日本人

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日本人(にほんじん、にっぽんじん)とは一般に日本国国籍を持つ者である。しかし、日本国内では大和民族以外の民族が非常に少ないため、日本人という単語は一般に大和民族を指す人種的ないし民族的な範疇としても流通している。このことから、学術的、また、政治的にも議論の争点となることがある。以下、各項目で詳細を記述する。

戊辰戦争の頃の薩摩藩武士。「武士」すなわち「サムライ」は外国における日本人の典型的なステレオタイプの一つである。

目次

[編集] 概要

日本では、国籍文化習俗民族遺伝的形質のそれぞれを基準とした分類による「日本人」の対象が重なる割合が比較的高いと認識されているため、概念的にもどの基準によるものかは日常的には明確にされず、しばしば混同される。

[編集] 定義と分類

日本人は、大方、以下のように分類される。

  • 国家による分類 - 日本国民[1][2]。ただし、「日本」を国号としたのは701年頃とされており、それ以前は倭国と自称していた。その意味では倭人のち日本人とするのがより正確である。
  • 地理的分類 - 日本列島に居住する者。
  • 人類学的分類 - モンゴロイドの一つ。一般的な形質的特徴として、皮膚は白色または黄色または褐色、虹彩は黒褐色、毛髪は黒色または褐色で、縮毛または直毛のものが多い。旧石器時代または縄文時代以来、現在の北海道から琉球諸島までの地域に住んだ集団を祖先に持つ[3]。ただし、仮に形質的特徴を「人種」カテゴリーの弁別基準としてとらえるならば、北方ルート[4]、南方ルート[5]など複数の渡来経路が考えられ[6]、また各渡来集団は初期の段階ではそれぞれ異なる「人種」(形質的特徴)であったと想定されるため、当初より統合された形質的特徴を共通して持っていたわけではなく[7]、実質的にはハイブリッド(混合)であり、上記の一般的な形質的特徴についての言及は古代日本国家・社会の統合後のことである[8]
  • 民族的分類[9]日本国において98.5%の多数派[10]を占める民族である大和民族(日本民族また和人ともいう[11])のこと[12]。ただし、翻訳語としての「民族」という概念にはnationとethnicityの2つの意味を内包しており、またその定義も客観的または実体的な基準だけでなく帰属意識といった主観的基準も重要な要素として含むため、一意的なものではない[13]。使用言語日本語[1][14][15]

[編集] 民族としての形成

民族」を参照

以下、上記民族的分類による日本人について概説する。なお、近年の科学的研究の進展により従来の見方は大きく見直しが進んでいる。

[編集] 縄文人と弥生人

先史時代の日本列島に住んでいた者を縄文人と呼んでいる[16]縄文時代末期・弥生時代に日本列島に移住した者を弥生人といい、その移動ルートについては諸説ある(下記「学説」参照)。

弥生人と縄文人は他の地域(ユーラシア大陸サフル大陸など)での混合よりもその度合いが高いことから、比較的穏やかに交わっていったと推定されている。無論、部族間戦争は多数あったと推定される。時代は下るが、例えば、倭国大乱などが中国の歴史書に記されている。

ヤマト王権など(後年、大和と改名される)民族を中心とした社会が台頭するとともに、他の住民たちは征服されていった。東方の蝦夷、南方の熊襲と呼ばれた在来人と推定される部族は抵抗したが、隼人の反乱の失敗や、坂上田村麻呂の活躍などによって征服され、後に大和に同化した。後年には、白村江の戦い以後、倭国の同盟国百済からの亡命者も移住し、大和民族に溶け込んでいった。

このように、縄文人も弥生人もそのルーツはユーラシア大陸や南方から移住・渡来した人々にあり、それぞれがハイブリッドとしての日本の民族集団を形成する一部となっていった。なお岡田英弘は、日本国(倭国)の形成について、現在のシンガポールマレーシアのような「中国系の移民(華僑)と、現地住民とのハイブリッド状態である、都市国家の連合体」であるとしている[17]

