ウィリアム1世 (スコットランド王)

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ウィリアム1世William I, 1143年 - 1214年12月4日)は、スコットランド王(在位:1165年 - 1214年)。デイヴィッド1世の次男ハンティングダン伯ヘンリーの次男で、マルカム4世の弟。

ウィリアム1世

兄が未婚で子の無いまま亡くなったため跡を継いだ。ウィリアム1世は、マルカム4世がイングランドヘンリー2世に奪われたノーサンバーランドなど北部イングランドの奪還を当面の目標とした。1168年フランスルイ7世と秘密同盟(いわゆる「古い同盟」(Auld Alliance))を結んで、イングランドと対抗した。イングランドでヘンリー2世とその王子たちに親子間の内紛が起こると、1174年にノーサンバーランドに攻め込んだ。しかし、ウィリアム1世はヘンリー2世軍に敗れ捕らえられ、スコットランドはイングランドに完全に臣従すること、スコットランド南部の城にはイングランド軍が進駐することなど屈辱的な講和(ファレーズ協定)を結ばされた。

1189年にヘンリー2世が亡くなり、イングランド王となったリチャード1世十字軍に熱意を燃やし、その資金源としてスコットランドとの臣従関係を金銭で清算することをねらった。ウィリアム1世は1万マルクを支払い、イングランドとの臣従関係の解除、スコットランド王としての主権回復、イングランド軍のスコットランドからの撤退を内容とするという協定(カンタベリー協定)が結ばれた。また、北部のマリ地方やケイスネス、サザランドを鎮圧し、国王の支配下に置くことに成功した。こうして、ノーサンバーランド以外の全スコットランドを掌握した。

宗教面では、1192年ローマ教皇ケレスティヌス3世と交渉し、スコットランドの教会はイングランドのカンタベリー大司教から独立し、自前の教会組織を持つことに成功した。また、1199年にリチャード1世の亡き後イングランド王となったジョンとノーサンバーランドを買い戻す交渉をしたが実らないまま、1214年12月4日スターリングで没した。49年の在位期間であった。息子のアレグザンダー2世が後を継いだ。

ウィリアム1世はスコットランド国王として初めて紋章にライオンを用いたため、獅子王(William the Lion)と呼ばれる。

子女[編集]

1186年、イングランド王ヘンリー1世の庶子コンスタンスと結婚、4人の子を儲けた。

  1. マーガレット(1193年 - 1259年) - ケント伯ヒューバート・ド・バーと結婚
  2. イザベラ(1195年 - 1253年) - ノーフォーク伯ロジャー・バイゴッドと結婚
  3. アレグザンダー2世(1198年 - 1249年)
  4. マージョリー(1200年 - 1244年) - ペンブルック伯ギルバート・マーシャルと結婚