敵性語

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「看板から米英色を抹殺しよう」
昭和18年2月3日付『写真週報』第257号

敵性語(てきせいご)とは、かつて敵対国や交戦国で一般に使用されている言語を指した語。敵声語と当て字されることもある。

特に日本では、日中戦争から第二次世界大戦中にかけて敵性国・交戦国だったアメリカイギリスで使用される英語を「軽佻浮薄」(けいちょうふはく)と位置づけ、これが精神論的に「敵性」にあたるものだとして排斥が進んだ。

本項はこの日本における精神論上の「敵性語」について主に詳述する。

目次

[編集] 概要

[編集] 法的根拠は無し

敵性語は法律で禁止されたものではなかった。戦前・戦中の日本でも簡単な英単語はマスメディア上のみならず日常において盛んに使用されており、情報局編集・内閣印刷局発行の『写真週報』や、政府や軍部の検閲を受けたニュース映画「日本ニュース」といったプロパガンダメディアでさえ大戦末期に至るまで英単語は使用されている。

[編集] 民間の事例

例えば上述画像の『写真週報』第257号ではほかに「米英レコードをたたき出そう」「これが日本人に売る日本商品だらうか」「(内務省と情報局による)廃棄すべき敵性レコード一覧表」などの特集が組まれる一方で、同誌同号で掲載されている銃後の国民生活を説くコラムでは「シャツ」「コンビネーション」「チョッキ」などの英単語が使用されている。単位系は従来通り、メートルやキロが使用された。

敵性語は圧力を受けた一般民間人の自己規制によって排斥された。国民が「高等教育の現場における英語教育を取りやめるべき」と内閣総理大臣東條英機陸軍大将へ要求したこともある。東條はこれを国会において「英語教育は戦争において必要である」として拒否した[1]。ただし日本国内を覆っていた空気に影響されてか、英語教育は縮小している。これら敵性語運動は対米英戦たる太平洋戦争の戦意高揚運動のひとつだった。

[編集] 軍の事例

民間人による排斥だったため、その徹底度は組織的・地理的な事情により大きく異なった。軍の整備隊・軍需工場などではボルトナットスパナなど日本語にしようがない、もしくは日本語化しても馴染みがないなどの理由で英語排斥は徹底せず、「お上の目の届かないところ」などでは公然と英語の用語が使用されることが多かった。

イギリス海軍を手本とし、専門用語の多くに英語を使用していた海軍では特に英単語が使用されることが多かった。1944年公開の映画『雷撃隊出動』には南方の駐屯地内で兵隊が野球をしているシーンがあるが、そこでは「ストライク」という言葉が使われている。

当然、陸軍でも必ずしも英語は排斥されていたわけではない。例として航空部隊では「落下タンク(海軍用語の増槽)」「スペリー(照空灯)」などといった英語由来の専門用語の数々や、「ピスト(操縦者の控え所)」といったフランス語太平洋戦争中も一貫して使用されている。

さらに1944年公開の陸軍省後援・情報局選定の映画『加藤隼戦闘隊』には、加藤建夫戦隊長が「チャンス!チャンス!」と発言した事に対し部下が「隊長殿、罰金ですよ」と笑い飛ばし、パイロット一同が敵性語運動を事実上茶化すシーンがある。他に「コーヒー」「ウイスキー」「スペリー」という言葉も使われている。なお、本映画のモデルである飛行第64戦隊および、同部隊歌軍歌)の出だしは「エンジンの音轟々と」であり、この歌はレコード化もされ軍や国民の間では広く親しまれていた。ただし、陸軍士官学校では英語教育は廃止、縮小されている。

陸海軍を問わず、部隊の軍隊符号や装備の略称にアルファベットが使用されている例がある。戦車を揚陸する機動艇は、SS艇やSB艇と呼ばれた。軍国美談でも、「チョコレートと兵隊」などの物語が存在する。

[編集] 敵性語の言い換え例

[編集] 野球

野球は敵国アメリカの事実上の国技であることから、その関連用語には徹底した英語排除が行われた。野球には1890年ごろから正岡子規らが翻訳した、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「遊撃手」などの一連の和訳用語がすでに存在していたことも、この運動が特に野球で徹底される理由となった。1940年(昭和15年)には、球団名の日本語名への改称と、ユニホーム表記の漢字表記への変更が行なわれた[2]

さらに後には野球自体の排斥運動も起こり、戦争激化にともないプロ野球1944年(昭和19年)秋から1945年(昭和20年)まで、選抜中等学校野球大会は主催者である毎日新聞社の意向により1942年から1946年まで、全国中等学校優勝野球大会も主催者である朝日新聞社の意向により1941年から1945年まで中止されている。

ただし、そうしたマスコミによる圧力の中でも英語を日本語に置き換えてでも野球を楽しむ人もいた。

  • ストライク」→「よし」「本球」
  • 「ストライク ツー」→「よしふたつ」
  • 「ストライク スリー、ユー アー アウト」→「(よしみっつ、)それまで」
  • ボール」→「だめ」「外球」
  • アウト」→「ひけ」「倒退」
  • セーフ」→「占塁」
  • バッテリー」→「対打機関」

