笹川堯

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日本の旗 日本の政治家
笹川 堯
ささがわ たかし
生年月日 1935年10月5日(79歳)
出生地 東京都文京区
出身校 明治大学法学部(中退)
前職 全国モーターボート競走会連合会職員
関東開発取締役
所属政党 自由民主党→)
改革の会→)
改新自由改革連合→)
新進党→)
無所属→)
自由民主党
称号 旭日大綬章(2010年4月29日)
親族 父・笹川良一
三男・笹川博義

内閣 第2次森改造内閣(中央省庁再編後)
任期 2001年1月6日 - 2001年4月26日

内閣 第2次森改造内閣(中央省庁再編前)
任期 2000年12月5日 - 2001年1月6日

選挙区 (旧群馬2区→)
群馬2区
当選回数 7回
任期 1986年7月8日 - 2009年7月21日
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笹川 堯(ささがわ たかし、1935年10月5日 - )は、日本政治家

衆議院議員(7期)、国務大臣科学技術政策担当大臣自由民主党総務会長(第47代)、衆議院議院運営委員長(第68代)などを歴任した。

父は元衆議院議員日本船舶振興会創設者の笹川良一。弟は日本財団会長の笹川陽平。三男に衆議院議員笹川博義

来歴・人物[編集]

東京都文京区生まれ。明治大学付属中野高等学校卒業。明治大学法学部に進学するも中退。1954年より全国モーターボート競走会に勤務。1956年桐生競艇施設(現関東開発)の役員に就任した。

1972年第33回衆議院議員総選挙に旧群馬2区(定数3)から無所属で出馬するも落選。1982年5月、桐生競艇施設の全役職を辞任し、顧問相談役に就任する。1983年第37回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧群馬2区から出馬するが、次点で落選。

1986年第38回衆議院議員総選挙で、3度目の挑戦にして初当選し、旧群馬2区の3議席は全て自民党が独占した(得票数は中島源太郎、笹川、谷津義男の順。当選同期に鳩山由紀夫斉藤斗志二三原朝彦村井仁逢沢一郎武村正義園田博之中山成彬新井将敬石破茂武部勤井出正一村上誠一郎など)。1991年11月、宮澤内閣郵政政務次官に任命される。1993年選挙制度改革を事実上棚上げした自由民主党執行部に反発し、自民党を離党。同年の第40回衆議院議員総選挙では無所属で3選。

1994年院内会派改革の会」の結成に参加。その後、同じく院内会派で、日本社会党を除く当時の連立与党全党が参加した改新及び自由改革連合を経て、新進党結党に参加する。1996年第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い新設された群馬2区から新進党公認で出馬し、4選。1996年11月に新進党を離党し、翌1997年4月に自民党に復党する。

自民党復党後、当時の内閣総理大臣橋本龍太郎の出身派閥である平成研究会に入会(小渕→橋本→津島派)。2000年第42回衆議院議員総選挙で5選。同年に発足した第2次森改造内閣で無任所の国務大臣に任命され、中央省庁再編に伴い科学技術政策担当大臣に任命された。

2003年自由民主党総裁選挙への立候補に熊代昭彦とともに意欲を示したが、最終的には同じ平成研究会に所属する元運輸大臣藤井孝男を支持し、自身の出馬は見送った(藤井は現職の小泉純一郎に大敗)。同年11月、衆議院予算委員長に就任。

2005年郵政国会では、小泉首相が成立に執念を燃やす郵政民営化法案に賛成票を投じる(小泉は笹川が郵政政務次官を務めていた当時の郵政大臣であり、郵政族であった笹川は郵便貯金制度をめぐって対立した)。同年の第44回衆議院議員総選挙では群馬2区で7選したが、民主党公認の石関貴史に1,422票の僅差まで詰め寄られ、石関に比例復活を許した。2007年9月、衆議院議院運営委員長に就任。同年10月、日朝国交正常化を目指す議員連盟自民党朝鮮半島問題小委員会」の立ち上げに参加し、副委員長に就任した。

