黄禍論
黄禍論(おうかろん / こうかろん、英語: Yellow peril)とは、19世紀半ばから20世紀前半にかけてアメリカ合衆国・ドイツ・カナダ・オーストラリアなどの白人国家において現れた、黄色人種脅威論。人種差別の一種。
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解説 [編集]
主な論者に独: gelbe Gefahr(「黄禍」)というスローガンを掲げたドイツの皇帝ヴィルヘルム2世が挙げられる。
古来白人は、モンゴル帝国をはじめとした東方系民族による侵攻に苦しめられてきた。そのため黄色人種は、西ヨーロッパではタタールのくびきとして、また、ロシア帝国においてはアンチキリストがアジアから現れると信じられ、共に恐れられてきた。
近代の黄禍論で対象とされる民族は、主に中国人、日本人である。とくに米国では中国人排斥法など露骨な立法に顕われ、影響が論じられる。
歴史 [編集]
ヨーロッパ [編集]
黄禍というスローガンは、1895年のフランスで発生したと推定されている。その後、ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世が黄禍論をスローガンとして使用したときは、プロイセン国内でさえほとんど無視されていた。ところが、1900年に義和団の乱が起こり、1904年に日露戦争が起ると、まず、イギリスで黄過論が頻繁にジャーナリズムに登場するようになり、それがロシア、フランスに波及していった[1]。
アメリカ合衆国 [編集]
19世紀半ば、清朝が衰退し、イギリスをはじめ西洋諸国によって半植民地の状態におかれた中国では、安定した生活を求め海外に移住する者が出始めた。ちょうどこのころカリフォルニア州で金鉱が発見されゴールドラッシュに沸きかえっていた。それもあって西部開拓が推し進められ、大陸横断鉄道の敷設が進められた。金鉱の鉱夫や鉄道工事の工夫として多くの中国人労働者が受け入れられた。
少し遅れて日本人がハワイに移住を始める。ハワイが米国に併合され、また、カリフォルニア開発の進展などにより農場労働者が必要になると、日系移民の米本国への移転が増加する。
祖国では困窮しきっていた彼らは新天地での仕事に低賃金でも文句を言わず良く働いた。そのためイタリア系やアイルランド系(いずれも熱心なカトリック教徒)などの白人社会では、下層を占めていた人々の雇用を奪うようになる。それが社会問題化し、黄禍論が唱えられるようになった。
参考文献 [編集]
- ハインツ・ゴルヴィツァー『黄禍論とは何か』草思社、ISBN 4794209053
- 飯倉章『イエロー・ペリルの神話 帝国日本と「黄禍」の逆説』彩流社、2004年、ISBN 9784882029052
- ジョン・ダワー『容赦なき戦争ー太平洋戦争における人種差別』平凡社、ISBN 4582764193
- 橋本順光(編集・解説)『英国黄禍論小説集成』<黄禍論ー英語文献復刻シリーズ①>Yellow Peril, Collection of British Novels 1895-1913, in 7 vols., edited by Yorimitsu Hashimoto, Tokyo: Edition Synapse. ISBN 9784861660313 [2]
- 橋本順光(編集・解説)『黄禍論史資料集成』<黄禍論-英語文献復刻シリーズ②>Yellow Peril, Collection of Historical Sources, in 5 vols., edited by Yorimitsu Hashimoto, Tokyo: Edition Synapse. ISBN 9784861660337 [3]
関連項目 [編集]
- 人種差別
- イエロー・ジャーナリズム
- ハースト・コーポレーション
- サンフランシスコ・エグザミナー
- シアトル・ポスト・インテリジェンサー
- 排日移民法
- 日系人の強制収容
- 第442連隊戦闘団
- 反キリスト
- タタール
- 白人至上主義
- 反中
- キタイ - 直接の意味は、10世紀頃に中国北部にて遼王朝を建国した遊牧民族「契丹」を指すが、ロシア語においては(現在も含めた)「中国」を意味し、北方への対外侵略を常としてきた契丹と同一視する事で警戒心・畏怖の意味も込められている[2]。
- フー・マンチュー
- ジャック・ロンドン(黄禍論者 著作もある)
- 人種的差別撤廃提案
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
- 『黄禍論とは何か』ハインツ・ゴルヴィツァー千夜千冊 連環篇