麻生太郎
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| 生年月日 | 1940年9月20日(67歳) |
|---|---|
| 出生地 | 福岡県飯塚市 |
| 出身校 | 学習院大学 |
| 学位・資格 | 政治学士 |
| 前職 | 麻生セメント(現:麻生ラファージュセメント)社長 日本青年会議所会頭 |
| 所属委員会 内閣役職 |
衆・国家基本政策委員会委員 |
| 世襲 | 五世 高祖父(牧野の父)・大久保利通 高祖父(牧野の妻の父)・三島通庸 曽祖父(父方)・麻生太吉 曽祖父(母方)・牧野伸顕 祖父(母方)・吉田茂 父・麻生太賀吉 義父・鈴木善幸 (初当選は父の引退から24年後) 義弟・寛仁親王(信子の夫) |
| 選出選挙区 | 福岡8区 |
| 当選回数 | 9回 |
| 所属党派 | 自民党(為公会) |
| 党役職 | |
| 会館部屋番号 | 衆・第一議員会館210号室 |
| ウェブサイト | 麻生太郎オフィシャルサイト |
麻生 太郎(あそう たろう、1940年9月20日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(9期)。為公会(麻生派)会長。モントリオールオリンピッククレー射撃・スキート日本代表(41位)。漫画好きとしても知られている。
外務大臣(第137・138代)、総務大臣(第3・4・5代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、経済企画庁長官、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長を歴任。元麻生セメント代表取締役社長。
目次 |
[編集] 略歴
- 1940年9月 - 福岡県飯塚市に麻生太賀吉と和子の長男として生まれる[1]。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃、上京し学習院初等科に編入する[2]。
- 1959年3月 - 学習院高等科卒業。
- 1963年3月 - 学習院大学政経学部政治学科卒業。
- 1963年4月 - スタンフォード大学大学院に留学。
- 1965年 - ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。
- 1966年8月 - 麻生産業株式会社に入社。
- 1966年11月 - 麻生産業株式会社の取締役に就任。
- 1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
- 1976年7月 - モントリオールで開かれた第21回オリンピック競技大会に日本代表として出場(射撃:クレー・スキート)。
- 1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
- 1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。
- 1983年11月 - 鈴木善幸元首相の三女千賀子と結婚、後に一男一女をもうける。
- 1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙で3期目の当選を目指したが落選。
- 1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙で返り咲き当選(3期目)。以降第44回まで6回連続当選。
- 1988年12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)。
- 1990年3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
- 1991年1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
- 1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
- 1992年12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。
- 1996年11月 - 国務大臣経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。
- 1999年1月 - 党内で長年所属した宏池会離脱~元総裁河野洋平を会長に大勇会旗揚げ。
- 1999年3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。
- 2001年1月 - 国務大臣経済財政政策担当大臣に就任(2001年4月まで)。
- 2001年4月 - 自民党総裁選に出馬し小泉純一郎元郵政相、橋本龍太郎元首相と戦い31票で3位。
- 2001年4月 - 党政務調査会長(2003年9月まで)。
- 2003年9月 - 総務大臣に就任。
- 2003年11月 - 総務大臣に再任。
- 2004年9月 - 国民スポーツ担当が追加。
- 2005年10月 - 外務大臣に就任。
- 2006年9月 - 06年自民党総裁選に出馬し安倍官房長官、谷垣財務大臣と戦い136票で次点となり、落選。
- 2006年9月 - 外務大臣に再任。
- 2006年12月 - 為公会(麻生派)を設立し、会長に就任。
- 2007年3月20日 - 在職25年となり永年在職議員表彰を受ける。
- 2007年8月27日 – 安倍改造内閣において自民党幹事長に就任。
- 2007年9月 - 07年自民党総裁選に立候補するも133票差で敗れた(福田:330票 麻生:197票)。選挙後、幹事長を辞任。
[編集] 主な所属議員連盟等
- 社団法人日本クレー射撃協会会長
- 日本女子バスケットボール機構会長
- 財団法人日本釣振興会名誉会長
- 財団法人日本レクリエーション協会顧問
- 日韓議員連盟副会長
- 日韓トンネル研究会九州支部顧問
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 日本オリンピアンズ協会顧問
- 日伯国会議員連盟会長
- 日本・中南米国会議員連盟顧問
- 日伯交流年実行委員会名誉会長
- 財団法人地球市民財団評議員
- 財団法人九州住宅建設産業協会顧問
- 社団法人亜東親善協会顧問
- 賃貸住宅対策議員連盟顧問
- 社団法人日本調理師会名誉会長