2008年麻生太郎自由民主党総裁の下で自由民主党総務会長に起用され、政界入り22年目にして初めて党三役に入った。翌2009年第45回衆議院議員総選挙では、民主党の石関に敗れ、落選。その後、フジテレビの『新報道2001』に出演した際、政界を引退する意向を表明した。

2012年11月、東京都知事石原慎太郎の辞職に伴い実施される2012年東京都知事選挙無所属で出馬する意向を表明。13年に及ぶ石原都政を肯定的に評価した上で、石原が推進してきた五輪招致を継承する考えを示したが、大差で落選、供託金も没収された。なお、都知事選と同日に行われた第46回衆議院議員総選挙では三男・博義が群馬3区から自民党公認で出馬し、当選している。

エピソード[編集]

  • 父・笹川良一1942年から1946年まで国会議員を務めていたため笹川堯は2世議員である。ただし、笹川良一の選出選挙区は大阪府であり、堯の初出馬は良一の引退から26年後であるため地盤の継承はなく、世襲議員には分類されない。
  • 国会議員の資産公開で1位になった際の記者会見の席上、「庶民の気持ちはわからないのでは?」と問われ、「そうでしょうなぁ」と率直に答えたことがある。一方で、2007年9月13日報道ステーションに出演し、古舘伊知郎から「弱者の気持ちを考えながら政治活動をしているのか?」という旨の質問をされた際には、自身の経歴を披瀝しながら表情を荒らげて反論するという、資産公開の際の返答とは正反対の反応をした。曰く、「母子家庭に育ち、大学を金銭的な問題から1年足らずで中退し、親からは1円の遺産相続せず、政治活動も、実質的に世襲ではなく運転手からのスタートという、非常な苦労を強いられながら現在の地位まで登り詰めた」。なお、運転手とは競艇場での運送係のことである。実際に遺産の相続は放棄している[要出典]
  • 2006年10月26日、自民党党紀委員長であった笹川は津島派の総会において、郵政造反組復党問題について「落選した候補も見捨てない。救済するときは一括して救済していくのが一番正しい道」と述べ、無所属の現職衆議院議員に落選した前職を加えた「一括復党」を認める意向を表明した(最終的に、12月4日平沼赳夫を除く11人の無所属の現職衆議院議員のみを復党させた)。また、2007年第21回参議院議員通常選挙において無所属で当選した藤井孝男を、欠員が生じて決議ができない党紀委員会の審査を経ずに、委員長の独断で仮復党を認めた(9月7日に党紀委員会で正式に復党が認められた)。
  • 2008年ガソリン国会では、道路特定財源のための暫定税率廃止を主張する民主党議員が、衆院理事会室を封鎖するピケ戦術を取ったが、議院運営委員長であった笹川や与党理事は隣接する衆議院事務局の部屋へ窓伝いに移り、ピケ戦術から脱出した。
  • 車好きで知られ、フェラーリなどを所有している。またバイク愛好家でもあり、ハーレー・ダビッドソン製のバイクも所有している。
  • 公営競技の業務委託やトータリゼータシステム製造を主な業務とする日本トーターの設立に関わった。

発言[編集]

所属していた団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

議会
先代:
逢沢一郎
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第68代:2007年 - 2008年
次代:
小坂憲次
先代:
藤井孝男
日本の旗 衆議院予算委員長
2003年 - 2004年
次代:
甘利明
先代:
八代英太
日本の旗 衆議院法務委員長
1997年 - 1998年
次代:
杉浦正健
党職
先代:
二階俊博
自由民主党総務会長
第47代:2008年 - 2009年
次代:
田野瀬良太郎
公職
先代:
創設
日本の旗 科学技術政策担当大臣
初代:2001年
次代:
尾身幸次
先代:
創設
日本の旗 国務大臣(無任所)
2000年 - 2001年
次代:
廃止