彬子女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
彬子女王
Princess Akiko of Mikasa.JPG
2011年5月28日オックスフォード大学 学位授与式
続柄 寬仁親王第一女子(大正天皇曾孫)
身位 女王
敬称 殿下
Her Imperial Highness
お印
出生 1981年12月20日(32歳)
日本の旗 日本
父親 寬仁親王
母親 寬仁親王妃信子
役職 日本・トルコ協会総裁
立命館大学衣笠総合研究機構特別招聘准教授
宗教法人慈照寺研修道場美術研究員
法政大学国際日本学研究所客員所員
テンプレートを表示

彬子女王(あきこじょおう、1981年昭和56年)12月20日- )は、日本皇族寬仁親王同妃信子の第一女子。身位女王で、皇室典範における敬称殿下お印(ゆき)。勲等勲二等宝冠章日本・トルコ協会総裁、立命館大学衣笠総合研究機構特別招聘准教授法政大学国際日本学研究所客員所員、銀閣寺研修道場美術研究員学位オックスフォード大学博士(D.Phil., Oxford University, 2010)[1]

略歴[編集]

2012年一般参賀.

1981年(昭和56年)12月20日に寬仁親王と信子妃の第一子として誕生した。皇室における女王は1947年(昭和22年)10月に11宮家が皇籍離脱して以来であり、また現皇室典範における女王誕生は初めてである。2005年(平成17年)11月の清子内親王臣籍降嫁以降は未婚の皇族女子の中では最年長である。

2001年(平成13年)に成年に達したことにより、勲二等宝冠章(のちの宝冠牡丹章に相当)を授与される。

2004年(平成16年)3月学習院大学文学部史学科を卒業(学士 (史学))した。皇太子徳仁親王が同じ科を卒業した先輩である。同年9月より、イギリスオックスフォード大学マートン・カレッジに留学して、日本美術史を専攻した。海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行う[2]。女性皇族の中では珍しく、学問研究に専念して、2010年(平成22年)1月にオックスフォード大学博士課程を修了して、博士号(D.Phil.)を取得した[3]。博士号取得は総合研究大学院大学博士 (理学)秋篠宮文仁親王に続き、皇族として2人目、女性皇族として史上初、海外の大学からの課程博士号取得は皇族として史上初となった。

研究がまとまった2009年(平成21年)秋に日本に帰国して、公募採用で同年10月1日より京都立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェローに就任した。グローバルCOEプログラム日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点日本文化研究班に所属。皇族としての公務の合間、同機構でデータベース化作業を行う[3]

ポストドクトラルフェローの任期が切れた2012年(平成24年)4月1日より、立命館大学衣笠総合研究機構の特別招聘准教授に就任。同時に、今上天皇の幼稚園時代の学友で銀閣寺慈照寺住職を務める臨済宗相国寺管長有馬頼底に依頼し、宗教法人慈照寺研修道場美術研究員に就任している。同月心游舎を発起人代表として設立。同年5月1日からは法政大学国際日本学研究所所員も務め、文部科学省国際共同に基づく日本研究推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究に従事、ドレスデン美術館ポーランドに出張した[4]

2012年(平成24年)6月6日薨去した寬仁親王の斂葬の儀に於いて喪主を務めることが宮内庁より発表された[5]2013年(平成25年)6月12日に、寬仁親王の後任として日本・トルコ協会総裁に就任[6]

女性宮家に関する発言[編集]

2012年(平成24年)1月7日の『毎日新聞』のインタビュー記事で皇位継承問題に絡む女性宮家創設問題について、政府の議論が女性宮家を創設するかどうかのみとなっていることに違和感を覚えているとし、戦後に皇族の身分から離れた旧皇族の復帰案もあることを指摘している。また、結婚後に公務を続けることについては「結婚後も公務をすることに抵抗はありません」と語った。この記事の元になったインタビューでは、女性宮家創設は、結婚適齢期の女性皇族にとって今後の人生を左右する問題であることに触れ「決めるのであれば早く決めていただきたい」と答えた。しかしその後の一部報道でこの言葉があたかも女性宮家創設を推進する発言であるかのように伝えられた[7] [8]

研究活動[編集]

2004年(平成16年)の学習院大学卒業後、同年9月よりオックスフォード大学に留学した。

2006年(平成18年)6月文学修士を取得した。12月東京大学(本郷キャンパス)で開催されたジャポニスム学会第四回例会で「標本から美術へ-19世紀の日本美術蒐集:シーボルト、アンダーソン、フェノロサ」と題した研究を発表した。

2007年(平成19年)4月2日友人大学生とともに東京ディズニーシーを訪れた際の様子が、『週刊朝日』に掲載された[9]7月お茶の水女子大学で開かれた第9回国際日本学シンポジウムで「ウィリアム・アンダーソン・コレクション再考」と題した研究を発表した。論文は『比較日本学研究センター研究年報』第4号に掲載されており、大学のホームページから閲覧可能である。

