対テロ戦争
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| 軍事作戦参加国 ファタハ 等 |
作戦の標的 ヒズボラ アブ・サヤフ ジェマ・イスラミア 等 |
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| 被害者数 | |||||||||
| 軍の犠牲者のみ ~17600人死亡 |
軍の犠牲者のみ ~38500 - 46500人死亡 |
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対テロ戦争(たいテロせんそう、War on Terrorism または War on Terror、略称はWOT)とは、アメリカ同時多発テロ事件を引き金とした、アメリカ合衆国政府とそれに与する政府の有志連合による、国内外における外交、軍事作戦、金融、犯罪捜査、国土防衛、人道支援を通じたテロリズムとの戦いである。テロとの戦いとも呼ばれる。[1]
目次 |
[編集] 背景
44年間もの長期に亘るアメリカ合衆国とソビエト連邦の冷戦が終結すると、それまで世界各地で抑制されていた紛争が活性化した。特に、アフリカ、中東、東ヨーロッパ、中央アジア、東南アジア、中南米における途上国での旧社会主義国家では内戦が発生するようになり、地域の不安定化が進む。
またアメリカは世界秩序の覇権を獲得し、グローバリゼーションを推し進めていた。これは貧困や紛争で苦しむ地域において、独自の伝統的な生活態度や価値観を再評価する動きが広がり、特にパレスチナ問題がある中東地域においては反シオニズム・反米の政治意識が台頭するようになる。イスラム主義はその一環として出現した新宗教の成立と並ぶ宗教回帰運動の一種であった。
イランでは、1979年にそれまでの親米路線のパフレヴィー2世政権への反発が広がり、宗教指導者であるホメイニがイラン革命が起こした。また1991年、湾岸戦争で有志連合がクウェートに侵攻したイラク軍を攻撃したが、イスラム教の聖地があるサウジアラビアに米軍が駐留したことによって中東地域における反米気運が高まった。
[編集] 当事者
[編集] 有志連合
対テロ戦争は多くの国家が連合して行っている。対テロ戦争で行われた作戦によって変動するものであり、特定の国際機構や同盟に規定された単一の国家の連合ではない。
対テロ戦争において最も指導的な立場にあるのがアメリカ合衆国であり、イラクやアフガニスタンで対テロ作戦を展開している。アメリカは『四年次国防見直し(Quadrennial Defense Review)』にて国家戦略として国土防衛や大量破壊兵器使用の防止などと並んでテロリスト・ネットワークの打倒を掲げている。[2]
またアメリカだけでなくイスラエルはパレスチナ問題を通じてでテロリズムに直面している。反シオニズムのパレスチナ勢力としてハマスなどがあるが、これらは政治勢力であると同時にテロ攻撃をも行う勢力である。
対テロ作戦はさらにイギリスやパキスタンが参加しており、イラクでの多国籍軍による作戦ではカナダ、オーストラリア、オランダ、スペイン、日本、韓国、カザフスタン、グルジアなどが参加している。またアフガニスタンでの国際治安支援部隊や自由の不屈作戦にも多くの国が参加している。
[編集] テロ組織
テロ組織とはテロリズムを実践する組織である。またテロ組織を支援するとされるイランやシリアなどの国家はテロ支援国家と呼ばれる。冷戦後のテロ組織はイスラム主義の運動と関連しており、従来の分離主義や民族主義の運動と並ぶテロ活動の動機となっている。
対テロ戦争の主体として特に有名なテロ組織として挙げられるのがアルカイダである。アルカイダはウサマ・ビン・ラディンによって主導されているが、固定的な構成員を持つ組織ではなく、首脳部によって構成される中核を中心とするテロリストの流動的かつ広範なネットワークであるとされている。[3]
ビン・ラディンの主張はサウジアラビア駐留米軍の撤退、サウジアラビアの税制や保健衛生の改革、イラク制裁の解除、パキスタンやチェチェン、カシミールでの人権弾圧の解決である。第二次世界大戦での核攻撃、戦後の核開発、イスラエル支援、人権侵害などを理由にアメリカを「史上最悪の文明」として強く非難する。[4]
またアルカイダと関係があったとされるタリバンはムハンマド・オマルが指導するイスラム主義運動の流れを汲む政治勢力であり、かつてアフガニスタンを支配していた。また反シオニズムの政治勢力であるハマースやヒズボラはレジスタンス活動でもあるが、その手法がテロリズムであるためにテロ組織と呼ばれることもある。
[編集] 作戦概要
[編集] テロリズム