[編集] 「日本民族」の形成

大和民族が朝廷権力とともに勢力を拡大した後に「日本」という枠組みの原型が作られ、その後、文化的・政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。もっとも、完全に同化されない少数民族は常に存在したし、「日本民族」というような認識(ナショナルアイデンティティ)が多数者に浸透していくのは日本における近代国民国家の成立期である明治時代ともいわれる[18]。当時、西欧列強諸国が東南アジアを中心に植民地を広げている社会情勢から、国民の意識の統一を目指して列強諸国に対抗できる国にしてゆかなければならなかったとされる。

琉球王国地域については大和民族の一支族とする主張が伊波普猷などによって提起される一方、文化・歴史の違いなどを抽出して、独自の民族としての琉球民族とする考えもある(沖縄学琉球語などを参照のこと)。

[編集] ネーションステート下の認識

大日本帝国の版図

日本が近代ネーションステート(国民 / 民族国家)として朝鮮半島台湾島南樺太などを領有していた時代には、日本人という語は、公式には、朝鮮人、台湾人など日本国籍を付与された植民地先住民族を含む国籍的概念であった。大日本帝国が多民族国家であることは強く意識され、現在の日本国民に相当する人々は内地人と呼ばれた。ただし、当該の先住民族の間では日本人が内地人と同義として使われることが多かった。

南樺太に住んでいたロシア人ポーランド人ウクライナ人ドイツ人朝鮮人ウィルタニヴフの中には日本国籍を持っていた者もいた。そのため、第二次世界大戦後、ソ連によって「日本人」として北海道に強制送還された朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得しポーランドに移住した。

[編集] 系統

以下、日本人の系統または起源に関する諸説について記述する。

[編集] 系統関係

詳細は「モンゴロイド」、「人種」をそれぞれ参照

形質人類学的観点から日本人は、過去の縄文人弥生人や現在の日本国内土着の住民が、いずれもモンゴロイドに属する。むろん「モンゴロイド」という分類概念では中国人や朝鮮人などの東ユーラシア人全体が包括されるし、アメリカ先住民も含まれる。

だが、遺伝子の研究が進むにつれ、従来の人種概念は棄却され、便宜的に使用される分類名称としての各人種も、推定される起源地(原初の居住地)の地理的名称を基準とすることが多い。モンゴロイド集団の分布は日本人形成過程の分析にとって今日もなお重要な手がかりである。

斎藤成也は人類が単一種であることを前提にし、地域的な特徴を持つ集団として、約1万年前の居住地域を基準とし、アフリカ人、西ユーラシア人、サフール人、東ユーラシア人、南北アメリカ人という分類を提唱する[19]。また、サフール人を含めた、以前の広義のモンゴロイドを互いに遺伝的に近い人類集団として全て網羅する定義として「環太平洋人」が提唱されている[20]

日本人の発生的系統を考えるとき、上記分類によると、日本人はまずは東ユーラシア人ということができる。ただし、たとえば中国の山東省臨淄(りんし)から出土した古人骨のミトコンドリアDNA分析では、春秋戦国時代の集団は現代ヨーロッパ人類集団・トルコ人集団に近く、前漢時代の集団は中央アジア集団のクラスターに入るものであった[21]。それゆえ王朝の交代や戦乱や様々な事情で人類集団の系統は地理的にも定住するとは限らないし、「アジア人」と「ヨーロッパ人」とが分岐したからといって両者は完全に分割できるものではない。

また、日本人だけを調べても日本人の起源は分からないので、各人類集団との対照研究が必須である[22]

[編集] 形質人類学からの接近方法

日本人の形成過程を分析する形質人類学からの接近方法には原人や古人骨などの形態解析、石器の分布分析なども古典的な方法としてあり、現在も継続されている[23]