2009年(平成21年)2月、日本美術誌「国華」1360号にも論文が掲載された。7月、論文『「風俗画」再考 ―西洋における日本美術研究の視点から―』が、『風俗絵画の文化学―都市をうつすメディア』(思文閣出版)に掲載された。10月1日から立命館大学衣笠総合研究機構で研究員となり、日本の有形・無形文化財をデータベース化する作業などに携わる。

2010年(平成22年)1月19日、オックスフォード大学での学位口頭試問に合格、オックスフォード大学博士課程を修了して、博士号取得(D.Phil.)した。論文テーマは“19~20世紀に大英博物館が収集した日本の美術品とその展示の事例にみる、英国人の日本美術観の変化について”(全文英語、全320ページ)[3]。研究発表リハーサルで、別の日本人院生が担当教授から論文全文書き直しだけを指示されたのを見て“自分はプリンセスだから評価に「下駄を履かされている」のではないだろうか、自分が対象だったら何をどうすべきかまで細かく指導を受けたのではないか”と落ち込んだ事もあったという[3]

同年1月31日付で、留学を終了した[1]。帰国後は立命館大学衣笠総合研究機構(グローバルCOEプログラム日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点日本文化研究班)ポストドクトラルフェロー(PD)に就任した。

同年10月にハワイ大学での日本美術のシンポジウムを現地の研究者と共同で企画した。研究発表を行った[10]

2012年(平成24年)4月より、立命館大学衣笠総合研究機構の特別招聘准教授と宗教法人慈照寺研修道場美術研究員に就任している。

同年5月より、法政大学国際日本学研究所文部科学省国際共同に基づく日本研究推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究)の客員所員にも就任している。

著作[編集]

編著[編集]

  • 『文化財の現在 過去・未来』宮帯出版社、2013年(シンポジウムをまとめた論文集)

学術論文[編集]

  • 「書評 ウィリアム・アンダーソン『日本絵画芸術』および関連文献集成」『ジャポニスム研究』(通号 28) , 2008年
  • 「ウィリアム・アンダーソン・コレクション再考 (第9回国際日本学シンポジウム) -- (ヨーロッパにおける日本美術史の成立と発展--フランス及びイギリスの主要な日本美術コレクションの果たした役割)」『お茶の水女子大学比較日本学研究センター研究年報』(4), 2008年3月
  • 「標本から美術へ : 十九世紀の日本美術品蒐集、特にアンダーソン・コレクションの意義について」『國華』114(7) (通号 1360), 2009年2月
  • 「解釈の創出 「風俗画」再考」『風俗絵画の文化学』思文閣出版, 2009年7月
  • 「風俗画と京都-京都商品陳列所の公式カタログに描かれた風俗画を中心に」「あとがき」松本郁代, 出光佐千子, 彬子女王編『風俗絵画の文化学II』思文閣出版, 2012年3月
  • 「大英博物館所蔵アンダーソン・コレクションの可能性」『豊饒の日本美術 小林忠先生古稀記念論集』藝華書院, 2012年3月
  • 「19世紀英国における円山四条派理解について―英国人蒐集家が京都の画師に寄せた思い―」『京都イメージ-文化資源と京都文化』ナカニシヤ出版, 2012年3月
  • 「英国における日本美術コレクション─特に大英博物館を中心として」『近世やまと絵再考─日・英・米それぞれの視点から』 ブリュッケ, 2013年10月

新聞・雑誌掲載記事(インタビュー)[編集]

  • 「若き皇族の「生活」と「意見」」『文藝春秋』2009年12月
  • 「ひと:女性皇族で初の博士号を英オックスフォード大でとった彬子さま」『朝日新聞』朝刊, 2010年2月10日
  • 「日々のお暮しとライフワーク 彬子女王殿下」『皇室』第48号, 扶桑社, 2010年秋
  • 「急接近:彬子さま 典範改正に向けた女性皇族自身の思いとは?」『毎日新聞』朝刊, 2012年1月7日
  • 「寛仁親王殿下逝去90日:彬子さまが葬儀の秘話を語る」『毎日新聞』朝刊, 2012年9月5日
  • 彬子女王/瑶子女王「今だから語れる寛仁親王、父の素顔」『文藝春秋』2012年10月

雑誌寄稿記事[編集]

  • 「彬子女王殿下がご体験 春日大社の「饗応膳」」『和楽』小学館, 2010年10月(撮影:篠山紀信
  • 「彬子女王殿下ご寄稿「私と日本美術」」『皇室』第48号, 扶桑社, 2010年秋
  • 「日本刀を守るために」『文藝春秋』第19巻 第10号, 2012年7月

