州兵

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National Guard, 1917
ペンシルベニア駅でパトロールをしているニューヨーク州の州兵

州兵(しゅうへい National Guard)とは、アメリカ合衆国における軍事組織の1つ。主な任務は、アメリカ軍の予備部隊として、兵員・部隊・サービスを連邦軍に提供することと、アメリカ国内における災害救援暴動鎮圧などの治安維持を行うことにある。州軍(しゅうぐん)、国家警備隊(こっかけいびたい)とも訳される。

概要[編集]

民兵が活躍したアメリカ独立戦争を始めとする歴史的経緯から、アメリカ合衆国においては、国家防衛の他に郷土防衛についても関心が高い。州兵の設置根拠は、アメリカ合衆国憲法第1条第8項の15および16節に連邦議会および州政府の民兵に関する事項が規定されており、修正第2条にも市民武装権(解釈について争いあり。連邦最高裁は正当防衛のための武装容認という判例を示した)や民兵に関する規定がある。民兵の一形態として、州兵が組織された。このため、連邦軍のみならず、郷土防衛組織についても、各州に軍事組織として州兵が設置されている。

州兵の任務は、アメリカ国内における災害救援、暴動鎮圧などの治安維持のほか、アメリカ軍の予備部隊としての機能を果たすことにある。州兵は、大統領の命令により、連邦軍に編入され、アメリカ軍において戦闘任務を含む各種任務を担当する。アメリカ軍にとっては、大きな予備兵力源となっており、現在の州兵はこの予備兵力としての意義が最も大きなものとなっている。

組織面において州兵は、陸軍州兵 (Army National Guard) と空軍州兵 (Air National Guard) で構成されている(海軍、海兵隊部隊は存在しない)。どちらとも行政組織上はアメリカ国防総省州兵総局英語版(2008年以降、大将指揮)の管轄下にあり、連邦から補助金や装備の供与を受ける。また、平時においては、連邦は州兵の指揮権を持たず、各州知事が指揮権を持つ。連邦が指揮権を発動するのは、大統領の命令により、州兵が連邦軍に編入された場合である。なお、コロンビア空軍州兵・コロンビア陸軍州兵は例外であり、他州の陸軍州兵が平時には各州知事の指揮下にあるのに対し、両州兵はワシントンD.C.(コロンビア特別区)市長の指揮下になく、常に連邦政府の指揮下にある。両州兵の最高指揮官はアメリカ合衆国大統領であり、災害時など、両州兵の動員が必要な際は、ワシントンD.C.市長が大統領に動員を要請することとなる。

陸軍州兵の人員は2001年現在で35万人、空軍州兵は10万6千人である。

ちなみに、一部の州には、民兵組織として州防衛軍英語版 (State Defense Force) や本格的な戦闘艦艇を持たない海軍民兵英語版(Naval Millitia)もある(こちらは州兵と逆に、空軍組織は存在しない)。これらの民兵組織は構成員に軍の予備役が多いものの、州兵と異なり、州にのみ属する。そのため、組織として連邦軍に編入されることはない。なお、名目上こうした民兵組織が存在しても、実際には休眠状態の場合もある。

歴史[編集]

アメリカ独立戦争においては、アメリカ各地の民兵が果たした役割は大きく、イギリス軍を撃退するのに功があった。独立後も、開拓地域における不安定な治安もあって武装した市民の存在は珍しくなかった。19世紀を通じて、政府方針や財政事情もあり、アメリカにおける常備軍の規模は小さいものであった。その間、米墨戦争米西戦争があり、常備軍のみではなく民兵部隊も動員されている。南北戦争においては、アメリカ領内における戦闘という側面もあり、両陣営とも多くの民兵を動員している。

民兵の連邦組織への組み込みが開始されたのは、1903年のことである。米西戦争において、民兵はその錬度の低さが問題となっていた。1903年民兵法の公布により、各州で組織されていた民兵部隊に連邦予算の支給が大幅に増加され、装備・錬度などの軍事能力の向上が求められた。

1916年国家防衛法の施行により、民兵部隊は連邦軍の予備部隊としての性格がより明示され、民兵部隊は各州の管轄ではなく、連邦政府の管轄となった。また、有事においては、連邦軍と同等の行動が行えるように訓練・編制・装備も同等のものとすることとなっている。この法律において、州兵(National Guard)の語が初めて用いられた。

第一次世界大戦においては、アメリカは常備軍のほか、州兵部隊もヨーロッパに派遣し、各州兵部隊の混成であった第42師団を始めとして、大きな戦果を挙げた。

1933年に国家防衛法の改定により、州兵における連邦軍の予備部隊としての性格は強められている。1940年、当時はまだ第二次世界大戦に参戦する前であったものの、陸軍州兵19個師団と陸軍州兵航空隊29個飛行中隊が連邦軍に組み込まれた(1945年に大戦が終結すると、州兵の動員は解除された)。

1947年に国家安全保障法により、陸軍航空隊から替わったアメリカ空軍が設立されると、それに伴い空軍州兵も設立された。

その後も、州兵はアメリカ軍の一部として、戦時に動員されており、朝鮮戦争湾岸戦争コソボ紛争アフガニスタン侵攻イラク戦争に参加している(なお、ベトナム戦争には参加していない)。この他、国内任務として、公民権運動に伴う暴動、ベトナム反戦運動、ロサンゼルス暴動など騒乱の鎮圧やハリケーン・カトリーナを始めとする災害救援に出動している。

南北戦争後に1度だけ州兵が(と言うよりこの場合は州兵を指揮する立場にある州知事が)連邦政府に対して異を唱えて武力衝突に発展しそうになったことがある。公民権運動の最中、ブラウン事件の連邦最高裁判決を経てアーカンソー州リトルロックのリトルロック・セントラル高校は人種差別を廃止して黒人生徒の登校を認める事になった。しかし、その判決に納得していなかった当時の州知事オーヴァル・フォーバス英語版は州兵を動員して黒人の生徒ら9人が登校するのを阻止した。これに怒った当時の大統領ドワイト・D・アイゼンハワーはそれら州兵を合衆国陸軍に編入し、駐屯地へ帰還するように命じた。州兵達はこの命令に従ったため事態はこれ以上悪化しなかった。しかしそれでは不十分だと思ったのかアイゼンハワーはリトルロック・セントラル高校に行くことになった9人の黒人生徒に第101空挺師団から護衛をつけて学校に通わせた(リトルロック高校事件)。

なお、ベトナム戦争後に、ベトナムでの敗戦・財政状況を受けて連邦軍は縮小されている。それに伴い、常備軍と予備部隊間の差異を小さくし、一体的な運用を行えるようにする総戦力方針 (Total Force Policy) が採択された。また、久しぶりの州兵の大規模動員であった湾岸戦争において、州兵部隊の動員および再訓練により実戦力化に時間がかかったということがあった。そのため、戦力化までの時間を短縮するため、連携訓練に注意を払うようになった。

州兵の勤務は、かつて "One weekend a month, two weeks a year"(ひと月に週末1回、年間合わせて2週間) の標語で示されるような気軽なものであった(自営業を営みながら州兵に志願するといったような)。しかし、2000年代以降のアメリカ軍においては、対テロ戦争イラク戦争の影響もあり、州兵を含む予備部隊が多数動員され、国内外で活動を行っている(テネシー州兵部隊は1950年代の装備のままで半年も派遣されていた)。そのため、フルタイム勤務が増加し、先の標語のような勤務状態ではなくなった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]