港川人」および「日本列島の旧石器時代」を参照

[編集] 縄文人からの連続を示す説

東大人類学教室の長谷部言人鈴木尚は豊富な発掘調査をもとに、日本人が時代を通じて変化してきたこと、明治以降の例でも分かるように、混血等がなくとも急激に形質が変化しうることを示し、一見、形質が大いに異なる縄文人弥生人の間でも、実は連続していて、外部からの大きな遺伝子の流入を仮定する必要はないと主張し、1980年代半ばまで有力な説であった(これは「変形説」と呼ばれる)。

現代では、松本秀雄がGm遺伝子の観点から、日本人の等質性を示す「日本人バイカル湖畔起源説」を提唱しており[24]、また、ヒト白血球型抗原の遺伝子分析により、現代日本人は周辺の韓国人や台湾人よりも等質性が高い民族であるとの報告もある[25]。 加えて、日本人(アイヌを含む北海道から沖縄県まで)は遺伝学的には大差はなく、比較的均一性が高いとする説がある。根井正利は、「現代人の起源」に関するシンポジウム(1993 京都)にて、(アイヌを含む北海道から沖縄県までの)日本人は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていないという研究結果を出した[22][26]

考古学の観点からは、弥生早期の遺跡に外来系の土器が玄界灘に面した大きな遺跡からしか発見されていないことから、弥生人(渡来系)の人数を1割程度に見積もる研究者が多い[27]。一方で、人類学者による研究では大量の渡来があったとされ(埴原和郎で100万人、宝来聰で65%が渡来系)、この両者の違いがあったが、人類学者の中橋孝博らによる人口シミュレーションにより、農耕民の弥生人は狩猟民である縄文人よりも人口増加率が高いことが示され、渡来が少数でも数百年で圧倒的な数になることが示された[27][28]

また後世のY染色体研究により、日本人はY染色体D系統を多く保有している事が判明した。このD系統は中国・朝鮮半島には見られず縄文人特有とされる。この事から従来考えられていた以上に縄文人からの連続性がある事が証明された。

[編集] 二重構造説

一方、日本人が混血によって成立したという考えも、幕末、明治のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトエドワード・S・モースの考察に早くから見られ、記紀神話などを参考に、在来の原住民を天孫族が征服して日本人が形成されたという論は盛んであった。京都大学の清野謙次の論などが「混血説」の代表である。第二次世界大戦後、長谷部=鈴木ラインの説が唱えられると、一時期、表立って主張されにくい傾向があったが、同じ東大系の鈴木尚の弟子である埴原和郎が、1980年代半ばに日本人の起源は南方系の縄文人と北方系の弥生人であるとする二重構造説を唱えるに至って、一躍重層構造説が息を吹き返した。もとより、縄文人(アイヌ含む)を南方系、弥生人を北方系とする仮説は異論も多いが、日本人の重層性は有力視されるに至っている。尾本恵市が1995年に出した系統図では、日本人は朝鮮人、チベット人と同じ枝に位置づけられ、アイヌ人とは異なるとしており、1997年に出した系統図では、本土日本人はアイヌや沖縄県人、チベットと近く、韓国人、中国人とは離れているという結果を出しているが、いずれにせよある種の二重構造論となっている。しかし、同時に埴原の原日本人(アイヌを含む縄文人)の南方起源説には賛成しかねると述べている[29][30]篠田謙一は、現代日本人のハプログループ頻度は韓国や中国東北部に非常に近く(北東アジア集団)、これは縄文人も弥生人も大陸から渡来し広がったことを裏付けているとする[31]宝来聰は、前出の根井らの研究に対して、ミトコンドリアDNAだけでも65%は渡来系由来であると反論しており、また、Y染色体の研究とも両立せず、縄文人は弥生人より歯が小さいことから、後者は前者の子孫ではあり得ないとするアメリカのブレイスらの研究とも両立しないと主張している[22]

日本人が重層構造であることは人類学者・考古学者の間では支持する意見が強く、また、分子人類学的なDNA解析(ハプログループによる地域的分布の解析)もあくまで生物学的データであり、文化的な交流や、実際の移動の実態および移動の理由などについては、今後も、文化人類学、歴史学、考古学など周辺諸科学の総合的な調査が求められる。