詳細は「テロリズム」を参照
テロリズムを定義することは難しいが、その目的から政治的な策略として理解することができる。つまり暴力によって政府や社会に対する心理的な衝撃を与えるための手段であり、より大きな政治戦略の一環として位置づけることができる。軍事学的に見れば、テロ攻撃はゲリラ戦のような不正規戦でしばしば利用される作戦である。テロ攻撃に必要な計画、人員、装備、訓練、拠点などは高度に秘匿されながら準備され、敵である政府や軍事組織だけでなく、一般市民までをも攻撃の対象とする場合もある。これは攻撃の物理的な成果は本質的には重要ではなく、その攻撃でもたらされる恐怖や畏怖が狙いであるためである。
[編集] 対テロ作戦
詳細は「対反乱作戦」、「対テロ作戦」、および「対ゲリラ作戦」を参照
テロ攻撃を防御することは極めて困難である。テロ攻撃の被害を防ぐためには不正規戦において敵に攻勢をかける必要がある。しかし伝統的な軍事力に対する作戦とは異なり、不正規戦の特性に合致した作戦能力が必要である。この作戦能力が備わっている戦力として特殊部隊が高く評価されている。特殊部隊はテロリストを発見してから排除するまでのあらゆる機能を集約した部隊である。対テロ作戦として、特殊部隊はさまざまな情報源を活用した諜報活動、対ゲリラ作戦のような存在が秘匿された敵を迅速に発見、拘束して殲滅する戦闘、また現地の行政機関や治安機関との関係を構築して連携する民事作戦、公共サービスの提供などによって現地住民の人心を掌握する心理戦を行う。敵ゲリラ組織だけでなく、一般市民までをも攻撃の対象とする場合もある。これも攻撃の物理的な成果は本質的には重要ではなく、その攻撃でもたらされる恐怖や畏怖が狙いであるためである。
[編集] 経過
[編集] テロリズムの脅威
詳細は「アメリカ同時多発テロ事件」を参照
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロにより、ハイジャックされた2機の飛行機はニューヨークの世界貿易センタービル、1機はバージニア州アーリントン郡の国防総省に衝突し、1機はペンシルベニア州に墜落した。
結果として約3000人の民間人が死亡し、世界的に大きく取りあげられた。事件はアルカイダによるものと報道され、国際テロ組織の脅威が強く認識されることになった。米大統領ジョージ・W・ブッシュはこの大規模なテロ事件をうけて9月12日の国家安全保障チームの会合において、このようなテロ攻撃はもはやテロリズムではなく「戦争行為(acts of war)」であると述べた。
こうして自由と民主主義が危機に瀕している情勢と主張し、このような新しい脅威に対抗するためにテロリズムとの戦い、すなわち対テロ戦争の重要性が論じられるようになる。
[編集] 対テロ作戦の開始
詳細は「アフガニスタン紛争 (2001年-)」を参照
9月20日にはブッシュ大統領は米国議会と国民に対して訴えかけ、オサマ・ビン・ラディンが指導するアルカイダなどの国際テロリズムの存在を指摘した上でアルカイダがアフガニスタン政府によって支援されていると述べ、当時アフガニスタンを統治していたタリバンを非難した。
10月7日、有志連合は「テロリズムに対する汎地球戦争」としてアフガニスタン侵攻を開始した。アメリカ軍が主力となり、『不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom-Afghanistan, OEF-A)』を実行してアルカイダと繋がりがあるとされたタリバン政権を攻撃した。これが対テロ戦争における最初の戦いと位置づけることができる。
北大西洋条約機構もこの軍事作戦に賛同はするが、主要な作戦への参加は各国の自主性に委ねた。関連する作戦として10月16日に海上阻止を行う『活発なエンデバー作戦(Operation Active Endeavour)』を公式に開始した。
また不朽の自由作戦はアフガニスタンだけでなく、有志連合によって2002年にはフィリピン、グルジア、ジブチ、エチオピア、ソマリアでも行われた。これら作戦は地域の安定化のための治安作戦や軍事支援などを含むものである。
[編集] イラクへの侵攻
詳細は「イラク戦争」を参照
タリバン政権を打倒した後もインドネシアのバリ島やテロ事件などが続き、またアルカイダの指導者であるウサマ・ビン・ラディンも10年近く行方がわからなくなり(2011年5月2日にアメリカ軍により殺害)、テロリズムの脅威はなくならなかった。対テロ戦争は続き、2002年1月29日の一般教書演説ではイラク、北朝鮮、イランなどを名指しして「悪の枢軸」を発言した。核開発疑惑をめぐってはイラクのフセイン政権への敵視を強める。
