スペイン列車爆破事件

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スペイン列車爆破事件(スペインれっしゃばくはじけん、11 March 2004 Madrid train bombings)は、2004年3月11日スペイン首都マドリードで起こった爆弾テロ。約200人が死亡、1000人以上が負傷した。

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[編集] 事件の発生

2004年3月11日の早朝(現地時間午前7:36~7:40の間)、スペイン・マドリード市内のアトーチャ駅など3つの駅で大規模な爆発が起こった。駅の建物や列車が激しく損壊、通勤ラッシュの時間帯のため被害は拡大し、192人が死亡、2000人以上が負傷する大惨事となった。

事件の当初は、スペインから分離独立を目指して紛争を続ける「バスク祖国と自由」(ETA)による犯行かと疑われた。しかしETAはすぐに関与を否定した。

犯行後、「アブ・ハフス・アル・マスリ隊」と称するアルカーイダ系のテロリストグループがロンドンアラブ系有力紙に犯行声明を出した。「死の部隊が欧州の深部に浸透し、十字軍の柱の一つであるスペインを攻撃し痛打を与えることに成功した」「(スペイン首相)アスナールよ、米国はどこだ。だれがお前を我々から守ってくれるのか。英国、日本、イタリア、そのほかの協力者か?」などと、電子メールを使って送ってきた。

警察当局は13日、実行犯とするモロッコ人3人とインド人2人を逮捕したと発表した。しかし、実際に刑が確定されたのは、その後大量に逮捕された容疑者の中で16歳のアラブ系少年だけである。その後、テロに関与したとされる28被告の公判が2007年10月31日あり、21被告に有罪判決(残る7被告は無罪)が下され、特に主犯格のモロッコジャマル・ゾガムら2被告には約4万年の禁固刑という非常に長い刑期が言い渡された。スペイン史上最悪のテロ事件ではあるがスペインには死刑や終身刑の制度がないため、このような判決になったと思われる。しかし、制度上、実際の刑期は40年程度に留まるものと見られている。

[編集] 事件の背景

スペイン・アスナール政権はアメリカ合衆国への同調から、イラク戦争への参加を計画当初から決定しており、数百名の兵士をイラクに派遣していた。

[編集] 事件の影響

スペイン国内では派兵を決めたアスナール政権への批判が集中、撤兵を求める市民のデモが相次いだ。野党もあわせて政権を攻撃、折りしも総選挙の三日前に(狙ったものと思われる)起きた事件のため、選挙結果に直接の影響を与えた。選挙の結果を受けてアスナール政権は退陣、発足したスペイン社会労働党ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ新政権は成立直後にイラクからの撤兵を決定し、4月18日から5月までにすべて完了した。

スペインは同時に有志連合から離脱し、アメリカなどは「テロに屈した」と非難した。フィリピンなどもその後、テロの関連から撤退を早めたり、数ヶ月で計6カ国が離脱する結果となったことは、テロが国家に対して影響力を持つことを明らかにした。

[編集] テロ事件の疑惑とスペイン政局

当初スペイン当局は「ETAによる犯行」と表明し、それに追従した形でアメリカ政府もETAによるテロだと断定、スペインのテロとの戦いへの支持を表明したが、アルカイダによる犯行が明らかになっていくにつれCIAがアルカイダの犯行であると断言した。

総選挙はテロ3日後の3月14日であった。前日まではマスコミや国民の間でもETAによるテロだという話が流れていたが、選挙当日の14日朝になり、アルカイダによるものだと発表された。それとともにTVでもアスナール首相がブッシュと握手をしている前年の会見模様が報じられ、一気に野党のPSOE政権が有利となった形である。 スペイン国内ではアスナール政権がETAによる犯行説を捏造したと言う疑惑が選挙後も根強く残り、サパテロ首相はテロ事件の真相解明に取り組むとして調査委員会を設置した。これに対して野党はテロ事件に全く関係のないサパテロ首相も調査委員会の聴聞を受けるべきだという追及をしだした。

[編集] 関連項目