ヘイトスピーチ
ヘイトスピーチ(英: hate speech)とは、日本語で直訳すれば「憎悪発言」や「憎悪表現」を意味するが、人種差別撤廃条約等で用いられる法的用語としては、「差別」と関連付けて定義される。
すなわち、ある個人や集団を、人種(民族)・国籍・性といった先天的な属性、あるいは民族的文化などの準先天的な属性、あるいは宗教などのように人格との結び付きが密接な特別の属性で分類し、それを有することを理由に、差別・排除の意図をもって、貶めたり、暴力や誹謗中傷、差別的行為を煽動したりするような言動のことを指す[要出典]。また,それらを共有する人々全体を誹謗中傷し、あるいは特定の無能力性と結びつける表現を意味する言動もヘイトスピーチになる場合がある[要出典]。
日本国内では「差別的表現」という言葉が用いられてきたが、人種差別撤廃条約上では、差別的表現であっても、そのすべてをヘイトスピーチとして規制するよう求めているわけではない。
一般的な罵詈雑言もヘイトスピーチと誤解されることがあるが、ヘイトスピーチは差別的表現の一種であるので、当該表現の対象とされた個人や団体の属性と関連付けられなければ、これには当たらない。 また、国家・公共に対する批判も、人を属性に関連付けて批判するというヘイトスピーチの定義にあたらない。但し、国家とそれを構成する国民とを同一視する思考には、属性のみで人を評価・判断しようとするものであり、「ある国の人が自国を非難したから、その国の人は敵であり、非難されるべきである」という思考は、人を属性で評価する時点で差別的であり、ヘイトスピーチにつながる場合があるので注意が必要である。
目次 |
概要 [編集]
人種、民族、国籍、宗教・思想、年齢、性別、性的指向、障害、職業、社会的地位・経済レベル、外見などといった欠点が、「ある人種や民族の固有の特質である」として、その存在を貶め、憎悪、暴力をかき立てるような主張をすることがヘイトスピーチの特徴である。
一般的には、「『自ら能動的に変えることの出来ない特質』と関連付けた侮辱的・攻撃的な表現」がヘイトスピーチとされる。例えば、過去の歴史的事象を現在の国家、国民性と結びつける憎悪表現などがそれにあたる。 また、能動的に変更することの出来る特質に対する言動でも、その否定的な側面が固有の人間的、民族的な欠陥から生じるのだという言い方がなされる場合もヘイトスピーチとされる。
ヘイトスピーチによって構成されるウェブサイトを「ヘイトサイト」(hate site)と呼ぶ。
ヘイトスピーチの目的は、特定の相手への反感、敵意を集積することにあるとされ、その目的に沿った意見や出来事、特徴の提示は正しく、その目的に沿わないものは、「洗脳されている」「買収されている」「捏造している」など単純化される場合がある。また、対象となる相手と自分たちとの間には、本質的に乗り越えられない優劣の差があるという見方を広めることで正当化がなされる。 読んだ者は、その攻撃的な表現にショックを受けたり、または記述が大量、執拗であるために、反論する力や思考力が喪失、無力化される場合がある。 また攻撃される立場である場合、「自分たちは攻撃をされても仕方のない存在である」と思い込んだり、自分の帰属する集団またはヘイトスピーチの相手に対して憎悪や怒りを向けるようになる。 ヘイトスピーチは公式の場ではなく、インターネットなどの世界で匿名で発信されることが多いため、「本音では皆がそのように思っているのではないか」という疑念を生じる。これらはいずれも、言説による心理的被害であり、犯罪被害、虐待などのトラウマ被害者の心理と一部共通する。
このように「憎悪・無力感・怒り・不信を引き起こし、『相互的に理解を深めようとする努力』を無効にすること」が、ヘイトスピーチの効果である。
論争 [編集]
「ヘイトスピーチ」とは、「人種、宗教、ジェンダーなどの要素に起因する憎悪や嫌悪(hatred)の表現」[1]を指すとされるが、その定義及び処罰の可否については、古くから論争があった。
もっとも、人種差別撤廃条約制定後は、一義的には、その第4条(a)「『人種的優劣又は憎悪に基ずく思想のあらゆる流布』、『人種差別の扇動』、『いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対する物であるかを問わず、すべての暴力行為又はその行為の扇動』、及び『人種主義に基ずく活動に対する資金援助の提供』も、『法律で処罰すべき犯罪であること』を宣言すること」及び(b) 「『人種差別を助長し、及び扇動するその他のすべての宣言・活動』を、違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が『法律で処罰すべき犯罪であること』を認めること」の是非、及び一定の留保を巡っての論争となっている。