テロリストが入手可能なイラクの大量破壊兵器について国際原子力機関がイラクを調査し、そのような疑惑は否定される。しかしアメリカはその報告を認めず、2003年3月19日にイラク戦争を開始してフセイン政権を倒すが、大量破壊兵器は発見されなかった。イラク戦争によってフセイン政権が打倒されると、イラクでは抑圧の重石がなくなった事も災いして部族、民族、宗派をめぐる対立が激化し、治安が急速に悪化する。2006年12月、米軍に拘束されていたサッダーム・フセインは処刑されるも、その後もイラクの治安情勢は悪化の一途を辿った[5]。
2003年にはカサブランカ、インドネシア、トルコなどでテロ事件が相次ぐ。
[編集] 続くテロ事件
イラクでフセイン政権を打倒した後の2004年3月にパキスタンではワジリスタン紛争が開始された。パキスタン軍や地域の武装勢力と、タリバン、アル・カーイダ系の武装勢力との戦いであり、アメリカもアル・カーイダを掃討するために作戦に参加した。この作戦によってアフガニスタンとパキスタン国境地帯のタリバン勢力は打撃を受けた。
しかし2004年3月11日にアルカイダ系のテロ組織によってスペイン列車爆破事件が実行され、またチェチェン共和国独立派によって9月1日にベスラン学校占拠事件が発生した。2005年にも7月7日にロンドン同時爆破事件が引き起こされ、21日にも二回目のテロ事件があった。それ以後もエジプト、インドネシア、インド、アンマンでもテロ事件が続いた。
[編集] 各方面情勢
[編集] 評価
ヒラリー・クリントン国務長官は2009年3月30日、ハーグに向かう途中で同行記者団に、バラク・オバマ政権が「対テロ戦争」なる語の使用を中止した旨述べた[6]。これにより、「対テロ戦争」なる足かけ9年にもわたった長き戦争[7]は一応「終結」したとされる。
しかし、戦闘自体は終結の見通しが立っておらず、特にアフガニスタンでは一度は壊滅寸前に追いやられた筈のターリバーンが再び息を吹き返し、アフガニスタンの広い範囲を掌握しつつある。また掲げられたイラク侵攻の理由が変えられたためにその正統性に対する批判もある。イスラム原理主義に根ざしたテロ組織ではアメリカとイスラエルの軍隊がダール・アル=イスラームの征服をもくろんで開始したものであり、イスラム教徒が彼らと戦うのはアッラーの道にかなったジハードであるとしている。対テロ戦争でパレスチナ問題のパレスチナ側組織がテロ組織として挙げられていることなどにより、その正統性に疑いを投げかける材料とされている。
イギリス外務大臣デイヴィッド・ミリバンドは、2009年1月15日付ガーディアンに論文を投稿、この中で「“対テロ戦争”なる定義は誤りだった、却って諸勢力を団結させる事に繋がった」と述べた。イギリス政府も2007年からは「テロを煽る事になる」としてこの語を用いないようにしている。
また、逮捕されたアルカーイダ幹部は2009年に「俺達は骨の髄までテロリストだ」と半ば開き直りとも取れる発言を行っている。[8]
[編集] 「第三次世界大戦」としての対テロ戦争
アメリカ同時多発テロをきっかけとした対テロ戦争(テロとの戦い)は、第三次世界大戦へと向かういわばパンドラの箱を開けたといえる。ジョージ・W・ブッシュ第43代アメリカ大統領は2006年に対テロ戦争を「第三次世界大戦」と述べている。事実、アフガニスタン侵攻以降、戦線は拡大の一途をたどっており、中東のみならず、アフリカの角、フィリピン、トランス・サハラ、ワジリスタンでもアメリカ軍はテロ組織と戦っている。イスラエル軍もガザ地区やレバノンでハマース、ヒズボラといったテロ組織と戦っている(2009年7月現在停戦中)。
また、テロ攻撃自体は世界中どこでも行なえ、神出鬼没であり、防ぐことが極めて難しい。これが「非対称戦争」の実像であり、対テロ戦争を第三次世界大戦と定義するならば、それは今までの戦争とは異なる新たな形式の戦争である。
そして、テロ支援国家であるイランが核兵器を開発しようとしており(イランは平和利用と主張)、イスラエルの危機感は頂点に達しており、いつ攻撃に踏み切ってもおかしくない状況である。イスラエルがイランを攻撃すれば、アメリカ軍とイスラエル軍はイラン、そして同盟国でテロ支援国家のシリアと全面戦争となることが予想される。そして、イラク同様、正規軍を倒しても、治安が不安定化し、アルカーイダ系などのテロ組織が次々と勃興し、米軍や一般市民に容赦なくテロを行なうことが予想される。そして、テロ組織との戦いが延々と続くのである。しかし、ジョージ・W・ブッシュは時間はかかっても根気強く戦えば必ず勝利を手に入れることができる(つまり、テロの無い世界を実現できる)と述べている。また、2008年アメリカ合衆国大統領選挙の共和党候補であったジョン・マケインは対テロ戦争について「これは困難な戦争だ」であるとか「恐らく100年だ」(ブッシュはイラクに50年とどまると述べているという質問に対して)、そして「我々は絶対に屈服しない」と述べている(尚バラク・オバマ大統領は2011年限りで撤退を完了)。