[編集] 分子人類学による説明

[編集] ミトコンドリアDNAによる系統分析

1980年代からのミトコンドリアDNA研究の進展により、ヒトの母系の先祖を推定できるようになった(ミトコンドリア・イブ参照)。これにより、アフリカ単一起源説がほぼ証明され、また民族集団の系統も推定できるようになった。ミトコンドリアDNAやY染色体のようなゲノムの組換えしない部分を用いた系統樹の作成は、集団の移動とルーツを辿るのに用いられる。例えば日本人のミトコンドリアDNAのハプロタイプの割合と、周辺の集団(韓国や中国、台湾、シベリア先住民など)つまり各ハプログループを比較することで、祖先がどのようなルートを辿って日本列島にたどり着いたかを推定できる。ただし、ミトコンドリアDNAは形態の生成に関与しない遺伝子であり、DNAタイプ(ハプロタイプ)と形質的特徴(骨格、体格、顔、皮膚など)とは必ずしも対応しないとされている[32]

現在の研究では、縄文人も弥生人もどちらも北東アジア中国シベリアブリヤート朝鮮半島)に類似したDNAが多く分布しており、縄文人を南方系、弥生人を北方系とする埴原和郎の二重構造説は批判されてはいるが、日本民族が多重構造であること自体は肯定的な意見が強い[33][34]

[編集] ミトコンドリアDNA分析による系統樹

以下、ミトコンドリアDNAによる人類集団の系統分析を系統樹にしたものを参考に記す。

人類集団の遺伝的系統-1

この系統樹図によれば、最初にアフリカ人とその他の集団が分岐し、次にヨーロッパ人とその他の集団が分岐したこと、その次に東・東南アジア人とオーストラリア人が分岐し、最後の大きな分岐として東・東南アジア人とアメリカ先住民が分岐したということである。この系統樹で見られた主要な特徴は、従来のタンパク質多型や最近の核DNAの多型によって明らかにされた人類集団間の系統関係と大筋において一致する。

人類集団の遺伝的系統-2

近隣結合法による遺伝的近縁図

この図によれば、アフリカン(ネグロイド)からコーカソイド(白人)が分岐し、コーカソイドからオセアニアン(オーストラロイド)・東アジア人(モンゴロイド)が分岐、そして東アジア人からネイティブアメリカ人が分岐した。この人類集団の近縁関係は上記の遺伝的系統樹と現在の人類集団の地理的配置に一致する。

[編集] 塩基多様度のネット値(DA)分析による系統関係

ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。塩基多様度のネット値(DA)分析によって求められた集団間の遺伝距離をもとにした系統樹では、まずアフリカ人より西ユーラシア人(ヨーロッパ人)と東ユーラシア人(東アジア人)とが分岐し、次いで東ユーラシア人からアメリカ先住民が分岐し、次いでアイヌ人と東アジア人クラスターが分岐、次いで中国人と東アジア人が分岐、次いで琉球人と朝鮮人・本土日本人とが分岐する[35]

[編集] Y染色体による系統分析

Y染色体系統図。日本人は他の東アジア人には見られないD系統を多く保有する事が分かる。

母系をたどるミトコンドリアDNAに対して、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展した[36][37][38]。ヒトのY染色体のDNA型はAからRの18系統があり、これらはアフリカ限定のA系統とB系統、出アフリカのC系統、DE系統、FR系統に分けられる[39]。崎谷満の分析によりY染色体のDNA型の比率を示す[39]。複数の研究成果をまとめたものなので[39]、合計が100%にならない。空欄は資料なしで、必ずしも0%の意味ではない。

