血の日曜日事件 (1965年)

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「血の日曜日事件」にてデモ隊を襲う白人警官

1965年血の日曜日事件(ちのにちようびじけん)は、1965年3月7日に、アメリカ公民権運動中にアラバマ州の都市セルマで起きた流血事件。

経過[編集]

1965年3月7日、525から600名ほどの公民権運動家達がセルマを出発する。セルマの人口の半数ほどの黒人達は、差別と脅迫により有権者登録を妨害された。同じ年の2月18日に、公民権運動のデモ中に警察官からの暴力から喫茶店に避難していた両親を守ろうとした黒人、ジミー・リー・ジャクソンを警察官が銃撃。ジャクソンは8日後の2月26日に感染症のため病院で死亡した。

3月7日のデモ隊は、州都モンゴメリーまで行進を続けることで、警官隊達が合衆国憲法違反をしたことをアピールしようとした。キング牧師がセルマからモンゴメリーへのデモを組織したのは有権者登録をした黒人達を知事に保護させようとしたためである。

白人の知事はそのデモ行進が公共の秩序を乱す恐れがあるとしてこれを非難し、あらゆる手段を使ってデモを止めることを宣言。州兵やダラス群保安官達が待ちかまえていたため最初の行進はたった6ブロック進んだだけであった。報道機関の目の前で、彼らは無抵抗のデモ隊に対して棍棒や催涙ガス、鞭などを使ってセルマに追い返した。

結果・影響[編集]

ひどい傷を負って血だらけで倒れる人々の残酷なシーンはテレビで報道され、合衆国の公民権運動を後押しすることになった。

アメリア・ボイントン・ロビンソンという女性は、催涙ガスや殴打によって瀕死の重傷を負った。その写真は世界中の新聞やニュース雑誌の第1面や表紙に掲載された。参加者の17人が病院に収容され、血の日曜日と呼ばれるようになった。

関連項目[編集]