津島雄二

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津島 雄二
つしま ゆうじ
2000年7月 第2次森内閣にて厚生大臣就任に際し、官邸が公表した肖像写真
生年月日 (1930-01-24) 1930年1月24日
出生地 日本の旗 日本 東京都杉並区
没年月日 (2023-10-25) 2023年10月25日(93歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都
出身校 東京大学法学部卒業
前職 大蔵省大臣官房参事官
所属政党自由民主党宮澤派)→)
高志会→)
自由改革連合→)
無所属→)
自由民主党(津島派
称号 正三位
旭日大綬章
レジオンドヌール勲章オフィシエ

日本の旗 第71・84代 厚生大臣
内閣 第2次海部内閣
第2次森内閣
在任期間 1990年2月28日 - 1990年12月29日
2000年7月4日 - 2000年12月5日

選挙区旧青森1区→)
青森1区
当選回数 11回
在任期間 1976年 - 2009年
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津島 雄二(つしま ゆうじ、1930年1月24日 - 2023年10月25日[1][2])は、日本政治家大蔵官僚。位階は正三位

衆議院議員(11期)、厚生大臣(71・84代)、衆議院予算委員長自由民主党税制調査会長などを歴任[2]。政界引退後は弁護士税理士として活動した。

旧姓は志摩、上野。妻は作家太宰治(本名:津島修治)の長女・津島園子。長男は衆議院議員の津島淳

生涯・人物[編集]

東京府出身。1953年東京大学法学部法律学科卒業後、大蔵省に入省[3]大臣官房財務参事官室に配属[4]フルブライト奨学生としてアメリカのシラキュース大学に留学[3]。その後、1963年在フランス日本大使館1等書記官を務める[3]

1990年2月、第2次海部内閣厚生大臣に就任[5]

1976年の初当選以来、宏池会大平正芳鈴木善幸宮澤喜一派)に属していたが、1994年に下記の自民党離党に伴い離脱。

1994年、自社さ連立政権構想に反対し[2]海部俊樹を説得し、非自社さ連立の統一候補へと担ぎ上げる。内閣総理大臣指名選挙では非自民連立の統一候補となった海部俊樹を支持し、自民党を離党する。高志会を経て7月に自由改革連合に参加後、新進党には加わらず、無所属を経て1995年3月、自民党に復党。

復党後は平成研究会小渕派)に加入。2000年7月、第2次森内閣で2度目の厚生大臣に就任[6]2005年11月4日、旧橋本派の後継会長に就任し、津島派を率いる。保守本流派閥と呼ばれた旧橋本派(竹下派→小渕派)の領袖に外様(元宮沢派)で出戻り(離党歴)という経歴を持つ津島が就任したことは自民党派閥の変化の一つとされている(ただし、宏池会も保守本流である)。平成研究会の人材不足の中、窮余の策として衆院の当選回数最多であった津島に白羽の矢が立ったのであった。このような事情と就任時75歳と高齢であったことから、会長とはいえ総裁候補という見方は全くなかった。

2006年には自民党税制調査会会長に就任。地方選出ながらふるさと納税には慎重な姿勢を示していた。

2008年11月19日元厚生事務次官宅連続襲撃事件に関し、元厚生大臣として「厚生労働行政を批判してきた野党マスコミの論調に原因の一端がある」との認識を示し、「厚生労働省の仕事の成果を評価できないような論評ばかり行われている。その結果、理不尽な行為につながったとすれば本当に残念だ」と述べた(この事件は後の捜査政治的な目的のテロではないことが結論付けられたが、当時はマスコミなどを中心に年金テロとの見方が多かった)。

2009年7月19日第45回衆議院議員総選挙に出馬しない意向を表明し、7月21日衆議院解散に伴い、政界を引退した(後継として息子のが出馬)。こうした動きは週刊文春から「出世レースの敗北により転身した雇われマダム」「園子夫人頼みの平成無責任男」などと酷評された[7]。なお、平成研の後任会長には額賀福志郎が就任した[8]

2023年10月25日、老衰のため、東京都内の病院で死去した[1][2]。93歳没。死没日付をもって正三位に叙された[9][10]

経歴[編集]

政策[編集]

家族・親族[編集]

旧姓志摩(父方姓)、上野(母方姓、3歳から)。

は作家太宰治(本名:津島修治)の長女・津島園子である。衆議院議員の津島淳は長男。元衆議院議員の津島恭一は遠戚にあたる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
太田静子
 
太宰治
 
津島美知子
 
津島文治
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
太田治子
 
津島佑子
 
津島園子
 
津島雄二
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島淳
 
 
  • そのほかにも、津島康一義従兄)など遠縁の著名人が多数いるが、ここでは津島雄二の親族に該当する者を中心に図示した。

所属していた団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 津島雄二氏が死去 93歳、元厚相”. 日本経済新聞 (2023年10月26日). 2023年10月26日閲覧。
  2. ^ a b c d “津島雄二さん死去 93歳 厚相や自民党税制調査会長など歴任”. 毎日新聞デジタル. (2023年10月26日). https://mainichi.jp/articles/20231026/k00/00m/010/084000c 2023年10月26日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g 津島雄二、大野功統両氏がレジオン・ドヌール勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2012年1月10日). 2021年6月25日閲覧。
  4. ^ 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年1月発行、24頁
  5. ^ 歴代内閣ホームページ情報:海部俊樹 内閣総理大臣(第77代)”. 内閣府. 2021年6月25日閲覧。
  6. ^ 歴代内閣ホームページ情報:森喜朗 内閣総理大臣(第86代)”. 内閣府. 2021年6月25日閲覧。
  7. ^ 「主役になれない男」が引退 津島元厚相の老後は弁護士 週刊文春 2009年7月30日閲覧
  8. ^ 津島派会長引退、後継は額賀元財務相中心に 読売新聞 2009年7月19日閲覧
  9. ^ 『官報』第1115号9頁 令和5年12月4日
  10. ^ “故津島雄二氏に正三位”. 産経新聞. (2023年11月17日). https://www.sankei.com/article/20231117-3X7VW6JCSVN5DCSOG7VUOAQJLU/ 2023年11月24日閲覧。 
  11. ^ 『大蔵省権力人脈』(栗林良光, 講談社文庫, 1994年3月) p54など
  12. ^ 秋の叙勲、川淵氏ら4024人に/旭日大綬章に張氏”. 四国新聞社 (2009年11月3日). 2023年4月14日閲覧。
  13. ^ mネット通信 117号 2006年1月12日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代
野呂田芳成
日本の旗 衆議院予算委員長
2002年
次代
藤井孝男
先代
稲垣実男
日本の旗 衆議院社会労働委員長
1988年 - 1989年
次代
丹羽雄哉
公職
先代
丹羽雄哉
戸井田三郎
日本の旗 厚生大臣
第84代:2000年
第71代:1990年
次代
坂口力
下条進一郎
党職
先代
橋本龍太郎
平成研究会会長
第4代:2005年 - 2009年
次代
額賀福志郎
先代
与謝野馨
自由民主党税制調査会長
第33代:2006年 - 2009年
次代
野田毅