  C DE FR
C1 C3 D1 D2 D3 N O1 O2a O2b O3
日本 アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森 8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京 1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡 5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 36 0 7 0 0 33 21
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球 4 0 0 39 0 0 0 0 30 16
南琉球 0 0 4 0 0 67
北アジア オロチョン 91 0 0 0
エヴェンキ 68 17
満州 27 4 0 4 38
ブリヤート 84 28 0 2 2
ハルハモンゴル 52 1 1 0 0 23
ユカギル 50 25
コリャーク 33 33
チュクチ 25 25
ケット 17
ニヴフ 38
東アジア北部 朝鮮 12 3 0 51 38
漢民族華北 5 2 0 66
6 0 0 28
チベット 3 16 33 0 0 33
東アジア南部・
東南アジア
漢民族華南 5 15 30 0 33
漢民族台湾   11 7 0 60
台湾 1 69     7
イー 16 9 0 33
トゥチャ 18 3 0 0 53
ミャオ 4 7 7 11 0 71
ヤオ 2 2 3 0 52
シェ 2 35 0 63
チワン 11 68 0 16
タイ 47 6
ベトナム 4 3 6 36 14 41
マレー 11 3 9 28 0 31
ジャワ 23 42
フィリピン 41 1

[編集] D系統分析からのシナリオ

上記の分析から日本人はD2系統とO2b系統を中心としている事が判明した。D系統はYAP型(YAPハプロタイプ)ともいわれ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y染色体の中でも非常に古い系統である。

この系統はアイヌ人・本土日本人・沖縄人の3集団に固有に見られるタイプで、朝鮮半島や中国人にはほとんど見られない事が判明した。これは縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌ人88%に見られる事から、D系統は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質だとされる。

アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体 分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、さらにチベット人も沖縄人同様50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとするシナリオを提出した。

現在世界ではD系統は極めて稀な系統になっており、日本人が唯一その希少な血を高頻度で受け継いでいる。それを最大とし、その他では遠く西に離れたチベット人にD系統が細々と存続するだけである。これは後に両者を分ける広大な地域に、アジア系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。

[編集] 崎谷満のシナリオ

以下、前掲崎谷の分析に依拠して説明する。最初に日本列島に到達し、後期旧石器時代を担ったのはシベリアの狩猟民であるC3系統である(2-3万年前)。バイカル湖周辺からアムール川流域およびサハリンを経由して、最終氷期の海面低下により地続きとなっていた北海道に達した。また、一部はさらに南下し、北部九州に達した。細石刃石器を用い、ナウマンゾウを狩っていたと考えられる。

その後、1万数千年前に、大陸からD2系統が入ってきた。これが縄文人である。D2は日本だけで見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県56%、本州42-56%で、朝鮮半島では0%である。近縁のD1,D3がチベットで見られる。D系統は華北で東西に分かれ、東がD2、西がD1,D3になったと考えられる。

同じ頃、経路は不明であるが、インドに起源を持つC1系統が南方から入ってきた。貝文土器を用い、縄文人とは異なる文化を南九州に築いた。

O1系統は台湾が起源であり、オーストロネシア語族との関連が想定されている。台湾と近いにも関わらず、日本列島ではO1はごく少数に過ぎない。

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは2800年前である。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上し、山東省、朝鮮半島、日本列島に達したと考えられる[40]。長江文明の稲作を持ち込んだと考えられる[41]

O3系統は黄河中上流を起源とし、漢民族に典型的に見られる他、周辺の諸民族にも広く見られる。歴史的にO3は一貫して拡大しており、このためにD系統およびO2系統が駆逐され、D系統は島国の日本や山岳のチベットにのみ残ったと考えられる。

一方、ミトコンドリアハプログループに注目すると、日本には世界で(主に)日本人にしか見られないM7aというグループがある[42]。これは台湾付近で発生したと考えられ、沖縄・アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布をしている(Mグループについて、M7aは台湾沖縄から朝鮮半島中国北東部への北上。M7b,cは南方及び中国沿岸へ)。

[編集] 稲作の起源とその考古学的分析

稲作#日本への伝来」も参照

日本人の渡来ルートを知るために稲作の渡来ルートを考える研究があり、いくつかの説が存在している。

かつて、佐々木高明らによる照葉樹林文化論は、稲作が中国雲南省などの山間部における陸稲を発祥としていると主張していたが、近年、長江文明の全貌が明らかにされるにつれ、稲作は長江下流域の水稲耕作を発祥とする説が有力視されつつある。