- 日本トップリーグ連携機構副会長
- 社団法人全国経理教育協会会長
[編集] 人物像
[編集] 人物
身長174cm、血液型A型。名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と本人は語っている。べらんめえ口調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言が、街頭演説などで聴衆から人気を博した。自民党内からも「演説上手」といわれているが、過去度々失言が指摘されている。
学習院大学卒業後、スタンフォード大学大学院、ロンドン大学政治経済学院に留学する。帰国後に家業の麻生産業(現麻生セメント)に入社、炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にブラジルのサンパウロに駐在していた事もある。 自称政界一のオタク。
[編集] 社会的な影響力
バスケットボール女子日本リーグ機構総裁や日本トップリーグ連携機構副会長といった各種スポーツ団体の役員も兼務している。
[編集] 顕彰
2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された。
[編集] 信仰
クリスチャン(カトリック)であるが、毎年靖国神社に参拝している。終戦の日の8月15日ではなく、例大祭に合わせて参拝している(カトリックでは8月15日は聖母の被昇天という祭日であり、この日に祝いのミサがあるという事情もある)。
[編集] 経歴
射撃選手としての経歴を持ち、モントリオールオリンピックに日本代表選手として出場(結果は41位)、第2回メキシコ国際射撃大会(クレー・スキート(個人・団体))では優勝。現在日本クレー射撃協会会長を務めている。
[編集] 過去の言動
[編集] 経済
自称「経済通」。2006年の自民党総裁選の頃、「安倍君なんかからは、経済の話を(一度も)聞いたことない」と発言。これに対し安倍晋三は「私はこれまで機会ある時には、発言してまいりましたが、麻生さんが何をどのように考え発言しているのか・・・」と述べた。
消費税の増税に関しては、夕刊フジの連載に「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかないということは、国民の皆さんもうすうす納得し、覚悟されている方も多いんじゃないかと思います」「官によるムダ遣いをなくすということ。社会保険庁のあきれた実態はもとより、いまだに官が無駄を温存し、太鼓を鳴らそうが税金を効率よく使おうとしない事例はたくさんあります。こんなことがまかり通っているままでは、増税の話は持ち出せません」などと書いた論文を発表している。
[編集] 外交
- 2006年1月9日、福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。
- 2006年7月8日に広島市内で行なった講演で、北朝鮮がミサイルを撃ち、主要国が重大な関心を持ったことについて、「金正日に感謝しないといけないな」と発言した。
- 2006年10月、中川昭一自民党政調会会長が核武装も選択肢として考えておくべきだと発言したのに対し、「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言した(本人は非核三原則を堅持すると明言はしている)。この発言が原因で12月に民主、社民、共産など野党4党から外相としての不信任決議案を提出された。
- 2007年1月26日、第166回通常国会衆議院本会議の外交に関する演説において「近隣諸国に目を転じますと、まず中国との間には、1日1万人以上、 年間400万人を超す相互の往来があり、経済関係がとみに緊密な現状を物語っています。 本年も政治と経済の両輪を力強く回します。 共通の戦略的利益に立脚した、互恵関係を築いてまいります。」「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます。」「ODAは、我が国外交の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。 「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。 そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります。」と述べた[3]。
- 2007年2月3日、京都市内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのがイラクで分かった。(イラク戦争においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク政策を批判した。
[編集] 歴史認識
- 2003年5月31日、東京大学学園祭において「創氏改名は朝鮮人が望んだ」(満州や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本はハングル普及に貢献した」と述べた。当該項目も参照。
- 2006年2月4日の福岡市での講演において、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
- 2006年5月26日、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。 (中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません。」と述べた。[4]
- 2007年2月19日、衆議院予算委員会において米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と述べた[5]。
- 2007年3月21日、長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか一回もない」と語った。
[編集] 靖国神社問題
- 2006年1月28日、名古屋で行われた公明党議員の会合で、「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べた。「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えた。外交問題に飛び火した首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはたばこを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。
