アントニヌス勅令

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アントニヌス勅令(アントニヌスちょくれい、Constitutio Antoniniana)は、212年ローマ帝国カラカラ帝によって発布された勅令。これによって帝国内の全自由民にローマ市民権が与えられた。「アントニヌス」とは、カラカラの本名「マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス」に由来する。

概要[編集]

この政令の目的は属州民をローマ市民とすることで

  • 遺産相続税・解放奴隷税など、ローマ市民にのみ課せられていた税を増やすことによる国庫収益の拡大。
  • 属州で広範囲に頻発していた深刻な税金逃れや逃散を抑える。
  • ローマ市民であることが資格となる軍団兵対象者の増員による、深刻化していた兵員不足の解消。

などを狙ったものとされる。

また、古代ローマは歴史的に漸次、同化路線を推進しており、顕著なものとして紀元前91年同盟市戦争の結果イタリア半島の全同盟市民に対しローマ市民権を付与しているという実績もある。いわばこの同化政策の総決算ともいえる。

結果[編集]

しかしながら、属州民を無条件にローマ市民としたことで、ローマの重要な財源であった属州税(属州民に対し収入の十分の一を課税)は課税対象の属州民を"消滅"させたことにより事実上廃止されてしまった。また増額した遺産相続税(親族は非課税)と解放奴隷税というのは、「非血縁者に自分の遺産を分与する」[1]「長年尽くした奴隷に、奴隷身分から解放する事で報いる」というローマ社会特有の習慣に立脚して存在していた税であり、属州民にはそのような習慣は無かった。このため国庫収入は増大するどころか却って減少し、それを補うために以降のローマ帝国は臨時税を濫発することとなった。

従来、属州民が市民権を得るには満期除隊した後に退職金と共に世襲のローマ市民権が与えられたため、補助兵(アウクシリア)として軍隊に入るのが一番の近道であった。待遇の低い補助兵に応募する者の数が年々減少し編成に支障を来たしたことも、このような措置を採った理由の一つであると考えられている。また市民権保有者にもあえて兵役に就くことを望む者は減少しており、加えてカラカラが兵士の待遇改善を行ったため長年軍務に就く者が増加して軍団の高齢化が進んでおり、何らかの改革が必要だった。しかし「国土防衛は市民の義務」といったローマの市民精神はこの時期にはすでに減退しており、結局このような対応策によっても国防能力の低下を押し止めることはできなかった。これは3世紀の危機において外敵の侵入を容易く許していることからも判る。

ローマ市民権は軍務に就くなどの条件を満たせば属州民であろうと与えられていたものであったことから、属州民と市民との格差は(少なくとも家族レベルでは)永遠に固定されたものではなく一生を賭して克服することが可能な格差といえた。しかしこの勅令によって市民権を得たことで属州民は向上心を無くし、元からの市民権保有者も特権と誇りを奪われ、社会全体の活力が減退する結果を招くこととなった。また元の市民権保有者からの反発により、「勅令以前からのローマ市民」と「勅令以後のローマ市民」という、どのようにしても克服が不可能な新たな階級意識も生まれるという何とも皮肉な事態も生じた。

評価[編集]

塩野七生は増税政策としては完全に失敗していることから勅令のそもそもの動機は増税目的ではないと考え、建国当初から外来者に対して開放的だったローマ社会の性格を踏襲して市民と非市民の垣根を取り払うことで帝国の結束を高めようと考えたカラカラ自身の好意から出たものであると解釈している。ただしその結果は上述のように完全に裏目に出てしまい、「軽薄で浅慮な失策以外の何ものでもなかった」と評している。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 有力者に遺産分与を約束し、引き替えに生前において有力者の庇護を受ける。利殖の才に長けた奴隷を解放するのと引き替えに、遺産を元の主人に分与する。将来の見込みのある若者に対する善意の援助として、など種々の理由があった。