従来、稲作は弥生時代に朝鮮半島経由で来たとされてきたが、2005年岡山県彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から稲のプラントオパールがみつかっており[43]、縄文中期には稲作をしていたとする学説が多数出た[44][45][46][47]。それに加え、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島で確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり、畑作米の確認しか取れず、日本よりさかのぼれないこと、極東アジアにおけるジャポニカ種の稲の遺伝分析において、朝鮮半島を含む中国東北部からジャポニカ種の遺伝子の一部が確認されないことなどの複数の証拠から、水稲は大陸からの直接伝来ルート(対馬暖流ルート・東南アジアから南方伝来ルート)による伝来である学説が見直され、日本から朝鮮半島へ伝わった可能性を指摘する佐藤洋一郎の説がある[48]。一方、これらに対して農学者の池橋宏は、従来の「縄文稲作農耕」説は農学的に見ても疑わしく、日本の稲作は江南を起源とし、朝鮮半島南部を経由して最初から完成された形で北九州に持ち込まれた可能性が高いと主張している[49]

[編集] 「倭族」論

古代史・文化人類学研究者の鳥越憲三郎は「倭族」仮説(倭族論)を提唱している[50]。鳥越の定義では倭族とは「稲作を伴って日本列島に渡来した倭人、つまり弥生人と祖先を同じくし、また同系の文化を共有する人たちを総称した用語」である[51]。古代日本列島における倭人倭国については『魏志倭人伝』(『三国志』魏書東夷伝倭人条)が有名であるが、鳥越は他の史書における倭人の記述(『論衡』から『旧唐書』に至るまで)を読解し[52]、長江(揚子江)上流域の四川雲南貴州の各省にかけて、複数の倭人の王国があったことを指摘した。その諸王国はたとえば『史記』にある以下の諸国である[53]

さらに鳥越は、倭族の起源地を雲南省の湖テン池(滇池)に比定し、水稲の人工栽培に成功したというシナリオを描く。以降、鳥越は古代史的な文献研究と現場調査を交差させ、倭族の一部が日本列島に移住し、また他の倭族と分岐していったことを示した。分岐したと比定される民族には、イ族ハニ族(古代での和夷に比定。またタイではアカ族[54])、タイ族ワ族[55]ミャオ族カレン族ラワ族などがある[56]。ほか鳥越は、高床式建物、貫頭衣注連縄などの風俗を比較している。

また諏訪春雄は倭族を百越の一部としている[57]

いずれにせよこの倭族論(倭族仮説)は長江文明を母体にした民族系統論といってよく、観点は異なるが環境考古学安田喜憲の長江文明論などとも重なっている。

[編集] 言語

詳細は「日本語の起源」を参照

日本語の起源を解明することで、日本人のルーツを明らかにするという研究もある。

日本語の起源は、従来、アルタイ諸語オーストロネシア語族との関連が想定されてきたが、比較言語学的にはまだ証明されていない。長江文明の担い手のO2系統はオーストロアジア語族だったと考えられ、南下したO2a系統では言語を保持しているが、北上したO2b系統では朝鮮半島でも日本でも元の言語を失い、移住した土地の言語を受け入れたと考えられる。

現在の所、日本語の起源については、いくつかの説が出ているが決定的な物はない。

[編集] その他

  • 邦人(ほうじん)」という言葉は元来「自国の人」という意味である。日本においては一般的に日本人のことを指し、特に、日本国外に居留する日本人に対して使われることが多い。例として、日本国外で事件や事故、天災などが起こった場合、ニュースなどで「邦人」の言葉が使われ、彼らの被害や消息を伝えている。邦人といった場合、日本在住の外国人日系人は含まないことが多い。
  • リュドミラ・スキルダ(ウクライナの詩人でキエフ大学准教授、ユリー・コステンコ前駐日大使夫人)は著書『日本の国民性』で「永遠の問題をあまり思索せず、すばらしい束の間のはかなさを、これほどまでに重んじる国民を私は知らない。日本人は快楽主義者である」と述べている。

