エドワード殉教王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
殺害される寸前のエドワード殉教王(『フォックスによる殉教者伝』en:Foxe's Book of Martyrsより)。

エドワード殉教王(エドワードじゅんきょうおう、Edward the Martyr, 962年頃 - 978年3月18日)は、イングランド王(在位:975年 - 978年)。

975年に父エドガーが死去すると、宮廷貴族の間で王位継承争いが起こりそうになり、カンタベリー大司教ダンスタンの努力によって、幼年であったエドワードに王位が帰すも、978年に弟エセルレッドを擁立した継母エルフリーダ英語版暗殺される。エドワードは善きキリスト教徒であると考えられ、さらに彼の遺体を巡っていくつかの奇跡が見られたために、1001年6月21日列聖された。聖公会カトリック教会正教会で聖人。正教会では致命者として記憶される。

奇跡[編集]

978年3月18日、エドワードはドーセットにある狩猟場で狩を楽しんだ後、継母エルフリーダの息子である異母弟エセルレッドを訪ねた。猜疑心を持ち合わせていなかったエドワードは、勧められるまま蜂蜜湯を馬の背にまたがり飲み干していると、継母エルフリーダの手下たちがエドワードの背中に短剣を突き刺した。エドワードの遺体は、盲目の女性がエルフリーダの慈悲により暮らしていた近くの小屋に運ばれたが、その時最初の奇跡が起きた。その晩、小屋はこの世のものとは思えない光に包まれ、盲目の女性は視力を回復していた(その後その場所にはセント・エドワード教会が建設された)。視力を回復した女性の小屋から死体は移され、ウェアハムにある湿地帯に埋められたが、1年後、突然遺体を埋めた場所に火柱が立ち上がって住人たちを驚かせ、エドワードの遺体が発見された。その場所からは泉が湧き出し、エドワードの死を悼む人々がたくさん訪れた。

中世のエドワード信仰を示す逸話[編集]

中世ではエドワードの信仰は広く知れ渡っており、次のような話が残されている。

イングランドの聖王エドムンドゥスは、聖ヨハネのための頼みごとなら、誰から頼まれても断らなかった。あるとき、一人の巡礼が、聖ヨハネの墓地に詣でるために熱心に喜捨を乞うた。王は、そのとき侍従がその場にいなかったので、自分の高価な指輪を与えた。その後かなり後の海外でのこと、イングランドのある騎士に一人の巡礼がその指輪を与えてこう言った。「これをイングランドの王様に渡してください。そして、王様がこの指輪を与えられた巡礼は、王様がこれをお与えになる機縁になった、王様が敬愛されているその人であり、いまその者が王様にこれをお返しするのだと申し上げて下さい」と。こうして、聖ヨハネ自身がその巡礼だったことがわかった。