以下マスコミによる言い換えの一例

[編集] スポーツ

[編集] 地名

[編集] 放送

[編集] 乗合

  • バック」→「背背」(はいはい)
  • 「オーライ」→「発車」(はっしゃ)
  • ストップ」→「停車」(ていしゃ)
  • 「バック、オーライ、オーライ……ストップ!」→「背背発車、発車……停車!」

[編集] 煙草

このほか、「光」の側面の「HIKARI」表記が「ひかり」に変更された。

[編集] 飲食物

  • サイダー」→「噴出水」(ふんしゅっすい)
  • フライ」→「洋天」(ようてん)
  • キャラメル」→「軍粮精」(ぐんろうせい)
  • コロッケ」→「油揚げ肉饅頭」(あぶらあげにくまんじゅう)
  • カレーライス」→「辛味入汁掛飯」(からみいりしるかけめし)

[編集] 雑誌

『キング』改め『富士』
敵性語排斥で改題された昭和18年3月号

[編集] 社名・学校名

[編集] 通名・芸名

1939年(昭和14年)の映画法施行の際、映画関係者の登録制が導入された。その後、内務省警保局長の「ふざけた芸名を使うことが流行するのは、国民の生活向上にも、時局柄にもよろしくない。」という談話が発表されたことがきっかけとなり、1940年(昭和15年)3月28日に映画会社・レコード会社の代表者に改名方が厳達され、特に英語を用いた芸名や、宮家、忠臣を揶揄した芸名などは強制的に改名させられた[2]

英名ではないが、「忠臣である藤原鎌足を冒涜している」と内務省から改名を命じられた。「鶏太」は「(芸名を)変えた」からのもじり。
  • 「三笠静子」→「笠置シヅ子(かさぎ しずこ、歌手・女優)
三笠宮と同じ名字を冠するのは恐れ多いとの配慮から改名。戦後も改名後の芸名で活動した。

[編集] 筆記用具

  • HB」→「中庸」(ちゅうよう)
  • H」→ 「硬」(こう)
  • B」→ 「軟」(なん)

[編集] 動物

動物園などで表記の変更が行われた。

[編集] 植物

太平洋戦争勃発後、京都植物園で日本語名の研究が行なわれた[2]

[編集] 音楽

[編集] その他

[編集] 海外での同様の事例

言語とは、民族を決定する重要な要素の一つであり、過激なナショナリズムと容易に結びつきやすい。

[編集] アメリカとイギリス

アメリカイギリスでも第一次世界大戦中に交戦国だったドイツで使用されるドイツ語に対して、その規模こそは小さかったものの[要出典]、やはり似たような排斥運動が起っている。代表的な例として、当時イギリス王室の名称は「サクス=コバーグ=ゴータ家」だったが、1917年にジョージ5世は敵国ドイツの領邦であるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名を冠したこの名称を避け、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称していることがあげられる。詳細は「ウィンザー朝」を参照。

第二次世界大戦では、日本と交戦状態となったアメリカでは、日系人の強制収容が行われ、特に日系人が多かったハワイでは、日本語によるラジオ放送などが開戦と同時に即刻禁止となった。

アメリカでは2003年に、イラク戦争に反対するフランスに対して反発するアメリカ人が「フレンチフライ(フライドポテト)」のことを「フリーダムフライ」と言いかえようという主張する事例が各地のローカル紙で紹介された。すると、そうした盲目的に保守的なアメリカ人にあきれるリベラルなアメリカ人もまた、これを自虐的に風刺するかたちで冗談半分に同調、その結果「フリーダムフライ」は流行語にまでなった。すると今度はこれをフランスのメディアがアメリカで起こっている運動として報道したため、騒ぎは実態のないまま雪だるま式に肥大するという奇妙な現象になった。

[編集] ロシア

第一次世界大戦でドイツと交戦していたロシア帝国では、首都の名前であるサンクトペテルブルクがドイツ語風であったため、ペトログラードに改名した。後にソビエト連邦によってレニングラードに改名され、元のサンクトペテルブルクに戻ったのは、ソ連崩壊以降の1991年のことである。

[編集] ブラジル

第二次世界大戦における連合国のブラジルでもイタリア語に由来する名称の使用が自粛されたため、イタリア系移民によって創立されたサッカークラブ「パレストラ・イタリア」が「パルメイラス」という名称に変更されたという事例がある。ブラジル大統領ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスは、国内において、枢軸国の言語での出版活動は完全に禁止させていた。日本語も禁止の対象であり、そのため日系ブラジル人は自分たちのルーツとなる日本の状況が、終戦を過ぎても詳しくは分からなくなってしまい、勝ち組と負け組の問題を生んだ。

[編集] 韓国

第二次世界大戦後に建国された韓国では、日本との併合時代に大量に流入した日本語に由来する単語を「倭色」と蔑み、韓国語から追放しようとする動きが現在に至るまで続いている。

[編集] 注釈

  1. ^ ジョン・モリス:著、鈴木理恵子:訳『ジョン・モリスの戦中ニッポン滞在記』 小学館 1997年 ISBN 978-4-09-387215-7
  2. ^ a b c 北村恒信『戦時用語の基礎知識』光人社 1991年(後に文庫化『戦時用語の基礎知識 戦前戦中ものしり大百科』光人社NF文庫 2002年 ISBN 4-7698-2357-6 pp.28 - 30)

[編集] 関連項目

[編集] 出典・参考資料

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