黄禍論

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"The Yellow Terror In All His Glory", 1899 editorial cartoon
The Yellow Menace (1916)

黄禍論(おうかろん / こうかろん、英語: Yellow peril)とは、19世紀半ばから20世紀前半にかけてアメリカ合衆国ドイツカナダオーストラリアなどの白人国家において現れた、黄色人種脅威論。人種差別の一種。

解説[編集]

主な論者に: gelbe Gefahr(「黄禍」)というスローガンを掲げたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が挙げられる。

古来白人は、モンゴル帝国をはじめとした東方系民族による侵攻に苦しめられてきた。そのため黄色人種は、西ヨーロッパではタタールのくびきとして、また、ロシア帝国においてはアンチキリストがアジアから現れると信じられ、共に恐れられてきた。

近代の黄禍論で対象とされる民族は、主に中国人日本人である。とくに米国では中国人排斥法など露骨な立法に顕われ、影響が論じられる。

歴史[編集]

ヨーロッパ[編集]

"Völker Europas, wahrt eure heiligsten Güter"(ヨーロッパの各民族よ、諸君らの神聖な富を守れ)。ヴィルヘルム2世の図案をもとに歴史画家ヘルマン・クナックフースが描いたこの絵は、当時のヨーロッパの日本や中国に対する警戒心を端的に表した有名なイラストであり、後に様々なパロディも作られるほどであった。またこの絵はヴィルヘルム2世からロシア皇帝ニコライ2世への贈りものともなった。右手の田園で燃え盛る炎の中にブッダがおり、左手の高台には、ブリタニアゲルマニアマリアンヌなど欧州諸国を擬人化した女神たちの前で大天使ミカエルが戦いを呼び掛けている

黄禍というスローガンは、1895年フランスで発生したと推定されている。その後、ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世が黄禍論をスローガンとして使用したときは、プロイセン国内でさえほとんど無視されていた。ところが、1900年義和団の乱が起こり、1904年日露戦争が起ると、まず、イギリスで黄過論が頻繁にジャーナリズムに登場するようになり、それがロシア、フランスに波及していった[1]

アメリカ合衆国[編集]

19世紀半ば、清朝が衰退し、イギリスをはじめ西洋諸国によって半植民地の状態におかれた中国では、安定した生活を求め海外に移住する者が出始めた。ちょうどこのころカリフォルニア州で金鉱が発見されゴールドラッシュに沸きかえっていた。それもあって西部開拓が推し進められ、大陸横断鉄道の敷設が進められた。金鉱の鉱夫や鉄道工事の工夫として多くの中国人労働者が受け入れられた。

少し遅れて日本人がハワイに移住を始める。ハワイが米国に併合され、また、カリフォルニア開発の進展などにより農場労働者が必要になると、日系移民の米本国への移転が増加する。

祖国では困窮しきっていた彼らは新天地での仕事に低賃金でも文句を言わず良く働いた。そのためイタリア系やアイルランド系(いずれも熱心なカトリック教徒)などの白人社会では、下層を占めていた人々の雇用を奪うようになる。それが社会問題化し、黄禍論が唱えられるようになった。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 上掲『黄過論とは何か』
  2. ^ [1]

外部リンク[編集]