金ぴか時代

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1895年に完成したビルトモアハウスはヴァンダービルト一族のみならず、合衆国の富の象徴である

金ぴか時代(きんぴかじだい、もしくは金めっき時代、鍍金時代、金箔時代、: Gilded Age)は、1865年南北戦争終結から1873年に始まった大不況中の1893年のパニック英語版までの28年間をさし、アメリカ資本主義が急速に発展をとげた時代のこと。文学者マーク・トウェインらによる同名の小説に由来する。

経済成長と金権政治の時代[編集]

南北戦争後、アメリカ合衆国は北部を中心とする一つの大きな国民経済のまとまりが確保された。1869年オマハサクラメントを結ぶ最初の大陸横断鉄道が開通し、ヨーロッパからさらに多数の移民をひきつけた。こうした資本主義の急速な成長の下、鉄鋼王アンドリュー・カーネギースコットランド出身)、石油王ジョン・ロックフェラー、鉱山王グッゲンハイムの父マイアー・グッゲンハイムスイス出身のユダヤ系ドイツ人)など名立たる富豪が輩出した。しかし、政治は腐敗し、国家の庇護を受けた資本家はさらに富を蓄え、下層の人々は貧困に喘いだ。金ぴか時代とは、浮付いた好況と拝金主義を皮肉り、こうした経済の急成長と共に現れた政治経済の腐敗や不正を批判してトウェインが命名した時代名称である。

政治の腐敗と混迷[編集]

ジョンソン時代[編集]

リンカーン大統領暗殺後、副大統領から昇格した南部人のアンドルー・ジョンソン大統領は共和党選出ではあったものの元来は民主党出身[1]だったため、南部の白人に特赦を与えるなど南部に対し好意的かつ寛大にふるまった。南部の旧指導者らは政治活動を再開し、かつての「奴隷取締り法」に代わって「黒人取締り法」を制定するなど、従来の支配体制は維持された。これに対して「何のための南北戦争だったのか」と北部の世論が激昂、とくに共和党急進派とはウマが合わず対立した。ついには大統領の弾劾裁判が行われ、ジョンソンは1票差で無罪となったものの、その影響力を完全に失った。南部白人は根深い差別心からクー・クラックス・クラン(KKK)などによるテロ活動をさかんにおこなった。

グラント時代[編集]

グラントは南北戦争時の北軍の名将として知られ、1868年5月のシカゴでの共和党全国大会で満場一致で大統領候補に選ばれ、大統領選でも大勝した。しかし、大統領としてのかれは、汚職とスキャンダル英語版に常に悩まされた。特に連邦政府の税金から300万ドル以上が不正に収得したとされるウイスキー汚職事件英語版が有名である。個人補佐官オービル・E・バブコックは不正行為に関与したとして起訴され、大統領の恩赦によって有罪判決を回避した。この事件ののち陸軍省長官ウィリアム・E・ベルナップがアメリカインディアンとの販売・取引ポストと交換に賄賂を受けとったことが調査の結果明らかとなった。グラント自身が部下の不正行為から利益を得た証拠はないが、彼は犯罪者に対する厳しい姿勢をとらず、彼らの有罪が確定した後さえ、強く反応しなかった。

無能で腐敗したグラント政権の間に共和党の人気は落ち、共和党は民主党と妥協(連邦軍の南部撤退、南部人の閣僚入り、南部の鉄道に北部資本を導入)するまでにいたった。南部民主党の新しい指導者らは戦前とは違って北部共和党に近い考え方をもち、結局、北部と南部の白人は黒人の犠牲において和解することになった。人種問題に関しては、政府は関知せずという自由放任の方針がとられた。解放後の黒人には土地とラバが与えられるという期待が広まっていたが、無一文で放り出された多数の元奴隷らはプランテーションを去って放浪するか、南部にとどまってプランテーションの農業労働者か小作人になるよりほかに道がなかった。

独占資本の時代[編集]

急成長をとげたアメリカ資本主義は、1880年代に独占資本の形成が進み、工業生産は1894年には世界一となるまでに発展した。一代で巨富を築くといったアメリカンドリーム[2]もみられたが、その裏では、各種の企業合同、特にトラストが成立し、大資本家が政府と結び、汚職や政治への介入が続くなど独占資本の弊害があらわになってきた。1882年にスタンダード石油トラストを形成し、巨大な利益を消費者に還元せず高価格で販売し続けたロックフェラーのスタンダード・オイルのビジネス手法は広く厳しく批評された。当時の風刺画には、腹に「鉄鋼トラスト」「銅トラスト」「石油トラスト」「砂糖トラスト」と書かれた金満家の巨体がならぶ傍聴席の横で小さくなった議員たちを描いた絵、「自由の女神像」の姿をして、右手に地球、左手に石油ランプをかかげて「独占」の樽の上にまたがったロックフェラーの絵などがある。当時大資本家は、泥棒男爵(Robber baron)という言葉で表現された。

ニューヨークの発展[編集]

この時代にマンハッタンと対岸のブルックリンを結ぶ当時世界最長のニューヨーク・ブルックリン橋が完成し、アメリカの富と産業の実力を世界に誇示し、ニューヨークを世界的都市として印象づけた。急速な経済発展にともなって、アメリカ人の道徳観が大きく変わり、強烈な事業欲と物欲が正当化されることとなった。文化および社会的リーダーの中心地も、ボストン(知識人の街)から、ニューヨーク(事業家の街)へと移った。

フロンティアの消滅[編集]

1890年の国勢調査報告書でフロンティアの消滅が宣言された。金ぴか時代に解放されたエネルギーとそこに出現した社会問題が、この後の革新主義帝国主義の時代を導入することとなる。相前後してアメリカは海外への進出を始めるのである。

脚注[編集]

  1. ^ ジョンソンは南部出身であったが南北戦争における南部の合衆国離脱には反対で、その点が気に入られて共和党大統領のリンカーンに指名されたため共和党からの選出となった。
  2. ^ ホレイショ・アルジャーは、落ちぶれた少年達であっても、努力・勇気・決断などを通じて富と成功を実現させることができるというモチーフで数多くの小説を著している。

参考文献[編集]

関連人物[編集]

関連項目[編集]