- 2006年5月26日に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意は出来たが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した[6]。
- 2006年8月8日に靖国神社を非宗教法人化する私案を発表した[7][8]。
- 2006年8月21日、自民党総裁選に立候補することを正式に表明する。総理総裁になったときには、靖国神社を上で述べられているように非宗教法人化、最終的には「特殊法人国立追悼施設靖国社」にすることを公約に掲げた。
- A級戦犯の分祀については、遺灰・遺品がなく「魂」が存在する(と信じられている)に過ぎないため分祀は原理的に不可能である点、戦死者ではないという点、東京裁判を否定する点から疑義を唱えている。
- 政治家が靖国神社に分祀を求めることについては、宗教法人に対する介入であることから、慎むべきだとしている[9]。
- 政治家の参拝に対して政教分離が問われるなど、問題の過半は靖国神社が宗教法人であることだとしている[9]。
- 外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。
[編集] 野中広務に対する「部落差別発言」
麻生が大勇会の会合において被差別部落出身の野中広務に対する差別発言を行ったことを会合の出席者から聞いたとして、野中が自民党総務会等でこの発言を強く批判した[10][11]。麻生は発言を否定している。
[編集] その他に差別的と指摘を受けた発言
- 2003年10月20日にホームレスに対しての発言が差別的であるとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから抗議を受けたが[12]、翌日の会見[13]で改めて趣旨を説明し、撤回等はしていない。
- 総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は選挙区は異なるものの麻生の地元である福岡県内にある。
- 2007年7月19日、富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響だと懸念され、塩崎恭久内閣官房長官からも「適格性を欠く」と批判された。翌7月20日に謝罪した上、撤回した[14]。
- 2007年7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で「酒は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言したことについて、毎日新聞は問題表現であるとした。自民党の町村派幹部は参院選後の政局に響くとの見方を示した。また、社民党の福島瑞穂は「全く人権感覚がない」として罷免を求める考えをしめした(ただし、実際に酒のことをきちがい水と呼ぶのは文学的にみれば間違っておらず、問題にすることに対しての異論もある。)[15]。
[編集] その他の発言
- 2007年10月6日、フジテレビ系列の情報番組であるハッケン!!でのインタビューで「2ちゃんねるに時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これに対し、2ちゃんねるでもユーザーの間で話題になった。[16]
- 2008年2月、中国製ギョーザによる中毒問題に関連し熊本市での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの?農協は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。
[編集] その他
- クールビズスタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけているカトリック信徒としてのロザリオ(十字架)の鎖部分である(側近の松本純議員がウェブサイトで説明している)。
- 谷垣禎一前財務相との「安倍晋三首相に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話内容を、谷垣が述べたが、麻生はこれに対して「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた[17]。
- 3年10か月の国民年金保険料未払い期間があったことが、2004年9月に判明した。当時の民主党代表菅直人が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。詳細は政治家の年金未納問題を参照のこと。菅直人自身も未納が発覚し代表を辞任、四国巡礼の旅に出た。
[編集] 漫画
- 読書が趣味。特に漫画好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身のウェブサイトに『ビッグコミックオリジナル増刊』2003年7月2日号のインタビュー[18]が収録されているが、必ず自分の車内には最新の週刊コミック誌を置いているほどであるという。
- 2006年及び2007年の自民党総裁選とも秋葉原で街頭演説し、漫画を始めとした日本のソフトコンテンツ産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持とうという趣旨の発言を行った。
- 羽田空港で『ローゼンメイデン』を読んでいたところを見たという真偽不明の2ちゃんねるの書き込みがインターネット上で話題となり、一部から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』とあだ名された。2006年5月に行われた雑誌『メカビMOOK』のインタビューの際に『ローゼンメイデン』について、女の子っぽい絵柄だけど、話が重厚にできていると感心したことを述べている。但し、羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていないとしている[19]。だが、2008年2月18日のSMAP×SMAPにゲストとして登場した際に質問され「空港で噂のローゼンメイデンが置いてあったので読んだ」と言っており、事実という事が分かった。『英語でしゃべらナイト』では、「ああ、これが最近噂の・・・」と思って雑誌を3,40秒ほどパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。
