丹羽雄哉

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日本の旗 日本の政治家
丹羽雄哉
にわ ゆうや
生年月日 1944年4月20日(70歳)
出生地 茨城県新治郡玉里村(現小美玉市
出身校 慶應義塾大学法学部
前職 読売新聞記者
大平正芳衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党(無派閥)
称号 法学士
衆議院永年在職議員
親族 父・丹羽喬四郎
公式サイト 丹羽雄哉公式WEBサイト

日本の旗 第83・84代 厚生大臣
内閣 小渕第2次改造内閣
第1次森内閣
任期 1999年10月5日 - 2000年7月4日

日本の旗 第75代 厚生大臣
内閣 宮澤改造内閣
任期 1992年12月12日 - 1993年8月9日

選挙区 旧茨城3区→)
茨城6区
当選回数 11回
任期 1979年10月8日 - 2009年7月21日
2012年12月17日 - 現職
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丹羽 雄哉(にわ ゆうや、1944年4月20日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(11期)。

厚生大臣(第758384代)、自由民主党総務会長(第45代)等を歴任。

運輸大臣衆議院議員を歴任した丹羽喬四郎の三男。

来歴・人物[編集]

茨城県新治郡玉里村(現小美玉市)出身[1]麻布中学校・高等学校慶應義塾大学法学部卒業。読売新聞政治部記者を経て、父と当選同期だった大平正芳の秘書になる。1979年、前年に死去した父・喬四郎の地盤を引き継いで旧茨城3区から自由民主党公認で第35回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選(当選同期に佐藤信二保利耕輔畑英次郎麻生太郎小里貞利岸田文武白川勝彦亀井静香吹田あきら宮下創平亀井善之船田元など)。以後10期連続当選。当選後は大平が率いる宏池会に入会。

自民党内の厚生族議員の代表格。第2次中曽根改造内閣で厚生政務次官、宮澤改造内閣小渕第2次改造内閣第1次森内閣で厚生大臣を務め、社会保障政策に強い影響力を持っていた。

初当選以来宏池会に所属し、加藤紘一の側近であった。2000年11月に起きた加藤の乱では、加藤の政権構想や倒閣プランの作成を担っていたとされる。しかし、倒閣運動の途中で加藤と袂を分かち、加藤が事実上失脚してからは堀内派に所属し(丹羽の離脱は古賀誠の一貫した反加藤の姿勢と共に、親加藤派に大きな影響を与えた)、堀内派会長代行を務める。

2005年7月5日堀内光雄会長が郵政国会もおいて郵政法案の衆院本会議採決をめぐり派閥会長辞任を表明。堀内派は会長ポストを空席とし、丹羽会長代行 - 古賀事務総長による二枚看板体制で派閥を運営していく。しかし、同じように領袖不在だった旧橋本派が津島派、旧亀井派が伊吹派へそれぞれ移行していく中、これ以上派閥会長不在の状態が続くのは好ましくないとして、集団指導体制から新会長体制への移行問題が浮上。古賀が会長就任を狙ったものの、「古賀派」を嫌う勢力が「派閥を出て行く」などと反発。調整の結果、2006年2月、丹羽と古賀が新設の共同代表に就任し、それまでと同じように丹羽・古賀の二頭立て体制で落ち着いた。

2006年9月の自民党総裁選挙で派内を安倍晋三支持で一本化したことへの評価で、安倍新内閣には派から4人の閣僚を送り込むとともに、安倍と同じ厚生族という安倍との個人的関係もあり自らは安倍総裁の下で自民党総務会長に就任。

これに伴い派閥を離れた直後、派内にて会長職を古賀に一本化する人事が承認され、派内の丹羽系議員と古賀系議員との関係がきしみ始めたと見る動きがある。古賀の会長就任以降は報道機関の多くが派閥名を丹羽・古賀派から古賀派に切り替えたが、読売新聞社のみは、2007年9月まで丹羽・古賀派で通していた(これは、丹羽は読売新聞記者出身であったことも影響している)。古賀が選挙対策委員長として執行部入りを果たした後も派閥会長に返り咲くことは無く、常任顧問を務めた。

2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で11回目の当選を目指し出馬したが、民主党の大泉博子に敗れ、比例復活も叶わず初当選以来初めて落選した[2]

2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で、次点以下に大差を付けて当選し、3年ぶりに国政へ復帰した。復帰後は、派閥活動からは身を引いて活動している。

不祥事[編集]

  • 2004年、政治家の年金未納問題が注目された際に国民年金の未納が判明している(政務次官在任中の1986年4月から同年6月までの3か月間)[3]。 年金手帳には加入記録があったが、社会保険庁の記録では未納になっていた[3]

政治資金[編集]

  • 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[4]
  • 日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、消えた年金問題第21回参議院議員通常選挙の大きな争点となっていた2007年7月に、丹羽が支部長を務める自民党茨城6区支部が、2005年に厚生年金施設の運営目的で設立された財団法人「厚生年金事業振興会」から30万円と、社会保険病院の運営を国から委託されている社団法人全国社会保険協会連合会」から20万円の献金を受けていたことが政治資金収支報告書によって分かったと報じられた[5]。これらは国民が納めた年金から支出されたものであり、これについて丹羽事務所は個人献金だったとして政治資金報告書を訂正した[5]
  • 丹羽が代表を務める自民党茨城6区支部が、2005年政治資金収支報告書で同じ領収書のコピーを2枚を添付し、経費を二重計上していたことが分かった[6]。二重計上されたのは、政治活動費の中の宣伝事業費と政治資金パーティー開催事業費の二つの品目の印刷代51万800円で、印刷会社が発行した領収書がコピーされて添付されていた[6]。通し番号とただし書きは空欄であったが日付と金額、印鑑がまったく同じで、丹羽事務所は同じ領収書を複製して添付したことを認め、茨城県選挙管理委員会に訂正を申し出た[6]

所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 『美しく老いるために―日本の医療・年金・福祉への提言』 (コープ出版、1994年)
  • 『生きるために―医療が変わる』 (日経メディカル開発、1998年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』470頁
  2. ^ http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1 /20090730-OYT1T00850.htm
  3. ^ a b 毎日新聞』 2004年5月14日 東京朝刊
  4. ^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
  5. ^ a b しんぶん赤旗 2007年7月12日
  6. ^ a b c 東京新聞 2007年9月6日

外部リンク[編集]


議会
先代:
伊藤公介
日本の旗 衆議院国家基本政策委員長
2004年 - 2006年
次代:
深谷隆司
先代:
津島雄二
日本の旗 衆議院社会労働委員長
1989年
次代:
畑英次郎
公職
先代:
宮下創平
山下徳夫
日本の旗 厚生大臣
第83・84代:1999年 - 2000年
第75代:1992年 - 1993年
次代:
津島雄二
大内啓伍
党職
先代:
久間章生
自由民主党総務会長
第45代:2006年 - 2007年
次代:
二階俊博
先代:
堀内光雄
宏池会共同代表
2006年
次代:
古賀誠