イラク日本人人質事件

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イラク日本人人質事件(いらくにほんじんひとじちじけん)(イラク邦人人質事件)とは、2002年からのイラク戦争に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国している日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退などを求めた一連の事件である。これは米軍のファルージャ攻撃以後頻発した、数ある外国(非イラク)人拉致事件の一部である。

目次

事件大要

イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、イラクに派遣した軍隊(日本の自衛隊を含む)の引き上げを要求するものであった。

日本政府は、当時イラクへの渡航自粛勧告とイラクからの退避勧告を行なっており、被害者がそれを無視して渡航したことや、この拉致事件の解決を目的とし、被害者家族らが自衛隊の撤退を要求し、それがメディアで大きく報道されたことから、被害者とその家族に対する「自己責任」という言葉をキーワードとした批判、さらにそれに対する反批判などで国内政治家・マスコミ・世論が様々な見解をぶつけるなど、日本国内の注目を集めた。

派生して、次のような問題が起こっている。

被害者がボランティアを目的として入国したとすることについて、その内容の実際が、30代独身女性が個人的に自分のアパートで行っていた10代の男の子限定の物資の提供等であったり、高校を卒業したばかりの海外渡航未経験の未成年者による劣化ウラン弾の絵本書き(なお、この者は出版未経験者であった)のための取材がメインであったことがわかるにつれ、ボランティアとは何かとの論争を起こすきっかけともなった。

メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が人質宅に大挙して押し掛けたことについて、人質宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、人質宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、報道被害や報道の公正という観点から問題にもなった。

また各メディアの世論調査の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、インターネットにおいては、2002年のサッカーワールドカップの日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。

被害者3名のうち2名が北海道在住であったことから、被害者家族に北海道庁が東京事務所での便宜供与を行い、このため同事務所の電話回線が混雑し通常業務が円滑に働かなくなったり、職員(地方公務員)の残業手当等を含め北海道に相当の額の出費が強いられるなどの影響がでた。そのため、地元北海道では一般道民からの厳しい批判がなされ、地方自治体とボランティアの関係についての一石が投じられる形になった。(九州出身の被害者については出身県庁が積極的な便宜を図らなかったためこのような論議は起こらなかったが、後に全国的に地方自治体とボランティアという形で議論がされた。)

なお、この事件については、被害者による自作自演も疑われた。この自作自演については、全てがデマであるとの強力な批判もある。

また、被害者は事件によってPTSDになったとして詳しい説明を拒否しているため、この事件の具体的な実情は依然一般に明らかになっているとは言い難い。なお、PTSDにより日本のメディアに釈明ができないと主張した被害者のうち、30代独身女性は外務省の渡航自粛勧告を無視してすぐにイラクに再入国しその後自分のボランティアの正当性を主張する記事を北海道新聞をはじめとする数社の新聞社に載せている。同じくその後イギリスに渡航した未成年の10代男性もBBCなど外国報道機関には自己の正当性を主張しており、2007年発行の雑誌AERAにおいても手記を寄せているが、事件内容については依然分明ではない。

2004年4月、日本人3名

概要

以下の出来事は全て2004年のものである。また、最初の3名に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項で解説)の出来事も含む。