日本人論」を参照

[編集] 脚注

  1. ^ a b “日本人”. 広辞苑. 
  2. ^ 日本国憲法第10条
  3. ^ “日本人”. マイペディア. 平凡社. 
  4. ^ 北海道、環日本海交流、朝鮮半島山東半島などからの渡来ルート
  5. ^ 南西諸島東南アジア諸地域またはインドなどからの渡来ルート
  6. ^ 古代世界の航海技術は従来考えられてきたよりもずっとさかのぼって高度に発達していた可能性が近年の考古学では明らかになってきているが、まだ年代や具体的な技術の内容については確定できない。海部陽介『人類がたどってきた道』NHK出版ほかより。
  7. ^ 本項目本文または項目人種を参照。また、近年、一般に「人種」概念は批判的に検討されている。しかし、DNA塩基配列や形質的特徴の差異が消失したわけではなく、人類集団はいくつかのクラスターに分類されている。しかしこれも確定的な分類枠ではない。
  8. ^ 「国家による分類」と同様の意味における。
  9. ^ 小熊英二『日本単一民族神話の起源』(1995)、『「日本人」の境界』(1998)
  10. ^ "The World Fact Book -- Japan". CIA. 2008-04-11 閲覧。
  11. ^ “大和民族”. 広辞苑. 岩波書店. 
  12. ^ この用法の場合は国家的分類と異なり、アイヌ民族等の他民族は含まない。また、国内外の日系人も含まない事が多い。
  13. ^ 民族またアイデンティティー参照
  14. ^ なお、「民族」の定義のひとつに、言語を共有することを基準とするものがある。項目民族参照。
  15. ^ 日本語を第一言語とする者が即ち日本人とは言えない。在日朝鮮人の言語状況参照。
  16. ^ なお、佐原真はこの語の原義である「縄紋土器を使用していた人間」ということを強調するために「縄紋人」という呼称を提唱している。
  17. ^ 岡田はさらに現在の中国人(漢人)自体も使用言語の共通があるだけで、起源はさまざまな民族が混じっていることから、「王朝末期の衰退がなければ、朝鮮半島も日本列島も『中国文明の一部』になった可能性が高い」とも述べている。
  18. ^ 小熊英二『日本単一民族神話の起源』『「日本人」の境界』
  19. ^ 斎藤成也人種よさらば」。斎藤 成也『DNAから見た日本人』ちくま新書 525,2005年。また斎藤 成也HP参照
  20. ^ 斎藤、2002年
  21. ^ 植田信太郎らの研究による。道方しのぶ『日本人のルーツ 探索マップ』平凡社新書,2005年,184-5頁。Wang L., Oota H., Saitou N., Jin F., Matsushita T. and Ueda S. (2000) Genetic structure of a 2500-year-old human population in China and its spatiotemporal changes. Molecular Biology and Evolution. 17: 1396-1400.遺伝子からみた東ユーラシア人 - 斎藤成也
  22. ^ a b c 宝来聰『DNA 人類進化学』(岩波書店、1997)95頁
  23. ^ 馬場悠男「港川人1号人骨」東京大学総合研究資料館1996ほか。
  24. ^ 松本秀雄 (1992), 日本人は何処から来たか — 血液型遺伝子から解く, 日本放送出版協会, ISBN 978-4140016527 
  25. ^ 李成柱 (2001), “血液分析により民族の移動経路を判明する”, 東亜日報, http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828 2008-04-14 閲覧。 
  26. ^ 月刊誌『選択』2007年12月号
  27. ^ a b 篠田謙一『日本人になった祖先たち』(2007)p185
  28. ^ 『日本人はるかな旅・5/そして日本人が生まれた』(NHK出版)
  29. ^ 尾本恵市 (1996), 分子人類学と日本人の起源, 裳華房, ISBN 978-4785386382  要ページ表記
  30. ^ 斉藤成也『DNAからみた日本人』筑摩書房 p56
  31. ^ 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会, ISBN 978-4140910788 要ページ表記