米国では、1990年代以降、「『ヘイトスピーチ』は差別の一形態である」という考え方が、主に国内の大学や放送事業者の間で広まり、それらの発言等を制限する目的を持つ、「スピーチコード」と言われる規則が採用されるようになったことで、「合衆国憲法の保障する言論の自由、思想の自由を侵害するものではないか」として論争が起こった。この概念は、口頭によるものだけでなく文書にも及ぶ。また、一種の思想統制、言論統制として機能することから、ヘイトスピーチの定義を誰がどのように行い、どう規制するのかということからも、論争の対象とされている。
米国の多くの法廷でも、ヘイトスピーチを処罰する州法の合憲性が争われたが、合憲とされた州法と、「過度に広範な規制を定める」として違憲とされた市条例とがある。合憲とされた例として、イリノイ州刑法に関するボアルネ(Beauharnais)事件がある。この事件では、同法における、「人種・肌の色・信条、若しくは宗教を理由として、『特定の市民に関する堕落・犯罪・不純若しくは道徳の欠如を描く』、或いは『特定の市民を侮辱・嘲笑、若しくは中傷にさらす』」表現行為を処罰する規定について、連邦最高裁で合憲性が争点となった。 連邦最高裁は、「言論及び出版の自由の行使には限界がある。『人種的または宗教的自尊心に基づいて、誤った信念を持つに至った者』の威圧的な行動が、『他者の自由の行使に対する平等な権利』を奪う目的で、暴力を引き起こしたり、平穏を破壊したりするであろうこの頃の危険は、すべての者によく知られている出来事によって強調される。そのように限界を超えて自由を行使した者を、州は適切なやり方で罰することができる」として、これを合憲とした。
違憲とされた例として、「公共的または私的な財産の上に『人種・肌の色・信条・宗教・性別に基づいて、他者に怒り・不安・憤りを生ぜしめる』と知られている、またはそう知られることに理由のあるシンボルなどを設置した者を処罰する」と定めるセント・ポール市条例がある。連邦最高裁は、「手段は必要不可欠なものでない、あるいは過度に広範である」として、条例を文面上無効とした。
主な論点として、次のものが挙げられる。
- 言動の影響力は、個人の考えの表明に過ぎないのか、それとも他人を傷付けるものであるか。
- 他者を傷つける場合があっても、言論や表現の自由は公の議論の自由を守るために必要であるか、むしろ有害な議論を呼ぶのか。
- 政府は議論を規制するよりも、同性愛者もしくはLGBT、民族的なマイノリティなどの特徴的な個人や集団の利益や権利を保護する政策を行うべきではないか。
法的な側面 [編集]
1965年12月21日に国連総会で採択された人種差別撤廃条約は、その第4条において、「人種的優越または憎悪に基く思想のあらゆる流布、人種差別の扇動を『法律で処罰すべき犯罪であること』を宣言すること」(a項)と、「人種差別を助長し及び扇動する団体、及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を、『違法であるとして禁止するもの』とすること」(b項)を明記している。[2] 1948年12月9日に国連総会で採択された、ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約)の第3条(c)項も、「『集団殺人に対する直接かつ公然の教唆』を処罰すること」を規定している。[3]
米国では、合衆国憲法修正第1項において、「連邦政府による言論規制」を強く禁じている。ただ米国の法学者の間では、一般的に、「連邦政府による『言論の内容』の取り締まりそのものは出来ないが、誹謗中傷や名誉毀損・暴動の煽動など、『言論が引き起こす弊害』についての取り締まりや規制は出来る」と解釈されている。したがって、「言論の内容が差別的である」という理由によっての言論を規制するような法律は違憲とされている。 こうした事情から、米国内において、ヘイトスピーチそのものを規制する連邦法は存在しないものの、全米でヘイトスピーチ自体が容認されているわけではない。州によっては州法上の処罰規定が存在するからである。
