反中
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反中(はんちゅう)とは、中国(中華人民共和国)に対して反感意識を持つことである。対義語は親中。
一般的には保守系論者及びその同調者に多いとされている。背景としては日中相互の社会に対する理解不足、社会主義体制を維持していることにたいする違和感、日本における中国人犯罪や小泉純一郎による靖国神社参拝に対する中国側の民族主義的な抗議活動などが挙げられる。
また、中国脅威論を提唱する反中的なメディアが、親中派とみなされる立場の人物に対し「媚中」という呼称を使用することがある[1]。概してこの立場を取る人物は親中華民国である。
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[編集] 日本における反中感情
明治維新以後に脱亜入欧の意識で近代化していった日本と比較して、従来の皇帝を頂点とする専制君主制からの脱却が出来ず、また欧米列強によって蹂躙されていた中国に対して、次第に違和感が広がり、一部の日本人にはそれを見下すような態度があった。福澤諭吉は脱亜論において、中国を悪友として謝絶するように主張するが、これは中国に対する差別意識を含んだものではなかった。
第一次世界大戦中の1915年に第2次大隈内閣が袁世凱大総統に最後通牒をもって行った対華二十一カ条の要求は、ドイツが中国に持っていた利権の譲渡だけでなく中華民国政府の内政全般にわたる介入を要求するものであったため、中国における反日(抗日)活動である五四運動の原因となった[2]。
また、この時期には、当初は孫文が提唱していた中国を表す「支那」を正式国号に関係なく用いていた。ただし、これが差別的な意図を含んだ使用法なのか、単に新しい中国という国号になじみがなく、旧来の呼称が用いられていただけなのかは議論の余地がある。
日中戦争の前後において、通州事件や第二次上海事変、反日侮日運動などによる日本人への虐殺や種々の嫌がらせ・虐待と、中国がなかなか屈服しなかったことに対し日本では反発もあった。後者については、中華民国の首都である南京を陥落すれば戦争が終結するとの楽観論に反し、日本が破滅的な状況へと陥った事が背景にある。しかし、日中戦争では日本が中国に対して敗北したという意識が乏しかったため、劣等感を受けることは少なく、日本人の間には中国人に対する一種の贖罪意識も生まれた。
日中国交が回復するまで、日本においては「中共」(本来は中国共産党の略称である)を多用しており、国家承認もしていなかった。また岸信介内閣など歴代の政権の多くは、日本が、冷戦下で資本主義陣営に組み込まれ、共産圏と敵対していた影響などにより、政治的には反中的姿勢を貫いた。
そうした中、日中国交回復前の1958年5月2日に、長崎市で開催された切手展覧会の会場に掲揚されていた中華人民共和国の五星紅旗を男性が引きずり下ろし侮辱する行為があった。明らかに反中的、反共的指向から行った国際的礼節を逸脱した行為であったが、警察が事情聴取を事実上不問にしたため(当時国交のあった中華民国国民党政権の在長崎領事館が「非合法政権の国旗であり、日華友好に悪影響を与える」との要請もあったともいう)、事実上外国国章損壊罪の刑罰の対象となる国旗に該当しないと司法警察当局が容認したため、中国側が反発し、既成立も含めた日中間の商取引契約を取り消す対抗措置に出た(詳細は長崎国旗事件を参照)。
この日本側の対応について共産主義中国を認めない反中的な思想背景があると主張する者もいる。しかし、この頃は日中間の交流も少なく摩擦自体は少なかった。
日中国交正常化がなされた1972年以降、日中間の交流が盛んになった。この時期は国交正常化した田中角栄や、当初はタカ派と見られた福田赳夫などの総理が現実的な外交交渉を行ったことで日中蜜月といわれており、大平正芳政権の時期には最高潮に達した。
しかし、21世紀に入ると、中国の経済成長や軍事面での強大化、尖閣諸島海域での領海侵犯など日本の権益への侵犯行為が表面化するにつれ、中国に脅威を感じる日本人が増えていった。特にAFCアジアカップ2004で日本が優勝した際に発生した一部中国人の暴動はマスコミでも大きく取り上げられ、「スポーツは政治と絡めないで友好を模索するもの」という日本人の一般的な市民意識と大きく隔たった著しく民度の低い行動が、中国に対する感情を悪化させた。
日本にとって最大の仮想敵国であったソビエト連邦が崩壊した事による冷戦の終結で、共産党による一党独裁体制が未だ存続していることに対する保守主義者、自由主義者、議会制民主主義者による反感もある。こういった動機からの反感は、中華人民共和国という専制体制とそれに従属する中国国民への反感であって、漢民族への民族主義的な反感とは峻別するべきであるという考えもある。
また、その他にも、様々な問題、例えば靖国参拝における中国の反応や、反日デモなどが日本で度々報じられたり、尖閣諸島に対する領土問題や東シナ海の天然ガス田をめぐる摩擦(東シナ海ガス田問題)や上海総領事館員自殺事件などが重なり、一方では中国が反日教育を自国民に施しているのではないかとの意識が日本で広がった。その背景には1990年代の「失われた10年」で疲弊した日本国内で高揚してきた強い日本の復活を願うナショナリズムとの関連も指摘される。
