ロサンゼルス暴動

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4,000人を超える連邦軍(陸軍、および海兵隊)部隊までが投入された。

ロサンゼルス暴動(ロサンゼルスぼうどう)とは、1992年4月末から5月頭にかけて、アメリカ合衆国ロサンゼルスで起きた大規模な暴動。新旧の人種問題、陪審制の難しさなど、暴動の背景にある多くの問題が浮き彫りになった。

潜在的要因[編集]

ロサンゼルス暴動はロドニー・キング事件に対する白人警察官への無罪評決をきっかけとして、突如起こったかのような印象で日本では報道されることが多かったが、その潜在的要因として、ロサンゼルスにおける人種間の緊張の高まりが挙げられる。アフリカ系アメリカ人の高い失業率、ロサンゼルス市警察(以下「LA市警」)による黒人への恒常的な圧力、韓国人店主による黒人少女(ラターシャ・ハーリンズ)射殺事件とその判決に対する不満などが重なり、重層的な怒りがサウスセントラル地区の黒人社会に渦巻いていた。そこにロドニー・キング事件のLA市警警官に対して無罪評決が下されたことが引き金となって、黒人社会の怒りが一気に噴出して起きた事件であるといえる。

サウスセントラル地区の人口比率の変動と人種間の緊張[編集]

事件の重要な要件として、暴動がはじまったサウスセントラル地区の人口比率の変化が挙げられる。サウスセントラルはかつて黒人地区であったが、ヒスパニック系が居住者として取って代わるようになり、一方では韓国系アメリカ人がそれまで黒人の所有していた酒屋や雑貨店などを買い取って商売をはじめていた。国勢調査によれば、歴史的に黒人居住地区であった場所におけるヒスパニック系住民の増加率は119%に達していたという。こういった地区では商店などの経済競争が人種間の憎悪を高めていった。それまで黒人が一手に引き受けていた単純労働は、半分の賃金で働くラテン系移民へと移っていった。また、韓国人(コリアンアメリカン)による極端とも言える黒人蔑視などもあり、韓国人商店と客である黒人住人との関係のみならず、黒人社会と韓国人社会全体が明確に断絶していた。黒人住民たちは韓国人商店の客扱いが酷く商品が値上がりしているとの不満を持っていた。

すでに1989年の時点で、スパイク・リー監督の映画ドゥ・ザ・ライト・シング (映画)ではこうした人種間対立を題材に扱い、上記の様な黒人社会と韓国人社会の対立も描きながら、人種間対立が暴動へと発展する様子を描いている。

ロドニー・キング事件、およびその裁判[編集]

1991年3月3日、黒人男性ロドニー・キングがレイクビューテラス付近でスピード違反を犯し、LA市警によって逮捕された。その際、20人にものぼる白人警察官が彼を車から引きずり出して、装備のトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道され黒人たちの激しい憤りを招いた。

この事件でビデオに映り身元が分かる白人警官3人(ステーシー・クーン巡査部長、ローレンス・パウエル巡査、ティモシー・ウィンド巡査)とヒスパニック系警官1人(セオドア・ブリセーノ巡査)の計4人が起訴された。裁判の結果、警官達の“キングは巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ(実際はおとなしく両手をあげて地面に伏せたキングが無抵抗のまま殴打され、医療記録によるとあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球は潰されていたとされるが、裁判では認められなかった)、事件発生から1年経過した92年4月29日に陪審員は無罪評決を下した。これについては、白人住民の多かったシミ・バレーで法廷が開かれ、陪審員に黒人は含まれていなかった事も原因の一つであるといわれる。

ラターシャ・ハーリンズ射殺事件[編集]

ロドニー・キング事件のわずか13日後となる1991年3月16日、持参したバックパックに1ドル79セントのオレンジジュースを入れ、手に支払いのための小銭を握っていた[1]黒人少女(当時15歳)であるラターシャ・ハーリンズを、韓国系アメリカ人の女性店主、斗順子(トウ・スンジャ、Soon Ja Du、当時49歳)が射殺したのである。事件の様子は防犯ビデオに収められており、2人は揉み合いになったのちに少女が店主の顔面を4度殴打、店主は床面に激しく転倒させられた。店主は少女に椅子を投げつけた。

