アメリカ独立宣言

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アメリカ独立宣言
1823年の複写
作成日1776年6 - 7月
批准日1776年7月4日
所在地複写:国立公文書館
草稿:議会図書館
作成者トーマス・ジェファーソンなど
署名者第二回大陸会議の代表56名
目的イギリスからの離脱の発表とその説明[1]

アメリカ独立宣言(アメリカどくりつせんげん、英語: United States Declaration of Independence)は、イギリスグレートブリテン王国)によって統治されていた北米13植民地が独立したことを宣言する文書である。1776年7月4日大陸会議によってフィラデルフィアで採択された[2]

正式な文書名は「The unanimous Declaration of the thirteen united States of America(13の団結したアメリカの諸国(州)による全会一致の宣言)」。

このため、7月4日"Fourth of July")は「アメリカ合衆国独立記念日」(Independence Day)として毎年盛大に祝われる。

なお、「独立宣言」と表記している歴史教科書や、「アメリカの独立宣言」、「アメリカ独立宣言」と表記している歴史教科書がある[3]

ベルギー合衆国独立宣言(1789年、ブラバント革命の最中に発された)、ニュージーランド独立宣言英語版(1835年)、リベリア独立宣言英語版(1847年)など、多くの国の独立宣言に影響を与えた[4]

沿革[編集]

アメリカ独立宣言」(ジョン・トランブル画、1819年)
この絵は、2ドル紙幣の裏面図版に使用されている。

1763年2月、フレンチ・インディアン戦争が終結すると、イギリス国王ジョージ3世ジョージ・グレンヴィル率いるグレンヴィル内閣は、北米13植民地への課税と支配を強化した。この本国政府による植民地圧迫策は、次第に植民地住民の本国に対する不満を鬱積させ、本国からの離反機運の醸成をもたらす(詳細は、「アメリカ合衆国の歴史」の項目と、「アメリカ独立戦争」、「アメリカ合衆国の独立」の項目を参照)。

それぞれに独自の発展を進めていた北米13植民地は、1772年11月、連絡組織として通信連絡委員会英語版を発足させる。この委員会は、1774年9月、第一回大陸会議ジョージア植民地を除く12の植民地代表の集会)に発展し、本国政府との和解策を練った。1775年4月、レキシントン・コンコードの戦いで、イギリス軍と植民地民兵隊の間に銃火が交えられ、独立戦争の火蓋が切られた。翌5月、第二回大陸会議が開会され(全13植民地代表がそろう)、ここ武力衝突に至っても本国政府との和解の道を模索していた。しかし、情勢は日増しに悪化し、翌1776年1月、独立論を訴えるトマス・ペインの著書『コモン・センス』が刊行されてベストセラーになると、住民の間でも植民地代表者の間でも、独立論は最高潮に達した。

同年6月7日、バージニア植民地代表のリチャード・ヘンリー・リーは大陸会議に『独立の決議』を提案し、これに基づいて同月10日、独立宣言起草委員会が発足した。この委員会は、トーマス・ジェファーソンジョン・アダムズベンジャミン・フランクリンロジャー・シャーマンロバート・R・リビングストンの5人で構成されたが、ジェファーソンが宣言案を起案(起草)し、フランクリンとアダムズがわずかに修正して委員会案とされた。委員会案は大陸会議に提出されて、さらに多少の推敲がなされた。

そして、1776年7月2日、リチャード・ヘンリー・リーの『独立の決議』がまず可決され、『アメリカ独立宣言』は7月4日に採択された。

内容[編集]

独立宣言は、「基本的人権革命権に関する前文」、「国王の暴政と本国(=イギリス)議会・本国人への苦情」に関する28ヶ条の本文、そして「独立を宣言する結語」の3部から成る。

基本的人権・国民主権が盛り込まれている。

中でも、「全ての人間は平等に造られている」と唱え、不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げた前文は、アメリカ独立革命の理論的根拠を要約し、後の思想にも大きな影響を与えた。その理論は、名誉革命を理論的に正当化したジョン・ロック自然法理論の流れを汲む。

後世[編集]

20世紀[編集]

