林義郎

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林 義郎はやし よしろう1927年6月16日 - )は、日本政治家自由民主党衆議院議員第1次中曽根内閣厚生大臣宮沢改造内閣大蔵大臣を歴任した。

[編集] 系譜

林家は、享保年間創業となる醤油製造業・大津屋下関市)や、下関市を中心に展開するバス事業者・サンデン交通の経営を行う地元の名士である。(2007年11月現在、両社の代表取締役社長は実弟・林孝介であり、林義郎自身は取締役会長である。)

[編集] 来歴

山口県下関市貴船町出身。豊浦中学、旧制第一高等学校を経て、1950年東京大学法学部を卒業、同年、通商産業省に入省する。通産省では、通産大臣秘書官、官房審議官、通産省重工業局産業機械課長を歴任。

1969年に通産省を退官し、同年末の第32回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧山口1区から立候補し当選。以後連続11回当選。佐藤派を経て田中派に所属し、経済企画政務次官大蔵政務次官、自民党経理局長などを経て1982年第1次中曽根康弘内閣の厚生大臣として入閣する。林は、国際金融政策を中心に自民党内有数の政策通として知られていた。一方で、通産官僚出身ということもあって、田中派内の竹下登金丸信ら党人派の実力者とは一線を画した。宮沢喜一が派閥横断的に組織した政策集団「平河会」では事務局長を務め、宮澤の良き理解者となる。田中派分裂に際しては、竹下、金丸らとは行動を共にせず、二階堂グループに参加している。

1989年第15回参議院議員通常選挙に敗北し、内閣総辞職を表明した宇野宗佑首相の後任を選ぶ総裁選挙に、「平河会」のつながりから宮澤派の支持を得て立候補、120票を獲得した。その後、二階堂グループの消滅により宮澤派に参加。海部俊樹内閣では衆議院税制改革特別委員長、宮沢内閣で衆議院国際平和協力特別委員長にそれぞれ起用された。

1992年宮沢改造内閣で大蔵大臣に就任。その後は、自民党税制調査会の幹部として、小委員長、税制調査会長を歴任し、いわゆるインナーの一人として自民党税調に影響力を維持した。また、小選挙区比例代表並立制が導入されて以後は、安倍晋三と調整の上、比例代表中国ブロックから選出された。

2000年勲一等旭日大綬章を受章する。2003年第43回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退した。

先代:
森下元晴
厚生大臣
1982 - 1983
次代:
渡部恒三
先代:
羽田孜
大蔵大臣
1992 - 1993
次代:
藤井裕久