  • 3月31日 ― ファルージャで武装した米国警備会社の社員4人が殺害された。
  • 4月6日 ― 米軍が報復としてファルージャ攻撃を開始する。
  • 4月6日 ― 外国人拉致事件の最初の事件が発生する。(拉致されたのはイギリス人)
  • 4月7日 ― イラクで日本人3名(ボランティアと称する女性、フリーカメラマンの男性、ジャーナリスト志望の未成年の少年)が武装勢力によって誘拐される。
  • 4月8日カタール衛星テレビ局「アルジャジーラ」が犯行グループから送られてきた映像を放送した。映像の中において犯行グループは、イラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。犯行グループからの要求に対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
  • 4月10日 - 小泉純一郎首相は、自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示を出した。また、人質となった日本人3人の家族が東京でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が中東全域に放送された。
  • 4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、「イラク・ムスリム・ウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった。人質解放に尽力したといわれるイスラム聖職者協会のクバイシ師によると、小泉首相の発言が原因で人質の開放が遅れたという。クバイシ氏は「日本の(小泉純一郎)首相が彼らを『テロリスト』と呼んだことが人質解放にかかわる事態を複雑にしたと思う。彼らはテロリストでなく抵抗組織だ」と語ったそうである。もっとも、この発言内容の真偽は不明である。
  • 4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装グループに拘束され、自衛隊に続いてイタリア軍に対してイラクから撤退が要求された。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質に捕われたとされる。
  • 4月14日 - 新たに、日本人2人(自称ジャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
  • 4月15日、日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
  • 4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放され、保護された。

2004年4月、日本人2名

概要

フリージャーナリストと称する日本人2人がイラクの武装勢力に拉致された。この際の報道は前回ほど活発ではなく、ほどなく解放された。

人質となった被害者の一人は「人質である自分たちを助けるために政府は自衛隊を撤退させるべきだった」とし、後に「自衛隊を撤退させなかった事」に対し損害賠償を求める訴訟を起こした。また、解放後の日本政府負担による日本への帰国費用については支払いを拒否している。

2004年10月、日本人1名

概要

バックパッカーとしてニュージーランドからイスラエルを通じイラクに入国した日本人の青年が行方不明となり、10月24日、彼を拉致したとする犯行グループの声明がインターネットに公開された。小泉首相は即座に「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と表明した。入国時に彼を目撃していた地元の人は「ヒッピーのような格好でかなり目立っていた」などとマスコミのインタビューに答えていた。

31日、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様がインターネットに公開された。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」と言う声明を発表した。そのため、最初の人質三人のようなバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した。

詳細は、イラク日本人青年殺害事件を参照。

2005年5月、日本人1名

概要

5月9日、イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」がイギリス民間軍事会社職員の日本人と銃撃戦の末拘束したとの声明を発表した。5月28日、武装勢力は日本人の死亡をネットに発表した。

日本人を狙った計画的誘拐ではなく、戦闘で負傷し捕虜になったものであったため、テロリストから日本政府への要求は無いに等しく、それへの対応を巡って世論が割れる事も無かった。

資料

脚注


関連文献

  • 今井紀明『ぼくがイラクへ行った理由(わけ)』コモンズ、2004年7月。 - ISBN 490664080X
  • 今井紀明『自己責任 いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」』講談社、2004年8月。 - ISBN 4062125463
  • 郡山総一郎、吉岡逸夫『人質 イラク人質事件の嘘と実』ポプラ社、2004年9月。 - ISBN 4-591-08274-1
  • 佐藤真紀、伊藤和子編『イラク「人質」事件と自己責任論 私たちはこう動いた・こう考える』大月書店、2004年7月。 - ISBN 4272210807
    • コメント・メッセージおよび執筆者: 今井紀明、伊藤和子(弁護士)、鎌中ひとみ(映画監督)、高遠菜穂子、田中宇ら36名
  • 高遠菜穂子『愛してるって、どう言うの? ―生きる意味を探す旅の途中で―』文芸社、2002年6月。 - ISBN 4835540743
  • 高遠菜穂子『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』講談社、2004年8月。 - ISBN 4062125412
  • 『法学セミナー』日本評論社、2004年9月号「イラク人質事件・日本人対"世間"の法感覚 ――グローバルとローカルのはざまで」 - ISSN 04393295
    • インタビューおよび執筆者:岡田順太、天木直人、加藤健二郎、佐藤直樹、矢野直明
  • 小林よしのり『ゴー外!! 1 翻弄されない視座をもつ 小林よしのりの痛快“こき下ろし”SPECIAL』アスコム、2004年8月

関連項目

外部リンク