ゾフィー・フォン・デア・プファルツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ゾフィー・フォン・デア・プファルツ、ピーター・レリー
インド人に扮したゾフィー、姉ルイーゼ・ホランディーネによる肖像画、1644年頃

ゾフィー・フォン・デア・プファルツSophie von der Pfalz, 1630年10月14日 - 1714年6月8日)は、プファルツ選帝侯ボヘミアフリードリヒ5世とその妃エリーザベト(エリザベス)の五女(第12子)。ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストの妃。ハノーファー選帝侯ゲオルク1世ルートヴィヒ(グレートブリテンジョージ1世)の母。ゾフィー・フォン・ハノーファー(Sophie von Hannover)とも呼ばれる。英語名はソフィア(Sophia)。

兄にプファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒカンバーランド公ルパート、プファルツ=ジンメルン伯エドゥアルトが、姉に哲学者として知られるエリーザベト、画家として知られるルイーゼ・ホランディーネがいる。ブランデンブルク選帝侯プロイセン公フリードリヒ・ヴィルヘルムは父方の従兄、イングランドチャールズ2世ジェームズ2世兄弟は母方の従兄に当たる。

生涯[編集]

1630年、両親の亡命先であるオランダハーグで生まれた。オランダで教育を受けていたが、1648年に兄のカール1世が三十年戦争を終結させたヴェストファーレン条約によりプファルツ選帝侯としてドイツへ戻ると、1650年にゾフィーもプファルツへ移住した。1659年に姪のエリザベート・シャルロット(リーゼロッテ)を兄から預けられると1663年まで彼女の世話を務め、1671年にリーゼロッテが政略結婚でフランスルイ14世の弟オルレアン公フィリップ1世に嫁いだ後は亡くなるまで文通を続けた。リーゼロッテと再会したのは1679年にフランスで行われたフィリップ1世と先妻の娘マリー・ルイーズスペインカルロス2世の代理結婚式に列席した時で、以後リーゼロッテと会うことはなかった[1]

はじめはブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ゲオルク・ヴィルヘルムと婚約していたが、美しかったゾフィーが嫁ぐ前に天然痘にかかってしまい、婚約を破棄された。その後ゲオルク・ヴィルヘルムは、愛妾であったフランスの小領主の娘エレオノール・ドルブリューズと結婚したため、ゾフィーは深くゲオルク・ヴィルヘルムを恨むようになった。1658年にゲオルク・ヴィルヘルムの弟エルンスト・アウグストと結婚したが、成人したうちでも4番目の男子であった夫には当時、公位を継ぐ可能性はほとんどなかった。しかし兄たちが嗣子なくして死去したために、エルンスト・アウグストは父ゲオルクの遺領を相続し、さらに1692年には選帝侯位を授けられた。

息子ゲオルク・ルートヴィヒは、1688年にゲオルク・ヴィルヘルムの娘ゾフィー・ドロテアと結婚したが、過去のいきさつやゾフィー・ドロテア自身がこの結婚を嫌がったことなどから、嫁姑の関係は良くなかった[2]

ゾフィーは政治力に優れよく夫を助けた。孫のゲオルク・アウグスト(後のジョージ2世)の嫁選びにも奔走し、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨハン・フリードリヒの娘カロリーネ(キャロライン)を見つけ出した。ゾフィーの嫁選びの目は確かで、カロリーネは聡明な女性であり、ロバート・ウォルポールと共に国王になった夫を後によく助けた。唯一の女子ゾフィー・シャルロッテは初代プロイセン王フリードリヒ1世の妃となった。哲学者ゴットフリート・ライプニッツとも交流を持ち、リーゼロッテとゾフィー・シャルロッテにライプニッツを紹介している[3]

17世紀後半以降のイギリスは、ピューリタン革命王政復古名誉革命が相次いで起こり、情勢が混乱していた。そして、名誉革命以降に王座に就いたメアリー2世ウィリアム3世の夫妻、アンのいずれにも王位継承可能な嗣子がなかった。

ゾフィーの母方の祖父がイングランドスコットランドの王ジェームズ1世であり、かつ彼女がプロテスタントであったこと、そして兄・姉たちやその子孫がいずれも死去していたかカトリックであったことから、カトリックの王の即位を阻むため、1701年王位継承法によってイングランドとスコットランド(合同してグレートブリテン王国となるのは1707年)のアン女王に次ぐ王位継承権者に定められた。

しかし、ゾフィーはアン女王より2ヶ月早く死去したため、女王の死後はゾフィーの長男であるハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがジョージ1世として王位を継承した。現代のイギリスでもこの王位継承法は有効で「ステュアート家の血を引いている者で、かつカトリックは排除する」と規定しており、その条件を満たすのはゾフィーの子孫に限られている。

子女[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 宮本、P42 - P54、P116 - P117。
  2. ^ 森、P182 - P186。
  3. ^ 森、P198 - P200、宮本、P73 - P74。

参考文献[編集]

  • 森護『英国王妃物語』三省堂、1986年。
  • 宮本絢子『ヴェルサイユの異端公妃―リーゼロッテ・フォン・デァ・プファルツの生涯』鳥影社、1999年。