ノルウェー語: Harald V、1937年2月21日 - )は、ノルウェー国王(1991年1月17日 - )。オーラヴ5世の子。日本の報道などでは英語読みでハラルド5世とも表記される。
目次 |
経歴 [編集]
1937年、オーラヴ王太子(当時)とマッタ妃の第3子として誕生。他国生まれではない王位継承者の誕生は567年ぶりだった。
第二次世界大戦中、父と祖父ホーコン7世はロンドンに亡命政府を樹立したためイギリスにいたが、ハーラルと母、姉妹たちはスウェーデンに亡命。しかし母子を受け入れることでドイツの干渉を受けることを恐れるスウェーデンからは冷遇され、更にドイツ軍とノルウェーの傀儡政府が祖父を廃位し、ハーラルを即位させようと画策。スウェーデンに数多く存在した親独派も母マッタにドイツに従うよう圧力をかけたため、母の友人でもあった米国大統領フランクリン・ルーズベルト夫妻の助けにより米国へ再亡命。ワシントンD.C.で生活した。終戦後の1945年に帰国。
高校卒業後、ノルウェー騎兵将校訓練学校・陸軍士官学校へ進み、1959年に軍隊教育を修了した。1957年9月21日、祖父王の崩御にともない、同日に20歳で王太子となる。オスロ大学で学んだ後、兵役終了とともにオックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学した。
1968年8月29日、オスロのデパート経営者の娘(=平民)であるソニア・ハーラルセンと結婚。9年間もの交際を経た恋愛結婚で、一般市民との結婚のハードルがいかに高かったが伺える。1953年に姉ラグンヒル王女は平民であるブラジル在住の資産家との結婚の為に王族特権の多くを返上させられており、また、祖父と父の故国デンマークにおいても王弟クヌーズ王子の子息たちが平民との結婚の為に皆王室を離脱していた。無論前例はなく、政府と王室は、同様に資産家の令嬢とは言え旧華族ではない正田美智子を皇太子妃に迎えた日本の皇室を参考に、協議を重ねたという。
1991年1月17日、父王オーラヴ5世の崩御に伴い、国王に即位。6月23日、トロンハイムのニーダロス大聖堂で戴冠式が行なわれた。
2003年1月に膀胱癌が発見され、12月8日に手術を受けた。それまでチェーンスモーカーとして知られていたが、病気をきっかけにきっぱりやめた。
人物 [編集]
イギリスのエリザベス2世、デンマークのマルグレーテ2世は父方のはとこ、ベルギーのアルベール2世は母方のいとこにあたる。
早稲田大学から名誉法学博士号を贈られているほか、父親と同じくスポーツマンとしても有名で、ヨットの選手としてオリンピック出場経験がある。 2007年にはソニア王妃とともにホルメンコーレン・メダルを受章した。
子女 [編集]
ソニア王妃との間に2子がいる。
外部リンク [編集]
| 先代: オーラヴ5世 |
ノルウェー国王 1991年 - |
次代: - |
| 上位: アメリア・エザリントン |
イギリス王位継承順位 継承順位第 68 位 他の英連邦王国の王位継承権も同様 |
下位: ホーコン王子 ノルウェー王子 |
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