即席爆発装置や自爆テロなど、手間がかからず、かつ多くの人員や先端技術も必要としない(遥か昔に開発されたAK-47自動小銃がテロリストの一種のシンボルになっていることからも読み取れる。それでいて戦略的効果は高い)テロを根絶することは極めて難しいと言わざるを得ず、テロとの戦いは永久に終わらないとの見方もある。今までの軍隊の形ではテロに対して有効に対処できないため、アメリカ軍ではテロに対処できるよう軍装備などの改革や特殊部隊の育成が行われている最中である。
[編集] 対テロ戦争の結果
アメリカ同時多発テロ事件が発生し、アメリカは2つの戦争を行った。はじめは、多くのアメリカ国民が世界最強の軍隊を誇るアメリカは必ず勝利し、アメリカに対するテロリズムの脅威が根絶できることを期待していたし、アメリカ政府もそれを目指していた。しかし、結果は裏目に出てう。2テロリズムの脅威は収まらず、2つの戦争で莫大な戦費を費やしたアメリカの国力は低下し、かつてのベトナム戦争の二の舞を演じただけだと国外から揶揄された。 高止まりの失業率、国債格下げなど、アメリカ国内を暗い影が覆っている。ソビエト連邦崩壊後から続いていたアメリカ一極支配構造は、この対テロ戦争による国力低下と、ソ連の後進たるロシア連邦や、中華人民共和国といった反米的な新興国の台頭で完全に崩れつつある。今後の国際情勢は不透明さを増している。
[編集] 関連項目
- アメリカのアフガニスタン侵攻
- イラク戦争
- 第三次世界大戦 - アメリカ第43代大統領であるジョージ・W・ブッシュは対テロ戦争を「第三次世界大戦」と定義した。
- 悪の枢軸
- テロ支援国家
- グァンタナモ米軍基地
- アブグレイブ刑務所における捕虜虐待
- キューバ系アメリカ人財団#補足
- 覇権主義 - 一国主義
- 米国愛国者法
- 米中冷戦
- 非対称戦争
- カウンターテロリズム
- 十字軍
- 第十次十字軍
- 長期戦争(ロング・ウォー) - 対テロ戦争はアメリカ政府当局などの一部ではこう呼ばれている。そして、この呼び方は永久戦争を正当化するものとして批判の対象となっている。
[編集] 脚注
- ^ 対テロ戦争の定義についての論争はテロリズムの定義によって変化しうる。この定義についてはホワイトハウス(http://www.whitehouse.gov/infocus/nationalsecurity/faq-what.html )における「The American Response to Terrorism is being fought at home and abroad through multiple operations including: diplomatic, military, financial, investigative, homeland security and humanitarian actions.(アメリカ政府のテロリズムに対する対応は国内と海外で次のものを含む多角運用を通じた戦いである:外交、軍事、金融、調査のアクションおよび国土安全保障と人道主義のアクション。)」との記述を参考とした。
- ^ 本文についてはhttp://www.defenselink.mil/qdr/report/Report20060203.pdfを参照されたい。
- ^ ジェイソン・バーク著『アルカイダ ビンラディンと国際テロ・ネットワーク』(講談社)40項-46項を参照されたい。
- ^ ジェイソン・バーク著『アルカイダ ビンラディンと国際テロ・ネットワーク』(講談社)61項を参照されたい。
- ^ 民衆の間では「フセイン政権当時の方が治安だけはまともだった」という声さえある。ブログ「バグダッド・バーニング」より
- ^ 『「対テロ戦争」使用やめます=前政権の負のイメージ払しょく?-米』時事通信
- ^ この戦争は、国家対イスラム過激派組織という新たな形態の戦争であった
- ^ “「おれたちは骨の髄までテロリスト」 中枢同時テロ被告が米国非難”. 産経新聞. (2009年3月11日) 2009年7月11日閲覧。
[編集] 外部リンク
- 対テロ戦争についてのQ&A[リンク切れ](ホワイトハウス)(英語)
- 米同時多発テロ10周年:米政府の口に出しにくい事情 上 下 (人民日報)
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