- 2007年5月22日、海外の漫画家を対象とした「国際漫画賞」を創立することを発表。麻生は「漫画のノーベル賞のようなものを作りたい」と述べている。第一回は同年6月に発表され、李志清(中国籍)の「孫子兵法」が受賞。
- 2007年5月30日からウィーンで開催される核拡散防止条約 (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画『はだしのゲン』の英訳版を加盟国に配布することになった。これは麻生の肝いりで実現したものである。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している[20]。
- ポーランド外相からは、現地(ポーランド語)版の『犬夜叉』を寄贈されている[21]
- 但し、全ての漫画に理解があるという訳ではなく、1989年 - 1991年に掛けての「有害コミック」騒動では、成人向け漫画を主とした「有害コミック」を規制する立場から1991年「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成し、会長となった。
- 一方、『名探偵コナン』を使った外務省のPR冊子作成発表時に、『名探偵コネン』と読み間違えたり、その作者青山剛昌の名前を読めなかった。また、外相時にメキシコの日墨学院を訪問した際、在校生からメキシコで人気が高い漫画「るろうに剣心」について質問され、答えられない場面もあった。
[編集] 家系
- 麻生家は、宇都宮氏の流れを汲む麻生氏の一族とされている。麻生家の名前の由来をたどると、先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという[22]。江戸時代には村の庄屋を務め、1868年大庄屋となった。明治の始め曾祖父・麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し石炭産業に着手、九州三大石炭財閥の一つに伸し上がり鉄道、電力、金融等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は吉田茂の資金源となった。
- 吉田茂元首相は祖父、加納久朗子爵は祖母・夏子の兄。牧野伸顕伯爵、自由民権運動の闘士竹内綱は曽祖父、明治の元勲大久保利通、三島通庸子爵は高祖父にあたる。妻は鈴木善幸元首相の三女。夫人との間に1男1女あり。弟・泰の妻は元・日本医師会会長武見太郎の娘。妹・信子は寬仁親王妃。従兄弟にキャプテン・フューチャーの翻訳者として知られるSF作家の野田昌宏がいる。
- 文芸・野球評論家の大井廣介は本名を麻生賀一郎といい、麻生太賀吉に対しては従兄弟にあたる。
- 橋本龍太郎元首相は遠縁の親戚(麻生の祖母夏子の兄加納久朗の孫久美子が龍太郎の妻)。
- 安倍晋三元首相は遠縁の親戚(麻生の祖父吉田茂の長女桜子の夫・吉田寛が岸信介元首相のいとことなるため)。
- なお、外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、世襲が多い日本の政界でも極めてまれなケースである。
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野田健三郎 |
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野田宏一郎 (野田昌宏) |
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ツヤ子 |
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鈴木俊一 |
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鈴木善幸 (首相) |
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加納久宜 |
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加納久朗 |
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麻生太吉 |
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竹内綱 |
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吉田茂 (首相) |
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吉田健一 |
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相馬和胤 | (相馬家第33代当主 ミングオブジャパン社長) |
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旦子 |
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桜子 |
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荒船清彦 | (駐スペイン大使) |
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信子 |
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峰子 |
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彬子女王 | ||||||||||||||||||||||||||||
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瑶子女王 | ||||||||||||||||||||||||||||
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麻生泰 (麻生社長) |
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