その後、件のオレンジジュースをカウンターに置いて店から歩いて出て行こうとする少女に対して、韓国人店主は背後から銃を向け、その頭部を撃ち抜いた。Duは逮捕され、事件の判決は同年11月15日に出された。陪審員は16年の懲役を要求していたにもかかわらず、判決は5年間の保護観察処分、およびボランティア活動400時間、罰金500ドルという殺人罪としては異例に軽いものであった。この判決は黒人社会の怒りを再び煽ることとなり、無実の黒人少女を射殺するというこの事件により、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。

ブラック・コリア[編集]

1991年11月5日、ラッパーアイス・キューブはアルバム“Death Certificate”を発表。このアルバムのなかに収録された“BLACK KOREA”という曲において、韓国系アメリカ人の経営する商店で、黒人の少年少女が入店すると、商店主が万引きしないか猜疑のまなざしで見たり、後をつけたりすることを歌詞でのべ、黒人社会と韓国人社会間に存在する軋轢を描いた。曲の最終部では、韓国系アメリカ人による黒人への侮蔑的な態度に対する鬱積した怒りを次のように表現した。

So pay respect to the black fist or we'll burn your store, right down to a crisp. …Cause you can't turn the ghetto - into Black Korea ……"I do fuck you!"


黒人に敬意を払え でなきゃお前の店をカリカリになるまで黒焦げにしてやるぞ お前らはゲットーをコリアタウンに変えることなどできない "本当にブチ殺すぞ!"

発表時期とその歌詞内容からして、この曲がラターシャ・ハーリンズ射殺事件に代表される状況を指しているのは明らかであるが、この曲がロサンゼルス暴動の火付け役になった可能性は否定できないであろう。

暴動勃発[編集]

1992年4月29日、LA市警の警官への無罪評決が下されたこの日、評決に怒った黒人たちが手の付けられない暴徒と化し、ロサンゼルス市街で暴動を起こして商店を襲い、放火や略奪をはじめた。

また、小規模な暴動及び抗議の動きはロサンゼルスだけではなくラスベガス、アトランタ、サンフランシスコをはじめとしたアメリカ各地、およびカナダの一部にまで波及したようである(「本部長は辞任せよ」「4人の警官は全員有罪だ」「暴力警官からバッジを取り上げろ」のプラカードを掲げて抗議デモをしたグループもあった)。

レジナルド・デニー集団暴行事件[編集]

この暴動が勃発した初日、LA市内をトラック輸送仕事でいつも通り走行していた白人トラック運転手、レジナルド・デニーはフローレンス通りとノルマンディーアベニューの交差点で信号待ちをしていた際、主に若者を中心とした暴徒化した黒人らにキャビンから引きずり出されて暴行を受けた。その内容は、コンクリート塊でこめかみを強打したり、倒れた被害者の頭部に数十キロの鉄の塊(エンジンブロック)を投げ落とすなどだった。またこの様子は地元TV局の取材ヘリから空撮されており、この衝撃的なシーンは幾度となく繰り返し全米にTV放送され、彼はロサンゼルス暴動におけるもっとも著名な被害者となった。なお、暴行を受けた後、彼はTVニュースでその暴行のライブ中継を見ていた地域住民の黒人によって助け出され、病院で開頭手術などを受け一命を取り留めている。

LA市警と非常事態宣言[編集]

主な襲撃目標となったLA市警は自らを守るだけで手一杯の状況となり、暴動を取り締まることはまったくできなくなっていた。その証拠に前述の、中継されたデニー集団暴行事件でも最後まで警察は現れる事はなかった。この時、LA市警は現場に黒人警官のみを行かせるよう編成をしており、現場近くにいた白人制服警官達には「現場に近づくな」との命令がディスパッチャー(通信司令)を通して発せられていた。

4月30日、当時の市長トム・ブラッドリー(黒人。翌93年9月末退任)は非常事態宣言を発令した。

韓国人商店街への襲撃[編集]

