野呂田芳成
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のろた ほうせい
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| 生年月日 | 1929年10月25日(82歳) |
| 出生地 | 秋田県能代市 |
| 出身校 | 中央大学 |
| 前職 | 国家公務員(建設省) |
| 所属政党 | (自由民主党→) 無所属 |
| 称号 | 勲一等旭日大綬章 |
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| 内閣 | 小渕恵三内閣 |
| 任期 | 1998年11月20日 - 1999年10月5日 |
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| 内閣 | 村山内閣改造内閣 |
| 任期 | 1995年8月8日 - 1996年1月11日 |
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| 選挙区 | (旧秋田1区→) 秋田2区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 任期 | 1983年12月19日 - 2009年7月21日 |
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| 選挙区 | 秋田県選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 1977年7月11日 - 1983年7月9日 |
野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年10月25日 - )は、日本の政治家。
農林水産大臣(第22代)、防衛庁長官(第61代)、衆議院予算委員長、衆議院国家基本政策委員長、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)を歴任した。
勲章は勲一等旭日大綬章。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 経歴
秋田県能代市出身。中央大学法学部卒業。1953年4月、中大卒業後に建設省に入省する。建設大臣官房文書課長を最後に1977年に建設省を退官した。
建設省退官後、1977年の第11回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から自由民主党公認で出馬し、初当選する。
1983年、第37回衆議院議員総選挙に旧秋田県第1区から自民党公認で出馬し、衆院で初当選する。1995年、村山改造内閣で農林水産大臣に就任し、初入閣。 1998年、小渕内閣で防衛庁長官に就任し、2度目の入閣を果たした。2001年、衆議院予算委員長に就任。2002年には勲一等旭日大綬章を受章した。
2005年、郵政民営化法案の採決で反対票を投じる。そのため第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず無所属で出馬し、秋田県第2区で自民党公認候補を破り8回目の当選を果たした。総選挙後、自民党を除名される。衆院で再提出された郵政民営化法案の採決には欠席した。
2009年の第45回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退。秋田2区の後継には自民党の金田勝年を指名したが、秋田2区では無所属の川口博が当選した(金田も比例復活)。
政界引退後の2010年6月、大相撲野球賭博問題の発生を受け日本相撲協会が設置した外部の有識者による特別調査委員会に招聘され、委員を務める。
[編集] 能登半島沖不審船事件
小渕内閣で防衛庁長官を務めていた1999年3月23日、石川県で能登半島沖不審船事件が発生。川崎二郎運輸大臣が海上保安庁に対し不審船への威嚇射撃を許可し、実際に威嚇射撃が行われ不審船は一度逃亡する気配を見せたが、日本国内の海域に留まったため、川崎運輸大臣は野呂田防衛庁長官に「海上保安庁の能力を超えている」と連絡。そのため野呂田は海上自衛隊に対し、海上警備行動を発令した。なお、首相官邸対策室では川崎が野呂田に連絡を入れるより前に海上警備行動の発令を検討していたが、不審船は北朝鮮の工作船である可能性が高かったため、親北朝鮮の野中広務内閣官房長官の圧力により阻止されていた。
[編集] 郵政解散、自民党離党
2005年、小泉純一郎首相が執念を燃やす郵政民営化法案が衆院に提出されたが、自民党内から綿貫民輔、亀井静香、堀内光雄、野田聖子、平沼赳夫ら有力議員が次々に造反し、野呂田も反対票を投じた。衆院では僅差で可決されたものの、参議院でも中曽根弘文、鴻池祥肇らの反対により法案は否決された。そのため小泉首相は衆院を解散(郵政解散)し、反対票を投じた議員を公認せず、自民党公認の刺客を擁立する策に出た。野呂田の選挙区である秋田2区にも自民党公認の小野貴樹が擁立されたが、野呂田は小野を約3万票差で下し、議席を死守する。
総選挙後の首班指名選挙では小泉ではなく、国民新党を結党した綿貫民輔に投票した。また再提出された郵政民営化法案の採決には欠席。この行動が自民党党紀委員会で問題視され、同年10月に自民党を除名される。この処分について、森山眞弓党紀委員長は「特に法案に反対し、首班指名でも綿貫さんの名を書くなど、国民新党と軌を一にしている。党籍があるのに、自民党の方針に反するのが目立ったため」と説明している。
2006年7月、秋田市内で青木幹雄自民党参議院議員会長と会談。青木は翌2007年の第21回参議院議員通常選挙をにらみ、野呂田の復党を党執行部に検討させる考えを示した。しかし、党から除名処分を受けていたため、その後郵政造反組復党問題が本格化した際にも、野呂田の復党は議題には上がらなかった。第21回参議院議員通常選挙では、自民党は秋田県選挙区で金田勝年を擁立したが、国民新党も支援する無所属の松浦大悟に敗れる。
2006年、2007年の首班指名選挙はいずれも欠席した(選出されたのはそれぞれ安倍晋三、福田康夫)。また2008年1月の補給支援特別措置法案の衆議院の再議決では、出席はしたものの投票を棄権した。棄権した理由について「(新テロ特措法に)賛成だが、会派入りした国民新党に配慮して棄権した」と説明している。
2008年1月、次の総選挙に出馬せず、政界を引退する意向を表明。秋田2区の後継に、前年の参院選に秋田県選挙区から出馬して落選した金田勝年を指名する。しかし、野呂田の系列にあたる川口博が秋田2区から民主・社民・国民新3党の支援を受けて無所属で出馬する意向を表明し、野呂田はこれに不快感を示していた。2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、川口が秋田2区で当選し、金田は重複立候補していた比例東北ブロックで復活した。
[編集] 人物・主張
- 記録小説『砂の十字架』(木本正次著、講談社)においては鹿島臨海工業地帯の開発に尽力した人物として詳細に取り上げられている。また映画『甦る大地』(石原プロモーション)の主人公のモデルでもある。
- 2001年2月18日、秋田県での講演会で「大東亜戦争で植民地主義が終わり、日本のおかげで独立できたという国の首相もたくさんいる」と発言した。
[編集] その他の役職
[編集] 著書
- 編著
- 「公園・緑地政策」 1975年 産業能率短期大学出版部
- 寄稿
| 議会 | ||
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| 先代: 原田昇左右 |
2001年 - 2002年 |
次代: 津島雄二 |
| 先代: 小里貞利 |
第2代:2000年 - 2001年 |
次代: 堀之内久男 |
| 先代: 中村喜四郎 |
1988年 - 1989年 |
次代: 東家嘉幸 |
| 官職 | ||
| 先代: 額賀福志郎 |
第61代:1998年 - 1999年 |
次代: 瓦力 |
| 先代: 大河原太一郎 |
第22代:1995年 - 1996年 |
次代: 大原一三 |
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