ロンドン証券取引所

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セント・ポール大聖堂から眺めたパターノスタースクエア。ロンドン証券取引所は写真の向かって右側の建物に入っている。

ロンドン証券取引所(-しょうけんとりひきじょ、London Stock Exchange, LSE)は、1801年に設立されたイギリスロンドンにある証券取引所である。世界における主要な取引所のひとつであり、世界経済中枢の一角を担う。上場企業は全体で3213社を数え[1]イギリス企業のみならず、国外の企業も多く含まれる。WFEの統計によると、2011年2月現在の時価総額は3.857兆ドル(約310兆円)であり第4位、2010年通年の売買代金は第6位であった。

所在はシティ・オブ・ロンドンセント・ポール大聖堂に近い、パターノスタースクエアに位置する。

上場[編集]

大企業が上場する「メイン市場」と新興企業が上場する「AIM市場」の2つがある。その取引システムについてはSETS(ロンドン株式自動取引システム)と呼ばれるオーダードリブン制に基づくもので、また決済については、英国の通貨であるポンド以外(米ドル、ユーロ、日本円他)も可能である。

日本企業の上場[編集]

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上場年月日
1 ソニー SON 1970年10月5日
2 全日空 ANA
3 トヨタ TYT 1999年9月29日
4 東芝 TOS
5 三菱電機 MEL
6 東レ TKK
7 MARUWA MAW
8 ホンダ HNDA 1981年
9 TDK TDK
10 NTT NPN 1994年10月
11 NTTドコモ NDCM 2002年3月1日
12 コナミ KNM
13 三菱商事 MBC 1989年

過去の上場企業[編集]

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上場期間
1 オートバックスセブン AUB 1995年~2007年
2 麒麟麦酒(現・キリンホールディングス) ~2006年
3 鹿島建設
4 NEC
5 みずほホールディングス
6 第一勧業銀行
3 富士銀行
7 日本興業銀行
8 三菱UFJフィナンシャル・グループ
9 三井住友銀行
10 住友銀行
11 さくら銀行
12 りそなホールディングス
13 武富士 TAK 2000年~2010年
14 富士通 FUJ 1981年~2014年

沿革[編集]

創成期[編集]

ロンドンにおける株式取引のおこりはウィリアム3世の治世の時代、ロシア北部の白海経由で中国を目指したモスクワ会社、インド・東洋の航海をした東インド会社、この2つの組織の資金を安定的に手当てする必要があったことによる。これは個人が捻出するに困難なほどの費用も、商人らに株式を発行することで会社立ち上げの資金を獲得し、株主らには最終的な利潤の分配権を与えるものであった。手法はすぐさま広まり、1695年には140の株式会社 (joint stock company) があったとされる。これら会社の株式の取引は、シティのエクスチェンジアレイ界隈にある2つのコーヒー・ハウス、ギャラウェイとジョナサンが中心となり、ブローカーをつとめるジョン・キャステインが発表する株価・商品価格は The Course of the Exchange and other things と呼ばれた。株式市場の成長に従い、法制度の整備もすすめられ、1697年にはブローカーおよびジョッバーの総員・悪弊規制法が議会を通過。内部者取引や市場の不正操作が制限、さらにブローカー業は免許制となって合法行為の誓約が求められるようになった。

南海泡沫事件[編集]

その後もエクスチェンジアレイはさかえていったが、1720年におきた南海泡沫事件によって潮流は後退する。南海会社の株価急騰に端を発した過剰なほどの熱狂が市場を席巻し、じきに株価の急速な巻き戻しが起きた一連の出来事は市場の混乱をまねき、その回復に長い時間をついやすこととなった。

バブル条例[編集]

南海泡沫事件によって、1720年バブル条例が制定され、株式会社設立は議会の許可制となり強い制約が加わった。これは、1825年まで存続したため、産業革命は従来の定説とは違い、株式会社制度による影響は大きくはなかったとの見方がある。一方、国債(ほとんどは戦費の調達)の発行・流通市場が加速した。

スレッドニードル通り[編集]

1748年にジョナサンが火事で焼け落ち、加えてアレイ界隈のあふれかえる人の多さに不満がつのっていたこともあって、ブローカーらはスレッドニードル通りにニュー・ジョナサンを再建、まもなく名称を証券取引所と定めた。1801年には会員規則の新設、証券取引会員場への再度改名をもって今日あるロンドン証券取引所の基礎ができあがる。しかし、これもまた手狭であったため同年にカペルコートへ移転するなど紆余曲折を経ながらも、市場そのものが朽ちることはなく1820年代の鉄道・運河・鉱山・保険に関わる産業の成長が支えとなって再び立ち直っていった。

1923年には紋章が授与された。モットーは「我が言葉は我が証文なり」(ラテン語: dictum meum pactum英語: my word is my bond[2]。このモットーが表しているとおり、「ロンドン株式取引所の最大の長所は、非のうちどころのない誠実さ」[3]といわれた。

1972年、エリザベス2世出席のもと立会場をそなえた証券取引所タワーをスレッドニードル通りに開き、新たな舞台を設けた。1986年10月27日のビッグバン到来においては大規模な変革がもたらされ、有価証券取引の手数料自由化によってブローカーやディーラー同様に各業者ごとで決定できる仕組み、ディーリングルームへのコンピュータシステム導入など、業務にかかわる多くの規制撤廃・緩和がなされた。

IRAによる爆弾事件[編集]

1990年7月20日、IRA暫定派の仕掛けた爆弾が、見学室後方の男性トイレで爆発する事件がおこる。現場はすでに避難が済んだ後であり、負傷者はゼロであった[4]。ただし電子取引を眼前にできる観光名所とはいえ事件の影響は大きく、同スペースを再開したものの1992年に閉鎖された。

新ロンドン証券取引所ビルの内部。中央のオブジェクトは、グレイワールドの手がけた『ザ・ソース』。

パターノスタースクエア[編集]

2004年7月、スレッドーニードル通りからセント・ポール大聖堂のすぐそばであるパターノスタースクエアへ移転。エリザベス2世が再び出席、エディンバラ公フィリップ同伴のもと、2004年7月27日に新ロンドン証券取引所がオープンした。

合併論議[編集]

2007年にNYSEユーロネクストが合併し、NYSEユーロネクストとなるなど証券取引所が国境を越えて合併する動きが盛んだった当時、ロンドン証券取引所へは2005年にNASDAQから合併提案があったが、これを拒否した。2006年にはロンドン証券取引所がイタリア証券取引所を買収。2011年2月にはTSX(トロント証券取引所)を運営するTMX社買収を提案している。

相場[編集]

代表的な株価指標は時価総額が最も大きい100社を対象としたFTSE 100で、これは1983年末の株価を基準値1000とした時価総額加重平均型株価指数である。

立会時間[編集]

通常の立会時間は土曜・日曜・取引所の定める休みをのぞく平日午前8時から午後4時30分まで。 (日本時間:17:00-翌日01:30)

資本[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Statistics - List of companies” (英語). London Stock Exchange. 2008年9月30日閲覧。
  2. ^ Our history” (英語). London Stock Exchange. 2008年9月30日閲覧。
  3. ^ ノーマン・マクレー 『ロンドン金融市場』 太田剛訳、至誠堂、1958年3月25日2008年9月30日閲覧。
  4. ^ ON THIS DAY: 20 July 1990: IRA bombs Stock Exchange” (英語). BBCニュース. 2008年9月30日閲覧。

外部リンク[編集]

座標: 北緯51度30分55秒 西経0度6分0秒 / 北緯51.51528度 西経0.10000度 / 51.51528; -0.10000