もうひとつの主たる襲撃目標となったのが韓国人商店である。襲撃による被害額の半分弱が韓国人商店のものであるともされる。韓国人商店主らが防衛のために拳銃を水平発射しているシーンも幾度となくテレビにおいて放映された。ちなみに彼ら韓国人店主らの多くはベトナム戦争の帰還兵だった。ベトナム戦争に参加した韓国人帰還兵に米国政府が移住許可を与えたため、70年代に韓国系移民が4倍も増えた。彼らは主に競合相手のいない黒人街で商売を始め、従業員には黒人でなくヒスパニック系を雇い、閉店すると店を厳重にガードし、そそくさと韓国人街へ帰るというスタイルで商売していた。黒人の間では「自分達を差別しながら商売する連中」というイメージが定着し、そうした黒人による日頃からの韓国系への鬱憤が、暴動時の韓国人商店襲撃へと結びついたといわれている[2]。また、当初は韓国人商店が襲撃されたが後には他のヒスパニック系/白人/黒人/日系/中国系の店も襲撃されるようになった。

鎮圧[編集]

暴動鎮圧のために州兵は元より、4,000人を超える連邦軍(陸軍、および海兵隊)部隊までが投入され、さらには司法省が、ロドニー・キング事件について、公民権法違反(第7篇。人種差別行為禁止)容疑でのFBIによる再捜査をアナウンスするなどの努力によって、6日間にわたった暴動はようやく収束を見た。

被害[編集]

暴動による被害は死者53人、負傷者約2,000人を出し、放火件数は3,600件、崩壊した建物は1,100件にも達した。被害総額は8億ドルとも10億ドルともいわれる。韓国人街は市警が暴動鎮圧に消極的だったと厳しく非難した。また彼らは『無実の我々が犠牲を強いられた責任は市当局にある』と述べた。

この事件での逮捕者は約1万人にものぼり、そのうち42%が黒人、44%がヒスパニック系、そして9%の白人と2%のその他の人種が含まれていた。

暴動以後[編集]

  • 暴動後、ロドニー・キング殴打事件の再審理を求める世論が盛り上がり、FBIが公民権法違反で再捜査を行った。再審理の結果、指揮を執る立場にあったクーン巡査部長と直接関与したパウエル巡査の2人が有罪評決を受けた(ブリセーノ巡査とウィンド巡査は無罪)。LA郡の連邦地裁陪審団は同市に対しキング氏に約382万ドル(当時レートで約3億9700万円)の賠償金を支払うよう評決を下した。キング氏側:「警官の暴行は人種的な背景によるもので、頭部を殴打されたため脳に回復不能の障害が残り視力低下や頭痛、集中力欠如などの後遺症に苦しむ」と主張。この評決が下される際も、暴動が再発するのではないかと緊張が走ったが、事前の警備が万端であった上にほぼ順当な判決が下されたこともあり、暴動が起きるようなことはなかった。
  • 余談だがロサンゼルス暴動後に同じロサンゼルスでおきたO・J・シンプソン事件をめぐる裁判では容疑者のO・J・シンプソンが黒人であったため、ロサンゼルス暴動の再来を恐れた裁判所側が陪審員に黒人が多い地区からの選出を認め、検察側の人種感情を強く問題視するなど過剰とも取れる配慮をおこなった結果、裁判の過程に大きな影響を与えたという経緯がある。
  • ロドニー・キング事件は報道で誇張され、「警官は悪だ」とのイメージが定着して警官に対し不信感を持たれ、全米で警官の志願者が減少し、警察署は定員充足率9割強という人材不足に頭を悩ませている[3]
  • キングはのち、2012年6月17日ロサンゼルス市内の自宅プールで死去した。47歳だった[4]

ロサンゼルス暴動を題材にした作品[編集]

音楽[編集]