一方で小泉純一郎などの政治家が靖国神社参拝に対して中国側に丁寧に説得するのでも、相手側の意見に一定の理解を示すわけでもなく、一方的に参拝抗議に対する反発を表明している。この靖国神社問題に関する中国の反発を反中的で強硬な態度で臨むことの主張の一因だとする意見が左派系のマスコミ・政治家からでているが、保守系論調をとる文藝春秋、産経新聞、SAPIOなどに対しては、中国脅威論を煽る事で日本国内に対する社会的不満の矛先をむけさせ、民族的優越感を煽るものであるとの指摘が親中派からは主張される。特定のメディア名を名指しすることはないものの、中国政府の主張する立場も基本的にこれと同じである。ただし、この論調については中国側マスコミの反日を煽る報道と同様に商業的成功が優先された結果であるとの指摘もある。
[編集] 米国における状況
19世紀のアメリカ合衆国では、勤勉かつ低賃金で働く中国人労働者が大量に移住してきたため、1870年代の初期に中国人差別法や1882年の中国人排斥法などが制定され、中国からの移民を制限しようとした。この頃清朝は衰退し、イギリスをはじめとした西洋諸国によって半植民地の状態におかれたことから、安定した生活を求め海外に移住する中国人が多くいた。同じ時期に日本人も同様に移住したが、中国人にしろ日本人にしろ困窮しきっていた彼らは低賃金でも文句を言わず良く働いた。そのためイタリア系やアイルランド系(いずれも熱心なカトリック教徒)など、白人社会の中で下層を占めていた人々の雇用を奪うことになったため問題化し、反中的、反日的な民族差別主義としての「黄禍論」が唱えられるようになった。
そのため、中国人労働者によって自分たちの労働待遇までも悪化させられると考えた白人住民による暴行事件が多発した。この時の反中感情は皮肉にもアメリカに対する同じアジア系である日本の脅威の方が深刻化したことから沈静化し、第二次世界大戦で米中が共に日本と戦ったことなどからほぼ一掃された。
冷戦体制化ではアメリカ合衆国は中華民国・国民党政権を承認し、共産主義に対する警戒から中華人民共和国・共産党政権とは手を結ばなかったが、ソ連への対抗上1979年1月ニクソン政権によって米中国交は正常化された。
しかし21世紀初頭の現在では、アメリカの国会議員のなかには中国は軍事・経済などで将来アメリカの覇権を脅かす存在として認識している封じ込め派と、中国の輸出攻勢によって被害を受けている中小企業などの支持を受けた議員(中国の人権問題を重視する人権派も含まれる)が中心となった圧力派が存在する。またアメリカ議会のなかには一定の親台湾派が存在しており、中華民国総統のアメリカ訪問を実現しようとする動きもある[3]。
現在の米中関係は朝鮮戦争、ベトナム戦争などでの対立を背景に、軍事面ではかならずしも良好な二国関係と見られていない。近年では1996年の台湾総統選挙の際に台湾海峡をはさんで米中による軍事的緊張が生起したほか、1999年5月7日ユーゴスラビア内戦下のベオグラードではNATO軍機による中国大使館への誤爆、2001年4月には南シナ海上空で発生した米中両国の軍用機(中国人民解放軍の戦闘機『J-8II』とアメリカ軍の電子偵察機『EP-3E』)同士による空中衝突事件(海南島事件)をめぐる問題などがおこっている。
アメリカ同時多発テロ事件以後は対テロ戦争のため主要国から一定の協力が必要なため、米中関係はある程度緩和されたとの指摘もある。
[編集] そのほかの国の状況
中国人社会は東南アジアにも存在しており華僑として経済的に優位な立場である。特にシンガポールでは国自体が華僑が大多数である。しかし、そのほかの国では少数派であるが経済的にその国を支配しているとみられるため、華僑に対する反発から反中暴動がしばしば起きているという。
インドシナ戦争時のベトナムでの迫害や、インドネシアにおける反中暴動などが起きている。特にインドネシアでは激しい暴動事件が過去に何回か起きている[4]。また、アフリカでは、中国といち早く国交を結んだザンビア等で、中国はこの国を一つの州にしようとしていると考える人がおり、胡錦濤国家主席が訪問した際には数百名の警備がついた。
2008年に開催される北京オリンピックチベット問題、脱北者問題などの中国政府の対応を批判した人権団体が北京オリンピックの聖火リレーを妨害するなど新たな火種も生まれている。
[編集] 反中的と目される作品
- 日本国大統領 桜坂満太郎(中国が朝鮮半島だけでなく日本を侵略する設定の漫画)
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 「歴代総理の通信簿」八幡和郎、PHP研究所
- 「ニッポンの暴言」横山渉、(ISBN 4-86199-035-1)
[編集] 脚注
- ^ 産経新聞社『正論』2006年8月号など。
- ^ このことがアメリカ合衆国など欧米列強に不信感を与え、日米開戦の遠因のひとつになったとの指摘がある。
- ^ 三井物産戦略研究所レポート、三菱東京UFJ銀行レポート
- ^ 詳細はジャカルタ反中暴動事件(1998年)(英語版より)を参照。