  32. ^ 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会 ,p.32.
  33. ^ 篠田謙一『日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造』(NHKブックス)
  34. ^ 尾本恵一『分子人類学と日本人の起源』裳華房、1996年
  35. ^ 宝来聡「DNA人類類進化学」岩波書店、116頁。宝来聡「ミトコンドリアDNAからみた日本人の成立」琉球大学医学部公開講座講演要旨、1997年3月
  36. ^ McDonald, J. D. (2005), Y chromosome and Mitochondrial DNA haplogroups, http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf 2008-04-14 閲覧。 
  37. ^ National Geographic, ed., Atlas of the Human Journey, https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html 2008-04-14 閲覧。 
  38. ^ International Society of Genetic Genealogy, ed. (2007), Y-DNA Haplogroup Tree 2006, 1.24, http://www.isogg.org/tree/Main06.html 2008-04-14 閲覧。 要引用
  39. ^ a b c 崎谷満 (2008), DNAでたどる日本人10万年の旅, 昭和堂, ISBN 978-4-8122-0753-6 
  40. ^ 水稲の伝播とあわせて考えると、稲作の伝播が従来の半島経由なら北上した後日本に到達、新説の場合は大陸からの直接ルート。
  41. ^ O2a/O2bは現在のタイ・ベトナムに住む人たちに当たり、長江文明を築いた現在のタイ系などに当たる人々が黄河文明の担い手であった漢民族(03系統)に駆逐され、南方・北方に散ったということ。日本人とタイ人が遠縁ともいえ、この時代は日本の弥生時代に相当する。
  42. ^ Haplogroup M7. http://www.ianlogan.co.uk/discussion/hap_M7.htm
  43. ^ 2005年2月18日共同通信「岡山県彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、稲のプラントオパール大量発見」
  44. ^ 2005年7月20日読売新聞、西谷正(九州大名誉教授:考古学)の論など
  45. ^ 「2005年02月19日読売新聞」稲のプラント・オパールが見つかったことは縄文前期の稲の栽培の証拠となるもの(高橋護・元ノートルダム清心女子大考古学教授)
  46. ^ 新聞「農民」2002.3.11
  47. ^ 2005年7月17日朝日新聞プラントオパールの発見により少なくとも縄文中期には稲作があったことが確実となった(考古学者:山崎純男)
  48. ^ 佐藤洋一郎『稲のきた道』裳華房/『DNAが語る稲作文明』日本放送出版協会
  49. ^ 池橋宏『稲作の起源』講談社
  50. ^ 鳥越憲三郎『原弥生人の渡来』(角川書店、1982)『倭族から日本人へ』(弘文堂、1985)『古代朝鮮と倭族』(中公新書、1992)『倭族トラジャ』(若林弘子との共著、大修館書店、1995)『弥生文化の源流考』(若林弘子との共著、大修館書店、1998)『古代中国と倭族』(中公新書、2000)、『中国正史倭人・倭国伝全釈』(中央公論新社、2004)
  51. ^ 諏訪春雄編『倭族と古代日本』(雄山閣出版、1993)7-8頁
  52. ^ 倭・倭人関連の中国文献倭・倭人関連の朝鮮文献
  53. ^ 三国志地名事典(索引)も参照
  54. ^ 『古代中国と倭族』(中公新書、2000)263頁
  55. ^ 『弥生文化の源流考』(若林弘子との共著、大修館書店、1998)
  56. ^ 中国の少数民族タイの民族
  57. ^ 諏訪春雄編『倭族と古代日本』(雄山閣出版、1993)
  58. ^ 2009年8月30日閲覧。また『ここまでわかってきた日本人の起源』産經新聞社、2009年、17頁

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