  • アメリカのバンドSUBLIMEのメジャー1stアルバム「SUBLIME」の5曲目「April 29, 1992 (Miami)」
  • アメリカのバンドRage Against The Machineの3rd.アルバムの名前「The Battle Of Los Angeles」
  • アメリカのラッパーIce TによるヘヴィメタルバンドBody Countの楽曲「Cop Killer」。ロサンゼルス暴動当時の警察の腐敗や横暴を罵った歌詞[5]が物議を醸した。

映画[編集]

  • 『わが街』:1991年公開。ロサンゼルス暴動の遠因となった異人種間、および異なる社会階層によって分け隔てられた人々を描いている。主人公(白人)が自分のレクサス・LS400で帰宅中エンジントラブルを起こし、黒人の暴漢に囲まれてしまうが、レッカー車に乗った黒人に助けられるというシーンがあり、奇しくもこの1年後に同じことが現実に起こった。
  • マルコムX』:1992年公開。冒頭でマルコムXの実際の演説と共に暴行を受けるロドニー・キングの映像が挿入されている。
  • 『カッティング・エッジ』:1994年公開(日本未公開)。暴動後のベニスビーチを描いている。
  • ダーク・スティール』:2002年公開。腐敗した警察をロサンゼルス暴動に向けた時間軸で描いている。また、ロドニー・キング事件と、レジナルド・デニーを殴打している実際のシーンが挿入されている。
  • ザ・LAライオット・ショー』:2005年公開。事件を基にしたノンフィクション

漫画[編集]

  • ゴルゴ13』:第101巻3話「カオスの帝国」、女性社会学者が専攻している「社会カオス理論」の実証のために暴動のきっかけとなったロドニー・キング事件を仕組み、更にその後の裁判で警察官が無実となるように操作して暴動を誘発するというストーリーとなっている。

その他[編集]

  • 映画コラムニストのジャンクハンター吉田がアメリカに滞在していた頃、ロサンゼルス暴動に遭遇。たまたま黒人達と鉢合わせになり生命の危機を覚悟したが、黒人から「おまえは韓国人(韓国系アメリカ人)か?」と聞かれ、自分が日本人である事を証明すると比較的安全な所に匿われ、周りが沈静化すると「ここは危険だから早くこの地区から逃げろ」と諭された出来事を体験している。
  • ドラマ『L.A.ロー 七人の弁護士』においてロサンゼルス暴動当日をエピソードにした回が存在する。
  • ドラマ『天才少年ドギー・ハウザー』においてもロサンゼルス暴動を題材にしたエピソードがある。主人公・ドギーの勤務する病院には暴動による負傷者が次々と運び込まれる。
  • PlayStation 2Xboxなどで発売されたゲーム『グランド・セフト・オート・サンアンドレアス』では架空の都市ロスサントス(ロサンゼルスがモデル)において、汚職警官らに無罪評決が下された後に暴動が発生するシーンがあるが、このロサンゼルス暴動を参考にして作られたと思われる。ただしこのゲームでは汚職警官が現実とは逆に白人ではなく黒人となっている(しかも暴動時のあるミッションでは対戦車榴弾(RPG-7)や、アサルトライフル(M16AK-47)の弾が飛び交うなど実際のロサンゼルス暴動以上の事態となっている)。
  • この暴動直後に、ユニバーサルスタジオハリウッドのアトラクション「ライオット・アクト」は、その名称を「ワイルド・ワイルド・ワイルド・スタントショー」に改めた。

脚注[編集]

  1. ^ 少女は手に小銭を持ち、なにも盗んではいなかったことがビデオで証明されている(NYタイムス)
  2. ^ 落合信彦『もっともっとアメリカ』
  3. ^ http://www.usfl.com/Daily/News/06/01/0126_016.asp?id=46898[リンク切れ]
  4. ^ “ロドニー・キングさん死去、92年ロサンゼルス暴動発端の被害者”. CNN.co.jp (Cable News Network). (2012年6月18日). オリジナル2012年6月20日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120620235554/http://www.cnn.co.jp/usa/30007017.html 
  5. ^ http://www.allthelyrics.com/lyrics/icet/cop_killer-lyrics-866036.html

関連項目[編集]

外部リンク[編集]