名誉人種

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名誉人種(めいよじんしゅ)とは人種差別政策を行っている政権・制度下において、本来ならば差別されるはずの人種を、差別されない側の人種として扱う制度である。

概要[編集]

名誉人種として扱われる理由にはいくつかあり、外交関係や経済関係など実益的な理由によって特定の国籍を名誉人種とするもの、権力者と個人的に懇意にしている人物が特例として扱われるものなどがある。

名誉人種の例[編集]

南アフリカ[編集]

南アフリカ共和国で行われていたアパルトヘイトの下では、外国人を含めて、有色人種は総じて差別的な扱いを受けてきた。ただしインド系人種や白人との混血の者は議会の議席など、黒人には認められない一定の権利が認められ、有色人種の中でも待遇の違いがあった。

日本の国籍を有する者は、1961年1月19日から、経済上の都合から「名誉白人」扱いとされていた[1]。欧米諸国がアパルトヘイトを続ける南アフリカとの経済関係を人道的理由により縮小する一方で、日本は1980年代後半から南アフリカ共和国の最大の貿易相手国になる。国際的に孤立していた南アフリカと数少ない国交を持っていた中華民国台湾)籍の者は白人としてあつかわれた。[2][3]ただしこれらの扱いはあくまで国策上の法的措置であり、民間における差別感情やそれにともなう差別行為がなかったわけではない。

1987年、国際社会がアパルトヘイトに反対して、文化交流を禁止し、経済制裁に動くなかで、日本は逆に、南アフリカの最大の貿易相手国(ドルベースの貿易額基準)となり、翌1988年2月5日国連反アパルトヘイト特別委員会のガルバ委員長はこれに遺憾の意を表明した(ガルバ声明[4]。アパルトヘイトに対する国際的な非難と世界的な経済制裁が強まる中、南アフリカとの経済的交流を積極的に続ける日本の姿勢もまた批判の対象となり、1988年国連総会で採択された「南アフリカ制裁決議案」の中で、日本は名指しで非難された[5]

一方で、19世紀ゴールドラッシュでやってきた中国系移民もアパルトヘイトの対象となったものの、黒人経済権限付与計画や積極的差別是正措置が適用されていなかったため、大きな問題となっていたが、2008年6月18日に南アフリカの高等裁判所において、中国系住民を黒人と同様に扱うという、逆転的な適用を受けることとなった。[6]

ドイツ[編集]

ナチス政権下で一部のユダヤ人などが名誉アーリア人として扱われ、ホロコーストなどからも除外されていた。また、当時ナチスは、『我が闘争』(アドルフ・ヒトラー著)に書いてある通り、アーリア人こそが至高だと考えるアーリアン学説を掲げており、アジア人を含む異色人種をアーリア人に次ぐ二流民族と差別していた。ヒトラーが若い頃に書いた『我が闘争』では日本人も差別対象に含まれていたが、三国同盟を結んで日本が友邦になると一転して日本人を名誉アーリア人種として整合性を図った。

その他[編集]

一方、平等を求める活動から逆に名誉黒人の称号を授与された白人の黒人権利擁護運動家などもいる。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 楠原彰「アパルトヘイトと日本」(亜紀書房1988年)
  2. ^ 伊藤正孝「南ア共和国の内幕―アパルトヘイトの終焉まで」(中公新書1992年)
  3. ^ 「中国年鑑」(大修館書店 2009年)
  4. ^ 日本政府の対応については、以下の外務省の答弁を参照。参議院会議録情報 第112回国会 決算委員会 第6号
  5. ^ 河辺一郎「国連と日本」(岩波書店 1994年)
  6. ^ 掲載記事