ドイツ憲法では、自分の意見を発する自由を保障する一方、「治安を妨害するような言論の濫用」を厳しく規制している。また、ナチスによるホロコーストの経験をもつドイツでは、民族集団に対する憎悪を煽動するような行為を、刑法(民衆扇動罪第130条)で特に禁止している。
2011年5月3日、国際連合自由権規約人権委員会は、言論の自由とその限界を定めた国際人権規約第19条と、差別や暴力を扇動する「国民的、人種的、宗教的憎悪の唱道」を法律で禁止することを求めた同規約第20条との関係について、「『ヘイトスピ-チ』の多くが、同規約第20条の水準にそぐわないことを懸念する」、とした総括所見草案を発表した[4]。
その他、ヘイトスピーチの各国における法的な扱い [編集]
- ホロコーストの否定は、多くのヨーロッパ諸国において「ヘイトスピーチの一種」と認識されている。なお、ホロコーストの否定を非難する決議が、2007年の国連総会で採択された[5]。
- イギリスでは、公共秩序法 (Public Order Act 1986) によって、人種的嫌悪を煽動した者は最高7年の懲役に処される[要出典]。
- カナダでは、「肌の色・人種・宗教・民族的出自・性的指向によって区別される集団」に対する嫌悪を煽動した者は、最低でも2年、最高で14年の懲役刑となる[要出典]。
- オーストラリアのビクトリア州では、人種的宗教的寛容法 (Racial and Religious Tolerance Act 2001)[6] によって、「人種(SECT 7)や宗教(SECT 8)を理由に、人を嫌悪・憎悪・侮蔑・愚弄する行為に関わること」が禁じられている。
その他、以下の国々でも、ヘイトスピーチを禁止する法律が存在する[要出典]。
スピーチコード [編集]
米国やヨーロッパのさまざまな研究機関で、ヘイトスピーチは差別行為の一形態であるという主張に基づき、1990年代頃からヘイトスピーチを自主規制する目的で、スピーチコード(speech code)が開発され、教育機関やメディア、労働組合などで採用するところがでるようになった。[要出典]これらの規則は、意図的であるかないかにかかわらず、特定の民族や宗教、性的嗜好、性的指向、性自認などの個人や集団に対する嫌悪や侮蔑を表す言葉や表現の使用を規制している。
日本での現状 [編集]
日本においては、アメリカと同様に憲法において言論の自由が強く保障されていることを理由に、ヘイトスピーチ自体を特別に取り締まる法律はない。 差別(人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向に対する差別・人権侵害)的言論を規制する意図を背景に、人権擁護法案等で諸々の検討がなされているが、「言論の自由の侵害の危険性」など、法案の合憲性、内容や運用方法、制度の必要性などを巡って議論となっている。
外務省は、人種差別思想の流布等に対し、「『正当な言論までも不当に萎縮させる危険を冒してまで処罰立法措置をとること』を検討しなければならないほど、現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の扇動が行われている状況にあるとは考えていない」との見解を発表している[7]が、「外務省の認識は実態に合わない」との批判もある。
しかし2013年になってから、在日特権を許さない市民の会などの行動する保守の過激派が主催する反韓デモにおいて、公然とヘイトスピーチを行われるようになっている。2013年2月9日に新大久保で実際された反韓デモをはじめとして、各地で行われている反韓デモでは「死ね」や「殺せ」などというヘイトスピーチが目立っている[8]。
2013年2月9日に新大久保で行われたデモを見た有田芳生が、これ対して2月26日にTwitterで「異常なデモ、国会でも問題にしたい」とツイートした。そしてそれが実現されるという形で、3月14日に参議院会館で排外・人種侮蔑デモに抗議する国会集会が実施された[9]。それからの有田芳生の事務所やツイッターには「殺すぞ」という殺人予告や「朝鮮へ帰れ」などという批判が殺到するようになっている[10]。
3月29日には、人権問題に取り組む日本弁護士連合会前会長の宇都宮健児をはじめとした有志の弁護士12人が、「これ以上放置できない」として東京弁護士会に人権救済を申し立てた。また弁護士らは「警察には外国人の安全を守る責任があるというのに、適切な対策を取っていない」として、警視庁に対して周辺住民の安全確保を申し入れた[11]。 一方、在日特権を許さない市民の会側も、抗議者側による妨害活動や「レイシスト」などと決めつけられたことが人権侵害にあたるとして、日本弁護士連合会に救済を申し立てた[12]。