小学館 『和楽』 誌上で連載 「日本美のこころ」

  • 伊勢神宮の御神宝」『和楽』小学館, 2011年1月号, 2010年12月
  • 「世界中が感嘆した幕末・明治の工芸」『和楽』小学館, 2011年2月号, 2011年1月
  • 「外国人が遺してくれた日本の文化遺産・浮世絵」『和楽』小学館, 2011年3月号, 2011年2月
  • 「世界で唯一の芸術、日本の竹工芸」『和楽』小学館, 2011年4月号, 2011年3月
  • 「文人趣味を色濃く残す煎茶」『和楽』小学館, 2011年5月号, 2011年4月
  • 大英博物館の「日本」」『和楽』小学館, 2011年6月号, 2011年5月
  • 「彬子女王×千宗屋in真珠庵 原点で語る日本美の未来」『和楽』小学館, 2011年7月号, 2011年6月
  • 「時空を超えた贈り物」『和楽』小学館, 2011年8月号, 2011年7月
  • 石清水八幡宮の「御花神饌」」『和楽』小学館, 2011年9月号, 2011年8月
  • 「中世の人々が歩いた道」「月の桂」『和楽』小学館, 2011年10月号, 2011年9月
  • 「二人の日本人陶工がもたらした種」『和楽』小学館, 2011年11月号, 2011年10月
  • 「世界に誇る日本の珈琲文化」『和楽』小学館, 2011年12月号, 2011年11月
  • 「大道庭園の「生きる芸術」」『和楽』小学館, 2012年1月号, 2011年12月
  • 「粘り強くて美しい紙」『和楽』小学館, 2012年2月号, 2012年1月
  • 「彬子女王×中村勘太郎改め、中村勘九郎 歌舞伎次世代ここに始まる」『和楽』小学館, 2012年3月号, 2012年2月
  • 「京の水で育った食文化」『和楽』小学館, 2012年4月号, 2012年3月
  • 「ボンボニエールという伝統」『和楽』小学館, 2012年5月号, 2012年4月
  • 「日本神話の高千穂、霧島を巡る 天孫降臨の地へ」『和楽』小学館, 2012年6月号, 2012年5月
  • 「被災地・福島の祭を伝承する 相馬の野馬追」『和楽』小学館, 2012年7月号, 2012年6月
  • 「芸術の都・ドレスデンの王侯貴族を魅了した日本磁器の魅力」『和楽』小学館, 2012年8・9月号, 2012年7月

PHP研究所 『Voice』 誌上で連載 「オックスフォード留学記」

  • 「おわりとはじまり」『Voice』PHP研究所, 2012年4月号, 2012年3月
  • 「側衛に守られるということ」『Voice』PHP研究所, 2012年5月号, 2012年4月
  • 「授業のこと」『Voice』PHP研究所, 2012年6月号, 2012年5月
  • 「マートン・コレッジの一日」『Voice』PHP研究所, 2012年7月号, 2012年6月
  • 「父・寬仁親王の思い出」『Voice』PHP研究所, 2012年8月号, 2012年7月
  • 「現地の日本人事情」『Voice』PHP研究所, 2012年9月号, 2012年8月
  • 「JRの恐怖」『Voice』PHP研究所, 2012年10月号, 2012年9月

系譜[編集]

彬子女王 父:
寬仁親王
祖父:
崇仁親王三笠宮
曾祖父:
大正天皇
曾祖母:
貞明皇后
祖母:
百合子
曾祖父:
高木正得
曾祖母:
高木邦子
母:
信子
祖父:
麻生太賀吉
曾祖父:
麻生太郎【先代】
曾祖母:
麻生夏子
祖母:
麻生和子
曾祖父:
吉田茂
曾祖母:
吉田雪子

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 朝日新聞 2010年1月22日「彬子さま、英オックスフォード大で哲学博士号取得へ」、2010年2月21日閲覧
  2. ^ AERA2008年10月6日号 [「次を担う『女性皇族』たち」]
  3. ^ a b c d 朝日新聞 2010年2月10日「ひと:女性皇族で初の博士号を英オックスフォード大でとった彬子さま」
  4. ^ 「すてきな女になれ」 寛仁さま、娘への遺言状に朝日新聞2012年6月7日
  5. ^ 14日に「斂葬の儀」 ご遺志ふまえ簡素化を検討産経新聞2012年6月7日
  6. ^ 「彬子さま、「日本・トルコ協会」総裁就任記念の会合出席」2013年11月20日
  7. ^ 「急接近:彬子さま 典範改正に向けた女性皇族自身の思いとは?」『毎日新聞』朝刊, 2012.1.7
  8. ^ 大久保和夫、川崎桂吾 (2012年1月7日). “寛仁親王家長女・彬子さま:「女性宮家」早い決着を”. 毎日新聞. http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120107k0000m040108000c.html 2012年1月13日閲覧。 
  9. ^ 週刊朝日 2007年5月11日 112巻22号「三笠宮家の彬子さまディズニーお忍びデート&米国“おふたりさま”旅行」28-31頁より。
    なお、記事題名に「おふたりさま」との表記があるが、記事本文には「日本美術の研究資料を集める旅」(30頁)であり「ふたりきりで出かけたわけではない。護衛の側衛官がついていた」(30頁)とされているなど、題名と本文に乖離があるため注意を要する。
  10. ^ asahi.com2010年9月24日13時44分

関連項目[編集]

外部リンク[編集]