プロジェクト・グーテンベルクで最初に電子書籍化された文書だった(1971年)[5]

日本への影響[編集]

宣言公布当時の日本は、江戸幕府10代将軍徳川家治の統治下にあった。黒船来航以前で、アメリカ合衆国とはまだ直接の外交や貿易は存在せず、独立宣言が持ちこまれることもなかった。その後、開国により欧米の文物が流入するなかで、はじめて受容された。

学問のすゝめ[編集]

福澤諭吉はその著書『西洋事情』で、「千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州独立ノ檄文」としてアメリカ独立宣言の全文を和訳して紹介した。

天ノ人ヲ生スルハ、億兆皆同一轍ニテ之ニ附與スルニ動カス可カラサルノ通義ヲ以テス。即チ通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ルノ類ニテ他ヨリ如何トモス可ラサルモノナリ。人間ニ政府ヲ立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、政府タランモノハ其臣民ニ満足ヲ得セシメ初テ眞ニ権威アルト云フヘシ。政府ノ処置此趣旨ニ戻ルトキハ、則チ之ヲ変革シ、或ハ倒シテ更ニ此大趣旨ニ基キ人ノ安全幸福ヲ保ツヘキ新政府ヲ立ルモ亦人民ノ通義ナリ。是レ余輩ノ弁論ヲ俟タスシテ明了ナルヘシ

— 『西洋事情』初編 巻之二

このうち、冒頭の章句および思想は、のちの『学問のすゝめ』初編冒頭に引用され、人々に広く知られるところとなった。

日本国憲法[編集]

アメリカ軍を中心とするGHQ占領下にあった日本で、1946年に公布、1947年に施行された日本国憲法第13条にも、その影響は見られる。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

脚注[編集]

  1. ^ Becker, Declaration of Independence, p. 5.
  2. ^ JPEG版:トーマス・ジェファーソンジョン・アダムズベンジャミン・フランクリンロジャー・シャーマンロバート・リビングストン. “In Congress, July 4, 1776. The unanimous declaration of the thirteen United States of America”. 2009年9月8日閲覧。アメリカ議会図書館。
    テキスト版:In Congress, July 4, 1776. The unanimous declaration of the thirteen United States of America.”. 2009年9月8日閲覧。アメリカ議会図書館
  3. ^ 『中学社会 歴史』(教育出版。平成8年2月29日 文部省検定済。教科書番号:17教出 歴史762)p 154, 155に「13植民地は大陸会議にまとまり, 1775年, ワシントンを総司令官として, 独立戦争を起こし, 翌年, 独立宣言を発表した。」と記載され、『社会科 中学生の歴史 初訂版』(帝国書院。平成17年3月30日 文部科学省検定済。教科書番号:46帝国 歴-713)p 137に「1776年に, 独立宣言が発表されました。」と記載され、『新しい社会 歴史』(東京書籍。平成13年3月30日 文部科学省検定済。教科書番号:2東書 歴史702)p 112, 113に「かれらは社会契約説を信じ, イギリス本国による新しい税と弾圧に抗議して, 1776年に独立宣言を発表しました。」と記載され、『【改訂版】詳説世界史』(山川出版社。1997年3月31日 文部省検定済。教科書番号:81山川 世B575)p 206に「1776年7月4日, 13植民地の代表はフィラデルフィアで独立宣言を発表した。」と記載されている。『中学社会 歴史』(教育出版。平成8年2月29日 文部省検定済。教科書番号:17教出 歴史762)p 154の囲みには「アメリカの独立宣言」というタイトルがついた「アメリカ独立宣言」の日本語訳の一部の要約が記載されている。『【改訂版】詳説世界史』(山川出版社。1997年3月31日 文部省検定済。教科書番号:81山川 世B575)p 207の囲みには「アメリカ独立宣言」というタイトルがついた「アメリカ独立宣言」の日本語訳の抜粋が記載されている。
  4. ^ Armitage, David (2007). The Declaration of Independence: A Global History (英語). Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press. pp. 113–126. ISBN 978-0-674-02282-9
  5. ^ Flood, Alison (8 September 2011). "Michael Hart, inventor of the ebook, dies aged 64". The Guardian (英語).

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]