5月7日と5月9日にかけて、参院でヘイトスピーチについて挙げられ、これらのデモについて安倍晋三首相は「一部の国、民族を排除する言動があるのは極めて残念なことだ。日本人は和を重んじ、排他的な国民ではなかったはず。どんなときも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人だ」[13]と、谷垣禎一法務大臣は「憂慮に堪えない。品格ある国家という方向に真っ向から反する」[14]とそれぞれ語った。さらに谷垣法務大臣は5月10日の記者会見で、ヘイトスピーチについて「人々に不安感や嫌悪感を与えるというだけでなく、差別意識を生じさせることにもつながりかねない。甚だ残念だ。差別のない社会の実現に向け、一層積極的に取り組んでいきたい」と述べた[15]。こういった批判の声に対し、在特会側は「よりひどい海外の反日デモもある。過激な表現は注目を集める手段。1万3000人に増えた会員数がその成果だ。見直しは検討するが、個人の声まで抑える気はない」と反論し、理解を求めた[16]。
5月22日には、国連の社会権規約委員会が韓国人の元従軍慰安婦に対するヘイトスピーチを防止するよう日本政府に対して求めていたと報道されていたが、[17]、外務省によると「要請に規制のニュアンスはなかった」とされ、誤報であったことが判明している。[18]
脚注 [編集]
- ^ 小谷順子「米国における表現の自由とヘイトスピーチ規制 : Virginia v. Black, 123 S. Ct. 1536(2003)判決を踏まえた検討」、『法政論叢』第40巻第2号、日本法政学会、2004年5月15日、 149-167, A17-A18、 NAID 110002803938。
- ^ 日本は当条約に1995年12月15日に加入書を寄託し、加盟国となっているが、「日本国憲法の下における『集会、結社及び表現の自由その他の権利』の保障に抵触しない限度において、これらの規定に基く義務を履行する」という留保の宣言を行なっている。
- ^ 日本は2013年3月現在、この条約を批准していない。
- ^ Draft general comment No. 34
- ^ 「ホロコーストの否定」に対する非難決議、全会一致で採択 - 米国|AFPBBニュース
- ^ Racial and Religious Tolerance Act 2001
- ^ 人種差別撤廃委員会の日本政府報告審査に関する最終見解に対する日本政府の意見の提出
- ^ NEWSポストセブン|続く「嫌韓デモ」 国会で排外・人種侮蔑デモ抗議集会開催
- ^ 危ない動きに国会議員らが立ち上がる | ニュースのフリマ
- ^ 何が起きた?有田議員に“殺人予告” | 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社
- ^ 朝日新聞デジタル:新大久保の反韓デモ、救済申し立て 「身に危険の恐れ」 - 社会
- ^ “在特会、人権救済申し立て「デモで抗議側から妨害受け」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年4月26日) 2013年4月27日閲覧。
- ^ 安倍首相、ヘイトスピーチに「極めて残念」 参院予算委](朝日新聞) 2013年5月7日
- ^ ヘイトスピーチ「憂慮に堪えない」 谷垣法相(朝日新聞) 2013年5月9日
- ^ ヘイトスピーチ「残念」 谷垣法相(産経新聞) 2013年5月10日
- ^ 「皆殺し」「追放」と過激化=ヘイトスピーチに非難強まる―コリアンタウン排斥デモ(時事通信) 2013年5月11日
- ^ 「ヘイトスピーチ」国連委が日本政府に改善求める TBS News i 2013年5月22日
- ^ 国連が慰安婦ヘイトスピーチ改善要求? 外務省「教育徹底を求められただけ」 J-CASTニュース 5月23日(木)20時21分配信
参考文献 [編集]
- ジュディス・バトラー 著、竹村和子 訳『触発する言葉 言語・権力・行為体』岩波書店、2004年4月。ISBN 4-00-023392-0
関連項目 [編集]
|
||||||||||||||||||||||||||||